ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
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何が幸せかは誰にもわからない。
リバー・フェニックス、マイケル・ジャクソン、「一つの才能を見出されて華やかに生きるか?」、「それ以外の平凡な人生を送るか?」冒頭に主人公に迫る台詞がこの映画を語っている。
若くして名声を得ると周りの悪い大人に振り回される(ドリュー・バリモアやマコーレ・カルキンしかり)若いからこそ、商業主義に消費されるジュディ・ガーランドの物語。
結果として才能とともに人気も開花するが、深い闇に呑みこまれてしまう。
最後のテロップに流れるオズの魔法使いの中の台詞「心はどれだけ愛するか?ではなくどれだけ愛されるか?」だ。に物語の全てが集約される。
締めの「オーバー・ザ・レインボー」に込められたジュディの「決して埋められない心模様」に心打たれる作品。
レネー・ゼルビガーの作り込みも見事。だけに本人の人生の短さが、切なくてたまらない。
2020年ベストムービー!⭐️✨
いやいや、何とも感動的で、素晴らしい作品でした…(笑)
やや感傷的で、演出過多な気がしないでもありませんでしたが、悲運の映画スターの晩年の人生が、痛ましくも感動的に描かれていて、心揺さぶられるものがありました。主演のレネー・ゼルウィガーは、名演でした!
*もし本当に、この映画のように、ジュディ・ガーランドが晩年において、良いスタッフと舞台に恵まれ、感動的なパフォーマンスを残したのが事実ならば、それは幸せと言えるのかも知れませんね…
しかし、彼女の人生は、あまりにも不幸で理不尽ですね…往年のハリウッド・スターの悲しき宿命なんでしょうか…。
*この映画の予告編も、ネタバレになってますね…なので、本編でその場面が来ても、今ひとつ感動が薄れる。もう少し考えて、予告編を作って欲しいですね。
古き良き無知な時代の暴走と夢
ジュディのことも、オズの魔法使いですらもよく知らないで鑑賞。いや、もちろんお話としてのオズの魔法使いは知っているけど、ジュディのオズは知らない。
成長期の子供にまでにあんな食事制限や長時間労働を強いたり、睡眠不足の訴えを無視したり、というかあんな粗末な寝床で仮眠を取らせるだけとか、何の薬か説明もせずに素人が薬を与えたり、半ば脅迫のような言葉で巧みに自己判断のように仕向けたりと、過去のシーンが映るたびに、あまりに無知すぎる時代のショービジネス界の闇と暴走に恐怖を覚えた。
しかし、だ。
あの時代の闇には現代となってはあり得ないほどの強い光も差すのだ。娯楽が少なく人々が文化文明の発展に今よりも熱量を持っていた時代、どんなに闇であろうが、成功すれば大スターになれた。
ただの女の子も、不良の男の子も、世界中が夢中になるほどの大スターになれた。
現代は選択肢が増え過ぎて、あの頃ほどの強い光はもうないように思う。
一般人にも知識が増えたし、調べることも容易くなり、法整備も相まってあのような闇に陥ることは少なくなったかもしれないが、同じように娯楽も増えて、光は小さくなるばかりだ。
その点ではジュディの生きた時代というのは、いわゆる古き良き時代なのだろうと思う。
もし現代ならバツ4で薬物中毒の時点でもうスキャンダルと炎上で這い上がれないかもしれない。
危うい場面も含めて、ステージのレネーが放つその強い光が、眩しくて、輝く笑顔に泣けた。
この作品は特撮とかCGとかアクションみたいな派手はシーンはないけれど、劇場の大スクリーンで観た方が感動すると思う。良いステージを観たような気持ちに、レネーがさせてくれるから。
愛されなかった子どもが最後に深く愛される物語
1968年前半。
『オズの魔法使』『スタア誕生』で大スターとなったジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)。
しかし、いまは映画出演のオファーもなく、ふたりの子どもを連れての巡業ショウでホテル暮らし。
金回りも悪く、馴染みのホテルからも追い出される始末。
そんなとき、いまだ根強い人気が残るロンドンからショウの依頼が来、ふたりの子どもを元夫のシド(ルーファス・シーウェル)に預け、ロンドンに渡るが・・・
といったところからはじまる物語で、ジュディが現在のような落ちぶれた情況になってしまったのは、子ども時代から薬物摂取、それも周りの大人たちから摂取させられていたという回想を交えて、ロンドンでの舞台が交互に描かれていきます。
とにかく圧巻なのが主演のレネー・ゼルウィガーのパフォーマンス。
決して似ているわけではないのだけれど、渾身の歌唱シーンでの横顔はジュディそのもの(といっても、ジュディの映画は他には『イースター・パレード』ぐらいしか観ていないが)。
こんなに歌の上手い役者さんだったのか!との驚きもそうだが、地の部分の演技も相当。
受賞は当然といえるでしょう。
薬物依存・アルコール依存の影響で何度も何度も舞台をすっぽかしそうになる(実際、何度かすっぽかすのだが)あたりのストレス度は超々といったところかしらん。
このストレス度合いは、ワンオペ子育てマザーには、わかる、実感!って感じではないかしらん?
