A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリーのレビュー・感想・評価
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地縛霊。
成仏の描き方がとても日本的、東洋的に思えたが、もしかするとこちらが勝手に日本的と思っているだけで、もしかすると万国共通に存在する価値観なのかも知れない。あのメモを見せるか見せないかで、大きく評価や感想が変わるような気がするのだが、未練を現世に残すという感覚は誰もが想像できることだし、その普遍性を描いていると思えば、われわれが具体的なメモの中身を知る必要もないのだろう。ただただ想いを残してそこにいる。地縛霊というほかない(わざわざ病院から帰ってくるのが面白い)存在であり、どこかしらにああいう存在が要るのかもしれないと想像が膨らむ、それだけでもこの映画を観る価値があるような気がする。こちらも思いを馳せはしても、あえて近づこうとは思わない。同じ世界に棲んでいてもいいし、棲んでいなくてもよい。なんとも不思議な魅力のある映画だ。
何かわからないものがずっしり残る
邦題だと「a」とか「the」って省略されちゃいそうだけど、この場合の「a」ってすごく会ってよかったと思う。「大勢いるうちのひとりの」ゴーストについての物語、というニュアンスがすごくしっくりくるから。
感想としてはいいも悪いも、面白いもつまらないも、なんと説明していいのかわからない。観ていない人にはとにかく観てとしか言えません。
一見静か、に流れていくストーリーの中で、時々ブハッと吐き出される感情。
ゴーストには声も表情もないから、それは実に激しく、ゴースト的なやり方で表現される。
単調な中にそんなアクセントが入って時々ドキッとします。
このゴーストは日本的(仏教的?)に言うと地縛霊になると思うのだけど、成仏シーンが妙にリアル。気が済んだ瞬間にゴーストは突如消滅し、残されたこっちが置いてけぼりにされて妙な余韻がしばらく残る、そういう意味での面白い映画です。
素晴らしい佳作
最初は、なんちゅー低予算の作品だ、って印象。
実際に1000万円ほどしかかけてない低予算映画だったみたい。
尺も1シーンが長くて予算の少なさをカバーしてた。会話もほぼない。
しかし、それがむしろジンワリと良い雰囲気を与えてくれる。
所謂「地縛霊」の話。
地縛霊なので、日本人には馴染みが深い。
しかし、単なる地縛霊ではなく時空を超える。そこが西洋的。
ゴーストは同じ場所で常に「見ている」。場所の記憶と言うか。。
とりあえず西洋的なエクソシストのラップ現象なども起こしてる。
実際にゴーストが皿を投げてる姿は笑えたけど(笑)
時系列がバラバラなので観てる途中で戸惑うが、ゴーストなので時空を超えても別におかしな設定ではない。
輪廻転生っぽいけど、ちょっと違うよな・・時空の時間空間の中で過去と未来が同じ空間になっていて、その空間を自由に移動できると言うべきか。。。
時空を超えた結果、ゴーストは生前の本人を観る。
さらに、「ゴースト」が「ゴースト」になった自分自身を見る入れ子構造にもなっている。
多視座。見ているのに見られている。
面白い構造。
最後ゴーストが消えた瞬間、何とも言えない「感動」があった。
メモに書いてあった内容はわからないが、わかる必要はない。いずれにせよ、ゴーストにとっては未練を断つ内容だったのだろう。
主要な登場人物はたった2人なのに、音楽含め、本当に良い作品でした。
地縛霊可愛い
オバケの佇まい可愛いかったですね。
唐突な死で残りつづける無念なのか愛なのか
幽霊が主役になった事で人間視点のうつろいゆく感情というよりも、場に定着した念というかひと時の思いが固まった何かが視点を持ったように感じました。
それが変わる事が出来ないままポカンと置いて行かれてしまった愛情の塊りだとしたら永遠のラブストーリーとしての説得力は個人的にはかなりのものかと。
