ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
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主演のゼルウィガーとガーランドの人生が重なり合う。
天才子役としてアカデミー賞まで獲得した伝説的なスター、ジュディ・ガーランドはその後女優としての重圧に苦しみ、酒と薬物に溺れた人生を辿ることになります。本作でガーランドを務めたレネー・ゼルウィガーもまた、『ブリジット・ジョーンズの日記』や『シカゴ』で大女優としての名声を確立しながらも、ハリウッドから距離を置き、数年間の休養に入りました。この二人は、人生のある時期の状況が明らかに重なり合っています。
久しぶりにスクリーンに映し出されたゼルウィガーの容姿は、メイクによる部分も多いとは言え、人生への疲れが刻み込まれており、設定(46、7歳のガーランド)よりもかなり年老いた印象を与えます。もちろん実際のゼルウィガーは、インタビューの写真などから明らかなように、相変わらず美しいのですが。
物語でガーランドは、失意のアメリカから、まだ女優・歌手としての名声が残るロンドンへと活動の場を移します。通常の伝記映画であれば、ここから華々しい復帰劇が始まるところで、本作でもそのような流れになりかけるのですが、現実のガーランドの人生が示すように、その結末は、同じく伝記的な映画である『ボヘミアン・ラプソディー』のような爽快感とは無縁です。
ただ、だからこそ結末の味わい深さは一層増しています。本作ではガーランドの、文化的アイコンとしての要素がいくつもちりばめられています。例えばある二人の人物との逸話は、彼女が性的な多様性を受け容れている当時では数少ない著名人の一人だったことを示しています(LGBTQのシンボルであるレインボーフラッグは、ガーランドの「虹の彼方に」に因んでいるという説もありますが、これに関してはあまり有力な説とは言えないようです)。また実の娘であるライザ・ミネリとの親子関係についてもわずかではありますが言及しています。そしてもちろん、「虹の彼方に」の歌詞が終盤にさしかかるにつれ、大きな意味を持ってきます。
本作だけでも十分に感動を味わうことができますが、『オズの魔法使』(1939)を事前に鑑賞することで、彼女が当時の人々にとってどれほど重要であったかがより一層理解できるのでは、と思います。
エンドロールが示すように、本作ではゼルウィガー自身が見事な歌唱を披露しています。彼女の声質は本来、ガーランドとは全く異なっていたとのことで、本作においてどれだけの努力を重ねてきたのかが伺えます。ただ、演技をしながらの歌唱はさすがに無理だったらしく、歌は別撮りだということですが。
なお、幼少時代のガーランドを管理し、精神的に追い詰める映画スタジオの重役はアーサー・フリードといい、目を付けた女優に、役を回す代わりに性的関係を要求する「キャスティング・カウチ 」として悪名高い人物です(未成年のガーランドに対しても!)。彼がガーランドに過剰なダイエットと寝る間もないほどの仕事を課したため、彼女は薬の力を借りないと眠れなくなる薬物中毒となり、早世に繋がりました。『スキャンダル』のロジャー・エイルズと並んで、死後もその悪行を忘れるべきではない人物の一人です。
愛されていると確かめるために歌うジュディ。ジュディの歌を愛している人々。
母娘が共にオスカーとゴールデングローブを獲ってしまうって、凄い事だと思うんです。ライザ・ミネリ(ジュディの二番目の夫であるビンセント・ミネリとの間に授かった娘)は、正直"七光り"感はあるけれど。でもでもでも。キャバレーを観ると、そんな事はどーでも良くなるくらいに素晴らしいです。チャンスは七光りでも、受けた称賛はライザ・ミネリの実力。天才の遺伝子って言うと俗物感はあるけれど、この母娘を見ると、あるよね、って思います。