(一緒にしないで、って声も聞こえそうだけど)
映画は、幾度のすっぽかしを経て、最後の最後、お払い箱になった後にステージに上がって2曲歌うのだけれど、曲は『降っても晴れても』とサブタイトルの『虹の彼方に』。
後者が最後の歌になるだろうというのは、サブタイトルでもわかるのだけれど、ロンドンへついてリハーサル場の教会に連れていかれたジュディが、「わたしは音合わせは不要」と断る冒頭のシーンで、伴奏のピアニストが「Some-where」の最初の2音を鳴らしたシーンで、「あぁ・・・」と思って涙が出ました。
なので、最後の歌唱では落涙当然でした。
もうひとつ、いいなと思ったエピソードは、ジュディファンのふたりの中年ゲイカップルとのシーン。
娘のライザ・ミネリがゲイアイコンなのは知っていましたが、ジュディもそうだったのね。
このカップルのひとりが、歌えなくなったジュディに、「Somewhere Over the Rainbow」と歌いかけるところでも、胸熱になりました。
映画のラストシーンのあとに出る「どれだけ愛したかではなく、どれだけ愛されたか」の字幕、最後にほんとうに深く愛されたジュディは幸せだったのだと思いました。
孤独な者達
「オズの魔法使い」の主役ジュディの子役時代と晩年の物語。
不勉強ながら、ジュディのことを全然知らなかった。
なので、子供の頃から覚醒剤を飲まされていたなんて驚き。
主演が「ブリジットジョーンズの日記」のレニー・ゼルウィガーだったことにも驚き。
素晴らしい歌声。
そして、顔が全然違う…
こういうスターの栄華と零落ものって、最近でもよくあって、大抵酒・薬・性に溺れて行くって流れ。
今回もそんな感じで、またかとちょっと乗れなかったんだけど、途中同性のカップルが出てきてからが良かった。
お互い、環境や境遇も全然違う二組だけど、お互いが孤独であるってことを知っている。
そして、音楽に救われている。
ラストの展開はおそらく創作だと思うけど、個人的にとても好き。
名曲と呼ばれる音楽は、ずっと人々の心の中に存在して、それを共有出来る。
音楽で繋がるってこういうことなんだなと思える素晴らしいラストシーンでした。
ラストシーン
あの観客が一緒に歌い出すショーは、実際あったのでしょうか?
代役を務めた歌手が、急遽、出禁になったジュディに歌わせたり。
本当だったとしたら感動です。
実際は無く、ただ失敗に終わったロンドン公演なら悲し過ぎる。
オズの魔法使いは多くのアメリカ人にとって
格別なミュージカルで、まさに心の故郷のような輝かしい神聖な作品で、
その作品の主演女優と言ったら、
絶対的に清廉で天真爛漫なイメージを保たされて
本人の人格も希望も何もかも抑え付けられて、
子供だと言うのに、働き詰め、
寝る時間すら無く、食べる事も許されない。
眠れないと訴えても誰も聞く耳持たず薬漬け、
唯一の味方であろう両親も頼りにならず。
観客は切り取られた自分を喜んで見ているだけだし。
どれだけ孤独な人生を歩んで来たのだろうと思うと、
実子をあれだけ愛せているだけでも良かったと思わざるを得ませんでした。
ハリウッドの子役って大人になって
酷い人生を送る人が少なからず居るけれど、
周りに親身になって彼女の将来まで考えてくれる人が
一人でも居たら、あんなに心を病む事がなかったのだろうと思うと切ないです。
オズの魔法使いは名シーンを垣間見た位ですが、
この映画を見てから、
彼女が自分の人生を捧げた作品を敬意を持って鑑賞したいと思いました。
かかとを鳴らして何を叶えよう
ケーキ…ケーキ!!ケーキーーーーー!!!
