体操しようよ : 映画評論・批評
2018年11月6日更新
2018年11月9日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
ラジオ体操と滋味豊かな人間劇の意外な相性。身近ゆえ見過ごしがちな価値を照らす
灯台下(もと)暗し、とは言い得て妙だ。「体操しようよ」を観ると、ラジオ体操という日本人にとって身近な存在で、また膨らませ甲斐のあるネタが、これまで邦画の題材にならなかったのが不思議に思えてくる。
定年退職した佐野道太郎は几帳面さだけが取り柄の60歳。妻に先立たれ、家事を担う娘にコーヒーのお代わりを求め無言でカップを突き出す“ザ・昭和”な中年親父だ。演じるのは、二枚目俳優という従来のイメージに加え、近年はユーモラスでお茶目な魅力も認知されてきた草刈正雄。本作では持ち前のダンディーさを封印し、猫背気味でさえないたたずまい、娘の弓子(木村文乃)からバトンタッチされた家事で悪戦苦闘する姿、ひょんなことから通い始めた早朝のラジオ体操会での鈍くさい動きで、呆れと同情の入り混じった笑いを誘う。
プロデューサーの春藤忠温は、ラジオ体操で地域デビューした実体験をもとに初の脚本に挑戦。当初はコメディ寄りの内容だったが、共同脚本の和田清人と監督の菊地健雄が加わり、小津安二郎の「秋刀魚の味」のように父と娘の関係に焦点を当てるドラマへ変わっていったという。
道太郎は初めての主夫業に加え、ラジオ体操会会長の神田(きたろう)が営む便利屋を手伝い、ワーキングマザーの子育て、認知症と老老介護、リストラといった現代の社会問題を目の当たりにする。だが、「(便利屋の客)それぞれが自分で解決すべき問題」と言い放ち、若き同僚の薫(渡辺大知)から老害呼ばわりされる始末。昭和の価値観が抜けない男と、平成生まれの若者との世代間格差も浮かび上がる。さらに道太郎の几帳面な張り切りが予想外の状況を招き、仲間たちの前で親子喧嘩してしまう最悪の事態に(このシーンは菊地監督デビュー作「ディアーディアー」の名場面、葬式でのきょうだい喧嘩を想起させる)。
道太郎と弓子の関係が、体操会のマドンナ的存在・のぞみ(和久井映見)の過去に触れることで変化していく展開もうまい。そしてもう一つ、ラジオ体操の会場となる、南房総の野島埼灯台の下に広がる公園のロケーションの良さも特筆に値する。灯台のもとでラジオ体操とは象徴的だが、身近ゆえに見過ごしがちなのはそれだけではない。背筋を伸ばす姿勢、家族を思う心、ご近所とのあいさつといったささやかなことでさえ、意識して変えていく、示していくことで人生が豊かになると映画は教えてくれる。
(高森郁哉)