ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
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虹の彼方に、彼女がみたものは・・・。
2020.3.11(水)
2週間映画館に行っていないのでフラストレーションがたまり吉祥寺に映画を見に行った。
安倍総理はイベント等の自粛を19日まで延長。友人のYさんではないが、映画館が営業停止になる前に見ておこうとアカデミー賞主演女優賞受賞の「ジュディ」へ。音楽映画なので新宿の音の良い劇場で見たかったけど、まぁしょうがない。取り敢えず見る事を優先して地元の吉祥寺プラザで。(結局、これが吉祥寺プラザでの最後の映画鑑賞となった。2024.1.31閉館)
吉祥寺の街中でのマスク着用率は3割程度か?結構していない人が多い。平日の昼間でも人出が多い(銀行に記帳に寄ったら行列が)。十代の若者が多く、決まってマスクはしていない(者がほとんど)。制服組が10人程いて内数人がしていた位だ。今日は卒業式か。自転車に乗った子連れの親子は母親がマスクをしていないと子供もしていないし、親がしていると子供もしている。横浜在住の友人Aが、横浜は閉散としていると言っていたけど、吉祥寺はそんな雰囲気はない。
「ジュディ」は、女優ジュディ・ガーランドの晩年を描いた映画で彼女についての予備知識が必要だ。「オズの魔法使」や彼女の映画、歌唱を見た事のない人にはやや取っ付きにくいかも知れない。子役時代からスターであった事、出演した映画の中で抜群の歌唱力を持っていた事(映画の中でもそれは描かれてはいるのだが)等を知らない人は映画の評価が下がるだろう。この映画はそれを、そしてジュディ・ガーランドを知っている事を前提にしている。(日本人なら美空ひばりか?)
ジュディを演じたレニーが絶品だ。同時録音ではない(ステージで口パクが判る所有り)が、本人が全て歌唱したと言う歌も素晴らしい。(出演が決まってから1年間トレーニングしたと言う)
薬に身体を蝕まれ、子供とは一緒に暮らせず、5回も結婚してロンドンに出稼ぎにと、大スターも晩年は淋しい生活だった。ラストに歌われた「虹の彼方に」Somewhere over the rainbowは涙ものだった。
この映画で描かれたロンドン公演の6ケ月後にジュディ・ガーランドが47歳で亡くなった事を告げて映画は終わる。
映画館を出ると、今日は1日晴れの天気予報だったのに雨が降っていた。
大スターだったジュディ・ガーランドの最後のステージ
監督ルパート・グールド監督による2019年製作のイギリス映画。
原題:Judy、配給:ギャガ。
最後、観客に罵声を浴びせクビになったロンドン公演に飛び入っての見事なレニー・ゼルウィガー演ずるジュディ・ガーランドによる熱唱。更に謳うOver The Rainbow、感極まり途中で歌え無くなってしまった時、交流があった男性大ファン(同性愛者)が歌い出すことで始まる観客による合唱は、やはり胸を打ち、感動した。そのファンと自宅まで行き、一晩に渡り心の交流をしたエピソードが良く効いていて、上手い脚本とも思った。
ジュディ・ガーランドの歌う準備のいい加減さ、酒と薬まみれ、プロフェッショナルとしての精神に欠ける点は、容赦なく描かれていて感心させられた。また、5番目の夫に対する態度も酷く、うまく夫婦関係が築けないスターの身勝手さと哀れなところも、冷徹に示されていた。ただ夫役のフィン・ウィットロック(ラ・ラ・ランドでは、振られるボーイフレンド役)が若くて魅力的な男すぎて、二人が結婚することに説得力を感じなかったところは、計算外なところか。
ジュディの世話係役ジェシー・バックリーが、彼女を暖かく見守りとても良い味を出していた。最近の主演映画で歌も歌ってるらしく、大注目。
母親も含めて大人達が、歌が上手な少女スターをお金のなる木として搾り取る様子も丁寧に描かれていた。この辺りの構図は、米国でも日本でも同じかと、ある種の感慨を覚えた。そして、ジュディという人はエンタテインメント界でずるくしたたかにもなれず、無垢の精神をずっと持ち続けたままだったのかなと理解した。
製作デビッド・リビングストーン、製作総指揮キャメロン・マクラッケン、ローズ・ガーネット、アンドレア・スカルソ、ミッキー・リデル、ピート・シレイモン、ローレンス・マイヤーズ、リー・ディーン、アーロン・レベン、チャールズ・ダイアモンド、エリス・グッドマン、ヒラリー・ウィリアムズ。
原作ピーター・キルター、脚本トム・エッジ。
撮影オーレ・ブラット・バークランド、美術ケイブ・クイン、衣装ジャイニー・テマイム、
編集メラニー・アン・オリバー、音楽ガブリエル・ヤーレ。
出演は、レニー・ゼルウィガー(ジュディ・ガーランド)、ジェシー・バックリー(ロザリン・ワイルダー、ナショナル・シアター・ライブ「ロミオとジュリエット」等)、フィン・ウィットロック(ミッキー・ディーンズ、ラ・ラ・ランド等)、ルーファス・シーウェル(シド・ラフト)、マイケル・ガンボン(バーナード・デルフォント)。
「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドの伝記映画。
名声とは哀しいものですね。
名声は人を幸せにはしない・・・そんな映画でした。
ジュディは17歳で「オズの魔法使い」の主役を演じ、懐かしい名曲「虹の彼方へ」を歌うスターでした。
しかし撮影所からはダイエット命令が出ていて、バースディ・ケーキも食べさせて貰えない。ハンバーガー禁止令まで出てたんですよ!!
