「「国のために死ねない」国民養成映画」1987、ある闘いの真実 マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
「国のために死ねない」国民養成映画
先頃、社会活動家で異端的芸術家の外山恒一氏が『全共闘以後』という本を出した。連合赤軍の挫折以後、ついえたとされる日本の学生運動の知られざる歴史を丹念に記した労作だが、そこでの準拠点はやはり「全共闘」なのだ。日本の学生運動の代名詞は「全共闘」で、その命脈は70年代初めで尽きた、と一般的には考えられている。『1987―』は、80年代のチョン・ドゥファン独裁政権下での、ふたりの学生運動家の死を軸に時代が動くさまを描く。
さて、日本の1960年の全学連デモで、警官隊との衝突の際に死亡した東大女学生といえば、樺美智子だ。だが、彼女の死が国民的運動の隆盛につながったという話を寡聞にして知らない。そして80年代の日本に「政治の季節」は訪れなかった。
80年代の韓国を舞台にした、カン・ヒョンチョル監督『サニー 永遠の仲間たち』では、女子高生の青春の背景に否応なく「政治」があった。だから「サニー」と敵対するグループとの乱闘は、学生デモの現場に設定されていた。『1987―』でヨニが男子学生と出会うのもデモでだった。
さて、『サニー』の日本版リメイク、大根仁監督『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は、舞台をユース・カルチャー全盛の90年代東京に設定している。「サニー」と敵対するグループとは屋外プールで戦う。
現・ムン・ジェイン政権は、北朝鮮との融和路線をとっている。一方、現・安倍政権は、北朝鮮の脅威を喧伝しがちだ。両国とも近代化し、もはや国民は「国のために死ねない」。国民的大運動で独裁政権を打倒した韓国と、アメリカ追従で経済的発展を成し遂げた日本。韓国の国民はやはり今後も「国のために死ねない」だろうが、日本の現政権は「国のために死ねる」国民を望んでいるかのようだ。
本作を観て、理不尽な政府に対してあたりまえに抵抗の意志を示すことの大切さを感じなければいけないのは、私たち日本人だろう。