ともしびのレビュー・感想・評価
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静けさの中に、名女優ランプリングのミステリアスな目線が突き刺さる
この映画はなかなか手強い。ミステリアスな映画というべきか。ひねくれた映画ではないのだけれど、全く手の内を見せてくれないので、観客はこれがどのようなジャンルに位置付けられるものなのか判断がつきにくい。それはひとえにこの女優、シャーロット・ランプリングの佇まいが成せるものでもある。彼女がただ物憂げに佇んでいるだけで、その内面に様々な心象模様が渦を巻いているのがひしひしと伝わってくる。それだけでなくこの名女優は、よりによって市民講座の演劇クラスに参加する中年女性を演じているのである。
本作には説明的な箇所が一つもない。全ては状況や表情から察するしかない。そうやって察しているうちに、我々はいつしか彼女が何を考え、どのような末路を歩もうとしているのか、何かしらの決意、そして近い未来すら察してしまった気がしてドキリとさせられる。つくづく静けさの中に、恐ろしいほどの得体の知れなさを秘めた映画である。
「無かったことにする」という罪とその罰
主人公アンナの辿る人生に数奇なところは何もない。何もないが故に、重い衝撃と繊細な表現に感服する。
これはある女の、崩壊の物語だ。
予告は観たけれどあらすじは読まなかったので、予備知識無しで観ていた私は、アンナの夫が収監されるシーンで「ずいぶん殺風景な老人ホームだな」と、能天気な事を考えていた。
今から思えば、そんな感想を私に抱かせるほど、アンナから動揺や焦りや不安、怒り、嘆き、そんな心情が伝わってこなかったのである。
私が状況を把握出来なかったのは、アンナ自身が自分を取り巻く状況を把握することを拒んでいたからだ、と気づくのは映画が終わった後の事だ。
アンナと夫の結婚生活は、夫が行動しアンナが従うという関係を崩すことはなかった。アンナは夫を消極的に肯定し、問題に対処するのは常に夫で、自分を否定しないアンナと彼の結婚生活は「二人の間」では波風の立たない平穏さを持続していたのだと思う。
夫が刑務所に収監されたことで、アンナの日常は綻びはじめる。自分の人生を自分が支配しなくてはならない。結婚してからのアンナに、そんな事態は起こったことが無かったのに。
オープニング、食事中に電球が切れても微動だにしないアンナに、あらゆる問題を「無かったことにする」彼女の生き方が示唆されている。
夫は食事を中断し、電球を取り替え、食事を再開する。二人は無言だ。
良いも悪いもなく、それがこの夫婦の「普通」なのだ。
アンナの夫は小児性愛者だ。幼い子どもの母親とみられる怒鳴り声が、アンナを糾弾するシーンでも明白である。
長年の彼の罪を、アンナは「無かったこと」にしてきた。問いただすことも、怒ることも、別れることもなかった。切れた電球をチラリとも見ないように、夫の行為を我慢するでもなく、ただ無視し続けたのである。
アンナの息子は彼女とは違い、父親の行為を許せなかった。アンナの夫が収監されたのは、息子の訴えが大きな要素を占めている。
「父親に向かってなんて事だ」「お前も許すな」というのは面会に来たアンナに対する夫の言葉だ。
孫の誕生日パーティーから門前払いされたアンナが、夫に「本当は起こらなかった家族との交流」を語った後、話が二人の息子に及んでのセリフである。
無視した妻と見過ごせなかった息子。息子はアンナの「辿らなかった人生」を現す人物だ。
アンナの「辿らなかった人生」は、演技ワークショップでの「夫と別れようとする女性の役」や「電車の中で激怒する女性」によってアンナを糾弾する。
特に電車に乗り合わせた女性が彼氏の浮気をなじる場面は、「一度でも私を愛したことがあったの!」というセリフにアンナが身を縮める。それはアンナの心の叫びではなく、アンナの罪を責める言葉だ。アンナが見なかったことにし続けた「夫」や「息子」や「被害者」たちの叫びだ。
だからアンナはビクリと体を震わせるのだ。
アンナがしたことは大それたことではない。傷つくことを恐れて、衝突することを避けて、ただ目の前の綻びを無視しただけだ。
その綻びを作り、隠してきた夫が彼女の人生から失われたことで、「小児性愛」という重大な犯罪からアンナを守るものは無くなってしまった。
アンナは子どもを恐れ、子どもに触れることを避け、子どもたちという「明るい未来」に近づいてはならないように感じているのだ。
