ジュディ 虹の彼方にのレビュー・感想・評価
全173件中、121~140件目を表示
脳裏から離れないジュディ
終盤思いがけず号泣してしまった。
奔放で複雑なジュディにすっかり惹き付けられていたことに最後になって気付いた。
とにかくレニーに魅せつけられる作品。
アカデミー主演女優賞納得の演技です。
おめでとうレニー!
The name on everybody's lips is gonna be RENEE!
すみませんただ言いたかった 笑
7クローゼットの中の夢
見るか見ないか
迷われている方は参考までにどうぞ👇🏻
見た後口ずさまずにはいられない!
さぁ〜むうぇ〜ぃおーばざれいんぼー🌈🌈
早速ですがアカデミー賞主演女優賞を受賞した
レネー・ゼルウィガーについてお話を🕵️♀️
彼女の代表作と言えば「シカゴ」
「ブリジット・ジョーンズの日記」など
個性的な演技を披露したものばかり。
彼女の顎をすくめて口をすぼめ、
目をきょろっとさせる仕草は
どの役にも当てはまるというか…
その仕草だけで
彼女自身がその役にぴったり当てはまることを
象徴しているように感じます。
(↑ニホンゴムズカシイ)
どの役にも違和感なく演じ分けることが出来る才能を持ちながら、、、そういった彼女だけの味を出すことができる、、、素晴らしい女優さんです。
(↑🤷♂️??ニホンゴホントにムズカシイネ)
\是非見てみてください/
彼女の素晴らしい演技は映画好きだけに
とどまらすきっと、
初めて彼女を見た人の心を惹きつける!
と私は思います😉🍽
ストーリーについては
予習が必要…という声もありますね。
ジュディの苦悩がこの映画全てに詰まっているとは
確かに言えないですね。
ネタバレがない程度の予習であったり
ジュディが実際に歌っている映像もありますので
それを見てから映画館に足を運んでみては?
🌟私はクローゼットの中に入って子供達と遊ぶ
シーンがだいすきです!!
あのシーンにジュディの夢が溢れてる気がして
序盤にも関わらず感動してしまいました。
もし私が彼女に虹の架け橋をかけてあげることが
出来るならば
あのクローゼットに向けて
かけてあげたい…
余談
私はブリジットの大ファン…
ブリジットファンの中では有名な話ですが、
ブリジットとはイギリス人女性の設定
(作品自体がイギリス設定)
しかしレネーはアメリカ人です。
日本人にとって英語はどの国の人が話しても
同じに聞こえますよね?
ただ彼女はアメリカなまり封印し、
この作品の中では
全てイギリスなまりの英語を話しています。
この女優魂たまりませんね…
それに図々しい役柄が多いですが
実際の彼女の話し方はもーう優しい優しい笑笑
人としても女優としても素敵な人ですね
(↑今回私褒めすぎかな)
レニーが圧巻の演技に魂が震えました
全身全霊とはこのことか!!
アカデミー主演女優賞、レニーゼルウィガーさん、さすが!本当にすごい。全身全霊とはこのことか!!
「主演女優賞や男優賞の映画は作品がいまいち」という俺の思い込みは吹き飛ばされた。
いいよ~、これ!!!!!
ファンの男性二人と過ごした一夜、そこからつながるエンディング。いま思い出しても泣ける...もうそこだけで十分という感じ。
ただ、そう思えるのは、全体がよくできているからだろう。幼い頃からスターとして育ち、自由も、眠る時間もろくにない薬漬けの毎日。それが故の不眠症
悩まされながらも、子供たちへの愛情を支えに、必死でその日暮らしを続ける毎日。ままならぬ晩年を必死で生きる姿。
正直に言うと、その生き方に共感する部分は少なかった。だが、別に彼女が選んだ道ではない。彼女に与えられたというか放り込まれた環境であり、彼女はそこを必死に生きてきただけだ、と感じた。現在の彼女と過去を、時間を前後しつつ描写しながら、それを感じさせるのは、うまい作りだなあと感心した。
心はどれだけ愛したかよりも、どれだけ愛されたかだ。
ぜひ劇場でご覧ください。
ここにもJの悲劇
ジュディ・ガーランドに、そんな思い入れは正直ない。
オズの魔法使いくらいしか知らない。
なのでノーマークではあったけれど、主演女優賞獲ったとあれば、
そりゃーもう良い画質、良い音質で見ておきたいでしょw
ということで、悲劇のシンガー、ジュディ・ガーランドもまた、
「Jの悲劇」の一人なのだなぁと思いながら見ました。
レネー・ゼルウィガーがとにかく本人かと何度も見間違うくらいに、
迫力ある熱演と熱唱をするので、
なんでそんなにあんたはメンヘラちゃんなんだよ!!
