「差別主義者に決定的に欠けているもの」ブラック・クランズマン 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
差別主義者に決定的に欠けているもの
差別をテーマにした『グリーンブック』『ビリーブ』という二つの作品で持ち得た「希望」がいきなり「絶望感」に取って代わりそうなほどショック性の高い映画でした。
差別主義者の理想というのは結局のところ、自分に跳ね返ってくる、という原理をもっと認識したほうがいいと思います。
偉そうに聞こえるかもしれませんが、よくよく考えると差別志向というのはそういう働きをするものなのです。
彼らのいう〝劣等人種〟を駆逐し、アーリア人のみで構成された社会が実現した場合、駆逐と排除という成功体験を持ったその社会の指導者たちは、より良い社会を作るために今度はその中で、何かの指標、例えば知能指数とか運動能力といったどこで線引きするのかも定かでない尺度を持ち出して能力の低い人たちを駆逐しよう、という発想になります。そして、実現したアーリア人の理想的な社会の維持・発展と安定のために真っ先に駆逐の対象となるのは、劣等人種を駆逐する時に活躍した過激で暴力的な人たちなのです。彼らにとっての理想的な世の中で暴力的性向の遺伝子を持つ人たちは「社会を乱す側の人間」として真っ先に排除の対象になるはずです。
その指標は時代や社会の要請でいくらでも変化していきます。古代であれば、狩猟や戦闘能力の高い人が重宝されただろうし、国や会社の勃興期であれば、帰属集団に対して真面目で忠実な労働者が必要とされたように。
(差別主義者は自分が差別されることへの想像力が決定的に欠けている。パワハラやイジメも同じ構造なのだが、それを教えてくれる人があまりいない。)
そもそも人間を優劣で区分できるという発想自体が大いなる誤謬だし、それを言い出した本人こそが劣等の罠に嵌るということだと思います。
この映画はマイケル・ムーア監督の手法に呼応するかのように、厳しい現実が実際に存在すること、他人事として見て見ぬ振りをしてはいけない、それぞれが出来る範囲で何らかの行動を起こせ!
と訴えているように感じました。