「派手なことはないのに、衝撃を感じる」A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
派手なことはないのに、衝撃を感じる
死んでしまった後のことなんて、誰にもわからない。
死んでしまった誰かを想うとき、死んでしまった誰かもまた自分を想っているかもしれない。
もう誰のことを想っているのか、いつの出来事なのかも曖昧な世界で。
ゴーストの表情のなさが、余計に想像の翼を巨大にするのだ。悲しいのかな?悔しいのかな?切ないのかな?
自分が死んだとき、もしかしたら映画の中のゴーストのように、自分のいなくなった世界を見つめる時間が来るのかもしれない。
死んでしまった自分を想ってくれている人を見つめているかもしれない。
自分のことなど全く知らない誰かの日常を見つめているかもしれない。
ゴーストがあまりにも「読めない」存在なので、まるでこのゴーストは私なんじゃないかと思えてくるのだ。
ゴーストを見つめ続けているうちに、なんだか周りの景色が変わったみたいだぞ?という感覚で、映画のシーンも切り替わる。ゴーストとの不思議な一体感を味わう。
流れ続ける時の中で、ついに全く繋がりを感じられない建物の中に閉じ込められたとき、「こんなのは嫌だ!」と私が思ったのとゴーストが飛び降りた(?)のはほぼ同時だった。
時間は過去から未来に流れるもの、というのは生きている私達が囚われているだけの常識なのかもしれない。
多分ゴーストが愛し執着したのは彼が彼女と過ごした家であり、不便で静かで穏やかな家なのだと思う。
近代化し、物質として磨き上げられ、多くの人々が行き交う建物を拒絶したとき、ゴーストはまだ家が建つ前の時空に降り立つ。
それは彼の愛した家が生まれる物語を鑑賞することであり、彼が家を愛するに至った物語を確認することでもある。
花柄のシーツに身を包んだもう一人のゴーストは、自分でも思い出せない「誰か」を待ち続け、「誰か」はもう帰ってこないことを悟って存在を失った。もう存在が残り続ける意味がなくなったのだ。
ゴーストが時空を超えた理由が拒絶なのかどうかも定かではないが、自分が世界に残り続ける理由を、自分が「待っている」事柄を確かめるチャンスにはつながった。
「引っ越す時には手紙を残すの。戻ってきた時に思い出せるように」という趣旨のことをゴーストの妻は言っていた。
彼が死んで、未亡人となった彼女が家を出るとき、彼女はいつもと同じように、ちょっとした隙間に隠すように、小さな手紙を残した。
彼が愛した家に、彼が愛した人が、彼との思い出を思い出せるように残した手紙こそが、ゴーストがここに留まっている理由なのではないか?
その手紙を、彼女の思い出を、彼は「待っていた」のではないだろうか。
待ち人が来て存在を失ったゴーストは、いつも通りの「読めない」表情をしていたはずなのに、なぜだかとても幸せそうに感じた。