「苛立ち」サスペリア バガーハッハ紙さんの映画レビュー(感想・評価)
苛立ち
アルジェント監督のサスペリア鑑賞済みです。
褒めている人が多いのであえて書きます。
まず、この作品はファンアートだなと思いました。
たくさんの偶像がそのまま抜き出されて混ざり合っておらず、単に深読みを促すための簡単な手段に甘んじているように感じられたからです。
劇中のティルダ・スウィントンの容姿、仕草は明らかにピナ・バウシュを模すように演出され、部屋に貼ってあるファスビンダーのポスターや、ファスビンダーと対になるテロ事件。ナチス、ユダヤ、壁、ラカン、どれも自室のコレクション棚から抜き出してきて、そのまま筋に合わせて配置しただけのように僕には思えました。オリジナルのサスペリア自体もそんな偶像の中の一つだろうと思います。どの素材にも重さが感じられないので、結局コレクション棚にすら陳列する気のないものたちを簡単な連想で取り出してきただけのようにも思える。
固有名詞をこねくり回すにしても、名詞の間の繋がりを断ち切る覚悟があればオリジナルとは別の形式として飛躍する可能性が残されていたはずで、そういう路線は突き抜ければ十分に強い作品になりうると思います。
今作はポエジーの不足と思いきりの悪さで、結局は物語ることの中に引きこもってしまっており、映画や観客の枠組み自体を最終的な言い訳にしているように思えました。
作り手の先導役であった崇拝の対象を越えようとする手段の一つが「リメイク」だと思いますが、引きずられる可能性はやっぱり大きいのではないでしょうか。「リメイク」することを決めた先に、なぞることを恐れて必要以上の反発をするのは引きずられて同じ道を辿ってしまうのと同じことだと思います。
古文を現代語訳するような「リメイク」の実際的な必要性。オマージュの類の「リメイク」が持つ、継承ゆえの返答。どちらもこの作品にはなかったです。
あともう一つ、最後に悪者を一瞬で爆死させる善者としての絶対の母が登場しますが、そんな絶対者が現実には存在しないがために、あらゆる紛争や戦争は非難される余地を残しているのであって、こんな風に簡単に処理してしまうのはいかがなものかと思いました。頭を吹き飛ばす前に、彼女ら魔女にも、ダンサーの娘たちに尋ねたように、生死の選択をさせるべきだったのではないでしょうか。
罪に苛まれるおじいちゃんを救ったのもこの母神でしたが、そんな風に希望を人間にとって都合の良い神に託すのはどうなんでしょうか、、。ラストシーンの壁もしかりです。