前置きもなく人生の途中を進んでいる時に唐突な終わりが来る。あるはずだった先の人生の質量は何処に向かうのか…この半端感が納得できないし何処かにこの何か分からない塊が落ちたままなのではと考えてしまうんですよね。
それに愛っていったら何かと永遠がテーマになりがちだけれど、一定方向に向いた感情って大きな揺れがあって発する熱量も求めてくる不安定なものだからこの状態で終わる事でしか説得できないんですよね、続いていく永遠をリアルに近ずけるのは難しい。この1番幸せなひと時を場に閉じ込めてまうというのはある意味具体的な解決策だな〜とロマンも何もない事を考えてしまいました。
幽霊っぽい精神音が流れつつも見ていて心地よく、不思議な体験をできました。言葉も少なく雰囲気もあるので、見る側の自由度がかなりたかい映画。
最後の演出は心が軽くなりました。
お向かいの花柄夢ちゃんも可愛いかったね。
眠かった
二人の共演に期待したが、ほとんど出てこず、がっかり。台詞もないので、とても静かに淡々と進み、眠くなる。成仏できない幽霊は愛する人と接触することもできずに、ただ悲しみにくれる姿を見ているだけ、また立ち去られた後も家に残り続けるだけで、この上ない地獄だろう。ラスト、彼女が残した紙を見て成仏できるが、何て書いてあったか位、見せてほしかった。最後まで鑑賞者の見立てに委ね過ぎて、メリハリがなく感じる。
死は常であるが故に苦
新居に越してきた子供のいない夫婦(ケーシー・アフレック&ルーニ・マーラ)。ポルター・ガイスト現象にたびたび悩まされていた2人だが、ミュージシャンの夫Cが突然の事故死。病院の死体安置所でむっくり起き上がったシーツを被った幽霊くん、そのまま家に向かい家の地縛霊となるのだが…
出演俳優はほぼ2人だけ。ほとんど台詞のないシナリオと、地縛霊と化したケーシーが無言で家の中を歩き回るだけという斬新な演出。一見夫Cの幽霊が残された妻Mを見守り続ける『ゴースト/ニューヨークの幻』的なロマンチックドラマのようにも見えなくもないが、トーンはいたって暗く、テーマは見かけ以上に深い。
冒頭宇宙の映像が映し出されるのだが、宇宙、神、生命の謎に通底する本作真のテーマの伏線ともなっている。仏教にある程度の知識を持っている方ならば、諸行無常を受け入れられず執着のはてに彷徨を続ける霊魂を描いている本作に、少なからず共感を覚えられることだろう。以下ネタバレをQ&A形式で紹介しているので興味と時間のある方はどうぞ。
①なぜスタンダードサイズなのか
時代設定が現代よりもちょい昔の70年代ぐらいを想定しているため、それに合わせた演出かと思われます。監督によれば過去に執着する幽霊のせまくなった視野を表現したらしい。
②なぜ登場人物に名前がないのか
人間を超越した存在を暗示しているのでは。死んだCの幽霊というよりは、ある霊魂が輪廻転生を繰返し生まれ変わった姿がCだった。そう考えると古いピアノや家の歴史にCが拘っていた理由がなんとなく理解できるのです。ちなみにMは先住民に殺された少女の輪廻した姿だったのかも。
③何を決めかねていたのか
引っ越しどうこうはミスリード。妊娠したMが出産するか中絶するかを夫婦が決めかねていた気がします。Cが死んだ後不動産屋が用意したパイを(異常な食欲で)バカ食い、(つわりで)おう吐したこと{貪}にも合点がいきます。
④なぜ突然交通事故が起きたのか
前夜に引越を決めていた夫婦をこの家に引き留めるため、この場所離れることができない地縛霊が故意に起こした事故だった可能性が。なんたって途棚を開けて皿を何枚もぶち割る{瞋}ほどのパワーがあるのですから、事故を起こすことなど朝飯前でしょう。
⑤着いたり消えたりするランプ
煩悩を生む原因として執着の他にもう一つ。それが無明。暗闇の中で自分が何物かもわからずもがいていた幽霊が灯明によって進むべき道を照らされる。いかにも仏教って感じですよね。
⑥タイムスリップ
肉体がなければ時間も存在しない。テレンス・マリックやキューブリックの映画に本作が例えられるのは、この地縛霊が時間を一気に飛び越えたり、大昔に遡ったり、更にはもう一度ループしたりすることができる、ある意味人間を超えた存在だから。もう一人の自分を傍観するシーン、どこかで見た気が…
