「この世界ついての、神への無言の抗議」ピータールー マンチェスターの悲劇 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
この世界ついての、神への無言の抗議
ランスとの戦争はオランダ・ウォータールー(ワーテルロー)の戦いにより、英軍の勝利となった。
その戦いに従事したひとりの若いラッパ兵。
彼が故郷の英国マンチェスターに戻ってみると、世間はひどい大不況だった。
戦争の痛みもあってか、かのラッパ兵はひと言も口を利かず、顔をゆがめたままだった・・・
というところから始まる物語で、当時の大不況真っ只中のマンチェスターには、普通選挙権を勝ち取り、地元民から議員を送り出し、いまよりも少しいい暮らしをしたいという民衆の願いが溢れていた。
そんな様子を、マイク・リー監督は民衆たちの集会での演説を通じて描いていきます。
そう、ほとんど演説ばかりの映画。
なので、こんなの映画じゃないんじゃない、なんていう観客もいるかもしれない。
しかし、当時の様子を描くのに監督が用いたこの手法は悪くない。
たぶん正しい。
話すことで、様々な人の心に訴えて、それを静かな行動に移す。
互いに理解し、問題点を共有し、よりよき社会(というか、自分たちの生活だ)を得るために、どのようにするべきか・・・
なので、会合の席、家族間で交わされる会話に、観客は耳目をそばだてる。
普段の会話は、かなり訛りが強く聞き取りづらいけれど、演説になると、訛りはあったとしても聞き取れる。
なるほど。
そのような民衆たち(力を持たない人々)に対して、権力側がどうだったのか。
スパイを送り、些細な罪で流罪にしている。
これでも、まだ憲法に基づく民主主義国家(投票権は一部のものにしかなかった)というわけだ。
で、会話会話の映画が終盤、一気に動きだす。
各地から集まった何千という人々。
正装し、女性も子供も連れての穏やかな行進と集会。
弁士ヘンリー・ハント(ロリー・キニア)が演説を始めた瞬間、地元の治安判事たちは騒乱罪を適用し、彼を逮捕させるとともに、穏やかな民衆たちに武装した軍隊の出動を命じる。
その後は修羅場だ。
まさに、修羅。
人間が通った跡ではないもの(そう、死体やなんやかやだ)が残る。
冒頭から登場していた若いラッパ兵は、一言も発せず(そう、映画全編を通じてひと言も発していない)、切り殺されてしまう。
オランダのウォータールー(ワーテルロー)で生き残った兵士が、ピータールーで斃れるわけである。
祖国のために戦った若き兵士は、なにも言わずに、祖国の権力により切り殺されてしまう。
ラストシーンは彼の埋葬シーン。
神父が彼のために「アーメン」と祈り、家族にも祈るように促すが、誰ひとり祈りの言葉は発しない。
この国には、神などいないと無言で抗議している。
それが200年前の英国だが、さて、それから世界は変わっただろうか・・・
そんな思いでつくったマイク・リー監督の力作でした。