睡眠時間も十分に貰えず、眠気覚ましに薬物(飲み薬)を与えられ、そして不眠を訴えるとまたまた枕元に睡眠薬を置かれるのです。
(近作の「エルヴィス」でも同様のことが描かれているそうです)
そうしてジュディは薬物常習者になるのですから、ハリウッド・スター残酷物語ですね。
この映画は少女期の回想シーンも度々出てきますが、1968年47歳のジュディが、ハリウッドの仕事にあぶれて、イギリスのロンドンで5週間行った公演のステージシーンが中心に撮影されています。
演じるレニー・ゼルウィガーは1954年の「スター誕生」主演当時のご本人に瓜二つです。
髪型(黒髪のショート)や肩をすくめたり、くちをとがらす仕草までそっくりです。
おまけに歌唱シーンは全曲レニー・ゼルウィガーが歌っています。
歌唱力そして孤独をコートのようにまとった入魂の演技は、アカデミー賞主演女優賞に相応しい見事な出来栄えでした。
子供思いの優しいジュディが、子供のそばに住めない姿も哀れでした。
それにしても少女スター時代のハリウッドの精神的虐待とも思える仕打ち。
ダイエットの空腹に耐えた辛い記憶。
休みも満足にもらえず働き詰め少女時代。
その記憶は生涯に渡ってジュディを苦しめた。
薬漬けにされたこと・・・そしてお酒に逃げて溺れた。
ジュディ・ガーランドは、古きハリウッドの、スター酷使システムの犠牲者でした。
神様が惜しみなく与えてくれたのは、大衆を魅了するその歌声力と圧倒的なカリスマ性だけでした。
オーバーザレインボーの歌詞・・・
《鳥たちは虹を超えて飛ぶ、ああ、なぜ私にはできないの?》
その言葉が哀しいです。
でもラストのラストで、ジュディの大ファンのゲイ・カップルとの交流・・・彼らの自宅で夜中のスクランブルエッグを食べたり、ラストステージで、歌えなくなったジュディを、歌いつなぐシーンは涙なしでは見られませんでした。
それがせめてもの慰めでした。
知らぬが花
アメリカの国民的スター、ジュディ・ガーランドさんが47歳で亡くなる晩年のロンドン公演のステージにフォーカスをあてています。舞台「End of the Rainbow」の映画版。
大物プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインがセクハラを暴露されMe Tooムーブメントが起こり話題になったが、本作のジュディを見出したMGMのアーサー・フリードの悪名も高い、女優に枕営業を迫るばかりか子役にも手を出すロリコンだったとか。
「オズの魔法使い」の主役は当時の名子役シャーリー・テンプルの予定だったがテンプルがフリードの淫行に応じなかったのでジュディに回ったと後にテンプルが自伝で暴露している。劇中でも13歳のジュディの胸を撫でるシーンがあったがセクハラのほのめかしだろう。
ダイエット薬と称してアンフェタミンを飲ませていたと言うから驚きだ。そんな世界に子役時代から身を置けば体も心もボロボロになっても不思議ではないでしょう。
撮影をすっぽかすのは日常茶飯事、度重なる自殺未遂などで仕事を失い晩年はNYやロンドンでジャズを歌って凌いでいた。
ロンドンで同性愛者のファンと親しくなるシーンが印象的、ボードビリアンだった父がホモセクシャルだったこともありLGBTへの理解は深く、同性愛解放運動の象徴のレインボーフラッグはジュディにちなんでいると言う。
レニー・ゼルウィガーさん48歳が46歳のジュディを吹き替えなしで演じています、アカデミー賞も納得の熱演でしたが、根が悲しい話なので胸が痛みます。世の中には知らぬが花ということも多いので、「虹の彼方に」のドロシーのファンにはあまりお勧めはできません。
スターの光と影…駆け抜けた人生
ジュディ・ガーランドを知らなかったが、名曲「虹の彼方に」は知っていた。子供の頃からスターになるように育てられ、ダイエットのために母親から覚醒剤、眠れないと睡眠薬を服用させられる。スタジオ育ちで周りは大人ばかり、子供なら誰しもが食べたいケーキも、遊びたくても遊べない。そうした犠牲の上に、彼女の持つ歌声、スター性でアカデミー賞、グラミー賞を受賞してきた。映画は子役時代の回想シーンもあるが、スターになった後の、人生を描く。薬が手放せず、眠れず、生活も乱れ、何度も離婚歴があり、自身の浪費により金もなく、子供の親権を得るため、仕方なくアメリカを離れ、ロンドンに活路を見出す。歌声を披露すれば、人々は大喝采となるが、遅刻癖、客に罵声を浴びせるなど、問題も多かった。昔の大スター、スポットライトの光と影、知られざる苦悩は伺いしれないが、早すぎる逝去は駆け抜けた人生だった。子供がライザ・ミネリなのも知らなかった。レニー・ゼルウィガーは好演。
ジュディに限らず、こういう現実がよく あるのだろうと思った
どう見ても65歳位に見える老けメイクで
47歳の役は疑問に思えたが、
映画「オズの魔法使い」のドロシーが長じた
