「ビニールから納屋に宛てて」バーニング 劇場版 Hideaki Yamaneさんの映画レビュー(感想・評価)
ビニールから納屋に宛てて
評判は聞いていたが見逃していた作品。鑑賞後も凄く引きずられた作品でした。
まあ、久々のイ・チャンドン監督作品でしたが、元々私のお気に入りの監督であり、恐らく個人的にはポン・ジュノ監督よりも自分との相性が良く好きな監督なので劇場で見逃したことを少し後悔しました。
鑑賞後今までの作品よりもテーマが分かり難い作品だったので、たまたま家にあった村上春樹原作「納屋を焼く」を直ぐに読んでなんとなくテーマは理解する事が出来ました。とは言っても原作とはストーリー以外のテイストはかなり違い、その違いから本作のテーマが浮き出た感じで映画は完全に今を描いたイ・チャンドンの思いの詰まった作品になっていました。
まず原作が書かれたのは1983年の日本はバブルの時代であり、登場人物3人の年齢や設定も大きく違い、ミステリーでもサスペンスでもありませんでした。映画は現在の韓国が描かれ、根底に格差社会の問題が見え隠れして、原作にも映画にもあるセリフ「まるでギャツビィだね」という意味さえ、その違いだけで全く変わってきます。
当時の日本は一億総中流社会と呼ばれ、自分を貧困層だと感じる意識もなく、このセリフの持つ意味が羨望でも卑下でも軽蔑でもなく、金の有る無し関係なく一つの生き方としての有様であり、原作版は登場人物(僕と彼女と彼)3人がそれぞれに違う生き方を認めた上での言い回しになっていたが、映画版にはそれは全く感じらずラストを完全に変えてしまっていた。その違いこそがこの映画のメッセージなんだろうと思いましたね。
しかし、原作でも映画でも彼女とヘミだけは共通して“女性”であり、時代の変化に影響なく“女性”であり続けていたような気がする。ヘミのマジックアワーでのダンスのシーンの美しさは映画特有の表現だったけど、イ・チャンドン監督の“女性”性のイメージを見事に表していたように感じられた。結末の変更もイ・チャンドン監督の“男性”性のイメージを表していたと思います。この違いから、私は村上春樹よりイ・チャンドンに近い人間であり、この人の作品に惹きつけらる理由も少し解明出来ました。