縄文にハマる人々のレビュー・感想・評価
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人生に一度は観るべき、か
縄文の重要性は改めて言及するまでもない。
が、発見の多い映画で、縄文インスパイアのアーティストの部分も面白かった。
高校の美術の授業で強制的に見せるべき。
ETも縄文っぽい
岡本太郎先生が大好きなので鑑賞しました。縄文のデザインって、宮崎駿にも通じるものがあるし、ETに見えなくもない。まさか、スピルバーグも縄文好きとか?
日本人のルーツだから手先が器用なのもうなづけましたし、人間にとって《道具》は《いのち》であり、それは《脳》と《手》によって作られるという、当たり前のことを考えさせてくれました!
コムアイの語るまま
縄文の人々の考えや想像が理解できると思う方が可笑しいが
人は自らの想像を披露したがる傾向がある。
その上、わからない、知らないものほど知ってる。と思えば
主張したくなる生き物だ◎
そういう意味で縄文はまさしくその通りで
縄文は縄文を見てきた人しかわからない世界なんだと結論づいた◎
とそういうことで、ここに出てる方々は縄文講談師である。
と言っていいと思う。
と言いながら僕は縄文好きだけどね❤️
【”日本の絶頂は縄文時代だったのかもしれない。”世界で最も美しい謎に満ちた縄文時代に憑りつかれた人々が、嬉々として自身の考えを述べる姿も面白き、知的好奇心をくすぐられる作品。】
ー ご存じのように、縄文時代は一万年以上ある。最も長い時代である。だが、故に謎は多い。-
・縄文土偶の宇宙人かと思ってしまう、独特の大きな眼と湾曲した身体のライン。そして、縄文式土器の独特な螺旋を多用した形。
ー 世界の史学者の”モダン・デザイン”という言葉がぴったりである。-
・今作が面白いのは、縄文時代に嵌った人々が嬉々として持論を展開する姿である。
ー それだけ、謎が多いという事である。縄文式土器が東北で出土する事が多く、その影響でアイヌ民族に影響を与えたとか、弥生式土器は関西で多く発見されるが、縄文式土器とは全く違う形状をしているとか、知っていたつもりでも改めて語られると、とても面白い。-
<2018年9月22日 京都シネマにて鑑賞>
<2023年11月21日 別媒体にて再鑑賞>
縄文
縄文時代に興味がある方は観るべき映画だと思います。
連れられて観れば縄文に興味が沸くと思います。
上映館が少ないのは残念ですが楽しく観ることが出来ました。
映画で紹介された博物館等に是非、行って見たいですね~!
生の芸術に通ずるもの
僕の田舎は東北で、実家の近所に縄文式の竪穴式住居跡がありました。父親の趣味の畑や、近所の畑、あぜ道でも縄文土器の破片がよく見つかりました。また、地名もアイヌ語に漢字を当て字したものだったので、縄文とアイヌとの関係を説く方の気持ちも分かりました。ただ、本当は皆、アイデンティティを求めてるんじゃないだろうかと。個人的には、人工生命学者の池上さんが、脳はあのような紋様をイメージする傾向が高いのではというような話をされてたと思うのですが、それを聞いて、アール ブリュット、或いは、生の芸術と呼ばれる、特定の訓練などされたことのない、知的障害者の方達の作る芸術に通じるものがあるのではないかと思いました。合理性や写実性とは異なる、各々が見えたまま、感じたままを製作物に反映させていくような芸術活動に思えるのです。縄文土器や土偶には、アール ブリュットのような生命の息吹を感じるのです。
なんてお得な映画なんだ…
ギッシリつまった映画館で、同じシーンで笑いが起こるの楽しすぎました(*^^*)良い体験でした
ネタバレにならない程度に感想をいうとしたら「土偶のBBちゃん(映画を観てない人に検索されないように絶妙な伏せ字)可愛い!」
その他「へ~!そうなんだ。気になる、後で調べよう」とか
「行ってみたいな」とか
「おぉ~確かにそれは考えさせられるよな。」とか
そういう感想の部分は人それぞれになるのが縄文なのかな、と思うので、
まだ観ていない方に私目線のフィルターがかかってしまわないように言わないことにします(´▽`;)ゞ
縄文時代に心惹かれている方は必見。
「え~俺の方が詳しいかもだし…」って人も仕事場や学校以外での見知らぬ縄文仲間に囲まれて観る縄文は新鮮かもしれませんよ(*^ー^)ノ♪
「めちゃ好きとかじゃないけど、面白いんなら観てみようかな。」って人も必見。
監督さんがもともとすごく縄文好きな人ではなく、一般的な目線から映画が始まっていきますので、上映中同じ気持ちで観ていられるのかな?と思いますよ\(^o^)/
私も実は縄文ビギナー(笑)で岐阜県に住んでいるのですが、下呂市金山町にある「金山巨石群」をきっかけに「縄文すごいやん!」 となって一年くらいボンヤリ悶々としながら本やネットをみていただけの、予備知識少なめの者なんですけど、たくさん遺物が観られて良かったですよ\(^o^)/
なにせ縄文時代は長くて日本各地に遺跡が有るのですから、人生を縄文に捧げないと一般人はなかなか巡れません。
ゆえに縄文ビギナーさんにはとてもお得な映画なんです(n‘∀‘)η
ハマりすぎにご注意を!
