ここは退屈迎えに来てのレビュー・感想・評価
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名前何だっけ。
無責任でいいらららら
タイトルなし
三人の俳優がいい。東京に憧れる女性と、東京から帰ってきた橋本と村上(役の少しだるい感じ、あきらめ感がいい)のあいだの落差。ずっと空っぽな(空っぽさの質は少し違うけど)成田凌がいい。それぞれの青春がほんのひとときで、でも永遠で(プールのシーン)、交わってるけど、互いに満たされることはなく。
地方と都会の差なんだろうか? むしろ『あのこは貴族』のような、階層や社会構造の問題でもある。
2023/2/15 2回目だけど、1回目よりいいと思った。麦ちゃんとゆきのちゃんが脇で出てるとかなんて豪華なんや。地方のリアリティ。原作がいいんだろうと思う。高校時代の特別な日常を作り出せる、椎野の凄さを愛ちゃんは語る。みんなにあんなに今でも憧れられている椎野の相手のゆきのちゃんは、椎野の高校時代の栄光を知らない。普通という。この落差が物語の柱か。椎野はいつまでも椎野っぽい。でも、高校時代でしか輝けない。遠景の長回しシーンの多用が良かった。
なんとなく良い映画
2時間では短かったのかな
早々過ぎてつまらない。
地元に戻りタウン誌の記事を書いている女性を軸に過去を振り返る話。
30歳弱の若さにて焦燥により、人生早々と過去に浸る回想ノスタルジーさは分かりますが、それは早々と挫折し地元を心の拠り所にしてしまった人間にしか分からず、なんとも共感範囲の幅を狭めた映画だなぁと思ってしまった。
タウン誌のフリーライターならば、少しは独特の地方らしさ(良い所、安心感)も出して良かったのでは?
見当たらへん。これなら小洒落た職業にしなくても良い。無職家事手伝いでもいいわ。周りの友人と同じ様に。
言える事は、上手くいかず30歳で退屈しているのなら、40歳でも退屈、50歳でも退屈した人間になる。
どこへ行っても住んでも同じ。
自分を変えなきゃ✨
「こういう映画はある程度人生を歩んだ人間主人公の方が映画に面白さの幅が出る」とつくづく感じてしまいました。
青春の燃え滓を集めてみようとしても燃え滓だから触れたしりから灰になっていくような話…
①題名と門脇麦が出ているから20代の女性のアンニュイな恋愛ものだろうと勝手に思っていたら、全く違う話でしたね。②私も地方の生まれ・育ちで、若い頃は地元が嫌だったので彼女らの気持ちは遠い昔の話だが何となくわかる。ただ、私の場合は、東京なんかではなく海外に行きたかったね(一応行けたけど)。だから東京に行きたいという気持ちはもひとつピンとこないけど、何かに成らなくちゃという焦りみたいなのはあったようにボンヤリ記憶している。でも、そんな曖昧な願望を持っていても結局何にも成れないんだよな。ましてや、何かに成りたいという夢すらなければ本当に何にも成れないんだよね(でもまあ元々夢なんてないのだから、本人は結構それで満足しているのかも)。③何にもなれていない現代の自分に幻滅してふと高校時代を振り返っちゃうという映画なんだろうけど、30も半ばになるとそんな郷愁も感じられなくなるくらい現実が迫ってきますぞ。④門脇麦は少ない出番ながらさすがの存在感。橋本愛は不細工になった?⑤橋本愛もチンポ君も高校時代輝いていた成田凌を密かに慕っていたんだね。でも現実は残酷。成田凌は高校時代が人生のピークだったような男を好演。⑥彼女ら彼らの回りに兄とは違い自分の夢を叶えた妹や、地方で若さを失う前に何とか結婚する娘たちのエピソードを置いて話に幅を持たせている。⑦時間も登場人物もころころ変わっていく流れに最初は戸惑ったけど、どこかで話が繋がるんだろうなと思っていたらやはり繋がりました。映画の最初と最後にオードリーの「ティファニーで朝食を」が出てくるけど、映画の作り方というの同じオードリーでも「Two for the Road」のほうが近いというか殆んどおなじだね。脚色家インスピレーションをうけたのかしら。流れも雰囲気も悪くないけど飛び抜けて佳作というわけでもない。
まずしい
日本人が知っている風景がある。国道もしくは主要線の両側に、すき家吉野屋サイゼリアくるまやかつや丸亀スシロー王将などが居並ぶ風景だ。三浦展の「ファスト風土」を、そのまま体現している。
