「6人に真剣に対峙すればするほど、息が苦しくなってくる」教誨師 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
6人に真剣に対峙すればするほど、息が苦しくなってくる
※(注意)感想を書く上でばっちりとネタバレしてますので、鑑賞前の方はご遠慮された方がよいですよ。
はじめ、「教誨師」というタイトルを聞いた時、堀川恵子の同名著作の映画化かと思ったがそうではないようで、かの本は浄土真宗の僧侶だが、こちらはキリスト教の牧師であった。それもまだ着任半年で、経験が足りないゆえの焦りや戸惑いがあった。むしろ、教誨という仕事に慣れきれず、未だどこかに新米臭さを残すには、半年と言う設定は絶妙だなあとも思った。
そんな佐伯にとって、ワンステージ、ワンステージ、どこかから何かに襲われるんじゃないかと警戒しながら身構えているような、緊張感の連続。そのせいか幻覚(と解釈していいのか)を見てしまったりなど、すでに死を約束された人間と対峙するのは半端な覚悟では務まらないのがよく伝わってきた。
そんな密室である教誨室は、三角形の間取りをしていた。僕は、佐伯の背後にある空きスペースの暗がりが気になって仕方がなかった。なぜこんな部屋なのか?と考えた。おそらく拘置所においては、所長の軽い態度に見受けられるように、「教誨」という活動が低く見られているのではないだろうか。きつい言い方をすれば、死刑になる者にたいする処遇だから空き部屋をあてがっておけばいいよと扱われているじゃないだろうか、と邪推してしまうのだ。そんな誘導さえも、この映画の演出の巧妙な罠なのだろう。
そして、ようやく佐伯が仕事を終えて所外にでると、ふだんと変らない日常がある。平和な田園風景、妻の愚痴、こちらまで伝わってくるような涼やかな風。息が詰まって仕方がなかった僕も、ようやく休息が訪れた解放感であった。そんな瞬間に、最後の「仕掛け」が待っていた。
あなたがたのうち だれがつみをせめうるのか
佐伯同様、僕もハッとして背中に冷たいものが走った。
それは、気の弱い老人進藤が覚えたての字で書いたのか?いや、そうじゃないだろう。佐伯自身が、ずっと自分自身に問いかけている悩みなのだ。それが幻覚として見えたしまったのだ。そしてこの言葉こそが監督のメッセージなのだろう。
出演者の中では特に、理路整然と佐伯に問答を挑んでくる高宮を演じた玉置玲央が存在感を出している。面談のときのふてぶてしさったらない。弱者を狙った卑劣な犯行という背景から察するに、先日の相模原で起きた障碍者殺人事件がモデルのようにも思える。高宮は殺人の動機を、イルカを引き合いに出して「知能の低いバカは殺したっていいんだよ!」(台詞は大意)とまくし立てる。でもそれは、仕返しをしてこなさそうな弱気な奴と見定めて因縁吹っ掛けるチンピラとおんなじなんだよな。だから、肝が座り切っていない彼は最後のあの時、怖気ずくんだ。そして、倒れこんだ彼は、佐伯に何か耳元で囁いたように見えた。その言葉に佐伯がたじろんだようにも見えた。それがなんて言ったのか、言ったように僕が見えただけなのか、気になって仕方がないのだが、この先、この映画を思い出すたびにその問答を僕自身にずっと問いかけてみるのも悪くないと思った。
この日、上映を終えて、初日舞台挨拶。いい映画の舞台挨拶は、鑑賞後がいい。登壇した役者の表情が生き生きとしている。
出てきたのは監督の他、6人の死刑囚。大杉連はパネルで登場してきた。思い思いに大杉との思い出を語る中、やはりドラマ「バイプレーヤーズ」で共演した光石研の言葉に注目が集まった。
去り際、烏丸せつ子がパネルの大杉の肩口あたりにそっと手を添えて優しく微笑んだのが印象的だった。