教誨師のレビュー・感想・評価
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役者の肉体の饒舌さを思い知る
大杉漣をはじめ、役者の芝居が素晴らしい。これだけの芝居をよくぞ引き出した。ほとんどが対話だけで構成される舞台劇のような作品だが、ぐいぐい引き込まれてしまった。特に印象に残ったのは、めをつぶりながら、まぶたの奥で眼球だけ動かす古舘寛治。最初のシーンだが、あれだけでしゃべる必要なく、あの人物の異様さが表現されていた。久しぶりに役者の肉体の饒舌さを思い知った。
様々な死刑囚との対話によって、死刑とは、人間の生とは何かを考えさせる作品だが、作中で結論は何も出ない。命を奪った人間たちが、権力によって命を奪われるシステムに正当性はあるのか、それ以外にも社会には矛盾が溢れていて、人の人生は平等ではない。答えのない問いをされつづける大杉漣は、返答に窮しながらも「逃げない」ということだけは一貫している。その超然とした佇まいに畏怖すら感じた。人間にできるのはいつまでも考え続けることだけだ。
シチュエーション・ヒューマンドラマとでも呼ぶべき意欲作
シチュエーション・スリラーというサブジャンルはあるが、刑務所内にある教誨室の中だけでほぼ全編が進行する本作はさしずめ「シチュエーション・ヒューマンドラマ」といったところ。死刑囚の話し相手となり心の救済を図る篤志の宗教家=教誨師(本作の佐伯は牧師だが、仏教など他の宗教の教誨師もいるそうだ)と、バラエティーに富む囚人たちとの会話劇。死刑囚が独房で過ごす姿も、佐伯が刑務所以外で生活する様子も描かれない。しかし、囚人が他愛のないおしゃべりに興じたり過去の罪を振り返ったりするとき、またそれに佐伯が応えるときの、それぞれの言葉と表情によって、彼らの人となりがじわじわと立ち上がっていく。
これが最後の主演作となった大杉漣にとって、舞台劇のように簡素な一室において演技一本で勝負する映画と晩年に出会えた点は、(本人の意図ではないにせよ)役者人生の締めくくりにふさわしく幸福なことだったのではないか。
飽きるが、最後まで見ると謎を考える資格が与えられる
人間社会の根源的問題に迫る作品。
死刑囚という特殊な人々に対し、その行いに向き合わせるために存在する国の矯正プログラムを題材にしている。
教誨師は囚人が信じている宗教のほか一般教誨があるが、作品ではキリスト教の牧師が主人公となっている。
ボランティアという枠にしてはあまりにも重い仕事で、たびたび囚人たちの感情が高まってしまうこともある。
物語は、たくさんいる死刑囚の様々な思いや認識、そして主張を聞く教誨師佐伯が、彼らが思いつめるまでに至る過程と自分自身の過去を重ねていくと同時に、死刑囚と自分自身との境界線がわからなくなってゆく。そして主人公は、この教誨師という仕事は、死刑囚に対するものではなく、自分自身を見つめ直す機会になっていることに気づく。
死刑囚タカミヤが、執行直前に佐伯に抱き付いた。頑なに心を閉ざしていた彼の闇に寄り添ったことに、タカミヤは佐伯にだけ感謝を伝えたのだろう。この瞬間、佐伯はいいようのない感覚を覚えたに違いない。それは決して自分の仕事に対する達成感などではなく、タカミヤが初めて人に対して見せた感情の言葉があまりにも聖なるものに思え、それを佐伯自身が受け取っていい資格はないという葛藤となったのではないかと思った。
そして、
文字の読み書きがおぼつかない囚人が渡した紙切れに書かれた言葉が、この作品の主題。
「あなたがたのうち、だれがわたしにつみがあるとせめうるのか」
これはイエスが大衆に言った言葉と同じで、この文字を見た後、佐伯は歩いて拘置所に戻り始める。
タカミヤの聖なる言葉と、彼の書いた言葉。救っていると思っていた方が、実は救われていた。真逆の世界。裁くものが裁かれている。真逆で矛盾した社会。佐伯はこのことに気づいたのではないのだろうか?
