「私も狙われて逃げ惑い、生き残った」ウトヤ島、7月22日 KinAさんの映画レビュー(感想・評価)
私も狙われて逃げ惑い、生き残った
世界一安全な島が一瞬のうちに地獄に変わってしまった72分間。
冒頭でオスロの官庁爆破が少し触れられ、序盤でウトヤ島でのサマーキャンプの模様が少し描かれ、唐突に鳴り響く銃声から後はただひたすらに逃げ惑うだけの映画。
重く響く銃声におののいた。
分かってはいたけど、突然凄惨な状況になるショックが大きい。
緊張と恐怖と苦しみと悲しみと混乱と画面酔いでずっと吐きそうだった。
鑑賞後はリアルに体調不良になりかけて、帰りの電車にすぐ乗れなかったしなぜか次の日筋肉痛で脚が痛かった。
カヤと妹や友人たちの些細な交流が後で響く。
「妹を探す」という無謀で無希望な目的のために飛んで火に入る単独行動には正直イラつく。
やめたほうが良いのはカヤ自身十分わかっているはずなのに。
兄を待つ黄色いコートの少年にかけた言葉はそのまま自分自身にも帰ってきて、それでもなお妹の安否をたしかめたい気持ちが勝ってどうしようもなかったんだと思う。
姉としての責任もあるし、小競り合いをしたままの永遠の別れなんて悲しすぎるから。
終始恐怖がつきまとう。
肩を打たれた少女とのやりとりには暗く沈む気持ちも大きい。
身体を起こして判明するエグい重傷と流血に焦る。
ジワジワと彼女の肉体から生気が失われていくのが手に取るように伝わってきて、命が消えた瞬間が本当に怖かった。
喪失感でいっぱいになり泣き叫びたくなる。
名前もまだ聞いていなかったのに。
海岸で再会できた軟派なマグヌスの会話が少し心に沁みて良かった。
猫の動画観たい。帰ったらケバブ一緒に食べたい。
この状況でそんなこと言われて、場違いでもちょっと笑っちゃって、カヤの知らなかった一面が知れて、ほんの少しホッとできる時間だった。
あっけないラストに鳥肌が立つ。
海岸に無数の遺体が転がっていて、パニックになりあっさり打たれるカヤと、僅差で船に助けられたマグヌスと妹エミリエ。
すっかりもうダメだと思い込んでいたエミリエの生存に喜びつつ、尚更あの時冷静になれなかったカヤが悲しくて悲しくて茫然自失としてしまう。
しかし、この上なく完璧なラストだったと思う。
カメラが最後にカヤを離れて船に乗ったとき、私がずっとカヤと共に行動していたことに気付いた。
これは疑似体験の映画だと思った。
「テロについて考えさせられました」なんてそんなもんじゃ済まされない。
私も共に狙われ、逃げ、人と出会い、生き残ったんだと思い知らされる。
分かった気になって安全圏でペラペラと話し続ける我々への警鐘なのかもしれない。
おいおいお前、そこのお前だよ!と指されている気分になった。
「分かりっこない。」と始めにカヤに言われたのが忘れられない。
どの立場でも当事者の気持ちなんて100%の実感は出来ないけど、この映画で体感したことは無駄にならないと思いたい。
真面目に考える反面、不謹慎な言い方だけどこの映画はホラー的な面白さがあった。
一人称の目線、姿はしっかり見えないけど確実にいる無差別殺人犯、突然命を奪われる恐怖はかなり大きくスリリング。
ドキュメンタリー的な学びの部分ももちろん多いが、スリラーとしてもしっかり味わえると思う。
Netflix限定配信中の「7月22日」も関連で観た。
この事件で何が起こっていたのか、なぜ起こしたのか、被害者の受けた傷など「ウトヤ島~」ではあまり触れられなかったことについてこちらではよくわかる。
「一番弱いところを突きたかった」か…。
事件後の被害者と家族の苦悩と再生の物語でもあり、学びとヒューマンドラマの要素の大きい深く胸打つ良い作品だった。
「ウトヤ島~」は当事者として、「7月22日」は傍観者として描かれているように思う。
二作併せて観るといいかもしれない。
2019年3月15日にニュージーランドのクライストチャーチで銃の乱射事件があった。
このテロ事件の犯人はウトヤ島の犯人に大きく影響を受けていたらしい。
鑑賞してからすぐ起きたこのニュースを見てひたすら苦しく絶望的な気持ちになった。
映画の最後の一文、過激な思想は広まっているらしいことをこんなことで実感する羽目になるなんて。
もっと怖いのが、私はこの映画を観なかったらこのニュースに対して「フーン」で片づけていただろうこと。
どこからが他人事でどこからが自分事になるのか、その境界ってなんなのか。
一度二度と前例が作られると三度目四度目を起こそうとする人が現れる。
撲滅なんてできるだろうか。怖い。日本だって安全圏ではない。
もはや世界中が当事者の状態にズブズブと嵌ってしまっているんだと思う。
知ったところで何か出来ることがあるのか、あったとして自分は行動できるか、全然わからない。
最近色々考えて苦しくなるけど、それでも趣味嗜好は趣味嗜好として、社会的倫理は社会的倫理として、別枠でしっかり持って生きていこうかなとはふんわり思っているけれど。
長すぎるうえに映画の感想じゃなくなってしまったな…。
「カメラが最後にカヤを離れて船に乗ったとき、私がずっとカヤと共に行動していたことに気付いた。
これは疑似体験の映画だと思った。
「テロについて考えさせられました」なんてそんなもんじゃ済まされない。
私も共に狙われ、逃げ、人と出会い、生き残ったんだと思い知らされる。」のところで、なるほどと思いました。
ドキドキハラハラして見てはいましたが、その視点はありませんでした。
そう言われると、より当事者のように思えて、さらに怖くなってきます……。