少女時代のMGM幹部との間の醜聞なんて、みんな知ってるよね。4度も5度も結婚と離婚を繰り返すなんざ、どんだけ?って思うよね。それでも尚、ジュディ・ガーランドが人々に愛され続ける理由はさ、アレですよ。彼女から貰った感動や夢や勇気への感謝。
言葉で言うと、そっけなく聞こえるかも知れないけれど。皆さん、記憶有るでしょ?経験有るでしょ?大好きな「レコード」を擦り切れるほど聞いた思い出。新しく作るプレイリストに、ついつい何度も選んでしまう、お気に入りの曲。そう言うやつ。大好きで大好きでたまらない歌とか歌の一節とか、映画とか映画のワンシーンとか。
ちょっと古すぎて申し訳ない気はするけど、Over the Rainbow とOZ は、そうやって人々に愛されたモノだったんでしょうね。OZは1939年の作品。アメリカはその後、太平洋を越えてアジアへ。大西洋を越えて欧州へ。WW2へ兵士を送り込みます。OZとジュディ・ガーランドの歌声は「最後の平和」を象徴するシンボルだったんかも知れまへんな。
期待値☆3くらいで劇場に出かけたんです。いや、下手すりゃスルーでも良いかなと。アカデミーで客寄せする映画は嫌いだから。スルーしなくて良かったです、マジで。レニー・ゼルウィガーの絶演には、ただただ驚嘆する。これはオスカーに値する。と言うか、まさに彼女は、この映画の全てであるし、映画の全ては彼女のためにあった。間違いなく!
火曜の深夜、ジュディを出待ちしていたゲイのカップルが泣かせ役ですよ。破壊力抜群ですよ。ヤラレマシタよ。完敗ですよ。ハンカチは最低限準備してくらはい。涙もろいあなたはハンドタオルね。俺はたまたまタオル持ってたのでラッキ!どした。
良かった!とーーーーーっても!
壊れたジュディから天才を垣間見る秀作
多くの人の心の中に生き続ける1939年の『オズの魔法使』、そしてドロシーを演じたジュディ・ガーランド。オープニングのオズの撮影セットだけでぐっときた。
亡くなる半年前に行った1968年のロンドン公演の日々をメインに、17歳でスターとなり自由を失った若きジュディを挿入する。
なんか悔しいなあ。ショービジネスが彼女の心を蝕んだ。一度壊れた心は修復が効かなかった。悔しくてたまらなかった。
ボロボロになりながらもステージに立ち観客を魅了するジュディ(レネー・ゼルウィガー )の姿に、歌に感動した。『虹の彼方に』に涙した。
しかし観る人を選ぶ作品なんだろうなあ。『オズの魔法使』を観たことがない方、ジュディの『天才』を知らない方にはキツイかも知れない。
圧巻の演技でした
エンド・オブ・ザ・レインボー
『オズの魔法使』はいまだに好きな映画だし、ここから抜け出せないでいる自分。その映画の主役であるジュディ・ガーランドの最後のライブを中心に、薬物中毒、不眠症などの苦悩を描いた作品なのです。
ハリウッドの契約により太っちゃいけないという過酷な少女時代。18時間も労働させられ、ピザもハンバーガーも食っちゃダメ!といったところも描かれていた。完全にハリウッドの黒歴史ではあったけど、結果、薬物依存になってしまったジュディ。娘のライザ・ミネリが「母を殺したのはハリウッドだ」と言わしめたほどだったのだ。演ずるレネー・ゼルウィガーは『ブリジット・ジョーンズ』で6キロ増量したり、元に戻したり、筋肉つけたりと、映画によってかなり肉体改造をこなしてきている女優なのだ。
