「繰り返される女の悲劇」母という名の女 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
繰り返される女の悲劇
人間の女は動物の雌とどう違うのか。鑑賞後にそんな疑念が浮かんでくる作品だった。雌ライオンは子供を産んで育てるが、群れを守っている雄ライオンが他の雄ライオンに負けて追い払われることがある。新参者の雄ライオンは、雌が育てている子供を食い殺してしまう。すると、雌ライオンはどうするか。
ご存知の方も結構いると思うが、雌ライオンは子供が殺されると、発情するのである。そして新しい雄ライオンと交尾し、再び出産する。ライオンにとって種の保存は遺伝子レベルの本能なのだ。
さて本作品の登場人物である母と娘たちはライオンではなく人間だ。必ずしも種の保存本能に支配されている訳ではない。むしろ自分の幸福追求に余念がなく、子供や孫は生活を充実させてくれる玩具のようだ。オキシトシンの分泌を活発にして幸福感を増してくれる。
映画はまるで子供がオモチャの取り合いをするようなストーリーで、間にいる男マテオは17歳で経済力も発言力もなく翻弄されるばかり。17歳の娘も年齢的に無力である。一方母親アブリルは自立していてお金を稼ぐ方法を心得ている。男をものにしたあとも娘たちに非情な追い討ちをかける。何故そんなことをするのか。
マテオとアブリルの会話で「17歳でバレリアを産んだ」という台詞がある。バレリアは17歳だからアブリルはまだ34歳の女盛りだ。この17年間に彼女に何が起きたのかは語られないが、一度だけ登場する元夫の冷徹な様子からすれば、何度も修羅場があったに違いない。アブリルは凄絶な人生で、他人を信用することをやめ、ひとりで生き抜く力と非情さを身につけたのだ。
姉のクララは従順で大人しいが、子供を産んだ妹のバレリアは行動的で決断力もある。奇しくも母が自分を産んだ年齢でバレリアも娘を産む。バレリアが母と同じような人生を歩むであろうことは想像に難くない。この作品の恐ろしさは実にそのあたりにある。バレリアは次のアブリルであり、娘カレンは次のバレリアなのである。