希望の灯りのレビュー・感想・評価
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旧東ドイツの物語だとまず認識しないと一体何を言いたい映画なのか全く見えてこないと思います そして、東西ドイツの再統一の実態についての予備知識がないと何の映画なのか?となると思います
希望の灯り
2018年 ドイツ映画
不思議な魅力に溢れていて、少し見始めると止まらなくなります
上映時間は2時間あるけれども、もう終わりなのと思ってしまうことでしょう
原題は「通路にて」
舞台は旧東ドイツだったどこかの田舎の巨大スーパー
主人公はクリスティアンという無口な青年
登場人物は少ない
台詞も少ない
場面も巨大スーパーの店内何ヶ所かと近くのバス停とバス、
職場の先輩の家、田舎町の盛り場、マリオンという女性の家くらい
旧東ドイツの物語だとまず認識しないと一体何を言いたい映画なのか全く見えてこないと思います
そして、東西ドイツの再統一の実態についての予備知識がないと何の映画なのか?となると思います
巨大スーパーは世界中どこでも同じような作りで大した違いはありません、労働生産性とか経済効率とか合理性を考えるとそうなってしまうのです
見た目だけでは、どこの国のことなのかさえわからないぐらいです
ただし、日本だけは、パレットとフォークリフトのオペレーションは物流センター程度で、お客の入る店舗では台車での在庫の運搬、保管が主流で世界標準とは違います
何故そうなのは土地代が高いからでしょう
東ドイツは1990年10月まで存在した今はない国です
第二次世界大戦でソ連軍に占領された地域がソ連の共産主義の衛星国として東ドイツという国として無理やり人工的に作られたのです
ソ連が崩壊してしまうと、西側の連合軍に占領された地域の国、西ドイツに吸収合併されドイツといういまの国に、再統一されてなくなってしまったのです
東ドイツ時代はソ連圏の共産主義社会ですから、日本でいうところの親方日の丸の国鉄体質みたいなもので、西側の資本主義社会とは違い、何から何まで非効率で生産性が低く立ち遅れた国のまま取り残されてきました
それでもソ連圏共産主義社会の中ではそれなりに経済はマシな方の国だったのですが、ソ連自体が経済的に行き詰まり崩壊したのに、東ドイツが単独で延命できる筈もなく、西ドイツに実質的な救済的な併合という形での再統一に向かったのは当然のことです
再統一された東西ドイツの経済格差は大きく、先進国としての西ドイツからすらば、東ドイツは後進国、せいぜい中進国で、共産主義の非効率な国営企業は民営化されてもたちまち経営が破綻して、西ドイツの企業に買収されました
西ドイツからすれば、東ドイツの国民は、元々同じ国の国民です、同じ言葉と文化を持っており、しかも西ドイツと比べ格段に安い賃金で雇用できる労働力になりました
それが競争力となり、統一ドイツの経済力は強化されて、立ち遅れていた旧東ドイツ地域のインフラなどへの投資の原資になり、最新設備の工場への建て替えが進んだのです
まさにwin win の関係でした
しかし、実態はどうか?