⑦ベートーヴェンの話
預言者とテロップされた男がパーティ席上でしったかぶりで話す{癡}このシーンがこの映画の核心部分。世に生きた証を残すため何度も何度も輪廻転生を繰り返す人間だが、太陽の赤色巨星化や宇宙のビッグ・クランチにより、いつかは全てが無と化す日がやってくる。生は無常であるが故に苦であり、死は常であるが故に苦なのです。
⑧メモには何が
監督はその場に合った言葉を適当に書いてくれとマーラにお願いしたらしい。新しい男の子供を宿したとかその手のことが書かれていたのでは。向かいの地縛霊が待つのをあきらめて消滅したように、この世に生きた証を何一つ残せなかったことに気づいた地縛霊は、三大煩悩を振り払い執着を捨て世の無常を悟ることによって“無”となったのでしょう。メモを書いている瞬間にタイムスリップして横から覗いていれば、こんなに時間をかけなくても済んだのに…なんて姑息なことは考えてもいけないのです。
「わかりそうでわからない」感がいいかも
これは・・・
「地縛霊となった男が成仏する話」
・・・に見えますが、いろいろな場面やセリフに含みを持たせていて
観る人によって受け取り方や感じ方が異なるので
どのようにでも解釈できる話だと思います
幽霊となった男の妻は、家からいなくなって死んでしまうので、
解説の「幽霊が妻を見守る」部分は映画全体の一部です
これはこういう話、と断ずることが出来ないし
感想も書き辛い
長回しのカメラと必要最小限の会話(一部除く
じっと映像観ているうちに、いろいろな思いが頭をよぎって
観る人それぞれが、自分補正をかけて話に膨らみを持たせていって
しまう・・・
ひとりよがりになりそうでギリギリ踏みとどまっている
不思議な作品
(古典的な「シーツを被ったオバケ」のビジュアルは最初、
なんて安っぽいんだろうと思いましたが、表情が見えず
微妙な仕草がわかり辛いので、映画そのものと同じく
観た人がそれぞれ思いを上乗せできるし、ラストにも
繋がっていくいい設定かと)
自分補正をかけると・・・
夫が死んだ後の、妻の様子を見ていて
「なんて自分は可哀想なんだろう」と全力で表現「しない」
抑えた演技の中から、しみじみ悲しさが伝わってきて
ぽろぽろ涙がこぼれてきました・・・
妻は引っ越してしまい、その後死んだとわかるのですが
地縛霊となった男は、妻の最期を看取る事もできず
他の家族が住むようになったり、家が壊されたり
その後高層ビルが建つと、身投げして時を遡り
また時間軸が変わって
最初の場面に戻るのですが
ラストについて、成仏したのかエンドレスか
一緒に観ていた夫と小一時間ほど話したのですけど結論は出ず
そういう話(どのようにでも解釈できる話)なんだなぁきっと
・・・なら私は、エンドレスが好みかな
それはそれで悲しいかもしれないけれど
成仏したと考える方が、オチがついてすっきりした気分になれるし
話として、まとまっているように感じられると思うので
監督があちこちに引いた伏線の意味を考えなければ
そう結論づけた方が鑑賞後の気分はいいかもしれない
けれど何かこの「わかりそうでわからない」感が
もやもやと残る・・・この感じも悪くないなぁ、と
思った映画でした
シーツを被った霊の彷徨
WOWOWシネマ「W座からの招待状」で鑑賞。
かなり退屈な映画やなぁ、と…。セリフも殆ど無し。ルーニー・マーラは半分経過したくらいに姿を消してしまった…。あとはシーツを被って、目のところだけくりぬいた夫の幽霊が、地縛霊のように妻が去った家に留まり、辛い悲しみに打ちひしがれながら、その場所の変遷を見つめていく…。
欠伸を噛み殺しながら観ていると、ビルから飛び降りて(幽霊の自殺とはこれまた斬新だなぁ、と思いました)その場所の歴史を俯瞰し始めたところから、一気に目が覚めて、画面に引き付けられました。面白い試みと視点だなと思いました。時間も空間も超越して、人間の生活に土地を絡めながら、人生の意味と自分が生きた痕跡についての考察を深めていく―。
あのメモには何が書いてあったのか?
夫の問いに対する妻の回答だろうか?
はたまた、愛の言葉だろうか?
