Merry Christmas! ロンドンに奇跡を起こした男のレビュー・感想・評価
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映画の構成が好き。傑作だねこれ!
傑作だね。これは。
ホールマークのクリスマス映画はわざとらしいくて、(ファンには申し訳ない)ハリウッドのはクラッシックは観てもいいけど、時代錯誤が花花だしい。そのほかはありきたりで、今年はどんなクリスマスストーリーを観ようか散々迷って、 バイオッピックのような描き方であるこのチャールズ・ディケンズに焦点を置いてみた。
この脚本はレス・スタンディフォード(Les Standiford,)という人の書いた2008年のチャールズ・ディケンズをもとにしていると読んだ。
1843年という古の話だが、かなりわかりやすく描写され、話は前後するし、想像の世界にも入るが、何が起きているのだろうと試行錯誤することは一切なかった。この現実、幻想、過去の思い出が含まれている。
オリバースイフトから始まって、クリスマス・キャロルへと。その後、デビット・カッパーフィールドは駅員の名前から来ているのがわかる。全ての内容は傑作クリスマス・キャロルが出来上がるまでだ。また彼は人の名前を大事にして、その名前を本の中に登場させているのがよくわかる。
例えば:
ペンディントン駅で駅員がチャールズ・ディケンズさんだろう。最後の、(Martin) Chuzzlewit 、俺、赤ん坊のように泣いたよ!
ここでディケンズは駅員の名前を聞く。
カッパーフィールド!と答える。
これがDavid Copperfield(1850)になる。
クリスマスイブにぴったりの心の葛藤を、そして解決法を描いたいい作品だ。好きなところと感激したところを書くつもりだ。
好きなところは:
チャールズ・ディケンズは批判的思考能力が強く、まず最初のシーンはそれがよく出ている。ディナー、パーティー、集会.....と終わりがない。フレンドリーで親切で、情熱的で、エネルギーがあって.....バーンと仕掛け花火のようなものが会場で.....ディケンズは思わず.....家に帰りたいと。(爆笑)手放しでディケンズを賛美しているアメリカ国民を批判している言葉が愉快で、今ならロックスター扱いでコメディだね。
1843年、帰国してからも彼はもうすでにどこでも有名で、新作に取り掛かれなく、頭の中は考え事でいっぱいで、それが、支離滅裂になっている様子がよく出ている。生活も大変で、ちょっと神経を患っちゃったようで、幻想の中で「クリスマス・キャロル」の登場人物スクルージたちに会う。
感激したところ:
最後のシーンでスクルージが:このような状態で死にたくないよ。.ディケンズが遅いよというけど、スクルージは『遅くないよ。クリスマスの精神を讃えるよ。そして、それを一年中保っているよ。自分の死ぬ前に何かいいことをさせて。一緒に何かいいことができる』と。
ディケンズは家に帰り最後のチャプターをかく。
Stave 5: The End of It
Taraが: 『スクルージがティムがよくなるように助けた。そして、ティムはスクルージが良い人になるよう助けたんでしょ』と。
お互いの助け合うことの大切さをクリスマスのストーリーにしたことと、人間はいつでも変われることを教えてくれた心に残るクリスマスの話だ。
クリスマスだけじゃないけどね。
ファンタジーと人間ドラマのナイスなブレンド
ダウントンアビーのマシュー(ダンスティーブンス)がディケンズ、
クリストファープラマーがスクルージっていうのにひかれてみました。
で、てっきり字幕だと思っていたら、京都では吹替しかやってなくって、
チケット買ったら(吹)となっていて、ひぃって思いましたが気を取り直してみました。吹替悪くなかったです(普段海外ドラマは吹替派なんだから、映画だって吹替でそう悪いわけじゃないってわかってるんですが、映画では少し吹替を差別しちゃってよくないなって思いました)。
現実と虚構がごっちゃまぜなんだけど、不思議と混乱せず夢中で見ました。かなり面白い部類かと思います。
わたしは、あのお父さんにやさしくできないです。
お金にだらしないくせに見栄は張る。そのしわ寄せは全部息子に押し付けながら、自分はにんきものおじいちゃん。