旧東ドイツの国民は西ドイツの人々から、二級市民的扱いを受け、移民よりはマシくらいの位置付けにされてしまったのです
旧西ドイツから企業が進出して旧東ドイツの企業を買収すれば、そこの幹部はもちろん、旧西ドイツの人々で、旧東ドイツの人々は下級の労働者にされてしまうのです
何十年旧東ドイツの企業で働いてきてもそうなってしまったのです
そして、親方日の丸的な頑張っても頑張らなくてもいい旧共産主義東ドイツ時代の働き方は西ドイツから進出してきた企業では通用せず、資本主義の生産性指標一本槍の働き方でなければ、たちまち職を失うようになったのです
巨大スーパーとは、その西ドイツからきた企業を象徴しています
かってケネディ大統領は豊富な品揃えのスーパーマーケットを資本主義社会のアメリカの象徴と演説しました
共産主義のソ連圏のスーパーマーケットには商品はなく、買いたくても買えない店でしかなかったのです
計画経済で官僚が計画して生産された製品を運んで並べていただけだからです
巨大スーパーになる以前のトラック運送人民公社はまに、それで売れようが売れなかろうが工場で生産されたものを、単に運ぶだけでよかったのです
ゆえに、巨大スーパーは旧西ドイツをそのものを象徴しているのです
劇中、巨大スーパーの上の人は、フォークリフトの研修会にきた人物くらいです
彼は多分旧西ドイツの本部から出張してきた人物でしょう
旧東ドイツの人々を、まるで無知な移民のように下に見た態度を示します
店に常駐しているであろう店長などの幹部は誰一人姿も見せません
彼等は旧東ドイツの労働者とは違う上流階層の人々のように、接触は一切ないのです
巨大スーパーの売り場は営業中は煌々と明るく、フォークリフトが行き交う、クリスティアン達が働くバックルームは作業する最低限の照明だけで薄暗いのです
22時の閉店後は売り場も作業灯だけになり薄暗くされます
当然です
クリスティアン達は作業員であり、客ではないからです
売上がないのに電気代をかけたくありません
本当は真っ暗闇で作業させたいくらいなのです
とは言っても、暗すぎて労災になると店の責任になりますし、作業効率が低下して労働時間が延びたら却って経費が掛かるから、最低限にしているのです
つまるところ、クリスティアン達作業員は人間的な扱いをされていないことを照明で表現しています
もちろん当たり前のことです
彼等は客ではない、作業員だからです
規則と効率指標の範囲の中だけで許された自由です
巨大スーパーに働く人々は常に誰かに監視されているかのように働いています
あまり無駄口を叩く間もなく働いています
資本主義の非人間性?
そんな大袈裟な
当たり前のことです
世界中のスーパーどこでも同じです
それでも人間なんですから、深夜の閑散とした巨大スーパーで誰とも口もきかず黙々とはたらくとさぞ寂しく、虚しい気持ちになることでしょう
旧東ドイツ時代ののんびりした働き方が懐かしく思えたりするのでしょう
適当にタバコ休憩ばかりする
ルディやブルーノ、
勤務時間中に、バレないようにチェスを長時間しているユルゲンとブルーノは旧東ドイツで再統一までに大人になっていた人間だけです
賞味期限切れで売り場から撤去された食品が荷受け場近くの大きなゴミ箱に廃棄されるのは、洋の東西問わず同じです
廃棄商品を、どうせ捨てるのだからと、従業員が勝手にもって帰ったり、食べたりするのは、不正の温床になるので規則で禁止されるのも同じだと思います
これも、平然と破るのは旧東ドイツ育ちのブルーノとかです
ゴミ箱を漁り、廃棄商品を食べる姿は最早人間としてのプライドがなくなってしまったかのようです
クリスマスイブの荷受け場での従業員だけのささやかなパーティー
欧米のクリスマスイブは日本の大晦日みたいなものです
誰だって家族と過ごしたいものです
なんでこんな時まで働かないとならんのかとつらいのは人間だからどこも同じです
でも、そこには西ドイツから赴任して来たであろう店の幹部は誰一人いません
現場の従業員だけが幹部には黙って勝手やっていることみたいです
上の人が食べ物や飲み物を差し入れしてくれているわけもなく、食べ物は廃棄商品、飲み物は瓶が割れた事にでもしたものでしょう
上に見つかれば、色々大変な事になりそうですが、毎年こうしているみたいです
明るい売り場は旧西ドイツ
暗いバックルームは旧東ドイツ
閉店後の暗い売り場も旧東ドイツ
そういう対比で象徴しているのだと思います
「今はフォークリフトの運転さ」
俺達は日陰者扱いさという意味にきこえます
1990年の再統一から、本作公開の2018年までは28年です
そこを頭に置いて登場人物を整理するとこうなります
クリスティアン
20代半ばくらい
たぶん再統一後の生まれです
高卒で、旧東ドイツ国民なので、低賃金労働者にしかなれず、前職は解体業で移民と一緒に肉体労働に従事するしかなく、周囲の友人達も同じ境遇だから、面白いわけもなく、当然グレてしまいます
首元や、腕にタトゥーを入れたのもそのその頃のことでしょう
彼も彼等と連んでいるうちに犯罪に手を染めて少年刑務所に2年入っていたといいます
釈放されて出てきても悪い友達と連んでいたら人生駄目にしてしまうと彼なりに考えて、巨大スーパーの夜間作業員になんとか採用されます
ここで真面目に働いていれば、いつかは自分も人間らしい人生が待っているかも知れないと思って辛抱を続けているのです
両親は登場しません
もしかしたら再統一の頃に家族がバラバラになったのかも知れません
彼が無口なのは、旧東ドイツ国民は発言力が無いことを意味しているのだと思います
マリオン
40歳くらい?