あの時、太ったおじさんが言った「あの扉」を開けたなら、
今頃フツーのおばさんで、子供や孫に囲まれて幸せだったろうにと思っても、
そこは、この才能を持って生まれた人間のサダメ。
もう、痛いし苦しけど私たちは、見守ることしかできない。
まるで一番近しい友達なのに、なんにもしてあげられなかった虚無感が、
私たちに深く残る作品でした。
レネー本人が希望したのか、それとも偶然か、
劇中出てきたゲイの話は、本当に耳を疑ったし、
この人たちがいたから今があるんだと実感もした。
本当に私たちは、多くの犠牲の上に立っている。
夢をかなえることが決していいことではない。
希望を持つことが、大切なのだ。
47歳で、たったひとりで亡くなったジュディ。
彼女が犠牲にしたものに感謝して、
フツーの幸せを噛み締めます。
主演のゼルウィガーとガーランドの人生が重なり合う。
天才子役としてアカデミー賞まで獲得した伝説的なスター、ジュディ・ガーランドはその後女優としての重圧に苦しみ、酒と薬物に溺れた人生を辿ることになります。本作でガーランドを務めたレネー・ゼルウィガーもまた、『ブリジット・ジョーンズの日記』や『シカゴ』で大女優としての名声を確立しながらも、ハリウッドから距離を置き、数年間の休養に入りました。この二人は、人生のある時期の状況が明らかに重なり合っています。
久しぶりにスクリーンに映し出されたゼルウィガーの容姿は、メイクによる部分も多いとは言え、人生への疲れが刻み込まれており、設定(46、7歳のガーランド)よりもかなり年老いた印象を与えます。もちろん実際のゼルウィガーは、インタビューの写真などから明らかなように、相変わらず美しいのですが。
物語でガーランドは、失意のアメリカから、まだ女優・歌手としての名声が残るロンドンへと活動の場を移します。通常の伝記映画であれば、ここから華々しい復帰劇が始まるところで、本作でもそのような流れになりかけるのですが、現実のガーランドの人生が示すように、その結末は、同じく伝記的な映画である『ボヘミアン・ラプソディー』のような爽快感とは無縁です。
ただ、だからこそ結末の味わい深さは一層増しています。本作ではガーランドの、文化的アイコンとしての要素がいくつもちりばめられています。例えばある二人の人物との逸話は、彼女が性的な多様性を受け容れている当時では数少ない著名人の一人だったことを示しています(LGBTQのシンボルであるレインボーフラッグは、ガーランドの「虹の彼方に」に因んでいるという説もありますが、これに関してはあまり有力な説とは言えないようです)。また実の娘であるライザ・ミネリとの親子関係についてもわずかではありますが言及しています。そしてもちろん、「虹の彼方に」の歌詞が終盤にさしかかるにつれ、大きな意味を持ってきます。
本作だけでも十分に感動を味わうことができますが、『オズの魔法使』(1939)を事前に鑑賞することで、彼女が当時の人々にとってどれほど重要であったかがより一層理解できるのでは、と思います。