ジュディ・ガーランド役を演じた
レニー・ゼルウィガーの迫真の演技が素晴らしい
子供時代のジュディを演じた子役など
他の俳優陣もキャスト、演技共にハマっていて
脚本も良く、見ごたえのある作品に仕上がっている
*****
子供の頃から仕事漬けで、眠りたくても
ゆっくり寝る事も
食べたいものを食べる事も、遊びたくても許されず
芸をする獣を調教するように育てられたら、
性格が歪になるだろう
解説ではジュディは「奔放で愛すべき女性」と
書かれているけれど
私には「気まぐれで痛々しく精神不安定な女性」
に思えた
一部の男性側からすると、ある種の魅力に
思えるのかもしれない
しかし一時的なものではあると思う
(だから4度も離婚したのだろう)
ゲイのファンたちを食事に誘って
気まずい雰囲気になる所が妙にリアル
ファンとは距離を置いた方がいいのかな
こういう仕事の人は
でも、スターの現実に失望した後でも
ファンはラストのショーにはちゃんと来るんだな
ショーでジュディが歌う場面は華があって
迫力があった
気にかけていた子供たちは、金銭的にも精神的にも
安定した元夫との生活を望み、離れてしまう
エンタテイメント王国アメリカの
ショー・ビジネスの華やかな舞台の裏には
ジュディに限らず、こういう現実がよく
あるのだろうと思った
ラストの
「人間の心で一番大切なのは
どれだけ愛したかよりも
どれだけ愛されたか である」
という言葉は、
普通の人々の間では逆ではないかと思った
ショー・ビジネスの世界では、
それが正しいのかもしれない
哀しい現実を抱えているからこそ
綺麗な華が咲くのだろう
アーティストの立場が弱い時代の悲劇
レンタルBDを3回に分けて観た
昔の名作オズの魔法使いの主演女優の悲しい晩年
レネーはシカゴの人でなかったか
あれもよかったがこれもよかった
オラは音楽モノがつくづく好きなんだなぁ
まぁ力が入っとる なりきりデニーロアプローチ
ジュディを知らんのだが再現度はかなりのものなのだろう
普段のちょっと猫背の感じとか口元とか…
レネーの原形わからぬ
特殊メークはカズヒロ…?
オスカー獲ったのだっけか
アーティストの立場が弱い時代の悲劇
ビートルズとかストーンズとか
後人の努力で少しずつ変わってきたんだろう
日本では断然永ちゃんだ
最後のシーンで救われたが全体的にはモノ悲しいトーン
事実なのかどうかは知らぬがゲイカップルのエピソードは好きだ
最近こういう話を織り込みがちなのは賞を意識したものなのだろうか
アーティストにせよLGBTにせよ
その権利が尊重されることはよいことだ
ジュディ・ガーランド・マティーニを作って
映画「ジュディ 虹の彼方に」(ルパート・グールド監督)から。
外国映画の伝記作品って、ほどんどのパターンが
一時「アルコール・麻薬の中毒」に陥って、その後再起を試みるが、
昔の栄光や、周りに評価される環境に流され、また逆戻り。
そんな展開が繰り広げられる気がするのは、私だけだろうか。
男でも女でも、一度吸った甘い汁の味は、忘れられない、
それが、人間の本質なのかもしれない。
さて、気になる一言は、娘のパーティで出会った
「カクテルは好き?」で始まる男性との会話。
「うちの店では器具や材料を並べておいて客にカクテルを作らせる。
新しい味を求めて客はどんどん酒を飲む」との説明に、
映画ながら、ヒントをいただいた。
オリジナル・カクテルのレシピさえあれば、
それを聴いた好奇心旺盛の人々は、一度は、飲んでみたくなる。
だから、彼女が囁いた
「ジュディ・ガーランド・マティーニを作って」は頷けた。
彼女のファンなら、誰もが気になる「カクテル」であるから。
どんなイメージで、どんなこだわりの味なのか、
それが、ファンというものなのかもしれないな。
大ファンが表現した彼女の評価は、
「あなたの声は耳をすり抜け心に届く」だったから、
そんなイメージの味がするんだろうなぁ。
歌う彼方に
『オズの魔法使』を見た人なら誰もがドロシーに魅了された筈。
可愛くて、演技も上手くて、何よりその聞き惚れる歌声。
そんな彼女が家に帰った後(=実生活で)、悲劇的な人生を送ろうとは誰が予想出来ただろうか。
ハリウッドの子役スターの代名詞。
子役は大成しない。
華やかなショービジネスの裏で…。
そこから返り咲く。
光も陰も含めて、ハリウッドを代表する“伝説”。
ジュディ・ガーランド。
1968年、死の半年前に焦点を当てた最期の日々。
子役スターとして人気を博した後、長らく不遇だったというのは勿論知っていた。
ショービジネス界からそっぽ向かれ、過去の栄光、幾度の結婚と離婚、夫や子供たちとの複雑な関係、薬物中毒、アルコール依存、精神不安定、果ては自殺未遂…。
それらを何度も繰り返す。
知っていたつもりだったが、改めて知ると、書き並べるだけでも胸が痛いほど。
何が彼女をそうさせた…?
