「「心が楽んなるのはあんただろ?」」教誨師 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「心が楽んなるのはあんただろ?」
俳優大杉漣のプロデュースとして遺作となった本作、本人の並々ならぬ力は充分、スクリーンに表現されていた。
拘置所内でのシーンがそのストーリーの殆どで、これをスタンダードの画角で撮影されている。そしてラストのシーンで初めてビスタサイズに変わるところも、閉鎖と開放のメタファーなのかもしれない。
経験が浅い教誨師と、6人もの一筋縄ではいかない死刑囚達との或る意味“攻防戦”が戦い毎にシーンが切り替わるように進んでいく。わざと死刑を遅らせるようにでっち上げの殺人事件を話たり、自分でもホントか嘘か分らないまま幻を話す女、これ又ストーカー殺人を思い違いしている男や、屁理屈ばかりの大量殺人魔、そして、人の良い男と、無学故に人につけ込まれた老人・・・
ある人間は自身の正統性を、又ある人間はその犯罪に対する無自覚等々、確かにまともでは自分の置かれている立場を受け止められない程の重大な事実を引き起こしたその罪と罰をまったくもって昇華できぬまま最期の時を待つ“モラトリアム”をこの新米教誨師にぶつけ続ける。その日々の中で、教誨師もまた、幼い頃の兄への罪悪感故の迷いが影を落とす。
映画作品なのである程度のオチが必要であり、着地点を設けようと考えたのだろうが、良く言えば他の作品のオマージュ的要素、又、唐突なホラー的要素や、霊的表現等々、盛り込みすぎたことが悩ましい。なるべく一人の死刑囚のケースに固執しないように散らすことで、人間が人間を殺すというその原罪に広く一般的なテーマを持たせたいと思ったのだろう。しかし、やはり、その老人のもしかしたら神の生まれ変わり?的想像力の持たせ方とか、どうしても表現過多が否めないのである。
6人の中ではやはり屁理屈をこね回す青年との対峙が一番迫真を得ていると思うので、ここを掘り下げる作りでもよかったのではないだろうか。
いずれにせよ、ラストシーンの意味合い、これは、自分では正直不勉強故、理解困難であった。鑑賞後にネットでのネタバレ記事で理解出来た位、今作品、非常に鑑賞するのに疲れる。過剰なドラマティックさはなく、複雑な心理描写が次々と小波レベルで襲ってくるので、整理できぬまま、時間が過ぎていくのだ。あのホームレスの老人は、教誨師に渡したグラビアページに書いた平仮名『あなたがたのうち、だれがわたしにつみがあるとせめうるのか』をどう解釈させようと思ったのか、その究極の問題に対しての答えは一生掛かっても出ないのであろうが、もう少し整理された構成ならば腑に落ちたかも知れない。大変難解で哲学性たっぷりの作品である。
故人のご冥福お祈り申し上げます。