「若者が身近な人の死をどう理解し、乗り越えるかについての話」チワワちゃん m kさんの映画レビュー(感想・評価)
若者が身近な人の死をどう理解し、乗り越えるかについての話
演劇オタクなので成河さん(バーテンダーのゲイお兄さんシマ役)目当てで観に行った。私は知ってるんだ、若者の生死の対比を描いた青春映画は大体良作だって…
・チワワちゃんにおいて誰があの子を殺したか?何故彼女は死んだのか?は重要ではない。整合性ある脚本を求める人はそこが気になるかもしれないけど、そこに意味はない。だってきっと、「彼女は実はこんな素顔が…のっぴきならない理由が…」みたいな立派な理由はない。なにも社会派で重厚な筋が通った映画だけが素晴らしいわけではない。(普段はそういうのが好きだけど)
・若者のあまりに危うい青春、刹那的な衝動、生の隣にある死を描いた作品としては「ロミオとジュリエット(原作)」「夜空はいつでも最高密度の青色だ」「香港製造」あたりの青春物語に近い味わいだった。あまり映画見らんから詳しくないけど。
・この映画は、若者が身近な人の死をどう理解し、乗り越えるかについての話。飢えや病気、戦争なんかに生命を脅かされる可能性が最も少ないであろう現代になっても、変わらず「死」は唐突に身近に現れる。日常の延長線上にある死。
特に若者は肉体的には死に最も遠い存在。彼らが他人の死に出会う瞬間があるとすれば、テレビの中。殺人事件や災害、テロ事件等が遠い世界の出来事のように報じられる。(爆破テロの映像がテレビで流れてたよね)
・でも若者だって死について考える。考えざるをえない。チワワちゃんが死んで彼女に関わった人たちは、きっと大なり小なりモヤモヤした感情を覚えただろう。この気持ちをどうしたらいいのか持て余していただろう。彼女の死とその複雑な感情に向き合うために、チワワちゃんとの思い出を語るという行為が、きっと彼ら彼女らには必要だったんだ。その思い出は美しいものばかりではないけど、彼女は確かに生きていた。そして今はいない。
それを確認するための物語だから、「彼女の真実は…」みたいなカタルシスはこの作品に必要ない。事実は存在せず、解釈だけが存在する。
・だからこそ、ラストで海に花束を投げるシーンが泣ける。冒頭の近親者の葬式(千脇良子用)とは異なる、残された友人たちなりの“チワワちゃん”の葬式であり送別。「またみんなに会いたいな」と言っていた彼女のための。
これも若者たちがチワワちゃんの死を乗り越え、明日を生きるために必要なことだったんだ。皆、青春そのものであるチワワちゃんを内包・同化しながら、大人になっていく。過去には戻れないけど、きっと彼ら彼女らの側を、あの日の、財布を盗んだチワワちゃんが全速力で駆け抜けていく。(一緒に並走しているイメージ。)泣くしかない。
(海に花束を投げるという儀式は、津波被災地の遺族も行ってるよね。あと、身近な人の死を理解するという文脈では、「永い言い訳」「若おかみは小学生!」「風の電話~残された人々の声~」とかを思い出した。)
・チワワという少女は青春・自由・死・東京の象徴なんだ....と思ったけど、この考え方は彼女を実態ある人間扱いしてないね。うだつの上がらないミキの憧れや嫉妬心はよく分かるんだけど、チワワの価値観が自分とあまりに違いすぎて、彼女を自分と同じ人間と思ってないみたいなとこある。
・チワワちゃん、激しく移り変わる若者文化の、2018年時点の結晶の保存って感じ。ファッションもメイクも音楽も話し方も、他人との距離感や死生観、空気感も含めて。きっと100年後にはファッション史、コミュニケーション言語学等において貴重な資料になっていることでしょう。と博物館課程出身者は思った。あの生々しい空気感や会話は、ある種の小劇場の雰囲気に似てる。たまらん。
・この映画で描かれるのは理想的な恋愛ではない。健気に愛し合う恋人たちもいない。皆、不完全な生身の少年少女たちだから。ふとしたきっかけで繋がったりちょっとしたことで離れたりという緩やかな連帯。そのリアルな距離感がいいなあ。私はあんな青春は送ってないので、半分ファンタジーとして見ていたけど、同行したパリピ先輩によると「クラブの雰囲気や、ああいう人間関係はあるあるやで」とのこと。
・千脇良子ではなく「チワワちゃん」というアイコンありきの人間関係。本当の自分とは違う「幸せで充実している魅力的な自分」の仮面。だから本当のチワワちゃんは誰も知らない。パリピではない自分もそれは同じだし、Twitterには付き合いは長いけど本名すらあやふやな友達は沢山いる。SNS世代の人格形成。
・チワワちゃんは時代のアイコンでもあるよね。若い女の子がここまで自由に、誰にも指図されること無く好きなように生きている。今までの抑圧された女性像ではなく、ああいう風に振る舞う女の子はきっとこの時代では普通にいるはず。そういう意味で「チワワちゃん」は、自立した格好いい女性ではないが、まごうとなき現代の女の子。
・チワワがAVに出ていたこと、乱交パーティをしていたことも否定的に描かなかったのがすごく好感度高かった。「不純だ」と眉をひそめる大人もいるかもしれないけど、チワワは立派な20歳の女性なのだから、彼女が自分の身体をどう使うかは彼女の自由。
・関係ないけど、映画見終わって外に出たら、雨の中に街のネオンが輝き、濡れた道路にその光が乱反射していて、隣には綺麗な女先輩がいて、映画と地続きの世界にいるようで、ウワーーーッ東京!20代の思い出!!青春!!!エモ!!!!という謎興奮に包まれたのでチワワちゃんはシャブ。
・【成河さん】
チワワちゃんにはふたりの大人が出てくる。片方が悪い大人(カメラマン)、もう片方が良い大人(シマくん)。成河シマさんは主役のティーンズ達を付かず離れず見守るポジション。これから大人になり社会へ出て行く若者たちを食いつぶす大人もいれば、見守り支えてくれる大人もいる。社会の良い側面の象徴。