再統一は10歳くらいの時でしょうか?
物心ついたころから、再統一ドイツの国民です
旦那もそんな年くらいでしょう
再統一の大混乱の時期に十代、二十代を送ったのだから色々苦労の多い夫婦生活だったろうと思います
それでも彼女の家は結構良いもので結構稼ぎのある亭主の様です
部屋にはDV を思わせる荒れた生活の痕跡は何一つなく一見幸せそうです
亭主は、なんとなく旧西ドイツ出身の男のように思えます
彼女を救うヒーローにクリスティアンがなる余地はあまりなさそうです
彼はあっさり諦めて帰ります
良い子です
ブルーノ
50歳くらい
再統一は20歳の頃だったでしょう
生まれ育った旧東ドイツは滅び、大人になってから親世代や先輩から教わった働き方
とはまったく違う働き方をしないとならなくなり、旧西ドイツから来た連中に、同じドイツ人なのにアゴで使われるようになった人生を送ってきた人物です
その時の混乱で、困窮したのか、生活が荒れたのか、妻子から逃げられたのかも知れませんし、ひょっとしたら、妻はあの家で自殺したのかも知れません
もしかしたら、マリオンの旦那のDVは嘘で、自分のことだったのかも知れません
在庫を縛っている丈夫な梱包テープをこいつは役にたつ取っておけと言っていました、彼の死を知って、あれはそういう意味だったのかとクリスティアンは梱包テープを見て捨てずにポケットにしまいこみます
単に仕事に使うということなのか
俺には関係ないということなのか
それはわかりません
ユルゲン、ルディ
60歳くらい
クリスティアンの父くらいでしょう
再統一は30歳頃
はたらきざかりで再統一になり、揉みくちゃになった世代
プライドも何もなくなり、今の職場で適当に働いて生きて行ければそれでいい人物
それでも、ユルゲンは店で一番楽そうな煙草係、ルディは店の作業主任のようで、上手くたちまわって自分の居場所を確保しているのです
あいつは大丈夫
何があっても前に進まないとな
それはブルーノからのルティを通じてのクリスティアンへの伝言であると同時に、旧東ドイツの人々への監督からのエールだと思いました
そして
クリスティアンは試用期間を終わり正社員となり飲料の担当者として働く明日が約束されました
ラストシーンの波音は一体何を表現しているのでしょうか?
深夜の巨大スーパーの片隅、日陰者の旧東ドイツ人が働いているところ、波音が聞こえるような楽園からは、最も遠いところ
そんなところでも、真面目にやっていれば耳をすませば、波音が聞こえるくらい楽園に近づいたことに気づくこともあり得るのだ
そう言っているのだと思いました
マリオンとクリスティアンの恋の行方は語られません
それはテーマではないからです
再統一から30年近く経ちました
巨大スーパーの従業員の息子が望むように大学をでれば、旧東ドイツ出身者でも先が開けるでしょうし、そうでなくてもクリスティアンのように居場所を作っていけるのです
マリオン夫婦のように、東西ドイツの結婚はつらいことがあっても続いてゆくのでしょう
やがて、笑い話になる日があるのかも知れません
最後に
本作の邦題を「希望の灯り」とした日本の配給会社の方に敬意を示したいと思います
ブルーノは
何故死を選んだか。健康で仕事があって気の合う仲間もいる。でも心の隙間は埋められず、夜はなかなか寝つけない。酒と煙草は手放せない。あートラック転がしてたあの頃に戻りてえなーって。う〜ん人生に絶望しちゃったかなあ。今日は昨日のコピペで明日は今日のコピペか。まあでも他の登場人物も似たりよったりよね。そんな大っきい出来事無いし。日常の些細なことに幸せ見つけて帰りのバスで今日はいい一日だったなあって。それで十分人生ハッピーなんだけど。そういう小さなことに喜び見つけるには練習もいるなあ。毎日に感謝して生きるって。ありがとうの反対は当たり前。当たり前になっちゃ逆に生きづらくなるんかな。あと孤独も超危険よな。やばいやばい。