今池のシネマテークにて。
縄文にハマりすぎのわたしが図らずも期待せずに観に行った「縄文にハマる人々」が、なかなかよくて困った。
ハマるなんてタイトル、軽々しく茶化してるのかと思いきや、縄文の一部分だけクローズアップして迫るものでもなく、ぼんやり中途半端だったり一方的な押しつけで終わるでもなく、そこは縄文らしく全体像を俯瞰しつつどこまでも中庸なつくりの映画でよかった。
監督の岡山信貴氏の、縄文素人でありながら、なぜかひきつけられる縄文の魅力を、あらゆる人物のインタビューや博物館や遺跡巡りをしながら、映画のゴールを決めずにカメラをまわしはじめて流れに任せて進めていった結果のようですが、その答えのない世界に答えを求めず幅広く見ていこうとする姿勢が、そのまま自分のやってることに近かったからか、うんうん頷いたり思わず失笑したり、同じように幅広く人の意見をきくことができてよかった。
なるほどと納得する言葉や考え方にも出会えたし、何言ってるのかちんぷんかんぷんな人がいても、その人が到達した縄文はそれはそれで素晴らしい、多様性のゆるやかな世界。
映画を観る前情報で、いとうせいこうやデニスバンクスが出演というのを知り、だから観てみたいという気持ちと、有名どころで塗り固めたお洒落な映画だったらやだなぁとも勘ぐってたら、どの有名人だろうと素人だろうと平等扱いのたくさんのうちの一人だったので安心して観れたのです。
そして、映画館に着いた受付で一番に目に飛び込んできたのが、昨夜の「神殺し・縄文」の文庫版と、さらに尾張名古屋が誇る #縄文うずまき の大谷幸市さんの本が平積みされていて、大谷さん本人も出演してることを直前情報として知り嬉しくなりました。
それで上映がはじまってすぐの冒頭から三人目のインタビューで早くも大谷さん登場。
最近お元気になさってるか気がかりでしたが、映像はかなり前のものでした。
なななんと、見覚えのある会場風景。
数年前の「縄文大爆発」出版記念講演会、わたしも行きましたよ行きました。
あれれ写ってるよ、変な人が一人。
なんとわたしも知らないうちに映画デビューしてました!
当時、記録用と思ってたカメラが映画撮影だったとはまったく気づきませんでした。(今調べたら2015年1月だった…)
それはいいとして、多様性の切り口で見せていき、結局答えはわからないというもってき方は、この縄文に関して言えばそうならざるを得ないと同感してます。
同時代の同じ環境でさらに同じマインドでなければ、現代社会でいくら想像や妄想を豊かに膨らませても、違う価値観に支配されたままでは本質から遠ざかる一方。
であるなら、わからないのが正解だし、わからないなりにわかろうとするところにある種の魅力があるわけで、無視できない素通りできないワクワクドキドキ感こそが正解なのだろう。
当時も一定の価値観や枠におさまらず、宇宙やあらゆる生命がそうであるように絶えず変化していたに違いない。
常識に囚われたわたしたちこそ、その価値観を何度もぶち壊さなければ前に進めないように。
そういった前向きな破壊と再生、失って久しい生と死のリアリズムみたいなものを感じられる縄文の謎な世界に魅力されているともいえる。
そんなことも、様々な意見を一気にきいたからこそ、自分自身が感じてきた縄文観をより明確にしてくれたように思う。
現代社会から1万年遡るのは時間だけの問題じゃなく、当時の宗教観とか精神性がどうであったかのかが問われてるけど、孤独に野生の生活をしたところで当時の共生社会の価値観には至らないし、世界中の先住民が縄文的な文明に辿り着いたわけでもない。
そこで思うのは、文字のない多様性の循環型社会を1万年もつづいたのは女性性が優位だったからという点。
それは同じホモサピエンスサピエンスで同じ脳を持ちながら、右脳が優位に働いていた文明だったということ。
マインドといった思考そのものや、計算したり効率や管理から支配といったヒエラルキーに縛られず、ありのままの世界を、この4次元宇宙を、右脳で感じる言語化できない大自然の、大地が噴火する姿や大地が春に芽吹くエネルギーを純粋に受け止め、どうしようもなく湧き上がるこの感動を、大地の一部を使った立体造形に転写するという技術に優れていたことに尽きると思うのです。
それで、このカタチを言葉以上に伝えて共有し合う手段という側面から見れば、ある人がつくったカタチに共感する人が次から次へとわたしもそう思う的な作風が広がると一つの体系として火焔土器や遮光器土偶のように広がったり。
完成形を目指して何か意味を持たせて造形するのではなく、元々はみなそれぞれの中にある宇宙観を、具象化すると自然のバランスが崩れるから、右脳で感じた宇宙エネルギーを土器や土偶に転写する感じで創造しつづけたんだと思う。
