教誨師のレビュー・感想・評価
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役者の肉体の饒舌さを思い知る
大杉漣をはじめ、役者の芝居が素晴らしい。これだけの芝居をよくぞ引き出した。ほとんどが対話だけで構成される舞台劇のような作品だが、ぐいぐい引き込まれてしまった。特に印象に残ったのは、めをつぶりながら、まぶたの奥で眼球だけ動かす古舘寛治。最初のシーンだが、あれだけでしゃべる必要なく、あの人物の異様さが表現されていた。久しぶりに役者の肉体の饒舌さを思い知った。
様々な死刑囚との対話によって、死刑とは、人間の生とは何かを考えさせる作品だが、作中で結論は何も出ない。命を奪った人間たちが、権力によって命を奪われるシステムに正当性はあるのか、それ以外にも社会には矛盾が溢れていて、人の人生は平等ではない。答えのない問いをされつづける大杉漣は、返答に窮しながらも「逃げない」ということだけは一貫している。その超然とした佇まいに畏怖すら感じた。人間にできるのはいつまでも考え続けることだけだ。
シチュエーション・ヒューマンドラマとでも呼ぶべき意欲作
シチュエーション・スリラーというサブジャンルはあるが、刑務所内にある教誨室の中だけでほぼ全編が進行する本作はさしずめ「シチュエーション・ヒューマンドラマ」といったところ。死刑囚の話し相手となり心の救済を図る篤志の宗教家=教誨師(本作の佐伯は牧師だが、仏教など他の宗教の教誨師もいるそうだ)と、バラエティーに富む囚人たちとの会話劇。死刑囚が独房で過ごす姿も、佐伯が刑務所以外で生活する様子も描かれない。しかし、囚人が他愛のないおしゃべりに興じたり過去の罪を振り返ったりするとき、またそれに佐伯が応えるときの、それぞれの言葉と表情によって、彼らの人となりがじわじわと立ち上がっていく。
これが最後の主演作となった大杉漣にとって、舞台劇のように簡素な一室において演技一本で勝負する映画と晩年に出会えた点は、(本人の意図ではないにせよ)役者人生の締めくくりにふさわしく幸福なことだったのではないか。
いまひとつだった記憶があります
8年前に観て、
大杉漣さん演じる教誨師の宗教的な部分に
違和感を感じて、終始【?】が出たまま
観終わった記憶があります。
それぞれの死刑囚の演者の方は、
凄いなと思いましたが、
教誨師との話の内容が引っ掛かったような記憶が。
サブスクで観られるようなので、
もう一度見てみます。
今一つに感じた理由を書いた記事がで出来ました。
ここからーーーーーーーーーー
教誨師 堀川 惠子著
何年か前に読んだなぁと思いつつ、
単行本は部屋のどこかに埋もれているので、
文庫版を再度購入して読み直してみた。
きっかけは大杉漣さんが主演する映画を観たからだ。
うっすらした記憶で、たしか仏教系の教誨師だったのになと思った。
映画ではプロテスタントの牧師になっていた。
映画とこの本は関係がない。本はノンフィクションだからだ。
読み直してみて、やはり凄い内容で、
だからこそ映画に対して今一つな感覚になったのは
間違いなかったと確認した。
同時に、この教誨師をフィクションで描く難しさも感じる。
映画を観た方にも、見てない方にも
重い内容だけれど、読むのを勧めたい一冊でもある。
大変な仕事。
タイトルなし
この映画はひとりの死刑囚がグラビアページの裏に書いたある一言で幕を下ろす。
「あなたがたのうち だれがわたしに罪があると責めうる のか」
この映画で伝えたいことはそれなのだと思った。
死刑囚ということははっきりしているが、彼らが具体的にどんな罪を犯したのかはぼんやりとした描き方だと感じた。
もしかしたらボタンの掛け違いで、誰の身にも犯罪に関わってしまうかもしれないという警鐘を想像してしまうし、いつ何処で起きても不思議ではないと思った。
作品内では6人の死刑囚と対話するシーンで進行していく。
ここで興味深いのは、相手の犯した罪を掘り下げて断罪するのではなく、粛々と己の役割をこなす牧師の姿だけにフォーカスを当てて描いていくところが無駄なものがなくて良かったと思う。
また、一人の牧師が今まで信じていた価値観が、罪を犯したものに諭されて、自分の信仰心が揺らいでいくところも見応えがある。
今まで教えられたことをそのまま言うことを職務としてきたのに、実はその言葉の中で矛盾が生まれて、次第に悩むところも繊細な人間像が描かれていて良かった。
作品の展開もドライに進んでいくので緊張感を感じるし、拘置所内の冷たいコンクリートの肌触りがカメラを通して感じられる作りになっていて、見応えがある1本になっている、
微妙な対話劇
死刑囚専門の教誨師が個性的な6人の死刑囚と只管、対話する物語。
教誨師は、拘置所で死刑囚と面談できる唯一の民間人、1820人いるらしいが、内仏教系が1191人、キリスト教系が252人、その他377人。無報酬のボランティア活動。