こういう場合、自分自身の弱さもある。
今まさしく日本のエンタメ業界で、売れっ子人気俳優の薬物使用逮捕が激震渦中。(嗚呼、この人もか…とショックだった)
何故何人も何人も、容易く道を外すのか。
業界を知らぬ凡人からすれば理解に苦しむが、業界がその人に与えるプレッシャーとは尋常じゃないのかもしれない。
ジュディの場合、子役時代からのプレッシャー。
勿論演技して歌って、光り輝いていたい。
でもその一方、普通の女の子としていたい。ポテトやハンバーガーを好きなだけ食べて、プールに飛び込んで、同い年の女の子と遊んで、男の子に恋して…。
そんな事は一切許されない! 何故なら、“ジュディ・ガーランド”は“商品”だから。
劇中にも出てきたが、敢えて名は伏せるが、超大物プロデューサーは一応ジュディに選択させる。スターとして光り輝くか、平凡でそれなりに幸せだけど行く行くは惨めな人生を送るか。
これはもう誘導尋問だ。商品になれ、と言ってるようなものだ。今ならパワハラレベル。(劇中では触れられていないが、Wikipediaで調べたら、太り易い体質のジュディを痩せ型にする為、ダイエットとして薬を服用させていたとか。ジュディの薬物中毒の要因はここから…?)
目指す者、憧れる者にとっては夢の世界、ハリウッド。
全体が無論そうじゃない。でも、ある時代やある一部では…。
ハリウッドという箱の中で無情にも翼を割かれた小鳥。
飛べず、価値ナシとなった商品は捨てられる。
ハリウッドに造られ、ハリウッドに消費され、ジュディは身も心もボロボロに…。
『オズの魔法使』の再現セットや娘ライザ・ミネリの登場などは映画ファンとしてお楽しみ。
が、一本の作品としてはちとステレオタイプ。
勿論胸に訴えるものあるが、作品のインパクトがジュディ本人の人生に完全敗北。ま、仕方ないけど。
でも、それを補ったのが…
オスカーでは実在の人物を演じると受賞し易い。
だから当初本作も、そんなジンクスの一つだと思っていた。
今は心底謝ります。
レニー・ゼルウィガー、キャリアベスト級の大熱演!
訛りも歌も完コピ。すでに『シカゴ』で美声を聞かせていたとは言え、吹替ナシの歌声とパフォーマンスはやはり圧巻!
これらは話題と見せ場の一つで、圧倒的だが、個人的には孤独で儚い繊細な内面演技こそ胸に迫った。
一番描きたかったのはここだと感じた。
ジュディは名女優だが、レニーも演技派。ステージ上のジュディ等しく、レニーの土壇場。その一挙一動から目が離せない。
こちらも話題になっているが、レニーがジュディを演じる事に数奇なものを感じた。
ご存知のようにレニーは、90年代後半から2000年代前半にかけて、飛ぶ鳥を落とす快進撃。
キュートな魅力で男女問わず魅了し、演技も上手く、どんな役もジャンルもこなせる。
『ブリジット・ジョーンズの日記』『シカゴ』『コールドマウンテン』で3年連続でオスカーにノミネートされ、『コールドマウンテン』で受賞。
誰もが羨む大絶好調!…だった。
いつの頃からか彼女を見なくなり…。
一生安定と思われていたキャリアがまさかのスランプに。
時々表舞台に出る時は、決まってゴシップ。
かつてのキュートな容姿の面影無く…。顔面崩壊とか見るも無残とか、マスゴミやSNS上のクソどもから誹謗中傷…。
個人的には2016年の『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』で久し振りに好演魅せて良かったが、それほど話題にもならず、興行的にも…。
起死回生に失敗、もうレニーも終わり…と思われた時、本作。
レニー、華麗なるカムバック! 2度目のオスカーというオマケまで付いて。
再びレニーのキャリアが安定かどうかはまだ分からないが、そんな浮き沈みのキャリアが不思議とジュディとリンク。
ジュディも不遇の時代を経て、カムバック。
受賞は逃したものの、『スタア誕生』『ニュールンベルグ裁判』で2度オスカーにノミネートされ、子役から名女優に。
仕事上では返り咲いたと言っていい。
が、私生活では…。
荒れた生活が続く。
依然アルコールに溺れ、時折仕事にも支障をきたし、生活も困窮。
そこで引き受けたロンドン公演。
こんな状態で歌えるのか…?
