帰れない二人のレビュー・感想・評価
全23件中、1~20件目を表示
失われる故郷
結構この邦題は好きだ。なぜ帰れないのか、それは急激な経済発展でわずか数年で故郷は激変し、変えるべき故郷を失ったからだ。失われた故郷への寂寥感を描いた中国映画が近年目立ってきた。『迫りくる嵐』やアニメ映画『詩季織々』など、急速な発展で富を享受する人々がいる一方、取り残されている人々も確実に増えているのだろう。原題の「江湖儿女」の江湖は川と湖の併称で、転じて世間という意味があるらしいが、それとは別に武侠小説などに登場する特殊な人々の集まりを指すこともあるそうだ。本作は、故郷を失う裏社会の人間の話なので、その武侠小説的な意味合いで使われていると思われる。歴史のうねりの中で消えていく裏社会の濃密な人間関係が描かれている点で、かつての日本のヤクザ映画や米国の西部劇のような趣のある。しかし、それでいて、長い月日をすれ違う切ないラブストーリーでもある。チャオ・タオは相変わらず素晴らしい女優だ。薄幸そうな表情が本当によく似合う役者だ。
中国の発展と共に
私は縁あって1995年から中国に関わっているので、その発展のスピードに圧倒されている。
そんな私の定点観測的な視点とも重なって、とても興味深かった。
ラストは、え、ここで終わり?!と思わず映画館で声に出して呟いてしまったけど、実際、そんなものかもしれない。
2001~2018愛の軌跡
2001年、主人公(チャオ・タオ)の恋人はやくざ者だった。
彼がチンピラたちに取り囲まれたときに、主人公は預かっていた拳銃で追い払い救ったが、捕まり5年間服役する。
出所して彼を訪ねていくが、すでに恋人がいた。
傷心の主人公は故郷に帰り・・・。
広い中国、若い中国を実感するが、暮らしている人たちは翻弄されているかも。
行き着く先に二人でいるはず
激動の時代に翻弄されながらも途切れない縁というのは、そういう相手がいるということだけでも幸せなことなのではないでしょうか。
逆にいうと縁とはそう易々と切れるものでは無いということでしょうか。
過去の行動は未来に繋がっているんだなと教えてくれています。
帰れない二人は今の世界全体に警鐘を鳴らしています。
昨日、アップリンク吉祥寺で中国ドキュメンタリー🎥映画監督のジャ.ジャンクーさん作品帰れない二人を見て来ました。
山西省太同市を舞台に、重慶市三峡ダム、新疆ウイグル自治区烏魯木斉市、そして、再び山西省太同市へ舞台が戻ります。
炭鉱で働く父親の長女と黒社会=やくざの親分の男性の2人の共演を通じて感じた事は、21世紀の中国社会の急激な変化と瓜二つで、世界全体が寛容性、思いやり、親切さ、助け合いの精神さ
を失い、傲慢、無関心、エゴイズムの方向に向かって行く事を描いています。
三峡ダムの場面では、地元住民が現地政府から十分な保証を受ける事もなく、広東省へ移住を余儀なくされる所が出ています。
そして、最後の山西省太同市の病院診察場面では、患者本人でなく、SNSによるチャット、主人公が監視カメラ~液晶モニターに移る場面で終わります。
後、2001年、2006年、2017年と舞台にしたのも世界中がアナログ~デジタル化、スピードアップ化と言う急激な社会変化で、人間らしさが失う事の警鐘もテーマです。
前にワンビン監督作品、苦い銭を鑑賞しましたが、この帰れない二人も中国社会の急激な変化を通じて、世界全体が自国優先主義、自分優先主義の危険な方向へ向かう事を警鐘しています。
変わるものと変わらないもの
2001年から2018年まで。時と場所を移ろわせ、中国の変化と共に、男女の愛も移ろう。
2001年は大同。やくざ者のビンとその恋人チャオの羽振りは良いが、やくざの世界のきな臭さと、石炭を産業とする街の衰退がもの悲しさを誘う。(ダンスミュージックが”Y.M.C.A”と”CHA-CHA-CHA”なのもやけに過ぎた時代を感じる)。英題 “Ash is Purest White” は、火山でヒロイン・チャオが語る「火山灰は高熱だから白い」から取られたものだろう。
チンピラに襲われた恋人・ビンを救うべく拳銃を放ち収監されるチャオ、そこからふたりは出会ったり別れたりを繰り返す。
2006年、市街地がダムの底に沈む運命にある奉節での再会と別れ。そこから新疆ウイグル自治区までも経て2017年、舞台は大同に戻る。