死刑囚との面談も高宮を除いては表面的、罪を咎めるでもなく、相手の話を只管、聞き寄り添う姿勢、映画的には、人数ではなく、受刑者の罪状や動機など深堀りしたエピソードがあった方が面白かったような気もしたが犯罪ドラマではなく教誨師が主人公なので、あえて避けたようです。
劇中で死刑廃止を訴える高宮が「いまだに電気椅子だと思っている馬鹿もいる」と言っていましたが、日本では絞首刑だけとは初めて知りました。
中盤になって教誨師が少年時代の悲劇が明かされ、兄が死刑囚で自殺、まかり間違っていれば兄ではなく自分が殺人を犯していたかもしれないというトラウマ、どうやらそれが教誨師になった動機に思えた。
大杉漣さんの最後の主演作にして初プロデュース作、どうしてこんな微妙な題材を選んだのか・・。元ネタ脚本、監督の佐向大氏が持ち掛けた話で、大杉さんのマネージャーの父親が教誨師をしていたことが関係しているらしいが定かではない、大杉さんは余り乗る気ではなかったようだが「必要な映画だ」と言ってくれたそうです。ご冥福をお祈りします。
最期の言葉に重みを持たせたいなら、説明不足
大杉漣さんと死刑囚の面々の演技合戦は見応えがあり、味わい深い作品。ただ、死刑囚の犯行をもう少し詳らかにしないと、進藤正一(五頭岳夫)の言葉に重みを感じられない気がする。観客は被害者でも、被害者遺族でもないので、そもそも彼等を責める動機も権利もないのだから。
意味ないよ。生きてるから、生きるだけ
いい映画だが、娯楽性にとぼしい
ドキュメンタリーフィルムのような地味な映像をナレーションなしで見せられているような映画。基本的に対話だけでストーリーが進行していくが、大杉連のキャラクターと、対峙する死刑囚たちの個性がうまくマッチして、ずっと見ていられる。退屈でくだらない芝居がかった映画と違って、限られた予算でここまで面白くできるという見本のような映画だと思う。
ただし、主人公の背景をもう少し掘り下げて、不幸な兄との別れをドラマティックに語ってほしかった。それから、6人の死刑囚の取り上げ方が公平なのはいいが、誰の死刑が執行されるんだろうとか、えん罪っぽい人が救われることはないんだろうかとか、気になるポイントにウエイトを置いて、ストーリーを進行させてほしかった。そうなれば、死刑の執行に感じる部分も多かっただろう。
教誨師という仕事を取り上げた以上、罪の裁きを受けることよりも、執行までの限られた時間に罪と向き合い、前を向ける人間らしさを与えることに重きを置いて会話が進んでいく。「神様はそんなあなたでも許してくれます」という絵空事のような言葉を、むなしく繰り返すしかない牧師の立場を大杉漣(字がない)が熱演している。
文部省推薦の、講堂で生徒が揃って見せられるような映画で、お金を払って週末の娯楽に家族で見にいくような映画ではない。何かを考えさせられるような内容で、確実にそれぞれの心になにかを語りかけてくるが、ひと言で言って娯楽性にとぼしい。それもまた映画なんだ、と言われればそれまで。
飽きるが、最後まで見ると謎を考える資格が与えられる
人間社会の根源的問題に迫る作品。
死刑囚という特殊な人々に対し、その行いに向き合わせるために存在する国の矯正プログラムを題材にしている。
教誨師は囚人が信じている宗教のほか一般教誨があるが、作品ではキリスト教の牧師が主人公となっている。
ボランティアという枠にしてはあまりにも重い仕事で、たびたび囚人たちの感情が高まってしまうこともある。
物語は、たくさんいる死刑囚の様々な思いや認識、そして主張を聞く教誨師佐伯が、彼らが思いつめるまでに至る過程と自分自身の過去を重ねていくと同時に、死刑囚と自分自身との境界線がわからなくなってゆく。そして主人公は、この教誨師という仕事は、死刑囚に対するものではなく、自分自身を見つめ直す機会になっていることに気づく。
死刑囚タカミヤが、執行直前に佐伯に抱き付いた。頑なに心を閉ざしていた彼の闇に寄り添ったことに、タカミヤは佐伯にだけ感謝を伝えたのだろう。この瞬間、佐伯はいいようのない感覚を覚えたに違いない。それは決して自分の仕事に対する達成感などではなく、タカミヤが初めて人に対して見せた感情の言葉があまりにも聖なるものに思え、それを佐伯自身が受け取っていい資格はないという葛藤となったのではないかと思った。
そして、
文字の読み書きがおぼつかない囚人が渡した紙切れに書かれた言葉が、この作品の主題。
「あなたがたのうち、だれがわたしにつみがあるとせめうるのか」
これはイエスが大衆に言った言葉と同じで、この文字を見た後、佐伯は歩いて拘置所に戻り始める。
タカミヤの聖なる言葉と、彼の書いた言葉。救っていると思っていた方が、実は救われていた。真逆の世界。裁くものが裁かれている。真逆で矛盾した社会。佐伯はこのことに気づいたのではないのだろうか?