ジュディはゴールデングローブ賞やグラミー賞を獲得しているが、ノミネートはされるもののオスカー像は手にしていない(しかし、皮肉なことに『スタア誕生』の物語の中ではしっかり手にしている)。理由として、作品中にも描かれる遅刻癖や出勤拒否などがあるらしいけど、その奔放さも彼女の魅力の一つだと思う。ちなみにライザ・ミネリも薬物中毒やアルコール依存でトラブルも多いが、彼女はアカデミー賞主演女優賞を獲得している。またブロードウェイの『シカゴ』に出演しているが、レネー・ゼルウィガーが映画『シカゴ』に出演していることも何かの“縁”なのだろう。
ジュディについては華やかな部分だけしか知らなかったし、薬物中毒の経緯やケーキを食べられない事実なんてのも初めて知った。2歳の時からステージに上がって、ステージと撮影スタジオの中で育ったジュディ。結婚、離婚、そして親権のために奮闘する姿。すべてが愛おしい存在へと昇華するのもレネーが演じてくれたおかげなのだろう。
なんだかんだ言っても、この映画ではジュディとゲイ・カップルとのエピソードが最もいいシーンであり、感動のラストでもジュディの代わりに歌い始めたのはこの二人だった。LGBTにも理解を示し、権利パレードで使われるレインボー・フラッグも「オーバー・ザ・レインボー」から着想を得たとされている。こうして色々後世に影響を与え続けるなんて、ジュディはやっぱり永遠のスタアなんだなぁ~
冒頭とラストが秀逸で、泣く。
顔半分の演技だけで惹きつけられてしまいました
レネーさんの顔アップのシーンがどれほどあったのか、それほどでもなかったのか、思い返しても良く分からないのですが、なぜか口唇の周りの筋肉が疲れてました。知らないうちに、自分もレネーさんにつられて、表情筋のひとつ、口角下制筋を意味もなく動かしていたようです。
身振り手振りが大きい訳でもなく、化粧や髪型も殆ど変わらなかったのに、気持ちの動くさまを顔の下半分だけで演じ切ったような印象を受けました。涙で流れ落ちるマスカラは覚えているのに瞳や目元の印象があまり無いのです。
じゃあ、他にはいったい何を見ていたんだろう。
事実の再現度について何も勉強してないのですが、ロンドンの男性ファン2人の部屋にはビッシリと本が詰まった本棚がありましたが、何かの研究者だったのでしょうか。意外と気になってます。
ジュディ
レニー!
スターの晩年
思った以上に重い作品でした。最近のクィーンやエルトン・ジョンの映画のような軽快なミュージカルシーンは全くなく作品カラーはかなり暗いです。
亡くなる数か月前のロンドン公演(ディナーショー)をメインに描いているので、その頃のジュディは精神的にも肉体的にも疲弊して壊れかけてます。
それでも一流の天才エンタテイナー。アカデミー主演女優賞のレネー・ゼルウィガーの演技は見事です。
やつれてボロボロになっても堂々と歌う姿は胸を打ちます。
17歳で売れた当時からダイエットや薬で身体をギリギリのところに追い込み、人生の後半は肉体も精神も限界で病むのは業界の古いしきたりを守らせていた当時の大人たちの責任ともいえるかもしれません。
47歳で散ったハリウッド黄金期のスターの晩年の生き様をご覧ください。
ラストの満足した笑顔は心に響きます。
ケーキ
ジュディは、あの時はじめて、ケーキを食べたのかもしれない。
どんなにか美味しかったことだろう。
「虹の彼方へ」は、世界で最も知られた曲のひとつだ。
単曲だったら、ビートルズの曲をも凌ぐかもしれない。
子供から大人、お年寄りまでに親しまれた「オズの魔法使い」の主題歌だからだ。
僕が幼い頃、シェリーさんがドロシー役のオズの魔法使いのテレビ劇(テレビで舞台のように物語が進行する)をやっていて、その中で、5分か10分くらい、赤と緑のフィルムの貼ったメガネをかけて観る、立体テレビという場面が設けられていた。
今の3Dみたいな進んだものではなかったが、とてもワクワクして、メガネをかけて準備していたことを思い出す。
その主題歌も、虹の彼方へだった。
アメリカのショービジネスの過酷さはよく知られたことだ。
