「2度の願いの違いが鍵」ブレス しあわせの呼吸 ピラルクさんの映画レビュー(感想・評価)
2度の願いの違いが鍵
医学が進歩することは歓迎せられることだが、ただ命をつなぐことだけが最優先されると、それは進歩と言えるのか、疑問符を付けざるをえない。とはいえ、医学が魂の救済までは看れないから、どこかで放任する境界が、要るべきケースでは要るのである。昨今、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)という正義感備わった感する言葉が医療に寄り添っているが、あの言葉の周りの話である。
首から下が不随のロビンは2度、自ら死を望む。その2度の違いがどこにあるのか、ここを深く考えることが作品理解の鍵と見た。同列にみてしまうと『頑張ってたけど、やっぱり負けたんだ』という後ろ向きな理解で終わってしまう。
失った悲観に暮れていると何も始まらない。たとえ今は真っ暗でも、わずかでも光の感じられる方向があるのなら、自ら選び、覚悟し、決心し、そして進めば、希望や歓びはその途上に豊かに見いだされる。わずかな動作でコミュニケーションをとり、束縛を逃れて出かける歓びを獲得した。ただ命を培養されているだけの患者ではなく、人間らしい生活を営み、闘病先駆者としての誇りも持てた。
健康の定義はこうである。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」
肉体的には大きく点を落としても「精神的に社会的に」で挽回すれば、総合では大いに健康だ。ロビンがスペインの道端で野宿して過ごした一夜はハプニングのなりゆきだが、見ようによっては目指していたゴール地点のようにもみえる。あんな展開に出くわすことは願ってもできないこと。生き続ける気持ちを得たときからの一刻一刻でもって、あの一夜を組み立ててきたと言える。
で、ラストの2度目の願い。これをどう受け止めるか。強引に一言でまとめるならこういう表現はどうだろうか。
「重度の障がいに負けたのではない。希望のない終焉に自ら幕を引いた。」