しかし、それは些末なことなのかも…。
内容云々より、成仏したということが、重要なのかも?
未練が浄化され、己を昇華させた…。
自分がいなくなっても、世界は回る―。
切ないけれど、きっと自分が生きていた証はどこかにある。
それが例え、かなりミクロなものであっても…。
それが例え、大事なもので無くても…。
そう信じたいなと思いました。
アメリカ版成仏出来ない地縛霊
子供の学芸会に出てくるオバケ👻の様で、なんか変!て思った。ぜんぜん怖く無いしすっごくアナログだし。でもだんだんとあの姿が逆に切なく感じる。
言葉も少なく、感情表現も少なく、名前すらわからない。パイをひたすら食べるだけのシーンが5分程あった。座り込んで黙々と食べ続ける(おそらく泣いている)妻と立ち尽くすゴースト、淡々と長いシーンだけど、凄くリアルで悲しみが伝わってくる。
妻が引っ越してもあの場に居続け、解体されても居続ける。何年も居続け、タイムスリップして過去に戻って、また自分たちの生活の場に、、、。妻の隠したメモを読んでやっと成仏出来た。(成仏の仕方はあまりにも潔い!)あのメモにはなんで書いてあったんだろう💦気になって私は成仏出来ないなあ😥
ゴースト、あの姿で正解です。発想がすごいです。この映画は良いと思うかつまらないと思うか別れるだろうけど、私には想像以上の映画でした。
おばけ時間の追体験
静かな映画という印象、生活音や会話などもどこか遠くからぼんやりと聞こえてくる、正にシーツ一枚隔てた幽霊の見ている世界を追体験しているようだ
自分が認識されないぼんやりとした世界で時は瞬く間に過ぎてゆく、
それでいて技法的には長回しを多様して長時間の集中を強いるかなり疲れる仕様
このおかげで幽霊たちが感じている目的も半ば忘れ、しかし未練も捨て去れずに苦痛に満ちた膨大な時間を共有するとこになる
長い時間を経て、未練を残した土地の記憶と自我が溶け合いその土地の始まりの記憶からやり直す、自分が納得できる、探し物が見つかるその一点まで
だからラストでメモを開いた瞬間にシーツの中身が霧散するシーンは美しく開放的だ
作中での会話に宇宙の熱的死の話が出てくる、宇宙は膨張し続け、エントロピーは際限なく増加し、最後にはもう星は産まれない、いかなるエネルギーも取り出し得ない時間的死が待っている
その絶対的な全ての終わりの前では歴史に残る名曲や、人間の存在したことすら無意味だと語られる
個人の思い出や出来事などもっと些末なことだろう、1回目は家の解体で間に合わなかった、だからこそその瞬間は絶望ではなく奇跡だ
大したことは起こらない話のようでいて、けっこう教訓的な生活の糧になる作品だった
50点
映像、撮り方、音楽の
雰囲気はよかったが
インターステラーの様な伏線
ゴーストの様な切なさ
時空越えて学ぶ
最後メモ見て成仏はよめてしまった。
定点の異常な長さ
長いのは流れを伝えたいやろな
とは思うが、イライラする長さ
眠たくもなった
ショートムービーならより○
西洋だけど日本的?