もちろん悲しみもたくさん隠しているんでしょうが、それだったとしても、やさしくできない。
チャールズも結構気分屋だし、お金に困っているわけだけども。
スクルージが現れてから、小説の住人がだんだん増えていって、舞台劇の様相になっていくあたりが面白く、
また、チャールズの闇の描写も胸に突き刺さる映画でした。
9歳で一人だけ働きに出させられるって、それは嫌だよ。
クリスマスは昔っから盛大に祝っていたのではなく、クリスマスキャロルの流行の後に流行ったんだっていうのにびっくりです。
伝統行事とか宗教行事も、興隆があるんだなっていうか、
結局信仰というよりは、流行でありレクリエーションなんだよねーって改めて思いました。
スクルージはチャールズの闇を移す鏡なんだよね。
そして観客の闇でもある。
父の悪いところだけでなく、よいところ、与えてくれた良い影響を見出すことで、チャールズはもやもやを克服し、クリスマスキャロルをハッピーエンドにできた。それはそれでいいんだけど、そんなスパっと行くかね?とは思いました。
過去の幽霊と同じひとだったメイドちゃんがかわいらしかったです。
汚れた大人が観てはいけない映画でした
タイトルは知らなくても内容を言えば「ああ、あの話し」と思い出せる『クリスマス・キャロル』誕生の物語。
現実と空想が混じり合い、『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージを通して原作者チャールズ・ディケンズの過去や現在、その内面を描いた物語なんだけど……ダメな大人なので突っ込みが止まりません。
さっきも書いたように守銭奴スクルージとディケンズが対話しながら小説『クリスマス・キャロル』と同時進行で映画が進む。
何故ディケンズは人を信じず、金儲けばかりするようになったのか?
脳内のキャラと会話しながら自分を見つめ直すのはいいよ。
それはそうと、手を動かせ!寝るな!ハイハイ!さっさと書く!
そして、本当にこれ無理だわ!なったのは、買い物依存症のディケンズのお父さん。
お母さんは「お父さんも苦しんでるの……」とおっしゃりますが、見てると買い物依存症が治らないのは家族の甘さが原因では?
本当に母ちゃんも姉ちゃんもよく父ちゃん許せるな。
まぁ、この時代に依存症なんて病気として認知されてないから治療のしようも無いし、家庭崩壊しても治らないんだから現代でもこの父ちゃん無理だわ。
父ちゃんも自分の浪費癖で家庭崩壊させて、なんで自分は愛されてると思う?
例えばの話し、親の借金で風俗に売られ、返し終わった後に、その原因の親とまた暮らそうとなんて思えないし、親とも思えない。
おまけに「いや~大変な目に遭ったわ。……で3万ちょうだい」言われたらクリスマスの幽霊じゃなくて私が名前が彫られてない墓に親ぶちこむ。
ウチの両親が普通で本当に良かった!
『クリスマス・キャロル』のテーマの様に人は失敗しても変われるし、やり直せる。
やり直せるけれど仏の顔も3度まで。
右の頬叩かれたら相手の左頬を抉るように打つべしと、許しの心に限度を設ける人にはこの映画向きません。
ディケンズを主人公にした「クリスマス・キャロル」リメイク作と思えば
「クリスマス・キャロル」を執筆中のディケンズの姿と、「クリスマス・キャロル」のストーリーとを重ね合わせるようにして映画にする手法は、シェークスピアと「ロミオとジュリエット」を並走させた「恋におちたシェークスピア」や、J.M.バリーと「ピーターパン」を並走させた「ネバーランド」など、連想できる作品は多数ある。ただいずれもこの映画ほどにはフィクションではなかっただろう(「恋におちたシェークスピア」はフィクションの要素も大きいが、きっとこの映画ほどではなかったはずだ)。何しろ土台が「クリスマス・キャロル」である。この映画では、ディケンズ本人がスクルージと化して、過去の記憶や現在の出来事などから、過ちに気づきそして新作「クリスマス・キャロル」を書き上げるまでを描いている。これはさすがに厳密に伝記映画とは呼びにくいだろう。その手法で彼の伝記映画を作るのであれば、半自伝小説とも言える「デイヴィッド・コパフィールド」を使わなくては。だからこの映画は、ディケンズを主人公に置き換えた「クリスマス・キャロル」のリメイク作品、とでも思っておくのがちょうどいいかもしれない。つまりはファンタジーである。