となり号泣。
もうすっかりジュディの世界に入りこんでいた。
小さい頃に繰り返し何度も見たオズの魔法使。
主人公の少女の噂など全く知らず、ただオズの世界が大好きだった。
今回映画化されて彼女を取り巻く噂を知る。
時代をよく考えずに見ていたらバッグバンドの名前で察した。オズの魔法使ってそんなに昔だったのか…
劇中、
「何か欲しいものは」
と度々聞かれるジュディ。
その瞳には昔のような衝動に満ち溢れた気持ちが消えている。
ドロシーに仕上げられる過程で、押し込んでしまったんだろう。
子供時代のシーンは華やかさが目立って余計に痛々しい。
恐怖によって管理されたせいで、まわりがみんな敵にみえてしまうんだろうな。
ショーでやらかしたあとに許しを乞うとき、
自分の思うようにいかず相手を突き放すとき、
ジュディが少女のようで見ていて心が痛む。
周りから誉められるほど、自分が信じられず不安に襲われつづける。
これはステージに立つ者が受ける呪いなのか。
ボヘミアンラプソディもそうだけど、愛されながらの孤独は出口がない。
その縛りから解放されるために薬や愛っぽいものに取り憑かれていく様が精神にずんと来る。
お世話役のお姉さんの距離感が絶妙でジュディのがっちがちに硬くしている心が際立った。
最後に信じられるのはステージ。
ステージに自由を奪われて、
ステージに救いを求める。
…後半涙鼻水の音を鳴らさぬよう必死で苦しくなってしまったのでリベンジしたい。
心に染み入る「虹の彼方に」が色褪せない作品です。
予告編を観てから興味が湧き、あの名曲「オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)」が頭の中で響き渡り、スクリーンで聴きたくなって鑑賞しました。
で、感想はと言うと、面白い。
面白いけど、ラストはちょっと好みが分かれる感じで細かい所で気になる所もあるかな。
「ボヘミアン・ラプソディー」を彷彿させる様な、ジュディの歌への愛と葛藤、そして終焉に向かう魂の燃焼を切なくも愛おしく描いています。
とにかく伝説の女優、ジュディ・ガーランドをレネー・ゼルウィガー(※正式にはレニーではなくレネーだそうです。)が情念深く熱演。
「ブリジット・ジョーンズの日記」でキュートな役を演じたレネー・ゼルウィガーがベテラン感のある晩年のジュディを演じているのにはちょっとビックリな感じがしますが、役のジュディとはほぼ同年代。あのブリジット・ジョーンズのレネーがこんな役をやるなんて、なんか思えば遠くへ来たもんだな感じでw、違和感が無いのかも知れませんが、苦労の末か、晩年のジュディがちょっと老けて見えます。
一昔前のスターって、何処か刹那に生きて、一瞬の栄光の為に全てを投げ打つ、悲壮感と輝きがありますが、ジュディは子供達との平穏な生活も夢見る。その何処か矛盾めいた葛藤を見事に演じてます。
また、一世紀近く前のアメリカのショービジネスのブラックな待遇とハラスメントで人間形成が歪んだ様に感じる程、「オズの魔法使」での子役時代がネックになり、その後も自業自得的ではあるけど、転がる様に堕ちていくジュディが切ない。
ロンドンでは大スターとして迎い入れられてますが、睡眠不足と情緒不安定でいろんなトラブルも多発。
トラウマの様に回想シーンで差し込まれる、1930年代のハリウッドの裏側とタレントへの労働管理は無茶苦茶に映ります。
ある意味、ジュディは黎明期から過渡期にあるハリウッドの犠牲になったとも言えます。
