「6人との会話から問う、死刑制度の是非」教誨師 Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
6人との会話から問う、死刑制度の是非
教誨師。"きょうかいし"と読む。今年2月に急逝した大杉漣さんの"最後の主演作品"にして、初めてエグゼクティブ・プロデューサーも務めている。まさに思い入れある作品が遺作となってしまった。
"教誨師(きょうかいし)"とは、受刑者に対して、徳を教え諭し、心の救済へと導く宗教家のこと。国内では、刑事収容施設法に基づいて法的に規定されているが、ボランディアである。宗教もさまざまで1,000人以上の教誨師がいる。
大杉漣が演じる佐伯は、半年前から死刑囚の教誨師を務めているキリスト教の牧師。佐伯が出会う6人の死刑囚との対話が、拘置所内の同じ接見室を舞台に展開される。
原案・脚本も務める佐向大(さこう だい)監督の綿密に作られた設定が秀逸だ。6人それぞれの死刑囚の人生と、佐伯牧師自身の不幸な過去が浮き彫りにされていく。ひとりの牧師をホストとした、接見室を舞台にした群像劇のようだ。
創作なのであたりまえだが、登場する6人の死刑囚は年齢・性別や性格が異なるばかりでなく、各々の罪状もダイナミックに異なる。具体的な罪名や犯罪経緯には一切言及せず、死刑囚と代わる代わる対峙する佐伯が、6人と交わす会話の中から徐々にそれらを読み解く面白さがある。
佐伯は死刑囚と、"また2週間後に"と話したり、"神父様じゃなくて牧師です"と正したりしているので、プロテスタント系の牧師で、隔週で拘置所に通っていることがわかる。
本作には6人の死刑囚のほかに、佐向監督の面白い仕掛けがいくつかある。
まずは、映画がスタンダードサイズ(4対3=1.33:1)で作られていることだ。横幅の狭い画面は、外界から隔たれた拘置所内の閉塞感や息苦しさを感じさせ、それがエンディングで佐伯牧師が拘置所を出ると、ビスタサイズ(1.85:1)に一気に拡大される。
漫然と観ていると画面の変化は気づかないかもしれないが、なんとなくエンディングでホッとする。これは潜在的に心を開放する効果をもたらしている。
また、時間の経過を細かく演出している。殺風景な接見室のシーンが延々と続く本作で、時間の経過を表現するのは難しい。安易にテロップで、"〇〇日目"や"〇月〇日"と表示してしまう手法もあるが、それでは芸がない。
そのひとつが卓上カレンダーだ。死刑囚との面談中、霊的な現象のごとく、ときどきパタンと倒れる。そのとき、"ハテ?"と月表示を見てしまうことになる。また、佐伯は一貫して黒系のスーツだが、ネクタイが変わる。同じネクタイの日が同じ接見日であることがわかる。
本作は、強烈に死刑制度を問うテーマを抱えている。会話の中から死刑廃止論について考えさせられるエピソードがいくつも提示されている。
また、初めて知るトリビアが多く紹介されていて、知識欲も満足させる。不謹慎だが、死刑あるある話にもなっている。
最後にひらがなを教えた、文盲だった死刑囚が残したメモが、佐伯に問う。
"あなたがたのうち、"
"だれがわたしに"
"つみがあると"
"きめうるのか"
(2018/10/18/スバル座/スタンダード(一部ビスタ)