ドイツ再統一後、28年の無念の日々をひっそり孤独に耐え続けた中年男の死
ベルリンの壁崩壊の翌1990年10月に東西ドイツは再統一するが、政治的な祝賀ムードとは正反対に経済的には大きな混乱を来して長い不況に突入する。
特に旧東側では国営企業が民営化されて次々に倒産し、失業者が増加。その煽りで移民排斥の動きやネオナチの復活が見られるなど、経済的な格差から社会不安が醸成されているという。
本作の舞台は再統一後28年を経た2018年のライプツィヒにある巨大スーパーである。ここも東ドイツ時代は運送トラック会社だったが、再統一後にスーパーに業態変更を迫られ、ドライバーたちはスーパー店員となった。
そこに新たに採用されたのが建設業をクビになった主人公。首や腕、背中に刺青があり、少年犯罪で2年刑務所暮らしをした経歴の持ち主だが、周囲と同調する能力はあるし、仕事も真面目なために、職員に好かれて信頼を得ていく。好意をもった女性職員から自分も好かれるのはいいが、彼女は既婚者で、すぐに何かが起こるとは考えられない。
その環境の中で、彼はフォークリフトの運転資格を苦労しながら取得したり、職場での貧しいクリスマスイブのパーティでさきの女性と寄り添ったり、暴力夫が原因で彼女が休職したり等々のささやかな出来事の後、ある夜、上司のベテラン職員宅に招かれ、暗く狭い部屋で2人で酒を酌み交わす。
酔ったベテラン職員は東ドイツ時代を懐旧して、「あの頃はトラックを飛ばして、いい時代だった。今やトラックの代わりにフォークリフトの運転だ」と、無念の気持ちを吐露する。
翌日、出勤した主人公は先輩から「あいつはもう来ない。今日からお前が責任者だ」と告げられる。理由を尋ねると、「昨夜、自殺した」というではないか。しかも本人は妻と一緒に暮らしていると話し、周囲もそう思っていたが、実際は再統一後の長い年月を、たったひとりで暗く狭い部屋で過ごしてきたのだ。恐らくは28年間、ずっと無念の気持ちを抱きながら。
葬儀の日、かつてのドライバー仲間だったスーパーの同僚たちや、主人公や件の女性は一緒に参列し、無言で死者を見送る。
ここにどのような希望の灯があるのか、小生にはわからない。ただ、再統一後の地方都市でひっそりと無念の28年を過ごした中年男性と、自らそれに終止符を打った心中に思いを馳せるだけである。
東ドイツ時代を懐かしむことをノスタルジーならぬ「オスタルギー」と呼ぶらしい。2007年にドイツで行われた世論調査によると、東西分断時代の頃の方が良かったという回答が19%に上った。
あの自殺したスーパー店員と同様の人々は、ドイツにどれほどいるのかと想像せざるを得ない。本作は何ら政治的主張も体制へのプロテストも、社会的な訴えかけもせず、ただ中年スーパー店員の自殺を投げ出しただけだ。しかし、そこに無言の政治的な訴えを読み取れるような気がする。メルケルにそれが読み取れたか、少々疑問だが。
丁寧に丁寧に作られた作品
日本だと是枝監督の様な、リアリティを感じつつ、端々に映像作品としての美しさをやセンスを感じる素敵な作品でした。
カンヌ系というか、文学系というか、そういった心象をテーマに描いた作品が苦手な方は合わないと思います。見終わって「で?」となるかもしれません。
家に忍び込むシーンだけは、違和感がありましたね。流石に。
自殺した方が、奥さんがいるという「見栄」、喫煙所があるのに、隠れて吸っていたこと。何気ないシーンも、後になって色々と考えさせられるのが良かったです。
深い映画、だと思いました。
終始、静かに流れる感じ…
です。
旧東ドイツの大きなスーパーマーケットで働く人々の人間ドラマです。
それぞれが余計なセリフが少なく、周囲の余計な音も少なくて終始静かなやりとりが続いていきます。
セリフが少なめなので、各登場人物の気持を感じ取ろうと引き込ませる意図を感じさせたかった作品なんですかね?