2019-017@アップリンク吉祥寺パルコ
言ってみれば地縛霊の話。
見た感じもシーツをかぶって目の位置に2つ丸い穴が空いているだけだったり(日本以外にもそんなお化けの表現あるんだなぁ)、お隣さんのゴーストもいたりしてものすごくシュールなのだが、話が進むとスケールがどんどん大きくなっていってやがては輪廻転生とかそういった類の話にもなっていく。
ただ、輪廻転生はキリスト教には無いらしく、自分も全く詳しくは無いので間違ってたら申し訳ないのだけど仏教寄りなノリに感じられて、明らかに西洋人が作ってるのになんか面白いなぁと感じた。
ラストに関しては、あぁー、良かったねと言ったところ。
長回しは幽霊のテンポ
幽霊視点で描かれる〜な前評判から気になり、
観に行ってきました。
主役の男性が事故で命を落としてしまうまで、
これは冒頭ですが、すでにその段階で長回しのシーンが多く、
当然ワザとだよなあ〜監督がこういう撮り方が好きってだけじゃないよなあ〜、、
とヤキモキするところではありましたが、
男性がそういうペースな性格でありそうな、
そして幽霊に時間の流れというものがあるのならば、
長くカメラを回して撮るのもわかる演出でした。
セリフがホントに少なく、このまま最小限のセリフで終わればそれはそれで新鮮に感じたところではありますが、、、
途中、舞台であるところの「家」のある時代において、
生命論〜宇宙論をまくし立てるハゲ頭のオッサンが登場し、
ちょいシラけちゃいました。
アレ、語らせたかったのか語りたかったのか、
「家」が立つ前〜「家」が壊され開発が進みビルが立ち〜
の描写を当てはめるための理屈をブチたかったんでしょうが、
オッサン1人に論じさせなくても別の演出があった気が。
残された妻が「家」を出る前に柱に挟んでいったメモ、
何が書いてあったかぐらい明かしてくれてもよさそうなもんだけど、、、
終始落ち着いた映像はとても好きでした。
向かいの「家」にいた花柄シーツの幽霊もツボでした。
その部分込みでのポイントです(ΦωΦ)/
自分が存在することの意味や生きる意味とは何か。
台詞は必要最低限にあるだけで、物語は映像と音楽で語られる。それらがもつ不思議な魅力よって、作品の世界に深く引き込まれた。
映画を見始めて、これはルーニーマーラが主人公で、それをゴーストとなったケイシーアフレックが見守る物語かと思ったが、そうではなく交通事故で死んでゴーストとなったケイシーアフレックが主人公の物語だ。
彼氏を交通事故で失い、悲しみにくれる彼女を幽霊となって見守っているが、時が経ち彼女は悲しみを受け入れ、前を向き家を去る。その時彼女は自分が住んでいた家にメッセージを残す。
ある1人の男が語る。「人間は必ず死ぬ。この世の中も全て消滅して何もなくなる」という風な話。
だとしたら、人間はいつか必ず死ぬのにどうして生きているのか。自分の存在することの意味や生きる意味とは何か。
それを、死後幽霊としてこの世に残った主人公は考える。
「自分の好きなこの家に居続けることが俺の人生、生きる意味なのだろうか」
それを解く鍵は彼女の残したメッセージにある。
しかし、それを取りかけた時家は壊される。
それから、時空を行き来し主人公は2人で過ごした時間にタイムスリップする。
そこで主人公はようやく理解するのだった。「彼女は未来への意志を選択し、自分自身で新たな人生を切り拓いたのだと」
それを彼女の残したメッセージから悟った主人公はようやく過去から解き放たれ、未来へと旅立つことができた。
煉獄に囚われた霊が浄化される話
人が物を食べるシーンがやたら長いのと、おばけが見つめる世界が次々と変わっていくのは
生きている人間と死者の対比になっているように感じた。
たぶん煉獄に囚われた霊が浄化される話だと思う。
主人公は死んだあとすぐに天国への道が開かれたがそれを自ら閉じて
あの家に執着する。それが主人公の小罪。そしてあの地に煉獄として囚われの身となる。
彼はその地に起きたことを延々と見せつけられる。皿を割ったり音を出したりの干渉はできるが
それ以上の干渉はできない。ただただ見続けるだけ。彼女が引っ越すが追いかけることはできない。なぜなら罪が浄化されるまで
煉獄に囚われ続けなければならないから。
幽霊の状態で高層ビルから身投げをしたのも煉獄から逃れようとしたためだろう。
もしかしたら彼はそのようなループを何百回と繰り返したのかもしれない。
最後のメモは別れの言葉が書かれていたのではないか。隣の霊が成仏したときは、目当ての人が戻ってこないと悟ったとき。
新しい人生を切り開こうとする彼女の決意を読み、もうここには戻ってくることはないと悟り、この世への執着もなくなり
成仏したのではないか。
すべてを理解は出来なかった
正直に言えば、難しくて分からん!
映画経験値が少ない私には厳しい!
でも何か掴みたい!そんな映画だった
ある一組の夫婦。家では物音がしたりとちょっと微妙な距離感ながらも仲良く暮らしていた。ある日夫が事故で死に妻は悲しみにくれる。だが、夫はシーツ姿のゴーストになるが妻には見えず…
とにかく長回しがスゴく長い!