しかし、いざステージに立つと、その歌声で観客を魅了する。
やはり、プロなのだ。ショービジネス界の明暗をこの身で体験してきたプロなのだ。
孤独や不安に身を襲われる事がしばしば。
私は、誰からも愛されていないの…?
よく、愛されるより愛したいと言う。
が、ジュディは愛を欲していたのだ。
異論はあるかもしれない。でも彼女は、子役の頃から愛を欲していたのだ。
“ジュディ・ガーランド”という世界中で売り出される“商品”としてではなく、一人の人間として。
ゲイが“有罪”だった時代のイギリス、そんな偏見無く、ファンのゲイカップルとの交流は心温まる。あの時のジュディの顔は、心底の素と癒しだった事だろう。
クライマックス、ジュディは歌う。私からの愛を込めて。
ラストの曲は言わずと知れた“虹の彼方に”。
が、歌えない。
そんな時、客席から…。
愛し、愛され、愛され、愛し…。
その愛に応えて、歌い続ける。
歌う彼方に。
余談。
2020年9月13日。今日で、このサイトに登録してレビューを書き始めて、ちょうど丸10年となりました。
まさかこんなにも長く続くとは…! 自分でもびっくりです。
始めて書いたレビューは、『悪人』。今のダラダラ長いだけのレビューとは違って、簡潔に短く、それでもどう書くか頭を悩ましながら書いたのを今でも覚えています。
レビューを書くようになって良かったと思ってます。以前はただボ~ッと見て、ああ面白かったとか、ああつまらなかったとか、時にはすぐ忘れ覚えていない事もよくありましたが、こうやって文章にする事で、記録にもなるし、映画を見て自分が何を感じ、何を考えたか、より深く映画を見るも事が出来ました。それはつまり、より映画を見る楽しみが増えたという事にもなりました。
さてさて、これからもコツコツ頑張ってレビューを書いていこうかなと。
取り敢えず今の目標は、再見真っ只中の007シリーズ全作レビュー制覇と、来年の11年と(笑)、レビュー本数3000本です。
それから、いつも共感やコメントして下さる皆様、ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
良かったよ?レネーオスカーおめでとう。
ジュディの娘ちゃん役の子、ゲームオブスローンズのリアナ・モーモントの中の子ですね。
Eテレでやってる魔法学校ドラマにも出てるし、大活躍やね!
ジュディ・ガーランドをそんなに知らない日本人が観ているので、レネーの再現した姿への感動は薄め。
オズの魔法使を見たことあるけど、オーバーザレインボー以外そんなに好みじゃないって思ったし。
オーバーザレインボーは、多分音楽か英語の教科書に載ってて、学校で歌ったし、いろんなドラマや映画に出てくるし、とくにアリーマイラブで使われていたのがわたしには印象的です。叶わないと知っていることでも、虹の彼方にはあるかしら?と夢みることが、悲しいけど希望、みたいな。
オズの魔法使撮影時のパワハラきつい。児童虐待だし、人権侵害だし。でも過去にはわりとふつーだったってことよね。つか、今だって、この世はたいてい地獄。
でも虹の彼方を思うとき、少し救われる気がする。
ジュディを見て、救われた人が、客席から彼女を救ったラストは、圧巻でした。
レネー、オスカーおめでとう!
