「素直、謙虚、そして、ちょい悪おじさん」アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
素直、謙虚、そして、ちょい悪おじさん
トスカーナ地方の裕福な家庭の大らかさの中で育ったことも関係あると思いますが、基本的にとても素直な人です。
この物語の主人公は、視力の障害についてもそれほど自暴自棄にならずに受け止め(母親の取り乱した様子を冷静に観察したりしてました)、その上で肩肘はらず、比較的淡々と前を向いて、今できること(学生時代は勉強、卒業してからはバーの仕事)を真面目にこなしていきます。
だから、おじさんの励ましの行動(例えば、コンクールに連れ出す)やピアノ調律師の紹介にも、素直に従います。よくありがちな「余計なことはしないでくれ」とか「もう俺のことは放っておいてくれ」というひねくれた態度は取りません。
アントニオ師匠の教え(それこそが原題の作品タイトルに繋がるのです)にも素直です。タバコについては最初嘘ついてましたけど、ちゃんと禁煙したのだと思います。
素直な人に対しては、周囲の人たちも「何か彼の力になれないか」と割りと自然体で考えるようになり、気がつけば色々な物事が好回転していく。
自分の世界に存在する周りの人たちの好意は、たぶん始めからそこにあるものではなく、本人の素直さが引き寄せているのだということがよく分かります。
偶然のようでいて偶然ではない出会いやチャンス。
素直であることや他人の好意を感謝で受け止める(好意を受けたその時には気付けなくても後で分かれば十分)ことのできる謙虚さが暖かな気持ちで満たされた人間関係や空間を作る。そのことが良く伝わってきました。
現実では、この映画ほど出来過ぎなことはなかなか起きないかもしれませんが、比較的居心地の良い空間には、素直さや謙虚さを備えた人たちがいることは間違いありません。
【一家にひとり、寅さんが欲しい!】
いろんなところに書いてますが、少年の健全な成長のために、父親や母親の正攻法の立場とは違った、つまり、場合によっては強引なやり方や世間的には正しくはないかもしれない視点で、迷える少年を導くことのできるちょっと不良なおじさんがいるといいですね。
私のおじさん、社会人としても家庭人としてもダメダメでした。でも、優しくてシャイで、居ると皆が笑っちゃうような人。こんな人が親戚には必ず居るもんだと子ども心に思ってました。お酒さえ飲まなきゃ、本当に寅さんだったな~。
斜めの関係の親戚、例えば「おじさん」「おばさん」の存在は大事ですね。昔、伊丹十三がそんな意味を込めて「モノンクル」(私のおじさん)と言うタイトルの雑誌(ムックだったがな)を朝日出版社から出してました。