ニュースで見た打ち上げられた鯨の死体は、アンナ自身である。進むべき方向を見誤り、生きるべき世界を離れ、朽ちていくのを待つ骸。
アンナは「死」というものを確認し、また自分の姿と重ねるために鯨を見に行く。仕事を早退したいと願い出たアンナは、強烈に「死」を意識していた。それは仕事先の子どもへの「いい子にしてるのよ」という声かけや、離れて眺めるしかない孫への視線からも見てとれる。
エンディング、長い長い地下鉄の階段を、降りていくのはアンナ一人だ。アンナの靴音は人生の残り時間を刻む時計の針のように、コツコツと無機質にアンナを死へと運んでいく。
アンナは電車に飛び込むような、突然の死を望んでいるわけではない。朽ちていく鯨のように、彼女は夫と過ごした家で緩慢な死を迎え入れるのだろう。
閉じた扉の陰に、完全に隠れたアンナの姿。彼女という存在が世界から失われた演出と無音のエンドロールが、どんな「死」のシーンよりも強烈に彼女の死を連想させた。
原題は「HANNAH」。同じアルファベットの並びで構成された彼女の名前が、「選んだ行動」が「結果」に帰結する重みを表している。
ほとんどの説明を省きながらも、要所を押さえた演出と繊細な演技が、アンナという女性の人生を克明に描き出す。フランス映画らしい重厚さと問題意識が、観る側に内省をもたらす。
とても哀しいのに美しくもある、完璧な映画だ。
フランス流『家族の絆』♥
変態オヤジはいてもいなくとも良かったが、馬鹿犬と馬鹿息子が必要なので、変態オヤジの痕跡としてオヤジ、犬、息子は置かざるを得ない。それでも、電球を代えた段階でオヤジの役目は終わり。彼を目の前に会話も無ければ、バックミュージックすら無い。この状況では
老いを感ぜざるを得ない。勿論、共有する者もいない孤独。
さて、これからどうする。
ゆりの雄しべをむしり取る動作はひょっとすると爺さんに対する腹いせか?
電車の中は、会話の出来る相手がいない。しかし、世の中が変わったのでは無く、自分が老いた事を痛感する。
それでも、女性は一人で生きる事だけは受け入れている。
さて、さて、どうする。
自宅を出て、ガキどもが階段を上がって来る。プールの時と同じ。頑張ってもガキどもとのスピードが合わない。でも、割とすんなり見過ごして彼女は一人降りていく。しかし、
打ち上げられたクジラを見て涙ぐむ。この情景を目の当たりにしては、もはや感情のコントロール出来ない。だから、最後に階段を女性としてヒールを響かせながら、しっかりとした足取りで降りていく。
『大丈夫だ』と確認出来た。
勇気が貰える。
犬(フィンからオリバーへ)はオス犬だと確信している。
傑作だ。素晴らしい階段落ちだ。
全然美しくないベルギーの町
そもそもここの舞台がベルギーって言うのも全然わからない。
終わり近くでクジラが打ち上がったニュースを子どもの母親が新聞を読んで聞かせる地名がオーステンドっていうので(それも検索してやっと)、ベルギーとわかった訳で。
フランス語に聞こえるしフランスだと思っていた。
でもこの女優さんはイギリスの人で、こんなにフランス語って話せるものなんだ、と別のところで感心した。
上手か下手かなんてもちろんわからない。
わからないというのはもう この映画が全く不親切極まりなく、少しでも見逃すともうさっぱり糸口を逃す。
しかも、ワザとそのキーポイントを映さない。
警察に行くのも留置場にいるのもまして逮捕も裁判もなくていったいどこに行ってるのか、見る前の説明を読んでなければ全然わからない。
あまりにもわからないから監督のコメントを探してみたら
主役のこの女性の生き方自体に焦点当てたくて、そこがブレるからわざと明らかにしなかった、とあった。
ヨーロッパもアメリカも、児童に対する性的な虐待は厳しい。
息子にもこの父はそうしていたのが、留置場の面会で知れる。
息子はでは母親をもなぜそこまで憎むか。
それは多分、この母が自分の夫の性癖を多少はわかっていたのにそれに気付こうとしなかったから、としか思いつくことは出来ない。
初っ端の奇妙な叫び声も
(突然でびっくりする)
自分を解放するとかナントカのセラピーかと思っていたら演劇学校だというので、へえええ、とこの女性の行動力にいちいち驚く。
プールにも会員となって通ってるし。
その更衣室での着替えのシーンは衝撃的で
話の重要なポイントは全然見せないくせにこういうのは遠慮会釈もなく映し出すのだ。
しかしこのプールの更衣室の薄暗さ古さは、最近の日本人なら抵抗ある人は多いと思う。
プールもなんだか清潔感ないと言うか、入りたい気持ちにはさっぱりならない。
あれってもしかしたら温水か?