ある意味叙情的でもあるし、色々と考えさせる余裕を持たせた長回しなのかも知れないがとにかく長い!
ぶっちゃけ眠気が…
妻がチョコレートパイを黙々と食べるシーンは悲しみの深さなどが伝わる名シーンとなるだろうが、他の長回しはどういった意図があったのか…
妻が家から去り、彼女の残した最後のメモを見るために、ゴーストはその家に残り続ける。そこやって来る新たな人間たち…
親子づれやパーティーをする若者、取り壊される家、時代も変化し…
突然現れたり、時間軸がワケわからん状態になるので、多くの人と語り合いたい映画である。
正直私は混乱してよく分かってないが、ラストで冒頭に繋がった瞬間は目を見張った
要するにゴーストの彼の妻への想いが、時も空間も越えて結実し、成仏する物語なのだろうか?
とりあえず今書けるのはここまでだ
他の方のレビューも参考にしつつ考察を深めたい。
シーツ姿なのに、どこか表情が伝わるようなゴーストが良かったね
儚く幻想的も。。。
手塚治虫の「火の鳥」の中に、似たように「時間を超えた存在」になった男の話があった。火の鳥の生き血を飲んで永遠の命を手に入れた男。が、これは所謂不老不死では無く、肉体は老いて朽ちて行き、最後には肉体は無に帰る。それでも精神だけは存在し続け、そこで起きることをただただ眺めているしかない、と言う話。
この映画のメッセージは、宇宙マニアのおじさんが酔っ払って演説する話の中にあります。人の一生、その生きる時間など何の意味もない。映画は「思いとココロこそが人が生きる意味である」と伝えようとしているんだと思うけど。。。
儚く幻想的な作りの映画ですが、欲を言うと、も少し美しさが欲しかったかなぁ。と、この手の話が好きで、読みまくってる人、見まくっている人からすると、かなり物足りない。センスは好きですが、この監督の次作に期待します。
【2018年総括】
[年度ベスト5:洋画]
1: 判決 二つの希望
2: ボヘミアン・ラプソディー
3: 30年後の同窓会
4: ラジオ・コバニ
5: ライ麦畑で出会ったら
[年度ベスト5:邦画]
1: 名前
2: 志乃ちゃんは自分の名前が言えない
3: 鈴木家の嘘
4: 万引き家族
5: ごっこ
[監督]
ジアド・ドゥエイリ(判決 二つの希望)
湯浅弘章(志乃ちゃん)
[脚本]
シドニー・シビリア 他二人(いつだってやめられる 7人の危ない教授たち)
川村元気(億男)
[撮影]
ラスムス・ハイゼ(バーバラと心の中の巨人)
今村圭佑(志乃ちゃん、ごっこ)
[男優]
ラミ・マレック(ボヘミアンラプソディー)
佐藤健(いぬやしき、億男、ハードコア)
[女優]
ミシェル・ウィリアムス(グレイテスト、ゲティ家の身代金、ワンダーストラック、ヴェノム)
木竜麻生(菊とギロチン、鈴木家の嘘)
[コンビニカップウィナーズ]
*コンビニでバイトでもしながら下積みからやり直して欲しい
唐田えりか
佐野玲於
[惜しかった映画]
(邦画) 「ねてもさめても」
主演女優の演技力は論外として。一つの人格に見えないってのは、もう致命的としか。
惜しかったのは「麦」の人格表現。生死感さえ希薄な、まるで向こうが透き通って見えるくらいの透明な存在。みたいなイメージなんですが、「あいつは危ない」と言う初期設定の女子が好きそうな安易な視点が×なのと、切れてスマホを投げ捨てるところが×。亮平を捨ててまでも「みんなの非難から守るための逃避行」に朝子が走る理由を、脚本が否定してるってのが惜しすぎる。このつながりの不整合なトコが、単なる腐女子の衝動的行動に見えてしまうのが惜しすぎる。
「同じ場所から違うものを見る」ラスト。「風景」を眺めて美しいと言った女。風景の一部の「川」をみて汚いと言った男。亮平と言う人間を見ている朝子と、朝子の一つの行動にとらわれてしまった亮平。と言う対比を象徴するラストとか、かなり行けてただけに、凄く残念でした。
(洋画) 「シェイプ・オブ・ウォーター」
イタスに至るところが、やっぱり納得できず。そこだけをどうにかして欲しかったんですが。どうにかしようと思うと、根底からいろんなものをやり直す必要はある。
[突っ込んじまった映画]
(邦画) カメラを止めるな!(3回)
(洋画) ザ・グレーテスト・ショーマン (9回)
2回見た邦画は他に無し。「名前」は行きたかったんですけど忙しすぎて行けなかった。TGSは気づいたら9回になってた。次点がボヘミアンの3回(今日時点)なのでぶっちぎりです。ゼンデイヤのピンクのカツラ姿が可愛かったのもあるが、ミリオン・ドリームスをはじめとして曲が好きすぎてね。やっぱりリピートしてしまうのは「音楽のある映画」になってしまいます。