黄昏に架かる虹
今年のオスカーは、この作品のレネー・ゼルウィガーと「ジョーカー」のホアキン・フェニックスが主演賞を制したわけだけれど、私はこの「ジュディ」を観ながらふと、彼女もまたもうひとりの「ジョーカー」なのかもしれないと思った。
ホアキン・フェニックスが演じた「ジョーカー」は日の当たらない所でしか生きられない孤独な人間だったけれど、ジュディ・ガーランドは逆に、光の中でしか生きられない孤独な人間だったのではないかと思う。類稀な歌の才能を持ってしまったばかりに、そして舞台裏でどんな醜態をさらしてもステージに立つと否応なく光り輝いてしまうスタアの星を掴んでしまったばかりに、ステージから降りては生きられなくなってしまった悲しい人間。ショービジネスは汚い業界だと身をもって知っているのに、それ以外の場所で生きる術がないのである。
光と影とでまったく正反対の場所に立つ二人なのに同じように不器用にしか生きられない様子が、まるで背中合わせのジョーカーに思えてなんだか興味深かった。
著名アーティストの伝記映画と言えば、『夢を抱く幼少期→脚光を浴びスター街道を駆け上がる→酒・ドラッグ・セックス(これらのいずれかあるいはすべて)に溺れ凋落→再起を賭け奮起→復活』というのが最早テンプレ化している中、この「ジュディ」は子役時代の回想を挟んではいるものの彼女の最後のツアーとなったロンドン公演の日々に注目しながら、彼女の為人やその人生に思いを馳せるものとして仕上がっており個人的に好感を抱いた。ウィキペディア情報を脚本にまとめたような伝記映画とは違うようだ。
先ほど「光の中でしか生きられない者の孤独」ということを書いたが、私はこの映画を見ながら「黄昏」という言葉も同時に連想した。真昼の強い日差しは弱まり、いずれ訪れる夜に向けて空が薄暗く変わって来るような時制。それは当時のガーランドの人気とも重なるよう。
本来は誤用であるが「黄昏れる」という動詞を私たちが使う時、なんとなく物思いに耽ったようなニュアンスを感じたりするが、そう言えばこの映画のガーランドは感情的になりつつ、いつもどこか「黄昏れて」いるようでもあった。まるでもうすぐその先に「夜」が来るのを覚るかのように。
最後の"Over the Rainbow"はまさに黄昏に架かる虹だった。夜はもうすぐ目の前。「光の中でしか生きられない」ガーランドが最後に浴びた夕暮れのような朱く神々しい光。しかし空は夕暮れが一番美しい。ガーランドが歩んだ人生における「黄昏時」の美しさと切なさをしみじみと感じた。
レネー・ゼルウィガーが歌える女優なのは勿論分かっていたけれど、今回はガーランドの白人離れしたソウルフルな歌声をしっかり掴んで、魂を込めて歌唱しているのに驚いた。「シカゴ」の時とは歌唱法が全く違う。かと言って決して物真似になることなく演じているのが見事だった。
最&高
実在の人物の伝記物としても音楽的作品としても、成功している。
レネーゼルウィガーのスイートボイスも歌唱力も抜群で、物悲しいスターの晩年を見事に演じ切った。
雑感は、スターって大変なんだな。
幼い頃からショウビズ界で働き詰めでそういう時代だったのか薬漬け。繰り返す結婚と離婚。ハリウッドがもっとも華やかなりし大作が産み出された時代の闇をみた。
ジュディガーランドが性的マイノリティに理解を示していたあの時代の数少ないスターだったことから、あの有名すぎる曲「over the rainbow」が現代のLGBTQのシンボルたるレインボーフラッグ🏳️🌈に繋がったのだと知らなかったので深く感じ入った。
「トロリーソング」はジュディガーランドの歌に当て振りかな?と観ていて思ったぐらい完璧すぎたが、なんと全曲レネーが歌っているとのこと。
途中ステージで、「ここはシカゴ?」というセリフがあったのだが、あれはレネーがシカゴのロキシーを演っていたメタ的発言なのだろうか?たまたま?
ラスト、「私を忘れないでね」のセリフには、製作陣のジュディへの愛を感じて泣けてしまった。
ドリームガールズやシカゴのようなド派手作品やマンマミーヤやヘアスプレーのようなどこまでもアッパーな明るい作風のミュージカルもそれはそれでよいのだが、ちょっと陰を感じるマリオンコティアールが演じたエディットピアフのような歌曲映画は主演女優の憑依的演技と歌唱力にぐいぐい引き込まれる。ビョークはいわずもがなだ。
いまだにブリジットジョーンズや夢みがちなウェイトレス役も強く印象に残るレネーだが、コールドマウンテンから暫くしたら顔貌が一変していて、このままメグライアン風味になっていくのかと思ったが、この作品は彼女の輝かしいキャリアの中でも最高峰に位置すると思う。
やっぱりレネー大好きだ。
ラストの「虹の彼方に」で涙腺が決壊した。
子供のころから働き続けてきた。
遊ぶことも恋をすることも大人たちにがまんさせられてきた。
十分眠ることも許されずに働き、睡眠時間のかわりに大人が与えたのは覚醒剤であろう薬だった。
働き続けてもお金は残らず、住む家もなかった。
結婚と離婚を繰り返しても、男は誰も頼りにならなかった。
子供の親権も元夫にとられた。
47年の人生の晩年に近い時期、ロンドンでのステージは成功するかに思えたが、しかし酒と薬で舞台に遅刻し、舞台に立ってもパフォーマンスは安定しなかった。
そんな陰鬱な人生であるが、しかし、毎日コツコツ生きていくしかないと歌う。