ジュディ役のレネー・ゼルウィガーが主役ではありますが、個人的にお気に入りはロンドンのマネジメントを担当するロザリン役のジェシー・バックリーとジュディの青年期を演じていたダーシー・ショウ。ジュディの娘のローナ役のベラ・ラムジー。
5度目の再婚相手のミッキー役のフィン・ウィットロック。
ロザリンは健気にジュディをバックアップする有能なマネージャーですがキュートで可愛い。
ジュディの青年期を演じたダーシー・ショウも可愛らしい。古きハリウッドのキュートさを醸し出している。
娘のローナ役のベラ・ラムジーもキュート♪
おぉ!キュートばっかりやw
ミッキー役のフィン・ウィットロックはオールドスタイルな感じの正統派な男前。
実際にジュディ・ガーランドはLGBTQ問題にも理解があった事と自身も関わっていたらしいんですが、それもあってか劇中でもそれを取り上げています。この辺りが「ボヘミアン・ラプソディー」と少し似通る感じです。
また、熱烈なファンによってジュディは助けられ、LGBTQ問題に悩むファンもジュディに助けられる。
二人の男性ファンとファンの家で卵料理を楽しそうに作る描写はほっこりして、ジュディの束の間の心の安らぎを得られて感じで良い♪
芸能の世界の憧れと非情さを描きながら、こういった描写がなんかホッとします。
個人的に気になるのはラストの件り。
アルコールで2度目の失敗を起こしたジュディがステージ出演契約を解除され、ステージの袖から覗く事でどうしても歌いたい衝動に刈られ、ジュディの代わりに出演しているロニー・ドネガンに禊を済ますかの様に1曲で良いから歌わせてと嘆願し、ロニーがそれを了承するが、自らのトラブルで出演解除になったのに突然すぎるジュディの登場に観客からは前回あれだけのブーイングが飛んだにもかかわらず、今回はブーイングが一切飛ばないのはちょっと不自然。
ステージで歌っているロニーがスペシャルゲストとしてジュディを招き入れるとかの演出があれば、まだ納得も出来るけど、ジュディが起こした失態やロニーに変更されていると言うのは観客側は知ってる筈なのに、それを当たり前の様に受け入れているのはちょっとご都合な感じに映る。
なんだかんだ言ってもファンに愛されたジュディとも言えますが、ちょっと気になります。
ジュディは1曲だけと言っていたのにちゃっかり2曲歌っているしw
ロニー・ドネガン良い奴過ぎw
興行主のマイケル・ガンボン演じるバーナードもジュディの登場を容認と度量が広い。
また、ラストで「オーバー・ザ・レインボー」で熱唱するが、ジュディは歌いきる事が出来なくなり、観客がアカペラで合唱するシーンは感動のシーンではあるんだけど、やっぱりジュディには歌いきって欲しかった。
「ボヘミアン・ラプソディー」から始まった昨今のアーティスト伝記映画の流れを組んでいるし、「ボヘミアン・ラプソディー」の完成度が高いだけにどうしても観る側は見比べる所があると思うんですよね。
「ボヘミアン・ラプソディー」と比べるのは野暮と言うのを踏まえてですが、「ボヘミアン・ラプソディー」のクライマックスのライブエイドでのフレディの魂の熱唱の感動とド迫力のライブシーンに近い物を期待するだけに、最後は観客に助けられながらもオーバー・ザ・レインボーを熱唱して歌いきって欲しかったなぁと。
そこでエンドロールに流れていけばもう最高♪
ベタと言えばベタな感じではあると思いますがちょっと期待してたラストと違っていて残念かな。
と言うのは個人的な見解ですが、如何でしょうか?
