劇場公開日 2018年10月6日

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「教誨室の外側へ」教誨師 しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5教誨室の外側へ

2018年11月3日
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この映画のキーワードを挙げるならば「霊性」だろう。
6人の死刑囚たちと、大杉漣演じる教誨師の佐伯との密室の会話劇。
ほぼ全編で本作の舞台となる教誨室には霊の気配が漂う。

大杉漣(エグゼクティブ・プロデューサーとしても名を連ねる)が急逝した、ということも相まって、なのは事実だけど。それを差し引いても、本作には、いまはもうこの世にいない死者の存在が強く感じられるのだ。

死刑囚ということは、全員が人を殺している(はず。厳密には死刑となる犯罪は内乱罪などもある)。
誰かを殺したから、彼らはそこにいる。
そして佐伯にも事情があった。彼もまた、その事情により牧師を職業に選び、ここに来ている。
死者たちに招かれ、出逢った死刑囚と教誨師。
そこに死者の気配が漂うのは必然であろう。
そして、この映画に登場する教誨室は不自然な形をしている。なぜか長い三角形をしているのだ。そのため、佐伯を捉えるカメラの背後には、いつも暗がりが映る。奥行きのある暗い空間が、何かの存在を思わせる演出が効いている。

そして本作は、「国家による殺人」とも言える死刑制度についても、大いに考えさせられる。

物語のスタートでは密室劇だった本作だが、やがて少しずつ「部屋の外」が映画に登場してくる。
始めは外の天気。やがて、佐伯の過去。そして死者たちが、スクリーンを侵食してくる。
それとともに、教誨師を務める佐伯の言動も、徐々に制度や枠組みの中だけでは抑えきれなくなる。
ラストに、ようやくカメラは教誨室、そして拘置所さえも出て、外の景色を捉える。
命という人間の根源と、法という国家の基盤が交差するのは、拘置所の中だけではない。私たちの日常とも繋がっていると感じさせるラストである。

しろくま