「飽きるが、最後まで見ると謎を考える資格が与えられる」教誨師 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
飽きるが、最後まで見ると謎を考える資格が与えられる
人間社会の根源的問題に迫る作品。
死刑囚という特殊な人々に対し、その行いに向き合わせるために存在する国の矯正プログラムを題材にしている。
教誨師は囚人が信じている宗教のほか一般教誨があるが、作品ではキリスト教の牧師が主人公となっている。
ボランティアという枠にしてはあまりにも重い仕事で、たびたび囚人たちの感情が高まってしまうこともある。
物語は、たくさんいる死刑囚の様々な思いや認識、そして主張を聞く教誨師佐伯が、彼らが思いつめるまでに至る過程と自分自身の過去を重ねていくと同時に、死刑囚と自分自身との境界線がわからなくなってゆく。そして主人公は、この教誨師という仕事は、死刑囚に対するものではなく、自分自身を見つめ直す機会になっていることに気づく。
死刑囚タカミヤが、執行直前に佐伯に抱き付いた。頑なに心を閉ざしていた彼の闇に寄り添ったことに、タカミヤは佐伯にだけ感謝を伝えたのだろう。この瞬間、佐伯はいいようのない感覚を覚えたに違いない。それは決して自分の仕事に対する達成感などではなく、タカミヤが初めて人に対して見せた感情の言葉があまりにも聖なるものに思え、それを佐伯自身が受け取っていい資格はないという葛藤となったのではないかと思った。
そして、
文字の読み書きがおぼつかない囚人が渡した紙切れに書かれた言葉が、この作品の主題。
「あなたがたのうち、だれがわたしにつみがあるとせめうるのか」
これはイエスが大衆に言った言葉と同じで、この文字を見た後、佐伯は歩いて拘置所に戻り始める。
タカミヤの聖なる言葉と、彼の書いた言葉。救っていると思っていた方が、実は救われていた。真逆の世界。裁くものが裁かれている。真逆で矛盾した社会。佐伯はこのことに気づいたのではないのだろうか?
佐伯が拘置所で何をしたかったのか、それはおそらくこの作品を手掛けた大杉漣さんのこの社会に対する矛盾への思いだろう。
それは、大衆に対する表現として、決して明確に言葉にできない類のものだと思う。
作品が伝えたいことが最後に出されるが、教誨師と囚人たちのやり取りが延々に続くので視聴する方としては飽きてくるのが難点だが、最後まで見届けられるのであれば、考えさせられるいい作品だと思う。
何よりも、佐伯が感じたことがダイレクトに言葉として表現されていないことで、それを考えさせるように作られているところがよかった。