「最高の「映画」に自ら泥をぶっかける」ブラック・クランズマン つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
最高の「映画」に自ら泥をぶっかける
皮肉でもなんでもなく本当に面白かった。最後の数分までは。
ブラックパワーを叫ぶ集団とホワイトパワーを叫ぶ集団の悪魔召喚の儀式の中にほうりこまれたような恐ろしさは最高だった。
全編を通してコメディ色が若干強いが、シリアスの中に笑いがあり笑いの向こうにシリアスがあるバランスも絶妙だ。
ホワイトパワー、アメリカファーストを掲げるデュークに、現実のある人物が頭をよぎるはずだ。
そのデュークが政界に進出しようとしていると聞いた主人公ロンは、誰もそんな男に投票しませんよと言うが、その瞬間は震えるほど面白かった。
現実ではデュークと同じような事を言う男が当選し国家を背負ったのだから。
それはロンの考えが甘いのか、または間違っていた事を意味する。
古い時代の物語であるが、今の時代と全く何も変わっていない、地続き感がたまらなかった。
潜入捜査のヒリヒリ感もしっかりしている。
本当にヤバい麻薬カルテルへの潜入ってほどではないにしろ、過激な思想で暴力的行動にでないかどうか監視する潜入にも命の危険は存在する。
なんてったって潜入している本人たちが暴力のターゲットに該当するのだから。
さて、面白かった話はこれくらいでいいだろう。主演のジョン・デヴィット・ワシントンが良かった事も書きたいが長くなりすぎるので諦める。
では、ここからが本題だ。
最高の「映画」を作り上げたにも関わらず、ラストに実際の映像を流す愚行。ここまで星5間違いなしの作品を星1まで落とさせる愚行。
面白いジョークを何故面白いのか自分で解説しちゃうような愚行。
作品を読み解くことが苦手な人や、答えを教えてくれる事に慣れすぎてしまった人や、アメリカのこと全くわからんという人が多い日本人にはこれくらいで丁度いいのかもしれないが、要はお前らどうせわからないだろうから作品の内容を教えてやるよとバカにされているのだよ。
折角、「娯楽」であり「芸術」でもある「映画」を作っても製作者が発信したいものは単なる「メッセージ」で、結果として出来上がったものは「映画」ではなくただの「説教」に。
ここのレビューにもラストに衝撃を受けたという方がいるわけだし、メッセージが伝わらない可能性を排除したかった気持ちもわかるが、「映画」であることを放棄しちゃ駄目だろ。ただの説教でオスカー獲れると本気で思っていたならどうかしている。
肝心のそのメッセージだって、問題を突きつけるだけで、解決策はおろか糸口さえ作品内では提示されず、ロンと恋人のラストショットが示すように、ただ時間が流れるがままに任せた事を批難しておきながら自分たちも同じ事をする愚行。
ラストのドキュメンタリー映像を見たことでそこまでと作品の印象が変わってしまう事も問題だ。私には暴力には暴力で対抗すべきと言っているように思えてしまう。大学で講演を行ったブラックパワーの人と何が違うんだ?
違うべきと思っているのは私だけで作品は肯定してるのか?。白人との戦いは近い武器を持てと?
アメリカは国の成り立ちからして略奪と暴力にまみれている。だから国として暴力をハッキリと否定できない。
暴力は悪いことと教えられず育った人たちは暴力的になる。場合によっては暴力を肯定することもある。それがアメリカ人。
そういう意味ではホワイトパワーを叫ぶ人たちもブラックパワーを叫ぶ人たちも、正真正銘「アメリカ人」なんだから仲良くすればいいのにと思った。