佐伯が拘置所で何をしたかったのか、それはおそらくこの作品を手掛けた大杉漣さんのこの社会に対する矛盾への思いだろう。
それは、大衆に対する表現として、決して明確に言葉にできない類のものだと思う。
作品が伝えたいことが最後に出されるが、教誨師と囚人たちのやり取りが延々に続くので視聴する方としては飽きてくるのが難点だが、最後まで見届けられるのであれば、考えさせられるいい作品だと思う。
何よりも、佐伯が感じたことがダイレクトに言葉として表現されていないことで、それを考えさせるように作られているところがよかった。
坊主の方がいいな
2024年4月10日
映画 #教誨師(きょうかいし) 2018年鑑賞
#大杉漣 がプロデュースも務めて主演したヒューマン・ドラマ
受刑者を教えさとす宗教者“教誨師”という存在にスポットを当て、彼と6人の死刑囚、#光石研、#烏丸せつこ、#古舘寛治、#玉置玲央、#五頭岳夫、#小川登 との会話劇が面白い
見やすいけどね
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教誨師の大杉が、色んな受刑者と話をする。
ワガママで嘘つきの婆、知的なテロリスト、見栄張りのヤクザ・・・
で結局テロリストが死刑執行となり、それに立ち会う。
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大変な仕事なんだろうなとは思ったな。
おれはシーンが個室固定の作品ってやたらと好きなんよな。
その意味でこの映画は見やすかった。でも深い意味は読み取れず・・・。
面白い!
ほとんど部屋の一室から動かないのに、6人との対話が1周、2周と周回を重ねる毎に微妙に変化が積み重ねられ、飽きさせない。
会話も特に高宮パートにおいて、スリリングでハラハラさせる。
後半でも、いったい誰が執行されるのかが直前まで分からず、最後まで引きつけられた。
ストーカー問題や執行引き延ばし、累犯障害者、自白偏重や障害者殺人などの現実の問題をモチーフとしている。本作では結論は出さないが、死刑制度自体の問題性が浮かび上がってくる。
かなり重いテーマで、表現が憚られるが、とにかく最後まで面白かった。
教誨師については勉強になったけど、あんなんで牧師になれるんだろうか?
大杉漣の最初のプロデュース作にして最後の主演作となってしまった
人は明日、何が起こるかわからない
奇しくも、命を扱った作品とオーバーラップしてしまいました
じっさい、死刑囚だろうが、無かろうが明日の命は誰にもわからない
人為的か、そうでないかの違いだけです
教誨師の仕事については、興味深く勉強させてもらいましたが、大量殺人犯の若者との問答はとてもチープでした
牛豚は殺して食べるのに、イルカは・・・といったような命に関する質問などは聖職者は最も得意なはずなのに、なぜしどろもどろになるのか?不思議でならないですね
何のための教誨師かわからないですよ
若い頃、牧師と問答をして彼が言い放った事
牛も豚も山も木も世の中の全てはヒトのためにある
キリスト教にはついていけないと思った瞬間でしたが、明快な解答ではありました
死刑については持論がありますが長くなるのでここではやめておきますが
世の中を良くするために大量殺人を犯した若者
殺した相手を許すだけで自分の非を認めない男
自尊心を傷つけられたために我を忘れて子供まで手にかけた男
その他、人を殺しても良心の呵責(かしゃく)を持たない人達
原因が無知であってもです
ここで出てくる囚人達は死ぬまで社会に出してはいけない人達ではあります
後は彼らをどう処理するかを考えれば良いだけです
非日常のリアルな描写
教誨師という職業に全く縁のない自分ではあるが、だからこそ死刑囚やその人たちに関わる世界が一体どういうものなのか、失礼な表現ながら、ある種の怖いもの見たさに近い感覚でこの映画を手に取った次第である。
本当の世界を知らない自分が言うといい加減にはなるのだが、映画は非常にリアリティがあったように思う。起承転結などのストーリー性はなく、決して派手な演出もない。ただ終始6人の死刑囚と教誨師が対談するだけである。最後まで結局何を伝えたかったのか分からず、他の方のレビューを観てでしか感じ取れなかったのだが、「リアリティのあるものを観た」という満足感は大きかった。実際を観ていないけど、実際を観たんだろうという感覚があった。そう思わせてくれるクオリティの高さがこの映画にはあったと感じる。
映画というより上質の文学
本作で「きょうかいし」という言葉を知る。
幾人かの死刑囚と面談する主人公。
その中でも印象深いのが、読み書きのできない浮浪者だった。
人生を紐解けばそれこそ神かと与え、苦難を甘んじて受け、
それも垣間見える知的? 障害のせいだとして、
だからこそ文字を学びなおして再構築された純粋な思考の果てに得た
(と、わたしが理解したに過ぎないが)
聖書からの文言は、この人物こそ宗教家かと響いた。
次にあげるなら差別主義の若者だろうか。
否応なく、死刑制度の是非を考えずにはおれない。
他の囚人らも印象深く、だれもが己が命を守るためサバイブしている人の当然の姿を、
究極の環境におかれたせいでなおさらいかんなく発揮。
たとえ死刑囚だとしても健気でか弱く、憎み切れていない。
そこへ主人公の過去も絡んだ時、
その視点を通して自らを振り返った時、
甲乙も上下もなく、いずれも等しく哀れで救うべき命に過ぎないのだと考えさせられた。
脚本そのものが文学性に満ちており、
なぞる演者も全てが珠のごとく光る見ごたえたっぷりの1本だった。
60点
映画評価:60点
こんな親身になってくれる教誨師が居るのだろうか?