女の強さ、男の見栄。出所したチャオが有り金を盗まれても強かに金を手に入れ、会いたがらないビンと再会する様。過去の羽振りの良さを忘れられず、捨てられたという感情に囚われるビン。ふたりに共通の思いはあるのは分かる。お互いもそれを感じているはずだが、結局は通じ合わない。
あまりに大きな中国を、時間的、場所的に移ろい、驚く程の変化と変わらないものを見せゆく様。2017年の大同は新しいものと古いものが混在し、まるでふたりの関係のようだ。弱い男と強い女、だがしかしそれが反転するかのような終わり。
出会っては別れを繰り返す男女のモチーフは普遍的なものだ。その普遍の物語に、情の上に中国の2000年代史というか、変化を載せているところ、しかもそれが不自然でないところに素晴らしさを感じた。チャオ・タオの変化が特に素晴らしい。年代を経た表情の表現と、変わらない芯の表現が極めて巧みだ。
そして、社会からはぐれてしまった人間の生き様。それは美しくもなく、強くもなく、絆も脆い。結局最後まで残ったのが男女の情であり、それを終わらせるとき、初めて自身と向き合うのだ。
ワンスアポンアタイムインチャイナ
中国は何度も行ったけど、シャンハイ周辺ばっかで。内陸部をゆっくりと旅したくなる映画だった。そんだけ。ほぼ。そんだけ。
ワンスアポンアタイムが撮りたいのは痛いくらい分かる。実際、痛い。この一年間に見た中国映画で、って言っても10本も見てないけど、一番つまらなかった。正直に言いました。
慕情も切なさも哀愁も何にも無いのは岡崎慎司(のソックリさん)が、人としても男としてもパッとし無さ過ぎて。チャオ・タウさんは良かったです。
良い映画
中国のヤクザやそれを取り巻く人々が、地方都市の開発が進む中、時代の新しい風に翻弄されていく姿を描いています。
中国の文化や土地、世相が色濃く表されていて、その背景を知らないとあまり楽しめないかも知れません…まあ、ストーリーも結構淡々としていて退屈ですが…(笑)
古い生き方を捨てて、新しい時代の中で生きていこうとした男と、古い生き方にこだわる女のすれ違いは、今の中国の人々の不安感を表しているのでしょうか…。
*自分を襲撃した浅はかな若者たちを、「お前たちには未来があるんだから…」と諭し、許す男性主人公は、まるで高倉健みたいで、しびれましたね(笑)
*ロッテントマトの評価は、99%フレッシュと高評価です。
発砲美人
漫才コンビ・カミナリのまなぶくん似の煮えきらないヤクザの男も、彼にひたすら執着し続ける女も、浮草のように漂泊していて、その無定見に苛立ちを覚える。「長江哀歌」はまだ三峡ダムという中核になるテーマがあったが、これは総じてとらえどころがない。
ここで描かれる中国はかなり荒んだ感じだが、習近平氏は看過したのだろうか(人名について、一般的に韓国人は原語読み、中国人は日本語読みという相互主義をとっているが、映画人はなぜか中国人も原語読みだ。シュウ・キンペイ↔ジャ・ジャンクー)。
2001年に「YMCA」や「CHA-CHA-CHA」で踊っているのもナゾだ。
たくましい×ヘタレ
は、初めてなんです、ジャ・ジャンクー作品。チャオ・タオさんが誰かに似てると思いながら見ていたのだが。21世紀の中国現代史を背景にしているが、「新疆」とか「三峡ダム」とか話に出てくるが、中国政府NG方向にはいかないので結局背景止まりなのがいいのか悪いのか。炭鉱や三峡ダムは過去作品でも出ているようで、フムフム。
短いエピソードを連ねながら、変化していく二人の関係性が面白く、かたやたくましく時にふてぶてしさを感じるのに、一方はしっかり者どころかなぜそこまでと思うヘタレ具合。
お互い簡単に割り切れないからこその18年なのだろうが、やっぱりそこまでしてこだわることかと思った。
女は強し
やっぱり女は強い。これは世界共通変わらない。
印象に残った言葉は
「人の感情や愛情というとのは移ろいゆくもの。」
だけど彼女のビンさんに対する愛は変わらなかった。
十数年経って、ビンさんがどんなに変わろうとも彼女の愛はむしろ強くなってた。
これが愛なのかな。
ただ、ラストの終わり方が私にはイマイチよく分からなかった。
何を伝えたかったのでしょうか?