若くしてドラッグなどで若者が命を落とすのは珍しくない。
「27クラブ」は、その代表のようなものだ。
MJもそんな犠牲者のようなものだと思う。
だが、あんな少女にまで、それほど歳も重ねていない少女にまで、過酷なトレーニングや、食事制限、薬の服用を強要していたとは夢にも思わなかった。
そして、使い捨てのような後半生。
でも、自分の子供に自由を認めて、ジュディはひとつ前に進めたのではないか。
同性愛のカップルと邂逅と共感。
シアターの人々が歌う虹の彼方へは、きっとジュディの心の奥に光を届けたのではないか。
虚構の世界に生きたとはいえ、ジュディは世界中の人々に愛されたのだと思う…、オズの中で語られるように…「どれだけ愛したかではなく、どれだけ愛されたのか」
昔、ロックシンガー27歳寿命説というのがあった。
ただ、ロックシンガーに限らず、27歳で亡くなるミュージック・アーティストが非常に多いことから、そうしたアーティストを不謹慎にもカテゴリー化して「27クラブ」と呼ぶようになった。
中でも有名なのは、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(ギタリスト)、ジミ・ヘンドリックス(ギタリスト)、僕の大好きなドアーズのジム・モリソン(ボーカル)、ここ数年で映画化されたのでは、ニルヴァーナのカート・コバーン(ボーカル)、女性のシンガーにはジャニス・ジョプリンとエイミー・ワインハウスがいるし、スタートレックの若返ったチェコフや昨年公開のサラブレッドのティム役のアントン・イェリチンは不慮の事故で亡くなったが、実はロック・グループのギタリストだ。
ただ、医学専門家によると、こうしたミュージック・アーティストは、作品を生み出すことへの自分自身や商業主義のプレッシャー、現実と虚構の格差、自身の指向の変化とファンの求めるものの差、才能への疑問が膨らんだり、ストーキング行為などで常にエッジに立っているような状況で、アルコールや、違法なドラッグに逃避する傾向は高く、また、周りとの軋轢で暴力事件に巻き込まれることも少なくない等の理由で、若くして亡くなる傾向は他の職業に比べてかなり高いのだそうだ。
しかし、同時にこれは、27歳に限らず、若くして亡くなるアーティストは多く、ジュディも例外ではないし、MJや、ジャズのチェット・ベイカーも割と長く生きたとはいえ、薬物から逃れることは出来なかった。
おそらく、これからもミュージック・アーティスト達の、才能を搾って搾って、更に搾り出すような苦悩が、続く一方、ショービジネスは華やかさだけを伝える続けるのだろう。
そして、ジュディは、これからも色々な形で残り続けるのだ。
歌う時は大きく口を開けるべし
☆☆☆☆ 〝 少女は虹を追いかけた〟 ジュディ・ガーランド=虹の彼...
☆☆☆☆
〝 少女は虹を追いかけた〟
ジュディ・ガーランド=虹の彼方に
なのでしょうが、彼女にはもう1つの虹に関する名曲があり。私はこちらの方がどちらかと言えば好きな曲なのです。
♬虹を追いかけて♬
https://youtu.be/taVYJgrr3JI
本日(3/7日)本編を鑑賞しました。
多少の勘違いレビューと参考映像を挙げておきたいと思います。
いきなりではありますが、映画のクライマックス場面の話を。
どうしても、ジュディ ・ガーランドのフアンとしては、ここの場面に触れない訳にはいかないので。野暮を承知でちょっとだけm(._.)m
フアンとしては待ちに待たされた約2時間。遂にこれこそが本当のジュディ ・ガーランドだ!と言える♬カム・レイン・オア・カム・シャイン♬
続けて、不朽の名曲♬オーバー・ザ ・レインボー♬がやっと流れる。
正真正銘の本物!歌手ジュディ・ガーランドと言えばとにかくコレ!