ヨーロッパではお風呂屋さんのような感じで水着着て入るところがあると聞いた気がする。
じゃなければ屋外でプールは緯度的に相当無理がある。
もしかしたらここは東欧のどこかなのか?と思ったのはクジラの浜の奥の建物。
東ドイツやチェコあたりの元共産圏の国にみられる建物だ。
ヨーロッパでは移民対策として貧困層用にああいった集合住宅がある。
(こう言うのを見るにつけ政府の移民受け入れの体制には注意が必要であると切に思う。
映画の筋とは離れるが、移民は確実に治安を悪くし民度を著しく下げる。まして日本政府は移民含め外国籍の者に手厚い保護をしようとしているし選挙権も渡そうという団体もある。イギリスなどはイギリス人以外は税制的にも将来の保証的にもかなり厳しい。国民皆無料の医療システムもそれを受けるためには多額の費用を支払う)
ベルギーも本来は美しい町なのだろうと勝手に思うが(行ったことないので)、この映画では殺伐とした風景しか出て来ない。
それがもう このシワシワのおばあさんと相俟って
気分は暗澹。
カサブランカの花の柱頭や花粉をむしって取り除いているのは花を保たせるためなのだろうか。
私も間も無くこの彼女のような年齢に達し、夫とも死別し、似たような境遇になるのだろうけれど、
今のところこの彼女に対する共感は、幸いにも1ミリも湧かなかった。
原題は「アンナ」
ファーストシーンの奇声で度肝を抜かれ、何がなんだか
と思うまにエンドロールした一回目の鑑賞。2どめで、やっとこの主人公の抱えた問題が理解できた。
アンナが孫の誕生日にケーキを抱え地下鉄に乗ったとき、同乗の若い女が、恋人らしき人物に浴びせる言葉がまさにアンナの心情に重なっていたのではないか。
人は誰でも一つの出会いで人生が変わっていく。
それを悔いて自分の時間を返してくれと言ったところで、虚しいだけ。不可能とわかりながらも、そう叫ばずにいられない人生はとても悲しいものだろう。
あの魅力に溢れたブルーアイをしたシャーロット、カモシカのような足でスレンダーボディのシャーロット、若い頃のシャーロットを知っている人にとってはとても痛々しい映画。
でも老いた自分をさらけだして演じる俳優魂は尊敬しかない。人は必ず老いていく、人生を体現してくれたシャーロットの潔い生き方に大拍手!
配信に慣れてしまった私が悪い
配信映画に慣れきって舐めきった見方をした自分が悪かったです。すみません(映画に謝る)
仕事の昼休みにスマホで3日かけて見る映画ではありませんでした…
いつか時間のある時にもう一度見ます
監督の目がとても残酷
賑やかな刺激など一切ないけれど、落ち着いた日々を過ごしていた初老の女性。そんな彼女の暮らしに僅かのヒビが入り、それがどんどん大きくなっていく。曇り空の下、そんな時間が澱みながら進んでいく様子を描写するカメラがとても陰鬱で怖い。
さらに、監督の目はもっと残酷。しょっぱなから老いたシャーロット・ランプリングのアップから物語が始まる。美の化身のようだったひとの、皮膚の皺、関節の弛み、艶の無さ…そんなものどもを情け容赦なく細かく撮っていくカットのひとつひとつも、物語の残酷さをいっそう強めている。
テネットと同じく回文になった名前HANNAH
与えられた情報量の少なさから、アンナの日常を事細かにチェックしなければならない。多分実年齢と同じ70歳くらいの役柄だろうか、行動力だけみるとそれほど衰えてもいない。
演劇クラブ、ジムのプール、そしてエレーナと盲目の息子のいる豪邸での家政婦、自宅では愛犬フィンとの生活というルーチンとなった日常生活。しかし、夫は何かの罪で刑務所へと収監されることとなり、年齢的にも一緒に暮らせない仲となりつつある。
結局はその罪のおかげで息子ミシェルからも嫌われ、孫のシャルリーとも会えなくなってしまった。おそらくは夫が死ぬまで疎遠となることだろう。映画の中では愛する孫、家政婦先の盲目の二コラ、そして多分夫の被害者である子どもニコラという3人の幼き子どもの対比。プラスして、アパートの階上に住むやんちゃな子どもまでいる。
