「無垢で無知でどうしようもなく愛おしい」追想 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
無垢で無知でどうしようもなく愛おしい
一日も持たずに終わった新婚生活。ハネムーンの最中に若きカップルを襲った悲劇を描いた今作は、ちょっとわかりにくい部分はあるものの、「愛しているからこそ乗り越えられなかった」過去と、過ぎ去った時だけが許容できる痛みを描いている秀作だと思う。
夫婦として初めての夜を迎える二人、フローレンスとエドワードの、初々しい様子から映画は始まる。ぎこちない素振りでベッドルームへと移る二人の緊張を緩めようとするかのように、フローレンスは急にエドワードに話をするよう求める。
そこから二人がどんな風に愛を深めていったかが語られる構成だ。
出会いやデートの様子は、仲睦まじいカップルそのものなのに、この初夜の緊張感は何だろう?
フラッシュバックするフローレンスの記憶。はっきりとは語られないが、父親との間に何か性的な忌まわしい過去があったように思える。
エドワードが父親とテニスをするくだりも、「絶対に勝ってはダメ」と釘を刺していたり、その後の父親の激昂ぶりを見たりすると「この父親は、何かヤバそう」と思わせるには十分だ。
階級社会のイギリスで、二人は出自も志向も違う。惹かれあって一緒に時を過ごし、互いの思うことや家族のことを語り合って、受け入れあって、そうやって結婚までたどり着いた、若くてイノセントな愛。
精神的に高まる愛の一方で、肉体的な愛の欲求は満たす術もわからず入り口で立ち止まったままだ。
フローレンスにしてみれば、苦い過去の記憶と愛の持つ汚らわしい一面への不安がどうしても拭えないでいる。
「結婚するのに幸せそうに見えない」彼女は、結婚の先にある「愛の営み」への憂鬱さから逃れられていないのだ。
今から思えば、早すぎるディナーすらも、その後に控えている二人の「儀式」をせっついているように感じる。
思いきって自分が抱えて苦しんでいるものの正体をエドワードにぶつけられれば、この恋の結末は違ったものになっていたかもしれない。
でも愛していたからこそ、自分の汚らわしい部分をどうしてもエドワードに話せなかった。
身勝手すぎるとエドワードに責められても、「悪いのは私」と言うことは出来ても、その先は言えない。
彼女が性愛への呪縛から解き放たれるのは、父親が他界した後の話なのである。
生涯最高の恋は?と聞かれれば、あの人のことを思い出す。そういう意味の「追想」なのだろう。
出会った時が違っていたなら、きっと二人は幸せになれたはずだ。
歳をとった後になれば、自分の無垢さと無知さを痛感することだろう。
「あの恋」が素晴らしいものだったと互いに認識し合うエンディングは、ほろ苦い余韻に満ちていた。あの日、別の人生を歩み出した二人が再び恋の余韻に浸れたことは、ささやかながら幸せなことだったと、そう思う。