ヨーロッパの方はこんな雰囲気の作品が多い気がします。
嫌いじゃないです。
私はたまにこーゆー感じの観たくなります。
ただ、終始静かで単調な流れなので眠くなりましたが…
笑
東西統一後の負け組を描く
東西統一後の東ドイツ、スーパーの倉庫係として働く青年の試用期間の日々を淡々と描く。
ドイツ表現派の典型のような説明を省き、描写の中から何かを感じ取れれば由とする演出手法だから、ただ観ているだけでは真意が分からずもやもや感が絶ち切れない。
人妻でありながらちょっかいを出してくるマリオン、明らかに不道徳路線なのだが孤独な青年にしてみれば純愛路線の様、DV夫らしいが彼女の私生活は殆ど語られないので真意は不明・・。
親身に目を掛けてくれる上司のブルーノがなぜか首吊り、昔の長距離トラック運転手時代を懐かしむが、そうまで拘るのなら何故復帰しなかったのか、東西統一の被害者のようだが自由を手に出来たことは彼には意味をなさなかったようだ。妻と同居と嘘までついていたのは逃げられたのか、寂しさに負けるような軟な男には見えないから、邪推すれば青年に責任者の地位を譲ろうとしたのかも・・、ことほど左様に真意不明。
タイトル、原題はIn den Gangen(通路で)、原作の日本語書名は「夜と灯りと(新潮社)」だからその辺から邦題の「希望の灯り」となったのだろうが、陳腐に思える。
原作者で脚本のクレメンス・マイヤーは自身も東ドイツ出身、東西統一で経済的に負け組となった東ドイツの労働者に視点を据えている、そういう意味では社会派の作家なのでしょう。自身も少年院に入り、タトゥーも入れ、建設現場や、警備員、フォークリフトの運転手として働いていたらしい、まるで主人公は彼の投影にも思えます。
孤独の闇、寒くてしかたない寂しさ
主人公は、無口で孤独な青年である。寂しさから、わずかでも暖かみを感じられる人とのつながりに全てを注ぎ込んでしまう。
一方、ブルーノは、孤独の闇に吸い込まれてしまったのだろう。あの酒の飲み方とタバコの吸い方には、鬼気迫るものがあった。
ともすると、自分も孤独の闇に落ちてしまいそうなことがあるから、みんなが寒さに震えながら誰かとの繋がりにすがっている姿が心に沁みた。
大量消費時代の終わりに
旧東ドイツ領内にある巨大な会員制スーパーマーケットが舞台である。
天井に届かんとする陳列棚いっぱいに並べられた品々。
どこか暗さを感じる店内。まばらな買い物客。
廃棄処分となった食品を貪る従業員たち。
資本主義に凌駕されつつも、夢のような生活を送れると信じたが、
結局、持つ者と持たざる者との乗り越えがたい断絶に打ちひしがれた人々が、
かつて培った連帯感の残滓を求めて避難したシェルターのようだ。
彼らは、スーパーマーケットに集い、共に働く。
スーパーマーケットこそが本当の家庭で、職場の仲間こそが本当の家族だと信じている。
虚飾まみれの家庭に、旧体制の瓦解を知らない世代の若者クリスティアンが仲間入りする。
体に刻まれた後ろめたい過去の名残である刺青を、制服の襟や袖で隠すようにして着替えるクリスティアン。
彼のルーティンが板についた頃、事情は異なれど職場以外に居場所がないという共通点からか、クリスティアンと古参の従業員たちの心がつながり合う。
上司のブルーノ宅で酒を酌み交わしたあとの帰り道の情景が美しくも哀しい。
大きな通りを大量消費の象徴然とした大型トラックが連なって駆け抜ける。
その脇を、そのトラックが運ぶものの恩恵に決して浴することのないクリスティアンがとぼとぼと歩いて帰途に着く。
その頃、かつてはそのトラックの運転手をしていたブルーノは、自宅で人生における決定的な決断を実行に移していたのだ。
クリスティアンが心を寄せる人妻マリオンとの、プラトニックな恋愛関係が清々しくも痛々しい。
エンディングで二人が聴く波音は、クリスティアンがマリオンの自宅で見た作りかけのパズルに描かれた海辺の音ではなかったか。
決して訪れることができないであろう彼の地のイメージを、寄り添いながらフォークリフトで共有する二人の後ろ姿に、タイトルとなっている「希望の灯」を見出すことは、正直できなかった。
あのスーパーマーケットもまた永遠ではないからだ。
あそこに集う彼らが、いつかほかの居場所を見出すことはできるのだろうか。