https://youtu.be/nnslgdNb1Ts
続けざまに歌うのは♬オーバー・ザ ・レインボー♬を歌う場面。彼女は過去を遡って、静かに振り返る様に座って歌う。
この映画の製作にあたって、どれだけの真実が映像化されているのか?は多少疑問は残るところ。
ロンドンでのコンサートで、本当に座って歌ったのか?セットリストは?客との罵り合いのバトルが本当にあったのか?等。
(彼女のスターとしてのプライド等を考えると、如何にもありそうではありますが)
おそらくは、↓ このコンサート映像の場面を参考にして撮影されたのでは…と。
https://youtu.be/ss49euDqwHA
今から30年以上前に、この時のコンサート映像の輸入ビデオを買い。この♬オーバー・ザ ・レインボー♬をの映像を見た時はボロボロに泣いてしまったものでした。
正直に言えば、ジュディ・ガーランドの映画が製作…と聞いて思ったのは。
「どう考えても鬱映画にしかなり得ない!」
…って事でした。
その昔に、「ハリウッドのピーターパン」とゆう、ハリウッドの子役で活躍した子供達の話の本を読んでいた為に。ジュディが痩せ薬と言われて薬物中毒になって行く事も知っていたし。何よりも、晩年の話にフォーカスしてしまうと。最後の夫になるのは単なるヒモ男であるのを知っているだけに(´-`)
(意外と途中までは、人の良い男として描かれてはいましたが)
大体、彼女が薬物中毒になってしまうキッカケが。痩せ薬として与えられていたアンフェタミンとは言え、その後に彼女が1番輝いていた時期の恋愛事情にあった。
映画本編ではその事にはっきりとは触れていない。僅かに『アンディ・ハーディ』シリーズで共演したミッキー・ルーニー(当時のマネーメイキングスター)とのコンビで、2人は全米ナンバー1の理想的なカップルに選ばれた時のエピソードが少しだけ描かれているだけだった。
映画の中では「ミッキーにフラれた」…と、語ってはいたが。実際に彼女が、薬物とアルコールに溺れて行くのは。当時、彼女がJAZZミュージシャンとの交流を始めて、夜な夜な遊び始めた1942〜3年辺りから。
当時のJAZZミュージシャンの間には薬物が蔓延していた事で、次第に彼女も過剰に摂取する事となる。
そして最大の原因!それこそ、当時結婚寸前までの間柄だったアーティ・ショーとの破局。
しかも彼女は、当時『美人劇場』で共演したラナ・ターナーを勝手にライバル視していたのだが、そのラナ・ターナーとアーティ・ショーが電撃的に結婚した事から精神が崩壊してしまったのか?ドンドンと薬物とアルコールの過剰摂取に拍車が掛かってしまう。
まあ流石に、そこまで詳しく描いてしまうと。映画本編自体が、ダラダラと長くなってしまうのを嫌ったのでしょうが。
ミッキー・ルーニーとのオフショット
https://youtu.be/OfPwOU8sUEA
映画は彼女が借金に追われ、その日の寝る場所に苦労する場面から始まる。
過去のワガママ放題が祟り。人気はあるが仕事がない日々。いずれは家族ひとつ屋根の下で暮らしたい。だからやむを得ずにロンドンでの仕事を承知する。
ジュディ・ガーランドと言えば♬オーバー・ザ ・レインボー♬に他ならない。
この歌こそは、当時のアメリカにとっての《家族》であり《故郷》を象徴するキーワードとなっていた。
戦時中のラジオショーから。
戦地で戦う兵士達へ向けて録音され。命を賭けて国の為に戦う彼等にとっては、数少ない楽しみの1つであっただろうと想像出来る。
https://youtu.be/XB7-_eSI-Ak
〝 家族と一緒に暮らしたい 〟
映画は後半に向けて、彼女が家族を取り戻そうと戦い奮闘する。しかし、なかなか理想とする生活が送れない。望むとか望まないとかに関わらず、彼女は根っからのエンターテイナーだけに、ステージの上でしか輝く事が出来ない悲しさ。1人の母親として生きて行く事を周りが許してはくれない!いや寧ろ、彼女の方から。知らず知らずのうちにのうちにステージで歌うレールを敷いてしまう。
