「『憎しみに居場所なし』」ブラック・クランズマン いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『憎しみに居場所なし』
まず初めに本作品はある程度内容の趣旨を頭に入れておかないと理解が捗らない作りとなっている。即ち、昨今の社会問題をストレートに取り上げるどころかアメリカに於ける差別問題のセンセーショナルな部分を掘り起こしているテーマなので、その手の題材に関心がないと全くもって有意義ではない内容なのだ。欧米以外の国での興行収入を思うと芳しくないのだろうと悲観的見方もよぎる。とはいえ、世界中のテーマである“人種差別”を人類は一体いつまで背負わされるのだろうか、人間の叡智なんてものは幾らテクノロジーを進化させても、ましてや人類に取って代わる“AI”なんてものが出現してきても、その心の拠所は浅ましい特質から一歩もアップデートできないのだろうと悲観に暮れることを否応が為しに観客に突きつける作品である。
他のレビューを事細かくは拝見していないが、どうも今作を単なるドラマのカタルシスを得る為の視点で捉えて、だからドラマ後の数々のヘイトスピーチのドキュメンタリーカットを不要だと切り捨ててしまう輩が多いらしい。そもそもスパイク・リーが監督なのだから単なるエンターティンメントには仕上げない事など当然なのだから、その“頓珍漢”な批評は全く読むに値しない。
初めの設定こそ事実を元にはしているが、ドラマパートはあくまでフィクションである。なのでコンゲーム的要素や、バディものとしてのサスペンスと協力することでの達成感を表現している。それとは別に、アバンタイトルでの『風と共に去りぬ』での引きのシーン、そして悪名高き『国民の創世』、続く『エクスプロイテーション映画』とアメリカ映画史を同時並行的に差し挟んでいる。そのシーンを模した演出も又妙技であり、外連味溢れる構築である。
教育や道徳が行き届かない世界では、迷信、神話、言い伝え、そして宗教でしか人を信じさせることが難しい。それが特に“原理主義”と呼ばれる至極簡単で単一的、非論理な程、心を掴んで離さない。そしてそれはストレートに経済に直結する。“ホワイトトラッシュ”にとってはそれは切実な依代なのであろう。“表現の自由”や“人権”なんていう小難しいことではなく、人としてどう生きるかの人生観をみつけることができなかった輩の恥ずかしい行為が“差別”なのである。人間としての矜持などに価値観を見いだせなければ、現状の不満不安をどこかにぶつけるしかないなんて、まったくもっておかど違いである。そんなに厭なら自分で自分を始末しろと結論つけたくもなる。
鑑賞中に、新元号『令和』の発表があった。「命“令”を以てして“和”を作れ」なんて、ほんと為政者の為のロジックだなと、今作で情けなくも痛々しいKKKの連中達を搾取しているトップの連中と、日本のそれと激しくオーバーラップ、否、今作の映像手法“カットバック”している様が楽に想像できてしまう今日この頃である。