それが世界中でなく、日本独自で発展した理由とは。
だとしても、縄文ってすごいとか、日本人ってすごいじゃんとすぐに飛びついてそこに留まり、世界を見下すようなことになれば本末転倒。
日本人や縄文人が特別優れていたからではなく、日本という土壌がプレート銀座で噴火に地震に台風ありの地球規模で要のポイントにあり、その結果生み出される大自然のエネルギーやら恩恵を豊かに受け取ることが出来たからこそ、右脳で女性性の感性を豊かに育てた縄文文明が地球にとって最も豊かな文明社会を維持できることにつながった結果だと思う。
海外からも評価の高い縄文文明。
万博で岡本太郎が広めたとはいえ、日本はどんどん真逆な方向に向かったままの現代。
その血が僅かでも残り、遺伝子として受け継がれているわたしたちしか、この縄文をより深く理解することは出来ないし、理解出来ずとも、戦争のない平和な新しい文明社会を、日本が先頭に立ってリードしていかなければならないと思います。
そして話は最初に戻るけど、縄文って言葉も捨てちゃいたい。
時代区分として植えつけられた価値観に縛られないためにも、弥生ってのも嫌だ。
右脳時代と、それ以降現在までが左脳時代だとして。
縄文ワクワク縄文ドキドキのこの時代にふさわしいのは、文字化されないワクワク時代とかドキドキ時代とか、意味わかんない系の名称にするべきだと思うのだが。
ハマりすぎにも注意しないといけません。
長文駄文で失礼しました。
すいません寝ました
寝不足で行ったら危ないなと思ってたんだけど、寝不足で行って寝ちゃった。だから細部は追い切れてないの。
でも追い切れてなくても大丈夫なんじゃないかな。色んな人が出てきて、縄文時代について色々言うんだけど、結局解んないからね。一万年前のこと。
でも特に東北から中部にかけて、色んな遺跡が見つかってて、大小様々な博物館が整備されてるんだと知れて良かった。色々と調べてみようと思ったよ。
縄文ってすごい!
遺跡、遺物、古文書などの、新たな発見で見直し、再構築、再評価が相次ぐ日本の歴史。実に楽しい。その中でも、大幅な見直しの進む縄文時代。
いろんな視点からの評価が提示されており、楽しい作品になっている。
縄文時代に素朴な疑問をぶつけていきます
とにかく縄文にはまった沢山の人々が語ります。造形物が映ります。テロップ、ナレーションはさむ感じはNHKプロフェッショナル風であり探偵ナイトスクープ風であり、縄文素人の私にはめちゃくちゃ興味深く見ました。縄文入門編ガイドとして十分楽しめました!
全体的なまとまりがない
縄文にハマった人々のインタビューが次から次へと出てくるのですが、全体的なまとまりがなくゴチャゴチャしています。
とにかく縄文マニアの発言を詰め込んで、「後は誰かのレーダーに引っかかれ」という投げっぱなしの映画です。
縄文展を見る前に何か勉強になればと思って見たのですが、むしろこの映画は見ない方が良かったなというのが正直な感想です。縄文土器の見方に正解なんてないので、他人がどう妄想しているのかは聞かずに自分で勝手に妄想した方が絶対に楽しいです。
多士済々が登場し、熱く己の縄文愛を語る、語る、語る。
有名な人から、無名な人まで次から次へと画面に出てくる。無名と言ってもその業界では有名人かもしれないが、世間的には誰この人レベル。そんな彼らが、縄文とは何か、どれほど縄文が優れているか、土偶や土器、遺跡などを解説しながら、熱く熱く語り続ける。言ってることが意味不明な人もいるし、このまましゃべらせていたら宇宙人さえも呼んでくるんじゃないかって人までいる。いわゆる「アブナイ人」の類。いとうせいこうが常識人に見えて安心な気分にさえしてしまう。おそらく岡本太郎が存命ならば、彼が締めくくりにご高説を一節、となっていたかなあ。そう思ったこともあり、このあと岡本太郎記念館に寄る。縄文人にも負けぬパッションを浴びて、雄たけびを上げたくなった。
なお鑑賞後、監督とコンダアキコ氏によるトークショーあり。ここで監督が熱く縄文愛を語りだしたらちょっとマユツバだったけど、意外にクールに縄文の魅力を伝えてくれた。なお、コンダ氏は土偶好きの文筆家のようだった。ググるとその字は「誉田」。おや?これは応神天皇(八幡神)ゆかりの名前ではないかい?!と色めき立つが、そういうことで盛り上がっている自分を、他人は「アブナイ人」と見るのではないかと気づき、気持ちを静めることにした。
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