「遅咲きの天才テナー歌手アンドレアの恵まれた才能と環境の美談の物語」アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
遅咲きの天才テナー歌手アンドレアの恵まれた才能と環境の美談の物語
盲目のテノール歌手アンドレア・ボチェッリの自叙伝『Tha Music of Silence』を「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォードが監督した音楽家映画。オペラ歌手としては遠回りの遅咲きだが、生来の哀愁を帯びた美声に節制した身体づくりで張りと力強さをを加えて開花するまでが丁寧に描かれている。一つ一つのエピソードを時系列に重ねたラドフォードの演出は、メリハリ弱く平坦で盛り上がりに欠けるも、有名オペラ曲の名唱をたっぷりと聴くことが出来るのは魅力だ。音楽に救われた映画と言えるだろう。それでも、所々に印象的な良いショットがあるのも、この作品の良さとして挙げられる。
風光明媚なトスカーナ地方の小村に生まれて、愛情豊かな両親始め恵まれた人間関係と裕福な家庭環境の中、音楽の才能を育む主人公アモスが、変声期を向かえて一度歌手の道を断念するところが興味深い。その前のイタリア統一の英雄の名を掲げるジュゼッペ・ガリバルディ寄宿学校の描写がいい。音楽教師が目が見えなくともアモスの声を聴き分けるところや、指を鳴らして引き寄せるところ。この盲学校のサッカーの授業では、最初は蹴った音が響く四角い缶をボール代わりにしている。この降りしきる雪のシーンの美しさ。上級生になったカットがオーバーラップで続いて、ゲームに慣れた生徒たちは普通の白いボールを使っている。これが真面にアモスの顔を直撃して失明してしまう。また、最初の手紙の隅に打たれたアモスの点字を両親・親族が指でなぞるカットもいい。イタリア家族の温かさが沁みる映画的表現の一例と思う。
その後自立するために一般の文科系高校に入学し、弁護士を目指して大学の法学部に進学するアモス。高校では点字の教科書を持っていないにも拘らず、音読するよう故意に当てる教師の冷酷さ。それでも遅れた勉強対策として、銀行の元支店長エットレを家庭教師に雇い、参考書の朗読を次々と録音していく。大学卒業のピンチでも活躍援助するエットレや優しく肩に触れて親切に接してくれた親友アドリアーノとの音楽活動と、アモスの周りには彼の人柄を反映した良い人たちが集まって来る。歌の才能に惹かれたエレナも、その美声から滲むアモスの人格に惚れたようだ。そして、転機が30歳の時にやって来る。ピアノの調律師から紹介された声楽指導者インフィエスタとの出会いだ。酒・たばこ禁止、十分な睡眠時間の習慣化、歌う時以外は沈黙の厳守。灰皿をピアノの上に置いてバーの舞台で喫っていたことを隠すアモス唯一の嘘。心入れ直して、本格的なベルカント唱法の禁欲的な肉体改造を習い実践し、才能を磨き上げる。歌うことだけに全精力を捧げるプロのオペラ歌手の厳しさが分かり易く表現されている。この過程のアントニオ・バンデラス演じるインフィエスタの奥さんが、傍らで優しく見守る眼差しがいい。
盲目というハンディキャップを抱えても、歌の才能と多くの人達から支えられ愛された人柄の良さに恵まれた美談の物語。反面、自伝故の裏の部分の描写が無いのが物足りなさになっている。実際は、11歳離れた最初の奥さんとはふたりのお子さんを授かりながら、結婚10年で別れている。ロック歌手ズッケロとのツアー契約を待たされる凡庸なエピをカットして、そんな逆境のところも少し加えたなら良かったと思う。キャラクターで一番良かったジョバンニ叔父さんでもう一つと、歌手になった次男マッテオ・ボチェッリとのデュエットで閉めれば、もっと感動的なイタリア家族のオペラ愛が描き切れたと思うのだが。