佐伯が拘置所で何をしたかったのか、それはおそらくこの作品を手掛けた大杉漣さんのこの社会に対する矛盾への思いだろう。
それは、大衆に対する表現として、決して明確に言葉にできない類のものだと思う。
作品が伝えたいことが最後に出されるが、教誨師と囚人たちのやり取りが延々に続くので視聴する方としては飽きてくるのが難点だが、最後まで見届けられるのであれば、考えさせられるいい作品だと思う。
何よりも、佐伯が感じたことがダイレクトに言葉として表現されていないことで、それを考えさせるように作られているところがよかった。
坊主の方がいいな
見やすいけどね
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教誨師の大杉が、色んな受刑者と話をする。
ワガママで嘘つきの婆、知的なテロリスト、見栄張りのヤクザ・・・
で結局テロリストが死刑執行となり、それに立ち会う。
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大変な仕事なんだろうなとは思ったな。
おれはシーンが個室固定の作品ってやたらと好きなんよな。
その意味でこの映画は見やすかった。でも深い意味は読み取れず・・・。
面白い!
ほとんど部屋の一室から動かないのに、6人との対話が1周、2周と周回を重ねる毎に微妙に変化が積み重ねられ、飽きさせない。
会話も特に高宮パートにおいて、スリリングでハラハラさせる。
後半でも、いったい誰が執行されるのかが直前まで分からず、最後まで引きつけられた。
ストーカー問題や執行引き延ばし、累犯障害者、自白偏重や障害者殺人などの現実の問題をモチーフとしている。本作では結論は出さないが、死刑制度自体の問題性が浮かび上がってくる。
かなり重いテーマで、表現が憚られるが、とにかく最後まで面白かった。
教誨師については勉強になったけど、あんなんで牧師になれるんだろうか?
大杉漣の最初のプロデュース作にして最後の主演作となってしまった
人は明日、何が起こるかわからない
奇しくも、命を扱った作品とオーバーラップしてしまいました
じっさい、死刑囚だろうが、無かろうが明日の命は誰にもわからない
人為的か、そうでないかの違いだけです
教誨師の仕事については、興味深く勉強させてもらいましたが、大量殺人犯の若者との問答はとてもチープでした
牛豚は殺して食べるのに、イルカは・・・といったような命に関する質問などは聖職者は最も得意なはずなのに、なぜしどろもどろになるのか?不思議でならないですね
何のための教誨師かわからないですよ
若い頃、牧師と問答をして彼が言い放った事
牛も豚も山も木も世の中の全てはヒトのためにある
キリスト教にはついていけないと思った瞬間でしたが、明快な解答ではありました
死刑については持論がありますが長くなるのでここではやめておきますが
世の中を良くするために大量殺人を犯した若者
殺した相手を許すだけで自分の非を認めない男
自尊心を傷つけられたために我を忘れて子供まで手にかけた男
その他、人を殺しても良心の呵責(かしゃく)を持たない人達
原因が無知であってもです
ここで出てくる囚人達は死ぬまで社会に出してはいけない人達ではあります
後は彼らをどう処理するかを考えれば良いだけです
非日常のリアルな描写
教誨師という職業に全く縁のない自分ではあるが、だからこそ死刑囚やその人たちに関わる世界が一体どういうものなのか、失礼な表現ながら、ある種の怖いもの見たさに近い感覚でこの映画を手に取った次第である。
本当の世界を知らない自分が言うといい加減にはなるのだが、映画は非常にリアリティがあったように思う。起承転結などのストーリー性はなく、決して派手な演出もない。ただ終始6人の死刑囚と教誨師が対談するだけである。最後まで結局何を伝えたかったのか分からず、他の方のレビューを観てでしか感じ取れなかったのだが、「リアリティのあるものを観た」という満足感は大きかった。実際を観ていないけど、実際を観たんだろうという感覚があった。そう思わせてくれるクオリティの高さがこの映画にはあったと感じる。