防犯カメラの意図するところがわからない。
何の映画?
英題の「灰は純白」の意味は良く分からない。
最初の方で、主人公の女が唐突に言う台詞を元にしているが、火山灰も石炭灰も真っ白なはずはなく、焼き尽くされることで純化するという精神的な意味だろう。
エンディングに出てきた言葉なら、「灰 = 主人公の女(あるいは、2人の関係)」なのかな、という気もするのだが・・・。
原題の「江湖儿女」は、ググって出てくる「川や湖の子どもたち」ではなく、「“世間(または、香具師)”+“若い男女”」らしいので納得。
邦題は「帰れない」だが、事件を起こしたからといって、帰れないわけではなく、帰らないだけに思える。ミスリードと言ってもいいのではないか。この邦題に惹かれて観に行った自分としては、騙されたような気分だ。「帰らない二人」が正しい。
ラブストーリーとは言えない。2人の間の接触や会話は限られており、中身が希薄だ。“片思い”と言うなら当たっているが。
“現代中国の移り変わり”を描いたとも言えないのではないか。社会のあり方を直接に描写するのではなく、単にモノやヒット曲、ダム工事で間接的に語らせているだけで、「そんな 時代も あったねと・・・」レベルの内容だ。衰退しつつある石炭採掘の町を描いた2001年はともかくとして、2006年、そしてなぜか一気に飛んで2017年においては、特に“時代”は感じない。
結局、あえて言えば、主人公の女のロードムービー。だが、女の内面の軌跡を一貫して描くわけではない。
描写を尽くし、台詞を尽くして語る映画ではなく、「回る 回るよ 時代は回る」といった“ムード”で押し切ってしまう情緒的作品だった。
(なお、単にあちこち放浪しているだけだ・・・と思っていたが、公式サイトを見て、石炭、水力、石油の「電力の町の巡礼」であり、意味もなくウルムチが出てくる謎が解けた。)
ただ、面白かった映画でも、見終わるとほとんど覚えていないことが多いのに、この映画の一つ一つのシーンが、奇妙に“しっとり”として忘れがたいというのは、この監督の見せ方のマジックなのだろうか?
乾燥した大同の町と、水没する奉節の町との、“湿度”のコントラストの往復は印象的だった。
2001年頃の中国、いい!
そう、こんな感じだったよね中国の田舎。個人的にはディスコのとことか雰囲気そのままで懐かしくて良かった。当時に戻って撮影した位の感があり良かった。
でも最後の時代をみると、中国でも田舎はいまでもこうなのかな。
ちょっと突っ込むと、ビンは若いころ老けすぎ。
聞き取れない山西方言
現代中国で、現代中国の陰の世界を舞台に男女の情念を描く映画というだけでも驚きだった上に、見事に映画である。しかも国や文化を超えて女と男とを見事に描いている。しかし、聞き取れないセリフが多かった。四声は絶対普通话ではないぞ。
現代中国版エレジー。女渡世人のかつての恋人を想う情の深さが心に滲みる。
ある出来事のため、現代中国の経済発展の波に乗り損ねた男女が、お互いへの想いを抱えつつ、2001年~2018年の間、心理的、物理的に彷徨う物語。
特に勝ち気だが、情の深い女チャオ(チャオ・タオ)のヤクザ者だった恋人ピン(リャオ・ファン)への深い想いと行動は滲みる。
水没前の三峡ダムの周囲や人々の風景を始め、加速度的に経済発展していく現代中国の姿と対比される様に描かれる、徐々に齢を重ねていく二人の姿が侘しくも切ない。
ストーリー展開がやや雑な点が残念な感はあるが、見応えのある作品。特に彼らと近い年代の者には響くものがある。
ジャンクーが描く中国の21世紀は悲劇だった
「長江哀歌」「罪の手ざわり」の二本で早くもマストな監督の一人となったジャ・ジャンクーの新作。これを観ないという選択肢はない。
2001年から2018年、惚れた男に、そして社会に翻弄されながらも気丈に生きる女性チャオ(チャオ・タオ)を通して21世紀の中国を俯瞰する。
変わりゆく時代から忘れ去られたような内陸部の閉塞感、そしてあまりにも広大な大地が強烈なインパクトを残す。
報われることがないラストが悲劇を決定付けた。結局、何も変わらなかった、何も得られなかったのではと…
これはジャンクーの母国に対する思いをストレートに伝える傑作。彼の描く21世紀は冷たく悲しかった。
全23件中、1~20件目を表示