いろんなアーティスト伝記映画が今後もラインナップされていく中で、皆が知っている名曲がある時点で思い入れはひとしおになるかと思います。
ジュディ・ガーランドと言う伝説の女優でアーティストの作品に触れられた事が嬉しい。
ハンバーガーやケーキを食べさせてくれない厳しい管理の中、本当の幸せを掴んだかは定かではないけど、ステージで堂々と歌うジュディは輝いていたのは確か。
なんだかんだ書きましたが、彼女の歌う「オーバー・ザ・レインボー」が聴きたくて、鑑賞したのでそれが聴けたのは素直に嬉しい。
あの名曲がいつまでも鳴り止まないんですよね。
それだけでも鑑賞の価値はあるかと思います。
コロナウイルスの影響でいろんな作品の公開が延期になり、この作品も公開直後にも関わらず、劇場は少し寂しい入りな感じですが、感動は色褪せないかと。
いろんな事に心配な御時世ですが、良い作品なので、よろしければ如何でしょうか。
必聴!オーバーザレインボー
ラストの「虹の彼方に」の歌唱で涙が溢れた。
しかし、何かが足りない。
そう、ジュディガーランドの過去の栄光シーンが抜けているのだ。
最後まで「虹の彼方に」を溜めちゃったもんだから、ジュディガーランドのことを知らない人には、なぜこの女性がスターなのかわかりにくいはず。
その頃の邂逅としては、
幼気な少女がロリコン親父に洗脳調教されて働かされたという感じになっていて、その頃のサクセスの一面より不幸の方がメインで描かれているせいで、真っ暗なのだ。
で、ジュディに関わった人間を登場させすぎたせいで、それぞれのドラマが薄くなってしまい、全体的なストーリーもパンチ不足。
役者のパフォーマンスのみ4.0
脚本は2.0
よって総合評価は3.0
Singer Movie!!!???
歌手の映画はうーーーん。
現代だと厳しいなって感じてしまいました。
お金がない人間が歌えば、お金のある人間はうまく感じてしまうし。
まあ、そこそこなキャラクター。
でも個人的には好きになれないおばちゃん。(笑)
なんかポリシーがなくて。
一回、一回のステージにおけるチャレンジがなくて。
自らの進退も自ら決めきれない。ダメなおばちゃんの映画。
お金を払う価値があるとは思えない人も多くいるのかどうなのか。
正直、駄作と思ってしまうけれど、歌手の映画は仕方がないのか。
なんか観ていて、イライラする。(笑)
個人的にはだめな映画だし、歌も上手く感じなかった。
女優も美しく感じなかったし。
どうしようもない。(笑)(笑)
まあ、傷の舐めあい映画ですな。(笑)(笑)
Over The Rainbow!!!???
うーーーん。
予告編で思っていたよりもうーーーん。(笑)
子供が二人いて。
離婚したり、再婚したり、問題を抱えたり。
いまいち、舞台においても情熱がなくて。
セルフスターターでなくて。
周りにモチベーションを上げてもらっているので、
だんだん不満になって。
うーーーん。
正直、まあぬるい女優のそこそこ成功物語。(笑)
個人的には、もっと熱く、パッショネイトな感じと。
自らの信念を突き進んで、周りを振り回すくらいな、パワフルな女性像を描いてほしい。(笑)
いまいち、まあわからなくはないけれど。
個人的には低評価。(笑)
まあ、しかたがない。
女優さんも筋が細くて、なんか。(笑)
まあ仕方がない。
あまりおすすめではないかも。(笑)
2020-14
愛を与える側の人間だった彼女が、ようやく愛されていることに気づけたのかもしれない。
ジュディの栄光も描かれると思っていたら、メインは晩年。
お恥ずかしながら、ジュディ・ガーランドのことはほぼゼロ知識、"Over the Rainbow"は聴いたことある程度でしたので、
アル中、うつ病、遅刻、わがまま、、、そんな晩年のジュディと、子役時代のジュディの回想だけでは、なかなか共感できずにいました。
出待ちをしてくれた、たった2人のファンの自宅で、ゲイの男性が涙ながらに告白した辛い過去を聞き、ぎゅっと抱きしめるジュディ。
子供のまま大人になったようで、4度の結婚歴もあるし、愛に飢えているか、愛がわかっていないかなのかなと思っていた自分が恥ずかしくなりました。
彼女は歌で、ショーで、その存在で、見知らぬ人に愛を与えてきた。
愛を知っているが故に、愛を求めているんだと。
不器用な方法しかできなくても、自分が愛を与えるべき存在だと知っていた。
それでも、自分が愛されているかどうかは不安だったのかもしれない。
きっと、最期にようやくわかったんでしょう。
ファンも、自分の黄金期を知らない若いマネージャーもバンドメンバーも、どうぞ歌ってとステージを授けたミュージシャンも、その全てに愛があると。
虹の彼方でも、きっと多くの愛を与え、また愛されているはず。
口をすぼめたり、顔を震わせながら話すのもジュディの癖なのかな。
レニー、素晴らしかったです。
やっぱりステージって素敵だな!早くファンも、アーティストも、何の心配もいらずコンサートできるようになりますように!