大量消費時代に終焉が訪れようとするいまと重なって、彼らの姿が淡く滲んで見えた。
カウリスマキみたいと思ったら
やっぱりカウリスマキが好きらしいこの監督。
激情的人間ドラマが起こることもなく、労働者階級にスポットを当て、舞台となるスーパーマーケットの制服の青色だとか、真正面から大きく人物を捉えたシーン、カウリスマキ色がちょいちょい垣間見えます。
偶然か邦題もカウリスマキの最新作に似ている。
しかし単なる模倣ではありません。
一見無機質に見えるスーパーマーケットの中で、それぞれの想いを抱えながらフォークリフトを縦横無尽に操る人々はダンスをしているようにも見える…のはG線上のアリアをはじめとする、スーパーマーケットではかかりそうもない音楽に彩られているからなのかも。
とにかく音楽の使い方がいい。
労働者階級の職場という舞台で、静かな人たちが演じる話を殺伐とさせずかつ無駄にドラマチックにするでもなく、心にしみさせてくれるのは多分に音楽の効果なのだと思います。
俳優たちの抑えた演技もいいです。
特にクリスティアンを、マリオンを見守り続け、2人の行く末に安心したかのように去ってしまったブルーノ。
仲間たちが、長い付き合いだったのに何も知らなかったと呆然とするくらい、彼の中には誰にも知られず積もり積もったものがあったのでしょう。
初っ端からなにか深い想いをにじませているような顔だと思ったけれども、ああやっぱり、と納得。
最後の波音。
どこかに行きたいのにどこにも行けない、あの頃に戻りたいけど戻れない、鬱屈した彼らの心が求めるものが、この波音の聞こえる海だったり、大型トラックの列だったり、広く広がる大地だったりするのでしょう。
フォークリフトの教則ビデオは嘘でしょ〜と笑えますw
この映画のBGMのプレイリストほしいな
音楽の使い方が斬新で素晴らしい。BGMでありながらシーンと全く調和せず、物語の外側から、独立して我々の耳に訴えかける。音に縁取られて、味気ないはずの光景がこの上なく美しく見え、別の意味を付加される。それだけで芸術作品のようだった。
ブルーノの死について、何も語られないのが良かった。人間の内面は詮索によって蹂躙されてはならないし、人間の死もまた、詮索によって蹂躙されてはならない。
「妻は寝ているから静かに」…思い出される彼の言動の断片が、奥床しく彼を愛おしませる。しかし彼の嘘や死の背後に何が有ろうと、クリスティアンにとっての彼は親身で根気強い先輩であり、ポツリと寂しげな郷愁を漏らす煙草仲間だった、それが残された事実だ。それだけで良いのだ。
クリスティアンは白痴的な美徳を持っている。マリオンを見つめる彼の表情(フランツ・ロゴフスキ!)。彼の純朴さ、彼の空白が、傍にいる人々の寂しさを誘い出す。彼の無口さは、彼が真摯に生きていることを感じさせる。
クリスマスが過ぎ、ブルーノがいなくなって、クリスティアンのフォークリフトの操縦が見る見る危うげなくなる様子に、また毎回の出勤時に上着の袖を整える仕草に、繰り返す日々は螺旋を描きながら上昇していくこと、今日はいつもの毎日と同じでありながら昨日とは違う今日であること、時間が静かに降り積もっていくことを感じ、それに対する監督の(原作者の?)愛ある眼差しを感じた。
寂しい人々が慎ましく生きながら、それぞれが何かに耐えながら、互いを尊重している。愛情に溢れた良い映画だった。
タイトルなし(ネタバレ)
☆☆☆★★★
「前を向いて行かなければ」
謎のタトゥーで無口な男のクリスティアン。
彼が見習い(おそらく)として働き始めるのは、会員型の大型業務スーパー。
※ 1 当初は毘沙門すら満足に扱え無い。そんな彼に1から手ほどきをするのが、東西統一前にこの地に在ったトラック会社を知るブルーノ。
そしてクリスティアンが密かに恋をする女性のマリオン。
映画は、1️⃣クリスティアン 2️⃣マリオン 3️⃣ブルーノの3章構造となっているが。ほとんど、働き始めるクリスティアンの目線から日常を追い掛けている…と言って良いだろうか。
この1️⃣章は、ひたすら淡々と続いて行くだけに。正直言って、少々睡魔との戦いとなり易い。
そんな最中。突如として、クリスティアンと同じタトゥーを入れた男達が登場し。途端に不穏な空気感が漂い始める。
「これはきっと何か起こる!」
どことなく暴力的な匂いが立ち込めるのだ!
