「いろいろな見方ができる」教誨師 キッスィさんの映画レビュー(感想・評価)
いろいろな見方ができる
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気になっていた作品。
1つのシチュエーションで会話だけで成り立っている。舞台のような作り方。
面接室での時系列はカレンダーとスーツやネクタイでのみ分かる。同じものであれば同日の話である。
6人のうち4人はある程度罪状が話の中で分かってくる。
教戒をホントに望んでいるのだろうか。話し相手が欲しいだけなのか。そういう人もいれば、教戒によって洗礼受けるまでに(宗教的)回心する人もいれば、食って掛かる挑戦的な人もいる。
教戒にはこれという正解はないのがよく分かる。
自分より弱い立場の17人を殺していた青年は教戒という立場を諦めた時点から変化していく。執行日には立ち上がれないほどの恐怖におののいているのを見ると、強がっているのをまとった弱い人間であるのが露わになる。プロセスはいろいろあるにせよ、露わになってそれを自覚していくのが教戒であろう。
文盲の人は冤罪の可能性も秘めて終わった。文字を学習ことで何かを訴えかけたかったのだろう。
父親が教誨師しているが、普段は守秘義務がある内容だけに詳細は聞かないが、こういうことをやっているのか、と垣間見たような気分である。
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