バーニング 劇場版のレビュー・感想・評価
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分かりそうで分からない映画
全ての人から悲しさを感じた
自分にはよく分からなかった
きっとこの映画はスッキリさせるものではない
視聴者に疑問を持たせてそれぞれの回答をださせる映画だと思った
が、自分はモヤモヤしてなんとも言えない
あと、これはR18指定でもいいと思う。
ミステリーではなく青春サスペンス映画❗
難しかった
初 イ・チャンドン
なんていえば良いのか。
感想に悩む。
ジョンスは偶然幼馴染のヘミとばったり会うところから話が始まり。
ヘミがアフリカの旅行に行くことで。
ギャッツビーのベンと会う。
なんとなく始まった二人。
ベンとヘミも曰くありげ。
ベンはジョンスにも興味を持つが面白いそうだから。
ベンは定期的に女の子を殺してる。
面白いけど退屈もしてる。
それがビニールハウスを役につながるメタファ。
最後なぜジョンスはベンを殺したのか。
殺さないで終わっても良いんじゃないかと思った。
何故全裸になるのかも不明。
全体的に何故あれ程に自慰を描く必要があったのか。
突然の踊り。
逢魔時の踊りは綺麗だった。
でもヘミの情緒不安定ぶりには、共感不能。
ノスタルジックな風景。
一見綺麗そうだけど。
みんな問題ありすぎ。
お父さん。
お母さん。
ヘミ。
諸々。。。
奥の深い作品
残酷な真実
小説家志望の青年ジョンスは、ある日、幼馴染のヘミと再会する。
かつてジョンスに「ブス」と言われたヘミだが、彼女は整形をして美しくなっていた。
ちょうどアフリカ旅行に行こうとしていたヘミは飼い猫のエサやりをジョンスに頼む。旅行に発つ前に彼女のアパートを訪ねたジョンスは、そこでヘミと関係を持つ。
アフリカから帰ったヘミと一緒に空港に現れたのはベン。ベンは働かず、高級車を乗り回し、瀟洒なマンションに住む金持ちだった。
ある日、ジョンスはベンから、「僕はときどき、ビニールハウスを燃やすのだ」と打ち明けられる。その日を境に、ジョンスはヘミと連絡が取れなくなる。
ジョンスはヘミを必死に探し始める。何度もケータイを鳴らし、彼女の母親の営む食堂に行き、彼女のバイト先を訪ね、ベンにつきまとう。しかし、ベンは「ヘミは突然姿を消した」と言う。
だが、突き詰めればジョンスの彼女への執着はセックスでしかない。
ジョンスは彼女のアパートのベッドでマスターベーションをし、彼女の性夢を見る。
丘の上にそそり立つ展望台は男根の象徴である。北向きの彼女のアパートには、日が差さない。僅かに展望台の窓に反射した光だけが彼女のアパートを照らす。そう、自分の男根だけが、彼女に光を与える、それこそが彼の願いなのである。
彼女の身体に執着するジョンスはだから、ドラッグでハイになり屋外で服を脱いだヘミを強く非難する。
友達のいなかったヘミは、旅行中の猫の世話をジョンスに頼むしかなかった。だから彼女は彼と寝た。ベッドの近くにコンドームを常備しているヘミに取って、1回身体を重ねることはなんでもない。
「1回セックスしたからと言って、勝手に恋人ヅラしないでよね」という、男にとっては辛いシチュエーションではある。
ヘミを追うジョンスはしかし、“ほんとうに”彼女を見ているのか?身体ではなく、彼女の存在を見ているのか。
ここで映画は、そもそも彼女は存在しているのか?という謎を散りばめていく。
ジョンスの幼い頃に「ヘミ」という女性がいたのは確かだ。劇中、ヘミの家族に会っているし、ジョンスの母の記憶の中にも存在する。
しかし、この「ヘミ」が、あの「ヘミ」かは彼には確かではない。
微妙に食い違う過去の記憶。ジョンスは彼女に「ブス」と言ったことを憶えていない。幼い頃に彼女が落ちたという井戸も、あったかどうかはっきりしない。そもそも彼は、整形したという今のヘミに昔の面影も見つけられていないのだ。
映画はやがて残酷な真実を暴き出す。ジョンスは“いま生きているヘミ”を見てはいないのだ。
再会した日、ヘミはジョンスにパントマイムを見せる。そのとき、彼女は「ないことを忘れるのよ」と言った。
ベンの家には、ヘミが飼っていた猫がいて、彼女がしていた腕時計があった。ベンがヘミを殺したのか?
