誰もがそれを知っているのレビュー・感想・評価
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パコ、甘えてばかりでごめんね
アスガー・ファルハディ監督の新作という知識だけで見に行ったので、あまりプロットを把握しておらず、最初結婚式やらの牧歌的な場面が延々と続くのでどうなることかと思っていたら、誘拐事件の発生で俄然不穏な空気になってきた。
ミステリー常習者の私としては、自作自演含めあらゆる犯人の可能性を検討しながら鑑賞していたのだが、結果的には想定外だった。だけどそこには「やられた!」という爽快感はなく、ただ肩透かし感だけが…(だってそもそも誰?という)。
濃密な人間関係の錯綜した描写は相変わらず堪能できた。“誰もが〜”には当人は入っていないんですね。
母は普通強いのに…この作品は弱い❗
星🌟🌟🌟レビューが良かったので観たのですが…あんまり共感して観れませんでした❗なんか違和感があって…いろいろ考えたらベネロペクルス演じる母親のが娘イレーネが誘拐されても泣き叫ぶばかりで何も行動しない❗元カレのペコに頼ってばかり❗途中で父親も合流するが失業中なので身代金は払えないとペコ頼り…ペコにも身代金を出そうとする理由があるのですが…ちょっと人に頼り過ぎてて納得できない❗ましてやイレーネを妊娠した時中絶しようとしたのに何故発狂したみたいに取り乱すのか…理解できませんでした❗ペコが一番可哀相でした❗ベネロペ夫妻の演技は良かったのですが…❗
蠕く感情の果てに
愚行の末路にみる救済の願い。慈悲深い人々にとって、悪事を成し遂げる事は容易ではなく、全てを投げ棄てても善良であろうとする行為に、救いはある。スペインの役者陣が、特有の感情表現で魅せる愛情劇だった。
さすが、イヤミスの帝王ファルハディ監督
アルゼンチン在住のラウラ(ペネロペ・クルス)。
妹の再婚結婚式に出席するため、ティーンエイジャーの娘イレーネ(カルラ・カンプラ)と幼い息子を連れて故郷のスペインに帰省した。
そこでは、元大地主の父親をはじめ、実家で暮らす姉夫婦、今回結婚する妹に加え、元の雇人の息子で幼なじみのパコ(ハビエル・バルデム)と久々に再会する。
パコは、かつてのラウラの恋人で、彼女が金銭面で苦慮した際に、彼女の持ち分の土地を買い、その後、葡萄畑として再生して、いまは村での羽振りもいい。
そして、妹の結婚式当日。
家での披露パーティの夜、先に部屋へ戻ったイレーネの姿が見えなくなってしまう・・・
といったところから始まる物語で、主要な人物の姿が見えなくなってしまうのは出世作『彼女が消えた浜辺』と同じ趣向。
当初、自らの意志で行方をくらましたのではないかとも思えたが、ほどなくして脅迫メールが届いたことで、誘拐事件だと確信する・・・
ということで、この事件の中で、謳い文句にあるとおりの「隠していたはずの秘密と家族の嘘がほころび始める」ので、これまでの作風とそう変わらない。
これまでのファルハディ監督作品では、緻密とも言われる、事件が事件を呼び、当事者たちの闇があぶり出されるわけだが、どうも心の闇をあぶり出さんがための展開が鼻に付き、途中で鑑賞するのを投げ出してしまいたくなったのだけれど、今回は事件が起きるのも遅く、その後の展開も急がない。
その分、ラウラの気持ちをスター女優ペネロペ・クルスが「これでもか」的演技でみせ、さらに、スター男優ハビエル・バルデムが「これでもだぁ」的演技でみせるので、ぐいぐい惹き込まれていきます。
でも・・・
観終わって数日経つと、やっぱりファルハディ監督の嫌な嫌いな面が思い出されて、どうにも居心地が悪い。
それは、
誘拐されてから、日が経ちすぎ。
もう、娘の命が危険ではないかと思われる時点になっても警察には通報しない。
それほど、警察不信なのか?
