「食べたきゃ言うのさバナナだと」こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
食べたきゃ言うのさバナナだと
ずっと見てみたかった作品。
三浦春馬の生前に、見ておきたかった。
そういうひとつひとつを、健常者からすれば、また明日でも数年後でも叶えられる確率が高いが、筋ジスではそうはいかない。
明日どこが動かなくなっているかわからない。
介助の目が行き届いていなければ、何もできない。
自力でやろうとする気持ちが強い人ほど、できない自分を受け入れて、できないなら人に頼る生き方に切り替えるのは難しいだろう。
作中の三浦春馬演じる田中くんが良い例だ。
思っている本音があるのに、言えない。
他の人の気持ちを優先させてしまいがち。
すごく優しいのだが、余裕があるぶっているだけとも言える。
反対に、三咲ちゃんは全力。
我慢せず言うし、健常者や障がい者の垣根なく人間として接する。本音のぶつかり合いが、鹿野さんからすれば楽しく、過ごしやすかっただろうと思う。
人に迷惑をかけずに生きるなんて無理なのだから、一度きりの人生、自分のために生きようよと思った時、みんなもそう思っていれば、介護だけに人生を費やしてしまう人が出ることなく、他人でも介護にできる範囲で携わりながら、障がい者も健常者も関係なくやりたい事をできる社会が見えてくるのかもしれない。
できることできないことをオープンに、やりたいことを、能力や物理的状況に囚われずに口に出してみる力。
簡単なようですごく難しいけれど、言わなければわかってもらえない。
鹿野さんは途中、その発言する声さえも失いそうになる。
言えるうちに、言って、伝えてみないといけない。
作中、三咲ちゃんが最初は、医大生目当ての合コンで教育大と嘘をつき医大生と付き合うフリーターだったが、鹿野さんと出会いボランティアに参加する中でどんどん、ボランティアの世界に引き込まれていく。
いつしか、障がい者とか関係なく、鹿野さんと人間愛で結ばれていく。
その関係性を、田中くんは本当は快く思っていないし、不安と嫉妬でいっぱいなのに、伝えない。
ボランティアに無理して参加するうち医学部の勉強にも支障をきたし、退学しようとまでする。
三咲ちゃんには、ギリギリの心をぶつけに来て、鹿野さんとの関係を「同情があれば何でもするのか」と詰め寄るが、ベッドイン寸前という表現の誤解を解くために、田中くんとの仲直りを優先させて「鹿野さんとはなんでもない」と言うのではなく、
「同情じゃない」
「好きになるかもしれないじゃん」
と鹿野さんを1人の人間として対等に見ていることをまずはっきり言葉にする三咲ちゃんの台詞が、印象に残ったしとても良かった。
「なんで俺の彼女だと最初に言わなかったんだよ」と田中くんに聞く鹿野さん。
田中くん、きっと鹿野さんが男性として見られるって思ってなかったのだろうな。
対等でないと心の奥底のどこかで思っているからこその慢心だった。
三咲ちゃんの中には常に田中くんがいて、鹿野さんを恋愛対象として見つめてはいなかったが、そんな関係性を凌駕する人間愛で繋がっている。
とても温かで、心に正直で、素敵な関係性だった。
優しい田中くんの、本人も意識していない思考の奥底の傲慢さを指摘するような、田中くんの人生に大きく影響する出来事だったと思う。
世の中にはどうしても健常者の方が多くて、田中くんの態度の方が一般的だし、田中くんのような振る舞いの優しさを、優しいと捉える人が多いと思う。
でも、本作を通して、優しいの本質を投げかけられた気がした。弱さやかっこ悪さ恥ずかしさを隠したくてもさらけ出すしかない、かっこつけたくもつけられない鹿野さんは、その本質をよくよくわかっていたのだと思う。
どの障がい者もこういうふうになるわけではなく、
鹿野さんが好かれる人間性だったことも影響していると思う。
対等でオープンな人には同じような人が集まり、その集大成が鹿野ボラという組織だったのだろう。
素敵な作品だった。