エンドロールが示すように、本作ではゼルウィガー自身が見事な歌唱を披露しています。彼女の声質は本来、ガーランドとは全く異なっていたとのことで、本作においてどれだけの努力を重ねてきたのかが伺えます。ただ、演技をしながらの歌唱はさすがに無理だったらしく、歌は別撮りだということですが。
なお、幼少時代のガーランドを管理し、精神的に追い詰める映画スタジオの重役はアーサー・フリードといい、目を付けた女優に、役を回す代わりに性的関係を要求する「キャスティング・カウチ 」として悪名高い人物です(未成年のガーランドに対しても!)。彼がガーランドに過剰なダイエットと寝る間もないほどの仕事を課したため、彼女は薬の力を借りないと眠れなくなる薬物中毒となり、早世に繋がりました。『スキャンダル』のロジャー・エイルズと並んで、死後もその悪行を忘れるべきではない人物の一人です。
愛されていると確かめるために歌うジュディ。ジュディの歌を愛している人々。
母娘が共にオスカーとゴールデングローブを獲ってしまうって、凄い事だと思うんです。ライザ・ミネリ(ジュディの二番目の夫であるビンセント・ミネリとの間に授かった娘)は、正直"七光り"感はあるけれど。でもでもでも。キャバレーを観ると、そんな事はどーでも良くなるくらいに素晴らしいです。チャンスは七光りでも、受けた称賛はライザ・ミネリの実力。天才の遺伝子って言うと俗物感はあるけれど、この母娘を見ると、あるよね、って思います。
少女時代のMGM幹部との間の醜聞なんて、みんな知ってるよね。4度も5度も結婚と離婚を繰り返すなんざ、どんだけ?って思うよね。それでも尚、ジュディ・ガーランドが人々に愛され続ける理由はさ、アレですよ。彼女から貰った感動や夢や勇気への感謝。
言葉で言うと、そっけなく聞こえるかも知れないけれど。皆さん、記憶有るでしょ?経験有るでしょ?大好きな「レコード」を擦り切れるほど聞いた思い出。新しく作るプレイリストに、ついつい何度も選んでしまう、お気に入りの曲。そう言うやつ。大好きで大好きでたまらない歌とか歌の一節とか、映画とか映画のワンシーンとか。
ちょっと古すぎて申し訳ない気はするけど、Over the Rainbow とOZ は、そうやって人々に愛されたモノだったんでしょうね。OZは1939年の作品。アメリカはその後、太平洋を越えてアジアへ。大西洋を越えて欧州へ。WW2へ兵士を送り込みます。OZとジュディ・ガーランドの歌声は「最後の平和」を象徴するシンボルだったんかも知れまへんな。
期待値☆3くらいで劇場に出かけたんです。いや、下手すりゃスルーでも良いかなと。アカデミーで客寄せする映画は嫌いだから。スルーしなくて良かったです、マジで。レニー・ゼルウィガーの絶演には、ただただ驚嘆する。これはオスカーに値する。と言うか、まさに彼女は、この映画の全てであるし、映画の全ては彼女のためにあった。間違いなく!
火曜の深夜、ジュディを出待ちしていたゲイのカップルが泣かせ役ですよ。破壊力抜群ですよ。ヤラレマシタよ。完敗ですよ。ハンカチは最低限準備してくらはい。涙もろいあなたはハンドタオルね。俺はたまたまタオル持ってたのでラッキ!どした。
良かった!とーーーーーっても!