切ない
ものすごく切ない。
その場から離れられなくなってしまった霊が
妻のメモの切れ端を見たい為に漂い続けるお話。
メモを見つけた瞬間に
成仏してしまったのだけれども
エンドロール後にもメモの内容は明かされなかった。
泣けとばかりにBGMなどで演出し「こう感じろ!」などと押し付けてくるような映画ではない。
とても静かででも時の流れは早い。
霊の表情は見えず、すべての感情を観る側に任せている。
その為、好き嫌いが分かれてしまう可能性もあるが、
人生の節目節目で見る度に
見方が変わってきそうな映画だった。
そして私は時々ビクーッと体が反応してしまったけども、最後の瞬間に自然と涙が流れた。
またエンドロール終わっても放心状態が続きなかなか立ち上がれなかった。
寝るのにいい
シーツを被ったゴーストのビジュアルがコミカルで、静かで切ない映画の雰囲気と合うか合わないかギリギリ。時の流れの中に静かに佇むゴースト。やりたいことはわかるし、嫌いじゃないけど、これじゃ寝ちゃうよ!てか寝たよ! ごめんなさい。
無念の昇華
Cはなぜ死後あの世へは行かずこの地にとどまったのだろう。彼の無念とは…。
それは独りになったMの身を案じてのこともあるでしょうが、彼女への単純な未練ではないのです。その理由は、実は最後まで観ないと分からないのだと気付きました。
小さい頃から引越しに慣れ、その度に小さなメモを家に隠すことで、戻って来た時のためにと自分の痕跡を残してきたM。そして今はCと暮らす家から引っ越したい様子。しかしCは乗り気でない。
M “What is it you like about this house so much?”
.....
C “Honey, we've got history.”
M “Not as much as you think.”
終盤、あの家に留まりたい理由を「2人の歴史が [この家に] あるから」と述べるCに対し、Mはそれほどの歴史なんてないと冷たく返します。その返事にCは少なからず傷ついたと思います(というか自分なら傷つく…)。彼の作詞作曲した歌からは、いずれ彼女が自分の元を去るのではないかと恐れる寂しさが含まれているようでした。
Cの死後、Mが悲しみに向き合う時間は長く割かれており、特に泣きながらパイをむさぼり食うシーンは延々と…延々と…続きます(これが結構長い(^_^;))。
しかし彼女が日に日に喪失感から立ち直り、ついには新しい人生を求めて引っ越しをする以降は急にテンポが速まります。
Mが悲嘆に暮れる時間の流れは、Cも同じであり、「生命体と同じ」時間感覚で尺を取ったのだろうと思いました。その後はCにとって部外者の生活を眺めているようなものなので、切り替わりが速くなるのかも知れません。
嫉妬し苛立つとポルターガイスト化するC。
彼にとってあの家は、Mと幸せな時間を過ごしたかけがえのない「宝物」なのです。それなのにMは予定通り引っ越して戻らない。Mにとって自分と過ごした時間は取るに足らないものだったのだろうか…。
あの家でCとMが仲良く暮らしたことや、CがMを愛したことを、まして記念碑がある訳でもなく、全く誰も覚えていない。
そしてCはパーティーでの悲観主義的うんちく野郎 (一応預言者らしい…) の話に聴き入るのです。
多くの人は、せめて子供ぐらいと、自分の生きた証を残したいと考えるでしょう。しかしたとえ子供を持っても、自分のDNAが未来永劫確実に受け継がれていく保証はない。大勢の名もなき人々は、結局この世に何も残すことなく旅立っていく。歴史に名を残す偉人ですらその「真意」がどれだけ正確に後世に伝わるか分かりません。曲解されることなどしばしばです。いずれ滅びるこの世界で、自分が生きた証を残す努力は全て無意味なのだろうか…。
預言者の話辺りから、Cは自分の拘りに疑問を持ち始め、Mのメモを取り出す前に「宝物」であった家は取り壊されてしまう…。Cは絶望して未来都市であのような行為に至るのではないでしょうか。
タイムスリップ?した先は19世紀(とのことです)。移住してきた家族は、家を建てる前に原住民に殺害されてしまい、女の子の遺体も朽ち果て地に帰ります。
そして一周して現代へ。
実はわずかにすれ違いのあるCとM。
Mの強い要望を受け入れる形でCが引越しを承諾した瞬間に、ピアノのポルターガイスト音。幽霊Cは何にショックを受けたのでしょうか?