そんな彼女のフアンとして登場するのがゲイのカップル。
彼女が、当時は虐げられていたマイノリティーの人達への良き理解者だった…とゆう理由からですが。
本当に、このカップルとの交流が、ロンドン公演当時にあったのか…も。映画化に於いての脚色の様な感じはするものの、作品の締めくくりとして実に感動的な場面に昇華されていました。観ていて、思わず涙腺が崩壊してしまったのも事実。
このカップルは、最後に重要な役割を果たす事になるのですが。彼女に対して「64年には行けなかった!」と話すのが、〝エンターテイメントに於ける最高の夜〟と言われた。彼女のカーネギーホールライブの話。
グラミー賞を受賞したこのアルバムこそは、全てのエンターテイメントのまさに最高峰。
映画の中で観客が熱唱するのも、彼女のコンサートでは定番で。このアルバムに於ける会場の盛り上がりは圧巻の極み。
(↓ 最後にこのアルバムを貼っておきます。ミス・ショービジネスと言われた彼女の凄さを感じてください)
そもそもこのゲイのカップルが登場し、仲良く過ごす1夜。この時の♬ゲット・ハッピー♬の使い方の素晴らしさからして感動的でした。
(↓ 下の方に、映画公開前に記していた♬ゲット・ハッピー♬に関する考察を)
作品本編は、確かに楽しい作品ではないだけに。作品賞等の評価は高くならないのは致し方ないのだろう…と。
それでも、ジュディ・ガーランドのフアンとしては、予想していたよりも良い作品だったので安心した…との思いが本音。
但し、ジュディ・ガーランドに興味のない人が観たならば。ドッと疲れてしまう作品ではないでしょうか。
主演のレニー・ゼルヴィガーの熱演はアカデミー賞に相応しく。話題の歌声よりも、何気ない仕草・顔のパーツの細かな動かし方等は本当に素晴らしかった。
何よりも感慨深いのは。1度はハリウッドを追われてしまったジュディ・ガーランド。
しかし、その後に『スター誕生』で奇跡的な復活で見事なカムバックを果たす。
だが…。
アカデミー賞当日。何らかの〝 不穏な動き 〟によって、大本命の彼女は再び失意のどん底へと突き落とされてしまう。
それを知るだけに、彼女の悔しさをレニー・ゼルヴィガーが今回受賞した事で、天国に居る彼女の想いが叶った…のだと、ジュディ・ガーランドフアンとしては思っていたい。
『スター誕生』プレミア上映の映像。
《ジュディが帰って来た》あの時、彼女はカムバックを果たし人生絶頂の時だった。
↓ 約30分の超ロングバージョンです。
https://youtu.be/7OqOCYzqrOg
【♬ゲット・ハッピー♬への道のり】(この考察は少し長くなります)
ジュディ・ガーランドのベストパートナーは映画監督のチャールズ・ウォルターズだ。
https://youtu.be/3XiHNF2ofZs?list=RDIp88WsCkYKg
日本未公開『プレザンディング・リリーマーズ』から。
ジュディのダンスパートナーを務めているのは、後に名作ミュージカル『イースター・パレード』で監督をすることになるチャールズ・ウォルターズが俳優時代に出演した映像。
『美人劇場』から 。ジュディがメインとなったダンスナンバー。
https://youtu.be/Ip88WsCkYKg
当時のミュージカル映画では。美女を囲みながら、男性ダンサーが周りを踊るダンスナンバーが数多く作られ。作品に彩りを添えながら、女優さんの魅力を引き出す役割を担っていた。
以前に、ジュディのダンスパートナーを務めていたチャールズ・ウォルターズは、監督に挑戦するにあたり。映画『ジークフェルド・フォリーズ』の中で。ジュディが出演する場面で初めてダンスナンバーを演出し監督デビューを果たす。