レニー→ジュディ→レニーでレニー!!
スバラしぃ!ジュディガーランドが不幸な生い立ちなのは知ってた。だから、そういうストーリーなんだろうなと予想はついていたけれど、にもかかわらず泣けました。
レニー・ゼルウィガーさんはシカゴで「なんてブスなんだ!」とやられて以来目が離せなくなった女優さん。それ以来作品を見まくって彼女の所作は脳にインプットされていて、この作品でも彼女らしいなぁ…と余裕だったけれどやっぱ凄いや。彼女以上に歌の上手な俳優さん達は一杯いる。でも、「歌えない…」のセリフ前に泣けちゃたのは、女優力なんだと思う。凄い凄い!
久々に映画らしい映画で泣けました。ありがとう!
ジュディは虹の彼方に何を見たのか
ジュディといえばオズの魔法使いで子役で大成功。
結婚何回かしてライザミネリという偉大なミュジカルスターを持つ大金持ちくらいにしか認識なかった。
映画では死ぬ直前の最後の人生しか分たなかったので出だし違和感がありました。
ストーリーが進むにつれ、アメリカのエンタメの凄まじい競争の中で心が壊れていったジュディがそこにいた。
最後のOver the rainbow!のステージは涙でかすみよく見えなかった。
見る前にネットのウイキペディアあたりでジュディーの生涯を調べてみた方がもっと理解できたように思う残念。
Over The Rainbow
クライマックスは泣けてきた。
人間ドラマを主役ひとりで観てられる映画。
みたいな。
ゲイのファンとのエピソードが
ジュディの心根が知れて良かった。
あのブリジットが、、で見始めてたけど、、
ジュディなんやね(知らんけど)
帰ってからYouTubeで本人を見たよ。
レニーセルゥイガ圧巻だ!
落ち目になった大女優 ジュディガーランド
そのロンドン公演と若き日をクロスさせ
ショウビジネスに生きる姿を
観客に魅せたね。
子供の頃のダシーショウもこれから注目だね。
お世話するジェシーバークリーも
魅力ある。
ラストの虹の彼方は
涙なしには、
見れなかったよ!
日本では大竹しのぶかなぁ これをやれるのは
主演のレネー・ゼルウィガー、まだ50歳なんですね。やはり西洋人は老けるのが早いせい?メイク?もちろん個人差はありますが、日本人だったら、70歳ぐらいかなぁなんて思いました。47歳で亡くなったジュディ・ガーランドもこんなだったのか?小さい時から睡眠不足で、覚醒剤や睡眠薬を与えられ、食べたいものも食べさせてもらえない。普通、睡眠不足の時ってすごく食欲亢進して、食べて補うみたいなことになりますよね。哀れだった。これは完全に児童虐待とパワハラで、シジイの説教と洗脳の最中のボディタッチはセクハラですね。
彼女のステージママは現れなかったけど、まあ同罪でしょう。描かれていたら、もっとこの映画は長く、重苦しくなったでしょうね。
お金を貯めて、子供たちと暮らしたいと、懸命にどさ巡りを続けますが、マネージャー役を自分から買って出る若い男に騙されてしまう。4回目の結婚をしてしまうが、ニューヨークでの公演が頓挫すると、たちまち手のひらを返される。
🎵🎤飲み過ぎたのはあんたのせいよ~
それをなによ❗
最初の出会いもそういえば、わざとらしかった。モーニングサービスのサプライズなんかしやがつて❗
でも、レネー・ゼルウィガーの切ない表情や恋してるときの表情に見入ってしまった。引き込まれました。
充分な愛情を与えられなかった人間は、自分から人を愛することのみではその隙間をうめられないみたいなトルストイの引用が最後にありました。 子供時代と晩年の場面を互いに挿入したのは、そのことを強調するためだったのでしょう。
昔のグランドキャバレーを堪能できましたが、バンマス役、ゲイカップルの二人、アコースティックギターの歌手がこの映画でジュディを支える善玉としてすばらしかった。あの二人がジュディからご飯でもいっしょにといわれたときの素人の戸惑い、驚きの演技がよかった。こっちも、ポカーンでしたよ。とくにあの二人の家でビアノの演奏で歌う彼女は穏やかな表情で幸せそうだった。最後のオーバー・ザ・レインボーよかったですね。
