「信頼する人は井戸の底から見上げる丸い空に現れる」バーニング 劇場版 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
信頼する人は井戸の底から見上げる丸い空に現れる
重要なセリフや会話、物語の時系列などかなり原作に沿っているのに加え、村上春樹さんの小説でよく出てくる『井戸』も現実と非現実の曖昧さ(人間の脳が生み出す幻想も本人にとっては現実という解釈を許していただけるのなら)の象徴として出てくる。しかも、無限のはずの空も落ちた井戸の中から見上げると丸く切り取られた限定的な世界になる、という哲学的な問いかけまで織り込まれて。
ビニールハウス(原作では納屋)はどこにでもあり、いつ焼け落ちても、たぶん誰も(一部の所有者を除いて)気にも止めない存在。それをいつ世間から消え去っても誰にも気にされない人間の存在として捉えるか。或いは、いつ焼かれるのか、いつ消えていくのか気にしていたとしても、誰かが(言い換えれば、社会の中の何かのシステムが)気が付かない間に、自分の身近な人や大事な何かを、必要性の判断などもなく、どうでもいいもののように消し去っているのかもしれない、と捉えるのか。
そのどちらでもあるような気もするし、全く違うことかもしれないし、いまだに自分の中では答えが出せないでいます。
消失したヘミの存在が曖昧になればなるほど、この世界で唯一、自分を信頼してくれた彼女への喪失感が大きくなる。信頼できる人が身近にいることもとても大切なことですが、自分を信頼してくれる人がいることが、いかに生きる力になるのか、痛切に考えさせられる作品だと思います。
琥珀さん、コメントいただきありがとうございます。
最初『バーニング』というタイトルを聞いた時は、原作『納屋を焼く』の“冷たい”印象と合っていない気がして少し心配になりましたが、実際に出来上がった映画を観ると、まさに燃え上がるような情念の映画になっていて、ぴったりのタイトルだなと思いました。
村上春樹作品はあまり読んだことがないので、詳しくは分からないのですが、「井戸」というモチーフは様々な作品にくり返し出てくるようですね。
映画は原作に元々あるテーマと、現代の社会が抱える生々しい問題(格差、孤立など)とを結びつけて描いているところが素晴らしいなと思いました。見事に現代を映した作品になっていますよね。
韓国社会の実相についてご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたいのですが、カードローンに象徴されるような経済的困窮の広がりと経済格差(ポルシェと作業用トラック)は日本などよりも相当に深刻なのでしょうか?
だとすれば、現政権が内向きになり、対日本では大人気なく振る舞うのもある程度やむを得ないようにも感じたりするのです。