「ないことを忘れ」られず、「いたと思いたい」ジョンスは、ベンを殺す。
しかし、ベンがヘミを殺したのか?
そもそも、ジョンスはどれだけヘミと向き合ったのだろう?
どれだけ、身体ではなく言葉を重ねたのだろう?
ジョンスはヘミに、「ベンが君と逢う理由を考えてみろ」と言う。同じセリフはジョンスにも向けられて良い。
ベンがヘミを殺すまでもなく、ジョンスにとっての彼女もまた、「生きて」はいないのである。
原作は村上春樹。
謎の金持ちベンを、ジョンスは「ギャツビーみたいだ」という。こんなところにも村上春樹的モチーフが散りばめられている。
※ギャツビーは村上春樹の好きなフィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー」の主人公
パスタを料理する、井戸、電話、どうやって暮らしているかわからない金持ちなど、映画に表現するのが(実は)難しそうな村上春樹的小道具がうまく使われていて、ファンには楽しみが多い(牛ではなく羊を飼っていてほしかったところではある)。
だから本作は、村上春樹的な世界をなかなかうまく映画にしているとは思う。
だが、それが「映画として優れているか」というと、そうは思えない。村上春樹的な世界は、小説で楽しむほうがいいように思う。
ジョンス、ヘミ、ベンが夕陽を見ながら食事するところなど、良いシーンもあるけどね。
どうも観ていて、「アンダー・ザ・シルバー・レイク」が思い出されてならなかった(あの映画も村上春樹的ではある)。
映像美にやられる。
鬱屈と退屈と葛藤と
良い映画
素敵な恋愛物語でも始まるのかなと思って観てたら、第3の男が現れて話が少々ややこしくなって来る…。次に、"一発"決めたと思ったら、今度はシュールな展開へ…「あっ、これはついて行けそうもないかも…」とやや睡魔が…(笑)で、そこからの、まさかの猟奇ミステリー展開で、再び覚醒…(笑)
個人的には、彼女がアフリカへ旅立つまでの話が良かったかな(笑)…蜜柑を食べるパントマイムとか、本当に猫が家に住んでるんだろうかとか…。
ポルシェに乗った男が登場してからのくだりは、なんか俗っぽくなってしまって、今ひとつな展開でした…最後のミステリーへの着地は面白かったですけど…。
でも、結局なんかひとつ物足りない感が、鑑賞後の印象です…(笑)
*原作は未読です。
自由で平等ならば悪を選ぶこともまた
イチャンドン新作、村上春樹原作、カンヌで万引き家族とパルムを争って、バラクオバマ2018のお気に入り.
148分あっという間だったなー。
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映画序盤でパントマイムの話をする.
全てはパントマイムだったのか、小説の中の出来事にすぎないのか、現実の出来事なのか、考えれば考えるほど深淵にはまっていく感覚.
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バーニング以来ずっと現実と虚構、善と悪について考えさせられる日々..
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1番好きなのはベン、
"たまにビニールハウスを燃やしている。他人のものを、当然犯罪行為である"
と。そして、
"雨は洪水を起こし、人々を流す。雨は別に人々を狙っているわけではない"自然はそういうもんだからwwみたいな話をする.
めちゃくちゃ共感できちゃったんだよねこれ。なぜかめっちゃわかる!!と、思って.
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それから善と悪がわからなくなっています。そして全てはパントマイムではないのかと、映画冒頭に戻ってしまうわけです.