にもかかわらず、義兄が紹介する元警官には相談し、単に、家族間の不信の募らせるだけ。
老齢の父親をはじめ、長姉夫婦も含めて、自分たちのせいで没落したにもかかわらず、自意識だけが過剰。
パコが事件当初から積極的にかかわる理由がわからない。
重要事項は映画後半で明らかにされ、それは彼も初めて知る。
そして、成功している葡萄農園の経営者であるにもかかわらず、雇人たちのことを気にせず、畑を手放すのは、やはり無責任。
パコの妻の言い分のほうが理がある・・・
と、理詰めのようにみえて、登場人物の心の奥底を表すための作り手の都合のいい展開になっているのは、過去作品と同様ではないかしらん・・・と思い始め、どうも、やっぱりファルハディ監督とは相性が悪い。
いや、もう、ぶっちゃけてしまうが、「狂言誘拐」ぐらいのユルイ話のほうが、どうも個人的には好みだったような。
ま、そうなると、ファルハディ監督の持ち味がなくなっちゃうのだろうけど。
さすが、イヤミスの帝王ファルハディ監督、と改めて思った次第。
全員美人!
出演の女性全員がペネロペ・クロスをはじめとして超美人だが、美人し過ぎて見分けが付かない。。男性陣は髭とデブばかりでやはり見分けが付かない。内容はミステリーというよりは「渡る世間」っぽい。でもミステリーに鈍い自分は犯人は最後まで分からなかった。ペネロペはノーメイクっぽい場面も多かったが、整形している様子もないし、Wikiによると45歳らしい、これが最も驚いた。
誘拐は悲劇しかもたらさない
予告編以外の情報なしで鑑賞したが、ストーリーは解りやすくて戸惑うことはない。家族と親戚が集まってくる長閑なシーンからはじまり、G線上のアリアが印象的な結婚式とそれに続く宴会はトラディショナルで楽しそうだが、記念のビデオをドローンで撮影するところは現代的で、スペインの田舎にもハイテクが入り込んでいる様子が窺える。
事件発生以降はホームドラマが急にサスペンスに変わった感じで、観ている側も少し緊張する。起承転結のお手本のような作品で、登場人物同士の関係性はタイトルの意味も含めて徐々に明らかになる。このあたりの作り方は実にうまい。
登場人物それぞれが何を考えているのか、どういう性格なのかが解ってくると、この村の人間関係がどのようであるかが浮かび上がる。結婚式に招かれた人々、そして来なかった人々。家族と友人の間に金が絡んできて、愛憎だけでなく損得の感情も生まれ、人間関係はさらに複雑になる。
役者陣は喜怒哀楽の表情豊かなラテン人を自然に演じていて、ドラマの世界にスッと浸ることができた。誰がどのような決断をするのか。葛藤と相克でドラマは立体的に構成されていく。そのへんがとても面白くて、飽きることがない。登場人物が決断を迫られる場面が何度かあり、違う決断をしていればどうなったのかと考えてみたりする。登場人物と一緒になって観客も迷う。
誘拐は悲劇しかもたらさない。邦画「64(ロクヨン)」でもそうだった。人間の欲望は他人を陥れてまで自分が楽をしようとする。その結果人間関係は破綻し、自分も他人も不幸になるだけだ。それでも誘拐は起きる。中には国家による誘拐もある。人間はどこまでいっても救いようがないのだ。
サスペンスをもう少し
妹の結婚式に出席するために、娘のイレーネたちと故郷の村に帰ってきたラウラ。父、姉、義兄、その娘、幼なじみのパコなどが、次々に登場し、抱き合い、おしゃべりする様は、いかにもヨーロッパ映画(特に地中海側の)。
しかし、ラウラの娘が誘拐されてからは、親しい者どうしの疑い、詮索、因縁など、互いの心の底を抉るような展開へとぐいぐい進んでいく。まずい方向に行っていると思いつつ、話に引き込まれる。