そして、ラストの「オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)」は、まわりの大人たち、男たちに破滅に導かれた女性の絶唱である。「オーバー・ザ・レインボー」が来るんだろうなと予想していても泣いてしまう。さらに、歌えなくなったジュディ・ガーランドを観客が「オーバー・ザ・レインボー」の大合唱で支える。多かれ少なかれトラブルを抱える大人の涙腺は決壊するだろう(決壊した)。
スターだから闇に落ち、スターだから救われる。
ジュディ・ガーランドの伝記映画ときいていたので、もっと彼女の華々しい成功も描かれるのかと思ったら…。最初から最後まで、けっこう暗いです。レニー・ゼルヴィガー演じるジュディは見るからにボロボロ。華やかだったはずの子役時代の回想シーンも、過酷な労働環境や、周囲の大人から強いプレッシャーを受けていたことが色濃く描かれる。
だから全編にわたって、ジュディはかなり痛々しい。お酒や薬に逃げる姿、子どもの親権を求めてわめく姿、年下の恋人にのめり込む姿、ぜんぶつらい。
でも、ステージに立つと、別人のように輝く。ああこれがスターなんだ、と思いました。
ラストのステージは特に美しい。
彼女のファンの代表であるゲイのカップルの存在が効いていて。スターになるために苦しんだジュディが、ファンに救われる。
ファンにとっても、やっぱりスターの存在は救い。どんなスキャンダルがあろうと、本人がボロボロでも、そこにいるだけで、パワーを与えてくれる。
Over the rainbow
彼女の事をよく知らない。
だけど、最後の曲は良かった。
あの曲に全てを集約させるために作られた脚本のようだった。ずっと縛られていた呪いを祝福に変えたとでも言おうか…それまでの彼女は散々だった。
周囲からのリスペクトと引き合いもあるものの、常に彼女のプライドが邪魔をする。
そのプライドが生み出す寂しさというか…厄介なスパイラルに陥っているのだ。
それが産み出される過程も原因もそれなりには描いていて、自伝モノとしては良いバランスのようにも思う。
ただ…最後にあの曲が待っていようがなんだろうが物語としては終始、彼女の愚痴を聞くようでもありゲンナリする。
彼女の事を知らないから尚更だし、俺が男だから尚更なのかもしれない。
47歳で亡くなったとの事だったのだけれど、作品中の彼女を60歳くらいかなと思ってた。なので年下の男にほだされる彼女をバカだなぁとも思ってたんだけど、40代ならば納得だ。
主演レニー・ゼルヴィガーは素晴らしかった。歌唱のシーンはよく分からないのだけれど、徹頭徹尾ジュディであったような気がする。
彼女の事をよく知らない俺がそんな風に感じるのは、ステージの上で歌い上げる様だとか、脱力するようにするお辞儀の仕方だとか…彼女はステージで歌う自分を受け入れてないような気がするのだ。
出来る事ならもうやめたい。
でも、これしか出来ない、させてもらえない。そんな葛藤をラストの曲まで引きずってたように思うのだ。
ホントにラストに至るまでの壮大なネタ振りで…かの曲で一気にまとめ上げたような印象だった。
俺がジュディについて思い入れがあったなら、全然違う評価をしたかもしれない。
Hungry Clown
娘のライザが語っていると言う「ハリウッドに生かされハリウッドに殺され」と。
ただ僕はいつもClownとして踊っていたジュディの姿を観ていた。
最近のコロナウィルス感染への自粛もあるけど、
4月1日は全館1100円の日だから、映画館も賑わっているだろうと、少しは思っていた。
・・・まさか・・・この映画を見にきたのが自分一人とは。スクリーン独り占め完全貸切状態。こんなこともあるんだ。しかし、真っ暗な中で自分一人とは孤独なもの。
後ろに誰かいないのかしら・・って、いたらそれはそれで怖い状態になる。
まぁ、やはり誰もがこの自粛騒ぎで外出を手控え敬遠して映画どころではないのかもしれない。
しかし、
「どんなに不景気でも、映画を見たい人はいる」(ルイス・メイヤーの映画内のセリフ)。
そうどんな状態でも映画を見たい人はいるんだ・・と思う。
ジュディ・ガーランド。僕にとっては特別な人だ。
ひたすら孤独であり続けた大学入学の頃、ミュージカル映画” The Pirate”や” Easter Parade”は、そのあとの楽しい映画人生を作ってくれたきっかけになった。
学生時代、今はなき三越ロイヤルシアターだったかどこかの名画座だったか、観たスクリーンの中のジュディはコケティッシュだった。
そしてまた和田誠の『お楽しみはこれからだ』の数冊を何度も繰り返して読んで、その中で” A Star Is Born”を実際に観て、セリフ"Hello, everybody. This is Mrs. Norman Maine"に涙した。その時のジュディの姿はまさに毅然として凛としたものだった。
今思えば、これは本当は実生活でも彼女自身が手に入れたかった言葉なのかもしれない。
彼女の人生がSex & Drugに浸り続けたものであることは、彼女のことを知るものは誰もが知ってる。だから劇中、何かを口に含むものを見るたびに心が痛む。それがなんであろうとも。