映画というより上質の文学
本作で「きょうかいし」という言葉を知る。
幾人かの死刑囚と面談する主人公。
その中でも印象深いのが、読み書きのできない浮浪者だった。
人生を紐解けばそれこそ神かと与え、苦難を甘んじて受け、
それも垣間見える知的? 障害のせいだとして、
だからこそ文字を学びなおして再構築された純粋な思考の果てに得た
(と、わたしが理解したに過ぎないが)
聖書からの文言は、この人物こそ宗教家かと響いた。
次にあげるなら差別主義の若者だろうか。
否応なく、死刑制度の是非を考えずにはおれない。
他の囚人らも印象深く、だれもが己が命を守るためサバイブしている人の当然の姿を、
究極の環境におかれたせいでなおさらいかんなく発揮。
たとえ死刑囚だとしても健気でか弱く、憎み切れていない。
そこへ主人公の過去も絡んだ時、
その視点を通して自らを振り返った時、
甲乙も上下もなく、いずれも等しく哀れで救うべき命に過ぎないのだと考えさせられた。
脚本そのものが文学性に満ちており、
なぞる演者も全てが珠のごとく光る見ごたえたっぷりの1本だった。
60点
映画評価:60点
こんな親身になってくれる教誨師が居るのだろうか?
居るなら世界は捨てたものじゃない。
人はいつからだって立ち直れる。
そう教えてもらえた。
とある死刑囚は産まれた時から、
字が読めず、書けない。
そんな囚人に字を教える。
もうすぐ死ぬかもしれないのに、
一生懸命教えるし、一生懸命学んでいる。
これに何の意味があるの?
効率ばかりに目をやる自分は少し困惑した。
意味なんかない
いつか終わるからとか、
明日死ぬから無意味とかではない
そんな事を言ったら
誰だっていつか死ぬ。
その得た知識や能力を
数年使えるのか、数十年使えるのかの差だけだ
寿命が500年あるとして、
あと寿命まで10年だから
何も学ばなくていいや。
逆にあと10年もあるなら、
新しい事をしよう。
それだけだ。
人にとっては10年が膨大に感じるだけ、
それが死を待つ死刑囚だと意味がないというのか?
いや違う。
残り時間なんて関係ない。
ただ今を全力に生きるだけ、
まさに全うするって事だと思う。
意味のない事なんてない。
私はその事を、
この作品を通して学んだ。
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次に感じた事を書こうと思う。
あくまで映画であり、フィクションだけど、
登場した6名の死刑囚と
一般の方には大きな境界線を感じた。
人を殺める事が出来た人と、出来ない人。
その一線は大きい。
どんな言い訳があっても、
どんな勘違いがあっても、
どんなカッとなる感情があっても、
人は人を殺める事なんか出来ない。
どんな事情があれ、
出来る人はどこか狂気じみている。
色んなタイプの死刑囚が出てくるが、
これだけは一緒だと思う。
その一線は越えられないのが普通。
我々はアニメや映画で
人の死に簡単に触れられ、
身近に感じるかもしれない、
やろうと思えば殺せると思う人もいるかもしれない。
現実、その一線は
私には越えられない。
どんな状況、事情があっても
越えてはいけない。
それを登場した死刑囚を通して感じた。
総評して地味だし、面白い訳でもない。
凄いシナリオという事もない。
でも、
この作品を通して
何かを学び、感じる人は
少なからずいるのではないだろうか。
【2021.8.2鑑賞】
大杉漣を見たかった。
実は、原作も読んでたんです。
大杉漣が、製作も兼ねてるんで観たかった作品。
牧師さんが、死刑囚に悔改める仕事。6人達との
舞台劇だね。牧師さん自身も過去があり
お話しを積み重ね罪を悔改めて神の元へ
烏丸せつこがいいね。若い子は妖艶だったね。
今はおばちゃんだね。大杉漣の最後の主演映画である。
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