ただし、誘拐サスペンスとして見ると、ずいぶんのんびりしていると感じられる面も。描きたいのは、あくまで人間の葛藤のドラマなのだろうが、娘の捜索や犯人との接触を試みないことが物足りなかった。
誰もが知っている「それ」が真実であることが明らかになり、パコはある種清々しいようだが、娘のイレーネにとってはどうなのだろうかと、見終わった後にふと思った。
こども
「16年間一滴も飲んでいない」
「16年経って、やっと必要としてくれた」
この台詞が妙に印象に残った。
16歳の少女が、事件の契機であり、アレハンドロの希望であり、パコの喜びでもある。最も重要なものを取り上げることで場に生まれる混乱、炙り出される本質。一つの操作で同心円上に波紋が広がっていく。方法論として面白い。
自分を必要とする者がいることは人生の喜びだ。私はこどもを持っていないが、持てばより共感できただろうか。
実際の夫婦を起用することに意味があったと思うが、この有名人たちの認知度が自分の
中では甘いので、ピンとこなかったのではないかと残念だ。
たしかにサスペンスかな?
結婚してアルゼンチンに住む姉が、妹の結婚式に出るため娘息子と帰郷するが、式の最中に娘が誘拐され、高額の身代金を要求される。身代金を払おうとする中で、幸せに見えていた家族たちのいろいろな面が露わになっていく、という話。
前宣伝が「サスペンス」と宣伝しているから、そういうつもりで観ちゃったけれど、犯人探しをしたい映画ではなかった様子。かといって、別れたけれど好きあっている二人と彼らの子どもって映画にしては、感情を震わせる描写は少な過ぎる気がする。
結果として、こんなことがあったらちょっとドラマでしょう?という薄っぺらさが、目立っちゃったように思う。
寝不足なので、酷評になってるかも。
2019年ベストムービー!
見応えのある人間劇でした。
サスペンス映画なんですが、主演3人を含め皆んな良い演技をしており、2時間以上をすっかり引き込まれてしまいました。
観ている側も、色んな心の疑念が湧いてくるような臨場感のある作品でした。
今年最も必見な一本でしょうね。
*ラスト、ハビエル・バルデムがベッドで浮かべる微笑がしびれます…(笑)
*エンド・クレジットで流れる歌が素敵です。
日本映画でも描ける、村社会の悪しき因習
ペネロペとハビエル・バルデムの夫婦共演ということで観ました。ストーリーは単なる少女誘拐の映画です。
観終わった後に、隣の席のご夫婦が「理解し辛い映画だね。」と話していましたが、それは違うだろうと思いました。「誰もがそれを知ってる」というタイトルを考えれば、誰が、何のために誘拐をしたのか、誰が得をして、誰が損をしたのか、これを考えればこの映画は超一級のサスペンス映画です。誰もが何を知っていたのか、私の書いたタイトルが少しネタバレになっています。
I 'd Never Forgive Myself.~パコ
最後のシーン(パコがベットの上でひとりで微笑む)をみて、パコなら自分の生活をまた立て直すことができる明るく力強い希望があるとおもった。苦難を乗り越えられることがこの映画の過程で証明された。妻も農園も全財産も失ってしまったパコ。16年間、今まで何もイレネにしてあげられなかった(イレネが自分の子供だとは知らなかったから)。イレネにしてあげることができるだだ一つのこと。それは彼女の命を救うこと。彼女のために何かしてあげられて、それも命が救えたことはパコにとってかえられない喜びのはずだ。イレネの誕生がアレハンドロ(育ての親)の心を救った。今度はパコの番でイレネを救い出すと。そうしなければ、パコは自分を許すことができないと。この二人の会話はカトリックで神が助けてくれると考えて自分はなにも行動に移さないアレハンドロと神を信じてないが自分の行動を信して自分が何をしているかわかっているパコと大きく違うことがよくわかる。