しょっぱなから、ジョジョラビット君登場はちょっとヒキましたが………
And walking have to be enough... it 's all about "Hope". ハリウッドの光と闇(主に闇)
辛い。もう「オズの魔法使」を癒される~っなんて思って観れなくなりました。天真爛漫に見えるドロシーを演じてた舞台裏ではあんな事になってたなんて。ジュディ・ガーランドを見る目が変わってしまいます。最近本作に目掛けてジュディ・ガーランドの映画をちょこちょこ観てたのですが、これを観た後では純粋な気持ちでジュディの映画は観れなくなってしまいます。
何だか途中からジュディが痛々しくって。観客に笑顔向けてても無理して笑顔作っているんだろうなっなんて思えてしまって。時代とは言え、子役の頃から覚醒剤与えて無理矢理働かせてたって本当にハリウッドの闇の部分ですよね。そりゃ鬱にもボロボロにもなって早死にするわ。それでも光の部分が強すぎて飲み込まれてしまうんでしょうね。ショービズ界って恐い所や!
本作のレネー・ゼルウィガーはアカデミー賞納得の渾身の演技だったと思います。アカデミー賞の授賞式の時はレネーだったんですが、映画の中ではジュディでしたね。そんなにジュディに似てる訳でもないのですが、見事に演じきってました。そして、歌が上手い!色々とグッとくるシーンも多かった本作ですが、最後の「Over the rainbow 」で涙腺崩壊でした。
中盤のゲイのカップルのファンとのやり取りは唯一の癒されるシーンでした。ゲイである事が犯罪だと思われてた時代でジュディはゲイの人に対して偏見を持たずに接してたようで、LGBTの象徴のレインボー・フラッグの由来はジュディの「オズの魔法使」から来てるとか。そして、「Over the rainbow」はゲイの集会でよく演奏されるとか。ジュディは破滅型な人生だったかも知れませんが、時代を超えたアイコンになったんですね。
【"夢を叶えるために"子役時代の哀しきトラウマに囚われながらも、子供達のために戦った母。ラストは涙を堪え切れない作品】
ー レネー・ゼルウィガー様。アカデミー主演女優賞おめでとうございます。ー
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哀切な作品である。
ジュディの人生、特に子役時代の食事、睡眠そして多分恋愛も"プロデューサーや、思い遣り無き女性マネージャーに制限されている姿は観ていて辛い。
今作品では、彼女のステージママは登場しないが、多分、似たような人種だろう。
18時間労働って、何なんだ!。
その経験がトラウマになってその後の彼女の人生を支配してしまったのは、想像に難くない。
スター時代はアッと言う間に過ぎ去り、今作品ではピークを過ぎながらも、子供達と一緒に暮らす夢を叶えるために働くジュディの姿が、我が儘な部分も含めて描かれる。
沁みたシーンは数々あれども、彼女のファンの男性二人をジュディが食事を誘うシーンからの、二人が受けて来た世間からの仕打ちに気付いたジュディの表情とピアノを弾く男性を後ろから抱きしめるシーン。
そして、ステージでの幾つかの失敗の後、メインステージを務める筈の男性コメディシンガー、ロニー(好漢である。彼は、この前のジュディの散々なステージでも、彼女をフォローしていた・・。)が、彼女の"歌わせて!"という懇願を"貴女のファンだった"と言い、申し出を受け入れるシーンからの、ラストのジュディの歌唱シーンの素晴らしさたるや・・。
歌唱途中で、声を詰まらせたジュディを支えるように、あの男性二人が立ち上がり、声を上げ"オーバー・ザ・レインボー"を歌い継ぎ、徐々に会場全体が”合唱”で覆われるシーンは涙なしでは観られない。
〈哀しき物語ではあるが、皆がジュディを愛していたのだ、心から。彼女の魂魄は"オーバー・ザ・レインボー"の歌声と共に、永遠に人々の心に残るのだ。〉
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