本当に彼女が望んだのは、DrugではなくCakeだったはずだ。ほんの一口、口にしたい甘いCakeだったはずだ。Cakeは彼女が本当に手に入れたかったものだと思う。にもかかわらず、死を目の前にするまで、それを口にすることはほとんどできなかった。
劇中では、それを最後に安心して手にしたのだろうか。食べ方もわからずに、何度も皿を回す彼女の姿は哀しい。それは絶えずhungryであり続けた彼女が、最後までそれを満たすことのができなかった姿の象徴だ。そしてまた彼女はひたすら孤独であり続けた。“I’ll go my way by myself・・・・I’m by myself alone”。
レニー・ゼルヴィガー。
サントラ聞いたけど、これはあのジュディではない。ジュディを自分のものとしている!ジュディまではいかないけど(笑)、レニー・ガーランドにはなっている。
映画の中のジュディは46か47。しかし、年齢以上に老けた役作りをしたのは、実際のジュデイその人がそうであったためだろう。レニーの表情や所作の一つ一つが、蝕まれた彼女の姿を年齢以上に老いてしまわざるを得なかったジュディの姿を演じ切っていた。
もう一つ言えば・・・ミッキー・ルーニー。似ていたな!www
愛される事への渇望
幼い頃から愛されるように、愛されないと価値がない世界で生きてきたジュディ。その不安定さが見事に演じられている。演じられているというよりも本人じゃないかとさえ思ってしまう程。劇中涙が溢れて止まらなかった。これは何の涙なんだろう。うまく説明ができない。最後にテロップでこのロンドン公演の半年後に亡くなったと流れ、ほっとしてしまった自分がいた。死因の詳細は語られていなかったのでわからないが、彼女にとって愛される事を実感できたこの公演を思いながら旅立てたのではないだろうか。
涙止まらず
さすが主演女優賞取っただけある、
カメレオン役者だ、本当に。
身内に鬱病持ちがいる為、観ていて心苦しかった。
笑顔を作る直前の不自然な間とか、
でもその笑顔はやっぱり素敵で、とにかく苦しかったなー。
ラスト前でケーキを食べる際に
トラウマからか、すぐに手をつけず皿を回しながら
眺めていたシーンが妙に印象的。
正直感情移入できなかった前半から、
後半でここまで愛せるキャラクターになるとはな。
脚本もすごく上手いと思う。
オーバーザレインボー歌えない気持ち。
ベタだけど、最後の観客からのアンサー。
涙止まらず。。。
余韻を存分に残したまま、最後のテロップ。
正直観終わって寂しくてモヤモヤしてたまらない気持ちになった。
これは、ジョーカーよりもたち悪いかもw
心して観る映画です。
歌がすごくいい
本人が歌っているのか分からないが、音楽と歌っているパフォーマンスが圧巻で、魂がこもっている感じがする。人間を超えて音楽そのものになっていたかのようだった。それにしても主人公の気性難がすさまじくて、素晴らしい才能があるだけに残念だ。ミッキーがひどい人間で最悪の展開もあり得ると予感しながら見ていたら、ちょっと無能なだけで悪い人物でなくほっとした。
ジュディ・ガーランドに美空ひばりをなぞらえて見ていたので、「美空ひばりシアター」が全国展開とか、ないわ~と思う。60代かと思ったら47才だった。見ていてしんどい映画だった。
光と影を見た悲劇の歌姫
メンズデーに何かということで鑑賞
まあここのところフォーマット化しつつある
伝記ものという感じでイメージしていました
感想は
悲劇的な話ながら
レニー・ゼルヴィガーの歌唱力演技力に
ただただ圧倒される完成度でした
オズの魔法使いで世界的に有名な子役となった
ジュディ・ガーランド
その栄光の裏には映画会社に徹底管理された世界で
薬物まで用いられて人前でのパフォーマンスを要求され
精神を壊すものでした
当時はダイエット薬と称して子役にアンフェタミンを
平気で投与されていたそうです
ジュディは夢の国を飛んでいたのではなく
本当に「飛んで」いたんですね
その後ジュディは活躍しますが精神的に不安定に
なって出演やステージを拒絶したりドタキャンを繰り返し
次第に干され借金まみれになっていき
家庭も結婚離婚を繰り返し
拠り所の子供たちも親権争いに発展と泥沼化
酒と睡眠薬に溺れ私生活はズタズタ
映画はほぼ最後のステージとなったロンドン公演を
中心に回想をまじえながら進んでいきます
相変わらずステージに上がれば最高のパフォーマンスを
見せるジュディですが私生活の影響が顕著に現れ
上手くいかなくなってきたりしますがそこで出会う
様々な人に支えられていきます
ジュディは大人になってからおかしくなったのではなく
前述の通り2歳からクスリを盛ってでも無理やり
ステージに上がっていたのですからもう壊れていたわけですが
当時認められていなかった同性愛などには全く寛容だった
そうで今でもゲイカルチャーの象徴的存在
だったそうです
クライマックスで歌う「虹の彼方に」は途中で歌えなくなって
合唱に支えられて立ち直るシーンなどは感動しました
そうやって感動を与えてきた存在だったからなのでしょうね
こうしたシーンを含めレニー・ゼルウィガーの演技は
本当に乗り移ったかのようでした
アカデミー賞ノミネートもわかります
こうした伝記的作品
また作られていくのでしょうが
日本のヤツも見たいかなと思いました
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