パコに救われたイレネはアルゼンチンに家族と共に戻ってしまうが、彼女も心の中ではパコが自分を生んだ父親だと思っているから、この二人はまた会えるチャンスがあると思わせている。パコは目に見えるもの全て失ったが、『誰もがそれを知っている』というタイトル、イレネとの関係が明白になったことは失なわれていない。パコの人生にプラスになるだろう。
パコの伴侶ベアのことだが、パコはラウラ家族の仕組んだ罠にひかかっていると思っている。彼女はパコの後ろの白髪の塊には気がついたが、喘息が始まったのに気が付いていない。この喘息はイレネと同じなのに。
この監督はイランの監督で、スペインに何年か滞在しスペイン語も学んで製作したらしい。私はスペインの文化を知らないから、この作品がスペインの文化を上手に取り入れていると言われても、ぶどう園を除いては見当がつかない。多分、ペルシア文化よりもっと会話がストレートになっていると思うが。映画の終わり方は彼のスタイルだなと思った。彼の作品は我々に結末を考えさせるチョイスを与えてくれるから。
宗教のことだが、この作品がイランで上映されているかな? この作品で、ラウラの夫アレハンドロ以外は神をまったく信じていないようだ。でも、カトリック教だし、他の人々は神を信じていないし、アラーの神への冒涜になるから、イランで上映許可がおりないと思う???監督にとってこの作品製作はかなりの冒険だったと思う。
書きたいことはたくさんあるが、ここまで。あくまでも私個人の感想
表層的な家族関係が誘拐事件を発端に崩壊していく恐ろしさを巧みなストーリーテリングで描く秀作
この映画の秀逸な所はスペインの長閑な田舎の風景を背景にしながら、家族の表層的な幸せが壊れる過程を執拗なまでに人間性の暗部(猜疑心・金への執着etc.)にスポットライトを当てながら描いている部分だと思う。
ラウラ(ペネロペ・クルス)の娘が解放されても、事の全てを見抜いたラウラの姉が夫に深刻な表情で話す場面で映画は終わる。家族の崩壊を予想させるアンハッピーな終わり方だ。
それにしても、やっと手に入れた自らの農場を手放し、(妻にも愛想を尽かされ)ラウラの娘の身代金を払ったラウラの元恋人(ハビエル・バルデム)のベッドの上に寝転がって浮かべる笑顔の意味するモノは何だったのだろうか?
解を観客に委ねるアスガー・ファルハディ監督の書き下ろした脚本の秀逸さには驚くばかりである。重厚な作品を堪能させていただいた。感謝である。
ミステリーの衣をまとった珠玉の人間ドラマ
これは素晴らしい。よく練られた脚本でグイグイ引き込まれた。
アルゼンチンで暮らすラウラ(ペネロペ・クルス)が、妹の結婚式のため、スペインの田舎にある故郷の村に子供たちと帰ってきた。ワイン農園を営むパコ(ハビエル・バルデム)はむかし恋人だったようだ。
家族との再会、結婚式、アフターパーティと歓喜の時を過ごすが、パーティの最中にラウラの娘イレーネが誘拐された。
彼らの「秘密」を知る近親者すべてが疑わしく、ドキドキしながら観た。「疑心暗鬼」がラウラの家族、ラウラ夫婦、パコ夫婦の関係を軋ませバランスが失われていく。後半の緊張感がたまらん。
はやくも巨匠と呼ばれるようになったイランのアスガー・ファルハディが、アウェイのスペインで、そしてスペイン語で撮った秀逸なミステリーであり人間ドラマだ。
クルスとバルデムは本物の夫婦だが、この2人の存在感は格別。思わず実生活を覗いてみたくなる。
それを知ったとき
誰もが何を知っているんだろうと気になって鑑賞
それの中身が見えたとき、私はそれを知りたくなかったし誰にも知って欲しくなかった、特にこの子には知って欲しくない、と思った。