そんな空気の中、2️⃣章のマリオンは。孤独なクリスティアンの心に微かな光を灯す存在となって行く。
そんな時に、ブルーノから《海》で聞かされるマリオンの事実。
クリスティアンがその時に見る、生簀の中で魚のもがき苦しむ姿。
それは、孤独に生きる自分自身の姿か?それとも助けを求める恋するマリオンの姿なのか?
そんなクリスティアンの葛藤する表情から。観客には「今度こそ暴力的な事が…」と、不安がよぎる。
だがまるで監督から「考え過ぎですよ!」と、ばかりに。諌められる様な展開へと移行するのが最後の3️⃣章。
このブルーノの章は、そんなクリスティアンとマリオンの2人を見つめて来た、ブルーノだからこそクリスティアンに語った本音が。
東西統一が生まれ。自由社会への変化に対応仕切れ無かった自分の情け無さに孤独との戦い。
だからこそ、2人はブルーノから教えて貰った。《本当の海の波の音》を聞く事が出来た。
前半は観ていてもそれほど興味も湧かず、もの凄〜く地味〜な内容でしたが。映画が進むにつれ。人間の孤独な心の奥底に寄り添い、そんな人々を慈しむ様に描いた秀作だと思いました。
2019年4月28日 Bunkamura ル・シネマ2
※ 1 以前に建築現場で働いた経験が有るのに。毘沙門の使い方が苦手…っては、ちょっと不思議ではありますが…まあ、映画全体には特に影響は無いですが(^^;;
まだるっこい語り口ながら、喪われた祖国への想いを感じる
東西統一後、しばらくしてからのドイツの大型スーパーマーケット。
場所は、旧・東ドイツの都市郊外だ。
店では、夜になるとフォークリフトが店内を移動し、在庫の補充をしている。
そんな中、内気な青年クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)は、ここでの飲料部在庫管理担当として働き始めることができた。
彼に付いた上司は旧東ドイツ出身の中年男ブルーノ(ペーター・クルト)。
無骨にクリスティアンを指導していくが、クリスティアンは通路ひとつ隔てた食品・菓子部の女性マリオン(ザンドラ・ヒュラー)と出逢い、心惹かれていく・・・
というところからはじまる物語で、骨子だけ取り出せば、まぁ、どこにでもあるたいしたハナシでもない。
特に前半は、冒頭の「美しき青きドナウ」に乗せて夜間の広大なスーパーマーケットを行き交うフォークリフトが甘美な映像ともいえるのだけれど、それはそれでやりすぎでもある。
統一後の東側青年には、それが甘美に見えるということなのかもしれないが、これは観客向きの映像、クリスティアンが観ることなどない。
というわけで、冒頭から少々懐疑的な観方になってしまったのだけれど、映画が内包している旧東ドイツの青年(いやブルーノも含めて老齢の男たちもだが)の立ち位置、そんなところが映画の中で屹立するのは中盤(というより終盤に近い)以降。
なので、映画の語り口としては、まだるっこい。
内容も映像表現もジム・ジャームッシュ監督やアキ・カウリスマキ監督に似ているところはあるけれども、それほど洗練されておらず、もっさりした感じで、30分ぐらい尺を縮めた方がいいんじゃないかといった感じ。
主人公が心寄せるマリオン役のザンドラ・ヒュラーのどうってことない色気と、質実剛健的な風貌のブルーノ役ペーター・クルト、それに主役フランツ・ロゴフスキの人生経験豊富なのにナイーブな雰囲気というアンサンブルは捨てがたい。
老兵はただ消え去るのみ
ものすごく好きなタイプの映画だ。
勤務先はショッピングセンターである。私も。