なんとかこの虚構から抜け出すことを模索しています。
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#映画 #明日は #愛と銃弾
むしろ主人公は中上健次のように見えた
状況に流されて、地元と血縁に囚われ、作家志望ながら何を書けばいいのかわからない、持たざる主人公。
同じく持たざる立場ながら、嘘をついて金を集め整形し、肌を出し踊って世間や金持ちに取り入り、のちに失踪?/殺害?されることになっても「グレート・ハンター」たらんとするヘミ。
焼かれる運命のビニールハウスを定期的に焼く、たまたま金を持っていることで善悪を超越してるかのように振る舞えるベン。
何もしなくても観客としてそこにいることを許されるベンとその友人たち、そこにいられるように芸をするヘミ。
やりきれなくそれを見る主人公とアクビと愛想笑いのベン。
パントマイムのコツとは無いことを忘れること。
陽の当たらないヘミの部屋には、1日1度だけ展望台から反射した光が射す。
その光を眺めながらヘミとセックスをする主人公。
ヘミの不在時のその部屋で、主人公は姿の見えない猫に餌をやり、光を求めるように自慰行為をする。
ヘミの失踪?/殺害?後、主人公は怒りと焦燥を原動力に、ベンの実態と犯罪を明らかにしようとし、やがてヘミの部屋で、光を捉えるように何かを書き始める。
フラットな洗練された原作を、貧富の差という現在性で改変することで、表現行為の根本に怒りと焦燥を据えた傑作。
真っ二つ
好みが完全に分かれる映画。
私はどっちつかず、好き、とも嫌いとも。
ただ、ユアンの顔が好き。
予告にとても惹かれてしまってかなり期待してしまっていたので、この感情かもしれない。
観たのは数日前だけど、3日ほど引きずった。
なぜあんなに自慰シーンが多いのか。
あれは必要ですか?
そこが理解不能。
たまに洋画でも邦画でもそんなシーンあるけど、
あれは何の意味が?
カップルのラブシーンは、喜怒哀楽や愛情、色んな意味が受け取れるけど、
1人のシーンにはなんの意味を持たせているの?
誰か教えて!!
こればっか考えて3日。笑
時間無駄遣いだったかな、、
リトルハンガー、グレイトハンガーは
興味深く感じました。
ヘミもベンもグレイトハンガーだったのだろう。
あと主人公はリトルハンガーかな。
あと、ヘミは消えてしまいたい的な事を話していたけど、ヘミからの最後のTELの際に、男性靴の様な足音が聞こえたりしていたけども、
本当は死にたくない。なんて思ったから主人公に電話してきたんだろうか。
だけど、話すことが出来ずに、犯人に電話を切られてしまったの?
理解が難しい映画。
観客が選べる真実
観客は2種類の真実を想像することができます。
A.ベンは金持ちのサイコパスで定期的に殺人を犯している。ヘミは裸踊りの後でベンに殺された。
B.ヘミは信頼するジョンスから娼婦呼ばわりされたので、ショックで姿を消してしまった。人のいい金持ちベンは、勘違いした貧乏人のストーカーに殺されてしまう。
AでもBでも、どちらでも成り立つように話を組み立てているため、何度見ても結論は出ないでしょう。
私はこのギミックを面白いと感じました。わかりやすいサスペンス話にしていたら映画はひどく陳腐なものになったでしょう。わからないという仕掛けがこの映画の魅力のひとつです。
私はBを選びました。ベンはサイコパスではなく誤解されて殺されたのです。ギャツビーの悲劇の物語なのです。
難解。
答えを見つけに
ビニールハウスは人間の隠喩?ジョンスの空想劇?
村上春樹 の短編小説「納屋を焼く」を映画化。
ジョンスがビニールハウスに火をつけるシーン。そもそもベンは犯人でなく、ジョンスによる虚像なのでは?
または、「ビニールハウス」は人間の隠喩で、女性が標的だったために、ヘミが失踪?その趣味に退屈し欠伸するベンを見て、ジョンスが始末したのでは?
作品の捉え方に正解がない気がする。全て、小説家志望の主人公の空想とも捉えられるし、作品全体にモヤがかかっている。
井戸が実在した・実在してない等と、事実が歪められているのは、「バニーレークは行方不明」の子供失踪の件にも似ている。
堪能
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