「同じ型にやられてしまう」コーヒーが冷めないうちに R41さんの映画レビュー(感想・評価)
同じ型にやられてしまう
ファンタジー作品 変化とは常に環境や物質ではなく人間の心であることを言っている。
昔ながらの型を使い、ファンタジーを掛け合わせて、その場所に集う客という限定されたものにだけ奇跡の資格が与えられる。
もしそのような喫茶店があれば絶えず客でいっぱいになるだろう。
お店が4代も続いている理由がわかる。
冒頭登場したフミコとゴロウの喧嘩別れの時にいた客が各々のシュートショート物語を作る。
このありきたりの型は、もしかすると今でも鉄板として通用することに「してやられた感」を感じる。
そもそも茶店の客はすべて誰もが知る俳優陣。
彼らを中心とした物語が描かれないはずがないことは、誰にでもわかる。
しかし、医師から認知症を告げられたフサギが夫への手紙を書きながらそれを渡せずに認知症を患ってしまったストーリーは涙なくしては見られなかった。
この誰にでもある心残りは、物質的喪失や環境的変更ではなく、言うべき時にそれを言えなかったことに対する心残りだと作品は伝えているが、本当にそうかもしれないと思った。
「現実は変えられない」
これは普遍的法則だ。同時にタイムマシンなど未来永劫発明されないことの証明だろう。
その代わり新しい概念が生まれた。それがパラレルワールドだ。人間の発想に行き詰まることはない。
このフサギ夫婦の物語を見ながら、当然ユーレイの正体と関係が最後のエピソードだというのと、時折挿入されるトキタカズの幼少時代の映像でその謎の答えがわかってしまうが、作品はそれを想定内としている。
最後にまだ生まれていない娘未来が登場し、母カズにコーヒーを淹れるというのはなかなかいいプロットだった。
茶店オーナーの「考えられることはすべて試した」と言うセリフ、妊娠という新しい現実が、夫の閃きを生み、未来が未来からやってきてコーヒーを淹れるという大どんでん返しだ。
カズの母が読んでいた小説「ねじの回転」「モモ」というのも、この作品の題材に関係している。
わからないのが茶店の名前「フニクリフニクラ」
これは日本では「鬼のパンツ」で知られていて「鬼のパンツはいいパンツ、強いぞ、強いぞ」というあれ。
これとこの作品とどのように関係していたのかがわからなかった。
でも心温まる作品だった。
ご返信ありがとうございました😊
本作のそれぞれのお話、男女愛だけではないですものね。姉妹愛もあるので。登山列車も出て来ないし。
原作者に聞かないとわからないです。
共感ありがとうございます😊
wikiには、イタリア🇮🇹の登山列車フニコラーレの愛称だとか。
歌詞は、男性から意中の女性に熱い想いを打ち明ける内容らしいです。日本語訳にはそれは入っていないです。
共感ありがとうございます。
映画化した経緯を調べたら、演劇公演の作品を小説化し、後に出版された続編小説(『この嘘がばれないうちに』)を足したものを原作としたそうですね。小説には喫茶ドナドナも登場するそうです。
R41さん、喫茶店の名前とは面白いところに注目しますね。