開店前のまだ照明の点いていない店内は神々しく感じることがある。確かにバッハやシュトラウスの壮麗な音楽が似つかわしい。
動かないカメラ。無機質な屋内空間にもかかわらずドラマチックな照明演出。レンブラントの絵を思わせる、人物の深い陰影。
そして、ごくありきたりの人々に起きる、ごく当たり前の出来事。
それが続いたあと、この職場に衝撃が走る。
もしかして、ブルーノ、お前もだったのか。
新入りのクリスチャンに仕事を教えたブルーノも恋していたのだ。
彼の家には最初から女房などいなかったし、マリオンのことをどうりでよく知っている訳だ。
たった一つの生きる希望を、将来ある若手に譲り、自ら命を絶つ。
失恋くらいで死ぬなよ。いい歳をして。そう言いたくもなるが、彼には他に何があるというのか。老兵はただ消え去るのみ。
希望の灯りの大きさは人それぞれ
ポスターに描かれている夜明けのビジュアルから期待して鑑賞しました。
感想はと言うと…ちょっと思ってたのと違うかなw
ドイツの巨大スーパーマーケットで働いている従業員達の日常を描いていますが、それぞれが過ごし、抱える日常に何か劇的な事件が起きるなんて事はそんなに無い訳なので、淡々と進んでいきますが、もう淡々と進み過ぎてw、寝不足で鑑賞すると睡魔に襲われます。
試用期間の新人で派手なタトゥーが入っているが、寡黙で真面目なクリスティアンを主人公に上司に当たるブルーノとクリスティアンが恋心を抱く年上の女性のマリオンの3人が中心。
ホント、特に大きな事件的なのは起こらず、序盤はクリスティアンのフォークリフトを覚えるまでとマリオンへの恋心の葛藤、そしてブルーノに起こる出来事ぐらいが物語の起伏ぐらいで、笑えるポイントはフォークリフトの筆記研修の際のビデオの映像ぐらいでしょうか? ちょっとそこだけ悪ふざけな感じですw
それ以外は日常に起こる普遍を楽しむ作品なので、もうこう言う作品なんだと理解して観るのが正しい鑑賞の仕方なんですよね。
ただ、8割がスーパーマーケットの中での情景なのでやっぱり退屈になる所が多々ありなので、もっとドイツの淡々としながらも何処か思いの馳せる情景や夜明けのビジュアルを入れて欲しかったかなと言うのが個人的な感想。
日常の儚さややるせなさは多かれ少なかれ、殆どの人が持っている事なので、単にその部分だけを見せられる事で共感は出来ても、それ以上でもそれ以下でもないので、登場人物達の思いや悩み、やるせなさや心の機微に感動や葛藤にまでは至らないので、そこでドイツの風景を描き出す事で国は違えど、思い悩む事は同じだなぁと言う感情移入出来たポイントになったのではと思います。
スーパーマーケットと言っても、日本で言う所のコストコみたいな巨大スーパーなので、日本と違う所も多々ありで営業時間中に店内にお客の間を掻い潜って、フォークリフトが走り回るなんて、ちょっと考えられないし、廃棄物を貪り食う事や、恋心を抱く相手の家に忍び込んだ事がバレても許されるなんて事があるかぁ!と言う突っ込みも流されるくらいに淡々と進んでいくのがある意味凄い作品。
それでも、こう言った何気ない事を描くドラマの作品を鑑賞する時間を過ごす事の贅沢さを改めて気付く事も出来たりする訳ですし、この作品を鑑賞する為に初めて柏の「キネマ旬報シアター」に行ったのは良いきっかけになったので、いろんな意味できっかけになる(なった)…様な気がする作品ですw
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