妹の結婚式、再会の喜びと楽しさと幸せの溢れるテンションの高い場で、唐突に訪れる悲劇。
いつか事が起こると分かりながら観ていたので、はしゃぎまくる大人達に若干ハラハラしていたものの、いざイレーネが消えてしまうと悲しみと焦燥が胸にのしかかって苦しかった。
明るく情熱的で開放的な印象のスペインでも村はムラ。
長く続く狭い世界で、芋づる式に解かれる数々の秘密と人間の嫌な部分が露呈していく様がスリリング。
疑心暗鬼と過去のしがらみや心の端っこに座っていた負の感情が連鎖して、どんどん拗れていく人と人の間をまざまざと見せられるのが本当にキツい。
娘のために全てさらけ非情な懇願も厭わない母ラウラを鬱々とした気分で観ていた。
でももし自分の子供が同じ目に遭ったらと思うと、冷静な判断なんてしていられない。
心を鬼にしてでも使えるものはなんでも使って娘を取り戻そうともがくだろう。
ラウラとパコの、全て水に流したとも流してないとも言える絶妙な関係が面白い。
しかし確かに在る愛とも情とも未練とも縁とも言い難いそれの最終的な決断にはだいぶショックを受けた。
誰の立場になって誰を思えば良いのかわからないつくりがいやらしい。
色々な人が出てくるけど、わりと平等にそれぞれの心の内を描写するので、何が正しいのか、何が最善なのか選べなくなる。
一つ一つの事の判明は事件の始まりと同じく唐突に繰り返され、その戸惑いも新鮮に思えた。
戻るものと離れたもの、今後その天秤はどちらに傾くのか。とても気になる。
決して後味が良いとは言えない終わり方にまた呻いた。
本当やらしい、やらしいな。
見た目麗しい人ばかりで眼福であった。
ラウラとパコがペネロペ・クルスとハビエル・バルデムという配役なのも秀逸。
観るまで夫役がハビエルだと思っていたら!
全くいやらしいわぁ…。ゾクゾクして堪らないわぁ…。
イレーネのわんぱく過ぎるはしゃぎっぷりは地味に苦手だった。充血した目が忘れられない。
火サス 名探偵少なめ スペイン
予備知識なく ペネロペクルスで観ました
年をとって いい年増になった 昼メロ路線かなと思いきや 火サスでした。
親戚や地元が集まる田舎の結婚式 皆楽しそうにしてるけど…でも 長い歴史 実は色々ありますよね。それが原因で起こる…
目のつけどころは面白いのだが…
なんかすごく不完全燃焼 火サスなら 船越英一郎辺りが解き明かすところですがそれがメインでもない。 犯人に結末があるでもない。その映画のテーマはない のは分かるけど 元恋人と旦那のところは少しぐっとくる。となると、やはりペネロペの魅力?の映画か 違うよね だとしたら もっとペネロペを魅力的に撮らないと… やはり 犯人の動機が背景は分かるけど… 絵描きかたが弱かったのでは 動機は家族全員 または地元の人全員にあるけど この犯人でなければならなかったところは描けていない それともスペインでは誘拐はそれだけ日常な事なのか
違うよな 結構 決断のいる犯罪だと思うが… なんか薄いよな スペインとペネロペが好きな外国人がスペインで撮りたかった感がでてしまっている。それは悪くないけど、扱うにはテーマがちょっとシリアスなのではないか?
ただ、仕事の農園も妻も無くしてしまった男が全てを無くしながらの男の顔はよかった。
ラテン系美女を堪能しましょう。
えー、いつ始まるの?
あー、やっとその展開なんだ。
で、これからどうするんだろう。
そうきたか。
それだけ⁈
でもきっとそうなんだよね。
あー、やっぱり。
うん?
後日譚は?
それでおしまい?
以上。
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