「Hungry Clown」ジュディ 虹の彼方に critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)
Hungry Clown
娘のライザが語っていると言う「ハリウッドに生かされハリウッドに殺され」と。
ただ僕はいつもClownとして踊っていたジュディの姿を観ていた。
最近のコロナウィルス感染への自粛もあるけど、
4月1日は全館1100円の日だから、映画館も賑わっているだろうと、少しは思っていた。
・・・まさか・・・この映画を見にきたのが自分一人とは。スクリーン独り占め完全貸切状態。こんなこともあるんだ。しかし、真っ暗な中で自分一人とは孤独なもの。
後ろに誰かいないのかしら・・って、いたらそれはそれで怖い状態になる。
まぁ、やはり誰もがこの自粛騒ぎで外出を手控え敬遠して映画どころではないのかもしれない。
しかし、
「どんなに不景気でも、映画を見たい人はいる」(ルイス・メイヤーの映画内のセリフ)。
そうどんな状態でも映画を見たい人はいるんだ・・と思う。
ジュディ・ガーランド。僕にとっては特別な人だ。
ひたすら孤独であり続けた大学入学の頃、ミュージカル映画” The Pirate”や” Easter Parade”は、そのあとの楽しい映画人生を作ってくれたきっかけになった。
学生時代、今はなき三越ロイヤルシアターだったかどこかの名画座だったか、観たスクリーンの中のジュディはコケティッシュだった。
そしてまた和田誠の『お楽しみはこれからだ』の数冊を何度も繰り返して読んで、その中で” A Star Is Born”を実際に観て、セリフ"Hello, everybody. This is Mrs. Norman Maine"に涙した。その時のジュディの姿はまさに毅然として凛としたものだった。
今思えば、これは本当は実生活でも彼女自身が手に入れたかった言葉なのかもしれない。
彼女の人生がSex & Drugに浸り続けたものであることは、彼女のことを知るものは誰もが知ってる。だから劇中、何かを口に含むものを見るたびに心が痛む。それがなんであろうとも。
本当に彼女が望んだのは、DrugではなくCakeだったはずだ。ほんの一口、口にしたい甘いCakeだったはずだ。Cakeは彼女が本当に手に入れたかったものだと思う。にもかかわらず、死を目の前にするまで、それを口にすることはほとんどできなかった。
劇中では、それを最後に安心して手にしたのだろうか。食べ方もわからずに、何度も皿を回す彼女の姿は哀しい。それは絶えずhungryであり続けた彼女が、最後までそれを満たすことのができなかった姿の象徴だ。そしてまた彼女はひたすら孤独であり続けた。“I’ll go my way by myself・・・・I’m by myself alone”。
レニー・ゼルヴィガー。
サントラ聞いたけど、これはあのジュディではない。ジュディを自分のものとしている!ジュディまではいかないけど(笑)、レニー・ガーランドにはなっている。
映画の中のジュディは46か47。しかし、年齢以上に老けた役作りをしたのは、実際のジュデイその人がそうであったためだろう。レニーの表情や所作の一つ一つが、蝕まれた彼女の姿を年齢以上に老いてしまわざるを得なかったジュディの姿を演じ切っていた。
もう一つ言えば・・・ミッキー・ルーニー。似ていたな!www