徐々に生活にも綻びが見え始める様子が痛々しい。ジムの会員証が無効となり、地下鉄での名も知らぬ青年のパフォーマンスを見つめるアンナ、打ち上げられたクジラの無残な姿、すべてが虚無感に満ちてくるのです。さらには愛犬家としては泣けてくるような・・・
そんな悲しみに包まれる人生のともしびとも言える時間と空間ではあったけど、小学校での楽し気なシャルリーを遠くから見守ったり、家政婦先のエレーヌの輝きにも幸せを見出している気もした。人生の終焉、それでも幸せに余生を送りたい。何か希望が見いだせれば・・・と、そう遠くない自分に置き換えてもみた。
【老境を迎えた夫婦に起きた事。独りになったアンナは、どのように生きたのか・・。】
ー序盤から、ラストまで観客に与えられる情報は極めて少ない。-
・アンナの夫は何らかの罪を犯し、収監される。そして、アンナは愛犬フィンに”あの人は帰って来ない・・”と告げる。
ー途中の、扉越しの被害者の子供の母親の声。朧気ながら、アンナの夫が犯した罪が透けて見える。-
・アンナは、息子と孫に会いにケーキを焼いて持っていくが、庭先で息子から拒絶される。トイレで激しく嗚咽するアンナ。
―その後、面会した夫と息子には大きな確執があることも、示される。-
・一人で静かに過ごすアンナ。市民プールに泳ぎに行くが、職員から”この会員証はもう、無効です‥。”と告げられる。
―彼女を取り巻く、閉塞感が凄い。-
・愛犬のフィンを譲り、正装しするアンナ。いつものように、演劇学校に行くが、途中で演じられなくなり、”外の空気を吸う”と言い、部屋をでる。
そして、地下鉄の長い階段を早足で降りるアンナ。
ー物凄い緊張感。アンナの思いつめた表情。そして、地下鉄が近づいてくる・・。-
<数少ない情報のみ、観客に与えつつ、老境のアンナが置かれた状況を表す手法。それにこたえるかのような、アンナを演じるシャーロット・ランプリングの深い哀しみを湛えた表情。
ラストの彼女の行動をどう見るかは、観客次第であろう。>
ランプリング・ショー
主人公(シャーロット・ランプリング)はベルギーで夫と暮らしていたが、夫に召喚状が届き、出頭するとそのまま収監されてしまう。
主人公は日常生活のルーチンを頑なに守ろうとするが、次第に破綻していく。
息子に拒絶されたときの慟哭は胸に突き刺さる。
定点カメラの意味ばかり探してしまった
ほとんどのカットがカメラ固定で、その中で女優が動くので、観客が「映画を観る」のではなく、何かを「観させられている」気になった。
ストーリーは、なんとなくですが、夫が恥ずべき罪を犯した。“妻”としてその事件のショックから立ち直ろうと努力して、家から距離がある場所で働いたり、セミナーみたいな処に通い、夫の刑務所にも通う。ジム通いで体のケアも“女”として気をつけて、“祖母”として孫のことも愛しているようだが、息子からは孫の前で門前払いを食らうほど。よっぽど夫が犯した罪は恥ずべき行為だったのだと、推察できる。
そしてある日、タンスの後ろに夫の罪の証拠を見つける。ここで、アンナ(シャーロット・ラン プリング)は、初めて夫が罪人ということを「完全に理解する」。
映画は、そのままアンナの日常を描きながら終る。
全体を見て感じたのは、おそらく、アンナの罪は「無関心」なのかもしれない。
電車内でのアンナの振る舞いも、飼い犬になつかれていないのも、夫の悪趣味や愚行に気付かなかったのも、、世間的に「妻/祖母/女」として役割を演じることはできても他人には無関心。「アンナ」という自分にすら無関心。
クジラを見にいったシーンも、【クジラを見たけど何も感じなかった】ようにも見えた。すべての生活を淡々と過ごせるのも、おそらく「無関心」だから成せる業なのかもしれない。
何時の頃からか自分を見失っていた…いや、何もかもに「無関心」になっていた。
「何もない心(無関心)」にともしび(あかり)はともるのか。
なんとも切ない物語。どこでそうなったかは描かれていないが、人間なら誰しもに当てはまるテーマをなんとも淡々とそれこそ、定点カメラの意味が「無関心」のようにも思える。
シャーロット・ラン プリングじゃなきゃ出来なかった映画。難しいっ。でもこれはすごい。
ミステリードラマ…?