居るなら世界は捨てたものじゃない。
人はいつからだって立ち直れる。
そう教えてもらえた。
とある死刑囚は産まれた時から、
字が読めず、書けない。
そんな囚人に字を教える。
もうすぐ死ぬかもしれないのに、
一生懸命教えるし、一生懸命学んでいる。
これに何の意味があるの?
効率ばかりに目をやる自分は少し困惑した。
意味なんかない
いつか終わるからとか、
明日死ぬから無意味とかではない
そんな事を言ったら
誰だっていつか死ぬ。
その得た知識や能力を
数年使えるのか、数十年使えるのかの差だけだ
寿命が500年あるとして、
あと寿命まで10年だから
何も学ばなくていいや。
逆にあと10年もあるなら、
新しい事をしよう。
それだけだ。
人にとっては10年が膨大に感じるだけ、
それが死を待つ死刑囚だと意味がないというのか?
いや違う。
残り時間なんて関係ない。
ただ今を全力に生きるだけ、
まさに全うするって事だと思う。
意味のない事なんてない。
私はその事を、
この作品を通して学んだ。
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次に感じた事を書こうと思う。
あくまで映画であり、フィクションだけど、
登場した6名の死刑囚と
一般の方には大きな境界線を感じた。
人を殺める事が出来た人と、出来ない人。
その一線は大きい。
どんな言い訳があっても、
どんな勘違いがあっても、
どんなカッとなる感情があっても、
人は人を殺める事なんか出来ない。
どんな事情があれ、
出来る人はどこか狂気じみている。
色んなタイプの死刑囚が出てくるが、
これだけは一緒だと思う。
その一線は越えられないのが普通。
我々はアニメや映画で
人の死に簡単に触れられ、
身近に感じるかもしれない、
やろうと思えば殺せると思う人もいるかもしれない。
現実、その一線は
私には越えられない。
どんな状況、事情があっても
越えてはいけない。
それを登場した死刑囚を通して感じた。
総評して地味だし、面白い訳でもない。
凄いシナリオという事もない。
でも、
この作品を通して
何かを学び、感じる人は
少なからずいるのではないだろうか。
【2021.8.2鑑賞】
大杉漣を見たかった。
実は、原作も読んでたんです。
大杉漣が、製作も兼ねてるんで観たかった作品。
牧師さんが、死刑囚に悔改める仕事。6人達との
舞台劇だね。牧師さん自身も過去があり
お話しを積み重ね罪を悔改めて神の元へ
烏丸せつこがいいね。若い子は妖艶だったね。
今はおばちゃんだね。大杉漣の最後の主演映画である。
演技力のぶつかり合い
刑務所の教誨室で簡素なテーブルを挟んだ対話が続く
いやー、演技力が見もの!!
6人の死刑囚
罪を罪と思っていない人
罪から目を逸らす人
罪の重さがよくわからない人
罪から逃げ続ける人
罪は全部人のせいの人
罪を正義と思っている人
人間模様も素晴らしい。
大杉漣さんの演技、もっと見たかった
次々とテーマが繰り広げられる法哲学教室
とてもいい映画です。
すごくよく出来ていると思います。
色んなテーマが込められていて、
引き込まれるし考えさせられます。
命の線引き、人が人を裁くこと、死刑制度、生きる意味などなど。
更正を目的とした受刑者とは違って、
社会に出ることはない死刑囚が改心する意味とは。
法哲学に誘われているような、
快感があります。
また、ドラマとしても非常によく出来ていて、
ほぼ一室での出来事なのに、
死刑囚が入れ替わるたびに、その個性が様々で、
テンポがよく面白いです。
俳優たちの演技もまた素晴らしい。
大杉漣さん、このようなことがおやりになりたかったんですね。
いい作品を残してくださりありがとうございます。
植松聖のような…
2020年3月16日
相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺傷事件の裁判員裁判で死刑判決が出された日
録画済だったこの映画を観る。
高宮死刑囚は植松聖がモデルなのだろう。
植松聖がこの先反省することがあるのか?