もしこの時、自分が引越しに承諾してさえいなければ、Mは自分の死後もずっとこの家に居てくれたかも知れない、自分との思い出に浸ってくれたかも知れないのに、と後悔したのです。
突然の事故死によりMに感謝もお別れも言えなかった。引っ越ししたがっていたけれど、この家での自分との暮らしを彼女は正直どう思っていたのだろう?聞けずじまいになってしまった…。
せめてMが隠したメモを読みたい…。ようやく柱から取り出すと、読む瞬間に消え去るC。
文面は出て来ませんが、そこにはMの本心が書かれていたのだと思います。Mは勿論、Cを忘れるために/忘れたくてこの家を出て行ったのではない。MもCと一緒に過ごした時間を愛し、思い出の詰まったこの家に愛着があった…。自分への疑いようのない愛情が「あの頃間違いなく実在したこと」を確認し、無事無念が晴れてCは悔いなくこの世を去ったのです。もしMがメモを残していなかったら、隣人幽霊のように、何を探していたのかも忘れ現世で漂い続けることになってしまったかも知れません。
私の想像する文面はこんな感じ。
“C and M had a loving history here.”
もしくは歌詞に含まれる疑問に対する答えかも。
地縛霊となってまで(^_^;)愛着がある土地に残っても時代は移り変わり、自分が生きた痕跡など残らない。確かに預言者の言うように、結果が残せないなら人間の人生全ては無意味とも取れます。しかし、19世紀の女の子が口ずさむ歌は、Cの歌のような…。つまり、19世紀のメロディが、巡り巡って無意識下でCの制作過程に影響を与えている可能性を匂わせることにより、たとえ目に見えなくとも、人は何かしらこの世にかすかな波紋を残していくことを示唆しているのではないでしょうか。この辺は“Cloud Atlas”を思い出させました。
CとMには子供がいないけれど、Mの心にはCとの愛が間違いなく刻まれている。
ついでに言えば、無形のラブストーリーはこの2人に限ったことではないから、””A” Ghost Story”。
夫婦の愛も、家族で囲んだ食卓も、ささやかに祝ったクリスマスも、踊りまくったパーティも、歴史に残るようなことじゃない。でもそんな繰り返しがこの世界を今日まで作ってきた。別に偉業を成し遂げなくても、未来で誰も自分を覚えていなくても、気に病むことはない、とりあえず行ける所まで地球と一緒に回ってみないか…。
(住民が移り変わり、いずれ壊される家=地球)
よく言えば芸術的な詩のようで、悪く言えば退屈で意味不明です(^_^;)が、いろいろな解釈ができる作品です。特にCとMに関する重要な情報(会話)が、観客がまだ映画にのめり込めていない冒頭と、理解に苦しみながら迎える最後に持って来ているので、不親切というか余計難解にしている気がします。個人的にはVilhelm Hammershoiの絵のようで、きれいな映画だったなと思いました。
白い布一枚で表現される幽霊に低予算感が漂いますが、よーく観ていると、目の開き方が違っていたり、シワや汚れを付けることで、悲しんだり年老いてくたびれたりと、表情豊かになっていました。
男の子が幽霊におもちゃの銃を向けて立ち向かう姿が可愛らしかったです。
Ke$haが出ていましたね。
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