ミステリードラマって何?ミステリーとは違うの?予告編とかポスターとか、ちょっと面白そうと思って観に行ってみたんだけど、ちっとも分からなかった。全然、ミステリーじゃなかった。何かがあって、夫は刑務所らしきところに入るんだけど、何をしたのか明かされない。刑務所らしきところが、本当に刑務所だったのかも分からない。劇団みたいなところで、演劇してるみたいなシーンもあるけど、何をしてるのか分からない。子供らしき人に拒否されているんだけれども、その理由も分からない。分からないづくしの映画でした。こんなにセリフのない映画も初めてかも…。個人的には、フランス映画って、セリフが少ないものが多い気はすると思うけど。おかげで、分からないことだらけでした。でも、この女優さんの演技は素晴らしかったと思います。主演女優賞を受賞したってあったけど、セリフが少ない分、感情の表現は難しかったと思うんですよね。どうでもいいことなんですが…フランスも電話に出た時は、ハローって言うんですね。ちょっと意外でした。
ともさない、ともらない、ともしてもらえない話
三部作にしたかったから、この邦題か…
「生き直しの物語」って言ってなかったっけ?逝き直しなのか?死んだように生きてるオンナが生き直す事にも挫折する話だった....
ちょっとだけ肯定的に考えると、川端文学をフランス映画にした、みたいな。ま、無理くり感、あり過ぎだけど。この空気感も、たまには良いかなと思いましたが、お勧めできる「映画」ではありませんでした。
辛い現実を見て見ぬふりをした罪
これは、ちょっとゾッとする話だった
主人公のアンナ(シャーロット・ランプリング)は、夫と二人で慎ましい生活を送っていた
しかし、ある日、夫が刑務所に収監されてしまう…
この世には、賃金が出ない仕事に「主婦業」や「母親業」がある
常に、自宅を家族が過ごしやすく、快適な状態にしておくのが、その仕事だ
そして、まじめな人であればあるほど、常にキチンとした家にしておくことに注意を払っている
この映画の主人公アンナも、キチンと整えられたベッドや、アイロンをかけられたシャツを見れば、真面目なお母さんなんだなということがわかる
*
夫が刑務所に入った時もそうだった
無事に夫を送り届け、その後も、いつもと変わらない日を過ごしていた
つまり、アンナからしたら「ちょっと夫は事情があって留守にしているだけ」のことであり、それ以外のことは、いつも通り主婦業をこなしていこうと考えていた
孫の誕生日にはケーキを焼き、夫が可愛がっていた犬の面倒をみて、仕事も今まで通り続ける
しかし、それでは世間が許してくれないということに気づいてしまうのだ
世間の人から見たら、妻は夫の共犯者でしかない
どんなにその現実から目を逸らして、今までと変わらない日常を過ごそうと思っても、そういうわけにはいかないのだ
そんなアンナの状況を象徴しているのが、 砂浜に打ち上げられたクジラだ
クジラは、いつものように海の中を泳いでいただけなのに、なぜか、砂浜に打ち上げられ、そこでジワジワと朽ち果てていくのを待つだけになってしまった
アンナも、いつも通り、真面目に毎日を過ごしていただけなのに、いつの間にか、ひとりぼっちになってしまった
しかし、それでも人生は続くのだ
その心境の中で迎えたラストシーンには、ドキドキしてしまった
本当なら、もっと泣き叫んでも良かったし、夫を見捨てることもできたはず
しかし、それをしなかったのは、彼女が主婦業を全うしたからだと思った
今まで通り夫を信じ、変わらない日常を過ごそうと思ったのだ
しかし、その真面目な性格が災いして、多くの物を失ってしまう
もしも、彼女に罪があるとするならば、それは「現実から目を背けた罪」だと思う
クジラが浅瀬で泳いでいることに気づかず、砂浜に打ち上げられてしまうように、現実から目を背けていると、いつの間にか一人ぼっちになってしまうのだ
これは、アンナだけに起きることではなくて、おそらく、多くの家庭で起き得ることで、だからこそ、なんだかゾッとしてしまう話だった
さすが、シャーロット・ランプリングのリアリティだった