10年ほど前、会社に出入りするコンサルタントの指南で何人かのアナリストを読んだなかに「下流同盟―格差社会とファスト風土」という本があった。三浦展の2006年の著作である。わたしはぜんぜん社会派ではないので内容は置くが、そこに何度か行ったことのある太田市が取り上げられ、00年代の初頭から数年で駅周辺が風俗店に侵食されたことが書かれていた。
山内マリコの小説「ここは退屈迎えに来て」の巻末にも参考文献として、三浦展の別の本が記載されている。
地方人なら誰もが知っていることだが、きょうび商店街は、ことごとくシャッター街に変容している。
縁が土地勘を形成するので、居住地と仕事によって個人的に知り得るエリアは北陸信越東北だが、新潟仙台に都市形成を見るものの、他はどこも死んだような街である。中核都市といえども、観光資源を除けば空き地や空きビル、居抜きや売り家、頓挫したバイパス、使われてないのに更地にも壊せもしない賃貸物件や商用施設が、永遠にない入店や開発を待っている。そしてファスト風土。車窓から見えるのはそんな寂れた風景だけで、人に会うのはイオンの中だけだ。
この国の地方はすべて人知れぬ土地だと思う。
外国人と話すとわかる。かれらは東京や京都や大阪や北海道を知っている。人によっては日本人は全員東京に住んでいると信じている。だからPrefectureを言うのをためらいアバウトザミドルオブジャパンとでも言っておく。大陸の距離感にあわせるなら、本州のどこであろうと「東京の近く」でも不親切にはならない。
どことも知れない地方にいると、人は帰属を見失う。
日本人が「東京の私」でないなら、もはやどこの誰やらわからない。
山内マリコの「ここは退屈迎えに来て」はそんな地方人の溜め息である。その溜め息に、モラトリアムが絡んでくる。やるせない地方で、そこはかとない夢のようなものを追っている──追っているというより夢見ている人たちの点景である。
わたしにとっては珍しく原作を読んだことのある小説の映画化だった。が、門脇麦が茫漠とした地方的風景のなかで「だれかー!だれでもいいんだけどー!」と絶叫している予告編を見ただけで、もうお腹がいっぱいになった。ことは覚えていた。
小説はエピソードの羅列の趣きで、あまり一貫せず、性的でもあった。東京への未練、地方人の身を焼くような髀肉の嘆が描かれていた。
若い女子向けに書かれている──と思うのだが、なんらかの理由でUターンした20代が抱えているであろう煩悶が矢となって飛んでくる。それに刺さる共感はあってもラブストーリーに共感するような甘露はない。
かれらは過去や、なにかが違う自分の世界に、敗北ではない解釈を付与しようとして、ことごとく失敗し続ける。
そんな地方人の卑下の咆哮がそのままタイトルここは退屈迎えに来てになっているのだが、小説はこんなにクサくはない。この映画はクサすぎて見られたものではないが、小説は現象を放っていただけだったように思う。
小説を読み、見慣れたファスト風土を延々眺める運転シーンだらけの拷問のような映画を見て、日本人は地元に諦めか憎しみしか持っていないことを痛感する。
レディバードのサクラメントが夢のような土地に見えるのも当たり前なのである。日本にいい映画がないと、わたしもよく言うが、そもそもいい映画ができる土壌がない。──牽強付会でもあるが、なんかもう、つくづくそれを感じさせる映画だった。
邦画らしいテーマなのに残念だ
色褪せない青春の輝きは夕日の如く消える大人のロードムービー
題名どおりの
東京に憧れる若者たちの理想と現実
時間軸がそれぞれの役で過去に遡るので、まとまりがない気がする。そして、東京に実際行ったけど、結局夢叶わず地元に戻って来た人間と、今も東京に憧れを抱きつつ、地方で暮らしている人間を対比させている。
高校時代人気者だった椎名くんを中心にストーリーは展開してしていくが、みんなの憧れで、たくさんの友人に囲まれて輝いていた椎名くんは今はもう、そこにはいなかった。
1番印象に残ったシーンは新保くんが茜色の夕日を歌いながら原チャリを運転してるところ。歌いながらどんどん感情がこもって泣けてくる演技は絶妙だった。
個人的には麦ちゃんをもっと生かして欲しかったなと思う。麦ちゃんしか出せない空気があるので。
今地元にいる彼らは、今の自分に満足できてなくて、でもだからといってどうすることもできなくて…そんな今を生きる若者たちの虚無感を感じた。ただ、椎名くんの妹だけはまだその現実を知らない。いや、東京で何者かになってほしいと願うばかりだ。
地方都市在住女子の悲哀
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