「愛されなかった子どもが最後に深く愛される物語」ジュディ 虹の彼方に りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
愛されなかった子どもが最後に深く愛される物語
1968年前半。
『オズの魔法使』『スタア誕生』で大スターとなったジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)。
しかし、いまは映画出演のオファーもなく、ふたりの子どもを連れての巡業ショウでホテル暮らし。
金回りも悪く、馴染みのホテルからも追い出される始末。
そんなとき、いまだ根強い人気が残るロンドンからショウの依頼が来、ふたりの子どもを元夫のシド(ルーファス・シーウェル)に預け、ロンドンに渡るが・・・
といったところからはじまる物語で、ジュディが現在のような落ちぶれた情況になってしまったのは、子ども時代から薬物摂取、それも周りの大人たちから摂取させられていたという回想を交えて、ロンドンでの舞台が交互に描かれていきます。
とにかく圧巻なのが主演のレネー・ゼルウィガーのパフォーマンス。
決して似ているわけではないのだけれど、渾身の歌唱シーンでの横顔はジュディそのもの(といっても、ジュディの映画は他には『イースター・パレード』ぐらいしか観ていないが)。
こんなに歌の上手い役者さんだったのか!との驚きもそうだが、地の部分の演技も相当。
受賞は当然といえるでしょう。
薬物依存・アルコール依存の影響で何度も何度も舞台をすっぽかしそうになる(実際、何度かすっぽかすのだが)あたりのストレス度は超々といったところかしらん。
このストレス度合いは、ワンオペ子育てマザーには、わかる、実感!って感じではないかしらん?
(一緒にしないで、って声も聞こえそうだけど)
映画は、幾度のすっぽかしを経て、最後の最後、お払い箱になった後にステージに上がって2曲歌うのだけれど、曲は『降っても晴れても』とサブタイトルの『虹の彼方に』。
後者が最後の歌になるだろうというのは、サブタイトルでもわかるのだけれど、ロンドンへついてリハーサル場の教会に連れていかれたジュディが、「わたしは音合わせは不要」と断る冒頭のシーンで、伴奏のピアニストが「Some-where」の最初の2音を鳴らしたシーンで、「あぁ・・・」と思って涙が出ました。
なので、最後の歌唱では落涙当然でした。
もうひとつ、いいなと思ったエピソードは、ジュディファンのふたりの中年ゲイカップルとのシーン。
娘のライザ・ミネリがゲイアイコンなのは知っていましたが、ジュディもそうだったのね。
このカップルのひとりが、歌えなくなったジュディに、「Somewhere Over the Rainbow」と歌いかけるところでも、胸熱になりました。
映画のラストシーンのあとに出る「どれだけ愛したかではなく、どれだけ愛されたか」の字幕、最後にほんとうに深く愛されたジュディは幸せだったのだと思いました。