この映画は、「クリスマス・キャロル」をストーリーの下敷きにして、「クリスマス・キャロル」を書くディケンズを重ねるようにして描くという着想だけがすべてで、つまるところそれ以上のものは見受けられない。ここで描かれた執筆の苦悩がどこまで信憑性のあるものかも分からないし、この作品内でディケンズが「クリスマス・キャロル」を執筆している様子も、クリストファー・プラマーなど空想の中の登場人物が動き出して起こる出来事を書き留めているだけのような見え方をしており、(クリストファー・プラマーらはあくまでディケンズの空想であるとは言えども)ディケンズの内側から生み出された物語であるという実感に乏しい。「恋におちた~」や「ネバーランド」が筆者が自らの羽ペンを動かして書いた物語だと感じられるのに対して、この映画は誰かの力によって動かされた羽ペンをディケンズは掴んでいただけのように見えてしまった。
とは言え、このクリスマスシーズンに観るに実に相応しい世界観の物語なので、さすがに毎年「クリスマス・キャロル」を見るのもなんだかね・・・?と思ったらこの作品で少し気分の違う形で名作を楽しむのもいいかもしれない。終盤にかけてはクリスマス気分を高めてくれる素敵な演出も忘れずに施してくれている。いくらかの不満もあったけれど、見終わった後で「クリスマスの気分を味わえてよかった!」と素直に思えた。出来れば今度は正統な形でディケンズの伝記を見てみたい気になった。
最高の結末の作り方は自分自身を変えること
良かった、以外に。クリスマス商戦のベタ甘シナリオも覚悟してましたが、緻密に作り込まれたディケンズ伝記でした。が、これアメリカ映画?疑問に思う気持ちは、見ればわかります。
史実は不明ですが、クリスマスキャロルのラストは「ティムは病死。スクルージは業突く悋気のまま」だったと。なんやそれ、普通の悲劇やん?奇跡感ゼロだし。
小説のモニター役はアイルランド人のメイド、タラ(設定は12歳くらい)。タラは異議を唱えます。スクルージが生き方を変え、ティムを救えば良いと。
ここからが見どころ。「生き方など変えられない」とは、ディケンズ自身がトラウマに捕らえられており、自分自身の魂を解放できないから。物語は、ディケンズがオノレを乗り越え小説を完成させるまでの話、パートナー達と一緒にね。
トラウマを克服した、自分を変えることに克ったディケンズは最高の幸せを手に入れました、チャンチャン!つー映画です。
ちなみに吹き替えで鑑賞。市村スクルージ、最高でした。尚、クリスマスキャロルは観ておくか、読んでおくかは必須と思います。
本(活字)好きに捧ぐ…
アクションもCGも、ましてや3Dもない純文学的な映画。
日本が幕末を控える頃、大英帝国では産業革命が落ち着き、アヘン戦争に勝利する中、社会が貧困と成功に二分されつつあった。
アメリカ大陸に歓待されるほどの売れっ子作家になったディケンズは、スランプを脱出すべく新作に取り組むのだが…
邦題や『クリスマス・キャロル』からのイメージで観ると肩透かしをくう。
ファンタジーではあるかも知れないが、エンターテイメントではない。
自己の才能と直感を信じて出版社と仲違いをし、借金をして己で挿し絵師を雇い、版元に掛け合う。タイムリミットは6週間、クリスマスまでに出版することがベストセラーになる必要条件。
その絶体絶命な環境で、天才は正気と狂気のバランスを失っていく。
狂気ゆえに現れた「スクルージ」は天才の魂の闇の体現だろう。
「君となら傑作を書ける!」という言葉は、自分自身との対話である。
正気を失った天才は、家族、友人、周りの親しい人々を苦しめ、傷つけ、自分をも追い詰めていく…
ついに幼少期に繋がる自己の闇を見つめ、自己の分身と思えるスクルージの為の名のない墓石を目の前にして、自問自答の末にたどり着いた歓喜とは…
この映画は、作家の産みの苦しみを通して、言の葉の持つ力と、今をどう生きるかという命題を描き出している。
映像作品であるが、本好き、活字好き、物語が好きな皆さんにこそ響く映画だと感じる。
「愛と恥の間で揺れながら生きるのが人間さ」この台詞、字幕オリジナル脚本ではどのような文になるのだろう〔日本語吹替版にて鑑賞〕
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