(ダンスナンバーと言うよりは寸劇に近いのだが💧)
https://youtu.be/gchF_zzmOjk
監督としての経験も積み。『イースター・パレード』で、名実共に名監督となったチャールズ・ウォルターズ。
『ジークフェルド・フォリーズ』での初演出では、必ずしも彼女の魅力を引き出す事には至らなかったのを反省し。再びジュディの魅力を更に引き出す為に、『雲流るる果て』で男性ダンサーに囲まれながら踊るジュディのダンスナンバーを演出する。
ちなみにこの映像で、動きが止まっているのは編集でカットされた場面。
https://youtu.be/qb3UkB3JVZY
そして『サマー・ストック』で、チャールズ・ウォルターズは遂に彼女の魅力を最大限に引き出すナンバー♬ゲット・ハッピー♬を演出する。
https://youtu.be/q7d0NRewzW4
しかし、このコンビも。彼女がMGMを解雇された事で終わりを遂げてしまうのだった。゚(゚´Д`゚)゚。
グラミー賞を受賞した1964年 カーネギーホールのライブアルバム
https://www.youtube.com/playlist?list=PLtpFM3sDaV_gA7QfNrH01Upo1ppGvwUdm&feature=share
2020年3月7日 TOHOシネマズ日本橋/スクリーン12
栄光と擦り切れた精神
エンターテイメントの世界で輝く人は、どこかバランスが取れなくなっておかしくなっていく。その世界のことはよくわからないけれど、映画になっているだけでもたくさんあり、現実にはそれ以上のニュースになって流れてくる。「ロケットマン」(エルトン・ジョン)、「ボヘミアン・ラプソディ」(フレディ・マーキュリー)、「ラブ&マーシー」(ブライアン・ウィルソン)などなどなど。
本作のジュディ・ガーランドもそのひとりであることが、改めて知らされる。子役時代から無理なスケジュールで仕事をさせられ、大人の都合で眠らないよう太らないよう薬を飲まされ、現在なら虐待となる環境で仕事を詰め込まれる。側から見ていると、サーカスの動物と大差ない。確かにそのおかげで、世に名が知れ、人々の喝采を浴びるが、それが本当に幸せにつながるかといえば、そうでもなさそうだ。グラミー賞出席の前日に亡くなったホイットニー・ヒューストンもそうだ。映画「ホイットニー」でも、薬への依存は当たり前のように描かれていたが、ショービジネスの世界の、心身を削ってアウトプットを出させ、そのために才能が失われるのは、そうしたエンタメを、消費する側として、とても居心地の悪さを感じる。
このような厳しい人生を送ったジュディを、レネー・ゼルウィガーが見事に演じ、アカデミー賞を獲得。彼女の人生の終盤、かつての煌きが薄れた、歳を重ねてきたエンターテイナーの不安と焦燥は、見ているだけで痛い。しかし、ひとたび舞台に上がれば、それまでの虚な目は輝きを取り戻し、しわがれた声は圧倒的な歌を紡ぎ出す。体に叩き込まれた芸が自然と周囲を魅了する。それが彼女の無理な芸能活動の産物とわかるので、歌が素晴らしければ素晴らしいほど、余計に悲しい。そんな擦り切れてしまった人生を、見事に表現したレネーの演技には、確かにオスカーの評価が値する。
英国に渡ったジュディをマネージャーとして、クールに見守るロザリン役のジェシー・バックリーも良かった。彼女の若さとクールな眼差しが、ジュディの歳や擦り切れ具合を際立たせて、ストーリーを落ち着かせていた。
ジュディの人生を象徴する形で締め括られるラストシーンは、ジーンときた。しばらくしたら、もう一度観てみたいと感じた作品だった。
J・ガーランドを理解出来るか否かで評価が別れる
雨が降ろうが、晴れようが。
全168件中、121~140件目を表示