壊れたジュディから天才を垣間見る秀作
多くの人の心の中に生き続ける1939年の『オズの魔法使』、そしてドロシーを演じたジュディ・ガーランド。オープニングのオズの撮影セットだけでぐっときた。
亡くなる半年前に行った1968年のロンドン公演の日々をメインに、17歳でスターとなり自由を失った若きジュディを挿入する。
なんか悔しいなあ。ショービジネスが彼女の心を蝕んだ。一度壊れた心は修復が効かなかった。悔しくてたまらなかった。
ボロボロになりながらもステージに立ち観客を魅了するジュディ(レネー・ゼルウィガー )の姿に、歌に感動した。『虹の彼方に』に涙した。
しかし観る人を選ぶ作品なんだろうなあ。『オズの魔法使』を観たことがない方、ジュディの『天才』を知らない方にはキツイかも知れない。
圧巻の演技でした
エンド・オブ・ザ・レインボー
『オズの魔法使』はいまだに好きな映画だし、ここから抜け出せないでいる自分。その映画の主役であるジュディ・ガーランドの最後のライブを中心に、薬物中毒、不眠症などの苦悩を描いた作品なのです。
ハリウッドの契約により太っちゃいけないという過酷な少女時代。18時間も労働させられ、ピザもハンバーガーも食っちゃダメ!といったところも描かれていた。完全にハリウッドの黒歴史ではあったけど、結果、薬物依存になってしまったジュディ。娘のライザ・ミネリが「母を殺したのはハリウッドだ」と言わしめたほどだったのだ。演ずるレネー・ゼルウィガーは『ブリジット・ジョーンズ』で6キロ増量したり、元に戻したり、筋肉つけたりと、映画によってかなり肉体改造をこなしてきている女優なのだ。
ジュディはゴールデングローブ賞やグラミー賞を獲得しているが、ノミネートはされるもののオスカー像は手にしていない(しかし、皮肉なことに『スタア誕生』の物語の中ではしっかり手にしている)。理由として、作品中にも描かれる遅刻癖や出勤拒否などがあるらしいけど、その奔放さも彼女の魅力の一つだと思う。ちなみにライザ・ミネリも薬物中毒やアルコール依存でトラブルも多いが、彼女はアカデミー賞主演女優賞を獲得している。またブロードウェイの『シカゴ』に出演しているが、レネー・ゼルウィガーが映画『シカゴ』に出演していることも何かの“縁”なのだろう。
ジュディについては華やかな部分だけしか知らなかったし、薬物中毒の経緯やケーキを食べられない事実なんてのも初めて知った。2歳の時からステージに上がって、ステージと撮影スタジオの中で育ったジュディ。結婚、離婚、そして親権のために奮闘する姿。すべてが愛おしい存在へと昇華するのもレネーが演じてくれたおかげなのだろう。
なんだかんだ言っても、この映画ではジュディとゲイ・カップルとのエピソードが最もいいシーンであり、感動のラストでもジュディの代わりに歌い始めたのはこの二人だった。LGBTにも理解を示し、権利パレードで使われるレインボー・フラッグも「オーバー・ザ・レインボー」から着想を得たとされている。こうして色々後世に影響を与え続けるなんて、ジュディはやっぱり永遠のスタアなんだなぁ~
冒頭とラストが秀逸で、泣く。
顔半分の演技だけで惹きつけられてしまいました
レネーさんの顔アップのシーンがどれほどあったのか、それほどでもなかったのか、思い返しても良く分からないのですが、なぜか口唇の周りの筋肉が疲れてました。知らないうちに、自分もレネーさんにつられて、表情筋のひとつ、口角下制筋を意味もなく動かしていたようです。
身振り手振りが大きい訳でもなく、化粧や髪型も殆ど変わらなかったのに、気持ちの動くさまを顔の下半分だけで演じ切ったような印象を受けました。涙で流れ落ちるマスカラは覚えているのに瞳や目元の印象があまり無いのです。
じゃあ、他にはいったい何を見ていたんだろう。
事実の再現度について何も勉強してないのですが、ロンドンの男性ファン2人の部屋にはビッシリと本が詰まった本棚がありましたが、何かの研究者だったのでしょうか。意外と気になってます。
ジュディ
レニー!