シャーロット・ランプリングの存在に依存しすぎ
日本の映画配給会社は「まぼろし」「さざなみ」と来たシャーロット・ランプリングの平仮名4文字シリーズとして売り出したかったらしい「ともしび」ですが、本当に申し訳ない、もう全然わかりませんでした。というか、本当に何も感じなかった。心が少しも動かなかった。今見ているシーンが次のどのシーンにつながるのかも分からなかったし、さっき見たシーンがどこにつながるのかも、あるいはどこにもつながらないのかさえも分からなかった。
実際、この映画はあえて重要なエピソードを描き飛ばしているという要素もある。夫がなぜ逮捕されたのか。息子がなぜ母をあそこまで憎悪するのか。箪笥の裏に隠されていた封筒の中身は・・・?普通なら描くであろう部分をあえて描き飛ばし、その外側の余白を積み重ねることでその真髄にたどり着こうとしているのではないか、きっとそうだろう、という印象はあった。そしてそういう映画があってももちろん良いと思う ― 成功してさえいれば。
ただこの映画に関しては、本当にただただシャーロット・ランプリングの背中を追い続けて見つめ続けたまま、ただそれだけで終わってしまったような感覚だった。心が何も感じないまま。
確かに、シャーロット・ランプリングの背中を追いかけていればその時点でもうドラマである、という部分はある。彼女の存在自体がもはや既にドラマだし伝説だし。彼女のその顔も声も手も胸もすべてがドラマで人生で歴史。だけどこの映画はちょっとそれに頼りすぎだったという嫌いが。映画が暗転し、エンドクレジットが流れ出した瞬間に唖然とした。え?ここで終わり?ていうか、これで終わり?シャーロット・ランプリングが大好きだから、集中して観ていたはずなのに、何も感じなかったし何も伝わらなかったし、簡単に言うと、全然面白くもなかったし、なんならつまらないと思うことすらなかった。本当に、私にとって何にもならない映画だった。
シャーロット・ランプリングの新作だったから、どうしてもこの映画が観たくて、でも予定がギリギリで、わけのわからないデモで交通規制が敷かれている銀座の街を必死で走ったのに、観終えて残ったのは虚無感だけだった。
物語を補完する
インパクトのあるオープニング。
意味ありげな出来事が積み重なり、だけどそれらに何の説明もなく、ただただ進んで行くスクリーン。
この女性はどんな状況にあるのか、夫と思われる人は何をしたのか、どうしてもめているのか、それは何を意味するのか…
何一つわからないまま、エンドロール。
突然放り出されるように終わる。
でも不快じゃない。
全ての出来事や状況を自分の中で補完しながら観る物語。
100人が観たら100の物語が出来上がるんだろう。
私は、嫌いじゃない。むしろ楽しめました。
起承転結のない作品が苦手な人には無理な作品かもしれません。
前宣伝が良かったからか、90%くらい席が埋まっていましたが、1/3はぐっすり眠っており、出て行く人達は何が何だかさっぱりわからなかったと口々に言っていました。
主演の女優さんが凄い!
年老いてから、夫が刑務所に収監され、一人の生活を余儀なくされる女性の日常を描いている。正直に言うと、よくわからない(男性として理解できない)部分もあるが、大変さだけは伝わる。
何より、周りの人も出てくるが、実質的には「一人芝居」。それも、所作と表情で、彼女を取り巻く状況や感情(悲しさ、辛さ、頑張ろうという覚悟など)を表現している。凄い!
よくわからなくとも観るに値する。
日常の軋む音。
「なんだか凄いもの観たなぁ…」が、最初の印象。色んなものを極力排除して研磨し続け、それでも鈍く光るなにか。
そんな「なにか」を老女の日常を介して、ただただ映し出す。映画的な美しさ満載の画面から漂う不穏さは、日常生活にある様々な音(こうして耳にすると不快)と共に、何かが少しだけズレた世界へと我々を誘う。地下鉄の変圧器の音と共に、暫く頭のなかに残りそうだ。
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