死刑にすることで分からないままになってしまうことがあるのではないか?
多くの宿題が残されている気がしてならない。
玉置玲央が出てきた
玉置玲央の存在感たるや!!!
もう、その一言に尽きる。
大杉漣との会話劇の中に、
彼の遺伝子が受け継がれていくような、
まるで通過儀礼にも思えた。
これまで、数々の死刑囚を演じた役者さんを観てきたけれど、
緒形拳さん以来の引き込まれ方をした。
言ってることのいちいちに、「確かに」と思ってしまう。
勿論、それは決して正解ではない。
屈折した人生を生きてきた人間ならではの見解、そして虚しさ
と孤独。
まるで本人ではないかと錯覚するような持論にも聞こえた台詞。
こんな役者は、もっと表に出なきゃダメだ!!!
そして一度は逃げようとしたものの、
対峙する覚悟を決めて戻った牧師の強さたるや。
融解していく氷のごとく、
自分をさらけ出し、真っ正面から何も飾らずにぶつかっていく牧師に、
高宮(玉置)の表情が変わっていく。
知らないから怖い。
ただじっと、傍で穴を見つめる。
素晴らしい台詞。
泣いてしまうやんか。
選ばれてしまったあの日、
死の直前になっての表情が、とてつもなく美しい。
教誨師である佐伯(大杉漣)に抱きつき、
何かを伝えたようにも思えたけれど、
次の台詞でそれはかき消される。
他にも癖だらけの役者を使い、
多種多様な死と隣り合わせの罪人たちが表現された。
大杉漣さんが表現したかったこと、
これが最期になってしまった意味を、
また見返して考えてみようと思う。
こんなに予算もかけず、
音楽もなく、
膨大な台詞量を、自分の言葉として表現する、
役者本来のチカラ。
存分に魅せて頂きました。
明らかに、あの事件について触れている
と思われるシーンや、その犯人が出てくる。
(よく知らないが、あの事件がこの作品を作るきっかけだったのかな?)
漣さんの作品。しかも数少ない主演作品だけにあまり悪くは言いたくないのだが、
他の指摘にもある通り、前半の構成はよくない。つまらない。同じことの繰り返しで飽きてくる
途中で少しだけ展開があるけれど、驚くほどのものではない。
漣さんは、この映画から観客に対して何を学びとってほしかったのかなぁ~。
亡くなってしまってるから、今ではわからない。
しかし、あのおばちゃんが、かつてのセックスシンボル、烏丸せつこだったとは...
時の流れは、残酷すぎる。
【心に染み入る作品。静かなトーンでの会話劇でここまで魅せる作品を作り上げ、演じられた大杉漣さんに頭を垂れるしかない。】
教誨師:矯正施設にて、被収容者の宗教上の希望に応じ、宗教教誨活動(礼拝・面接・講和等)を行う民間の篤志の宗教家(一部、パンフレットより)
大杉さん演じる、牧師の佐伯が教誨室で向き合い、対話を繰り返す相手は皆死刑囚。
派手な場面はなく、映像は教誨室での教誨師佐伯と複数の死刑囚との会話が続く。
このシーンの死刑囚役の熟達の役者さんと、大杉さんとの圧倒的演技の遣り取りに引き込まれる。
死刑囚を演じるのは、
・烏丸せつこ(あの、カレー事件の犯人を想起させる、饒舌なおばさん、人格が破綻している風を実にリアルに演じられている)
・五頭岳夫(知能が低い感を醸し出したら比類なし)
・小川登(酒向監督の友人で普段は会社員という異色の方:逆に凄さを感じる)
・古館寛治(情緒不安定な男を演じる:安定)
・光石研(ヤクザの親分の虚勢と脆さを巧みに演じる:安定)
・玉置玲央(秋葉原の事件犯を想起させるが、この方の演技にはとにかく驚いた。必見の演技である。)
を相手にした、密室劇と言っても良い作品。
教誨室内のほぼ固定ショットと死刑囚達との会話と所作のみで映画を成立させた大杉さんの力量に今更ながら惜しい俳優が亡くなられたという事実に愕然とする。
大杉さん、有難うございました。ゆっくり休んで下さい。
<2018年10月7日 劇場にて鑑賞>
ポイントは死刑囚じゃないよ
大杉漣が企画しただけはあります。
死刑囚を鏡として教誨師の姿を描く映画です。
だから死刑囚はステレオタイプでデフォルメされた類型です。
だから死刑制度とかには無頓着です。
あしからず、ポイントに沿って観てください。
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