スターの晩年
思った以上に重い作品でした。最近のクィーンやエルトン・ジョンの映画のような軽快なミュージカルシーンは全くなく作品カラーはかなり暗いです。
亡くなる数か月前のロンドン公演(ディナーショー)をメインに描いているので、その頃のジュディは精神的にも肉体的にも疲弊して壊れかけてます。
それでも一流の天才エンタテイナー。アカデミー主演女優賞のレネー・ゼルウィガーの演技は見事です。
やつれてボロボロになっても堂々と歌う姿は胸を打ちます。
17歳で売れた当時からダイエットや薬で身体をギリギリのところに追い込み、人生の後半は肉体も精神も限界で病むのは業界の古いしきたりを守らせていた当時の大人たちの責任ともいえるかもしれません。
47歳で散ったハリウッド黄金期のスターの晩年の生き様をご覧ください。
ラストの満足した笑顔は心に響きます。
ケーキ
ジュディは、あの時はじめて、ケーキを食べたのかもしれない。
どんなにか美味しかったことだろう。
「虹の彼方へ」は、世界で最も知られた曲のひとつだ。
単曲だったら、ビートルズの曲をも凌ぐかもしれない。
子供から大人、お年寄りまでに親しまれた「オズの魔法使い」の主題歌だからだ。
僕が幼い頃、シェリーさんがドロシー役のオズの魔法使いのテレビ劇(テレビで舞台のように物語が進行する)をやっていて、その中で、5分か10分くらい、赤と緑のフィルムの貼ったメガネをかけて観る、立体テレビという場面が設けられていた。
今の3Dみたいな進んだものではなかったが、とてもワクワクして、メガネをかけて準備していたことを思い出す。
その主題歌も、虹の彼方へだった。
アメリカのショービジネスの過酷さはよく知られたことだ。
若くしてドラッグなどで若者が命を落とすのは珍しくない。
「27クラブ」は、その代表のようなものだ。
MJもそんな犠牲者のようなものだと思う。
だが、あんな少女にまで、それほど歳も重ねていない少女にまで、過酷なトレーニングや、食事制限、薬の服用を強要していたとは夢にも思わなかった。
そして、使い捨てのような後半生。
でも、自分の子供に自由を認めて、ジュディはひとつ前に進めたのではないか。
同性愛のカップルと邂逅と共感。
シアターの人々が歌う虹の彼方へは、きっとジュディの心の奥に光を届けたのではないか。
虚構の世界に生きたとはいえ、ジュディは世界中の人々に愛されたのだと思う…、オズの中で語られるように…「どれだけ愛したかではなく、どれだけ愛されたのか」
昔、ロックシンガー27歳寿命説というのがあった。
ただ、ロックシンガーに限らず、27歳で亡くなるミュージック・アーティストが非常に多いことから、そうしたアーティストを不謹慎にもカテゴリー化して「27クラブ」と呼ぶようになった。
中でも有名なのは、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(ギタリスト)、ジミ・ヘンドリックス(ギタリスト)、僕の大好きなドアーズのジム・モリソン(ボーカル)、ここ数年で映画化されたのでは、ニルヴァーナのカート・コバーン(ボーカル)、女性のシンガーにはジャニス・ジョプリンとエイミー・ワインハウスがいるし、スタートレックの若返ったチェコフや昨年公開のサラブレッドのティム役のアントン・イェリチンは不慮の事故で亡くなったが、実はロック・グループのギタリストだ。
ただ、医学専門家によると、こうしたミュージック・アーティストは、作品を生み出すことへの自分自身や商業主義のプレッシャー、現実と虚構の格差、自身の指向の変化とファンの求めるものの差、才能への疑問が膨らんだり、ストーキング行為などで常にエッジに立っているような状況で、アルコールや、違法なドラッグに逃避する傾向は高く、また、周りとの軋轢で暴力事件に巻き込まれることも少なくない等の理由で、若くして亡くなる傾向は他の職業に比べてかなり高いのだそうだ。
しかし、同時にこれは、27歳に限らず、若くして亡くなるアーティストは多く、ジュディも例外ではないし、MJや、ジャズのチェット・ベイカーも割と長く生きたとはいえ、薬物から逃れることは出来なかった。
おそらく、これからもミュージック・アーティスト達の、才能を搾って搾って、更に搾り出すような苦悩が、続く一方、ショービジネスは華やかさだけを伝える続けるのだろう。
そして、ジュディは、これからも色々な形で残り続けるのだ。
歌う時は大きく口を開けるべし
全173件中、121~140件目を表示

















