「不可能を可能にする魔法≠不可能のない世界」メリー・ポピンズ リターンズ 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
不可能を可能にする魔法≠不可能のない世界
「メリー・ポピンズ」まさかの現代版公開。しかもてっきりリメイクかと思えば続編だというから驚いた。作り方としてはオリジナル版映画のストーリー展開や設定をスライドさせつつ踏襲するような形。煙突掃除を点灯夫に、公園の石畳に描いた風景画から陶器の器へ、そして子ども部屋のお片付けをバスタブの海に、競馬場をミュージックホールに変換・・・と言った感じ。なるほどオリジナル版に敬意を払いつつ新しいことをやろうとする上では極めて堅実な手法。オリジナルを観た時に体感したアトラクション的な流れがそのまま再現されているようだし、映画を見ていてウキウキする気持ちや、純粋に「楽しい!」と感じられる気持ちはこの映画にちゃんと収められていた。次の展開ではどんなことが起こるだろう?もう最後までワクワクしっぱなしだった。
その上で、現代ならではの映像技術で更にマジカルでファンタジックな映画に・・・と期待する反面、存外そうでもないことに気づいた。オリジナルの「メリー・ポピンズ」を初めて見た時(まさか55年前であるはずはない)、これは夢か?と思うような世界がスクリーンの中にあって驚き感動したし、今この時代にオリジナル版を観直してもやっぱりあの世界観に毎回感動させられる。でもその感動は「1964年」という時代が生み出すものなのかもしれないとも思う。「リターンズ」の方が明らかに映像技術が発達し、55年前にはできなかったことで溢れかえっているというのに、オリジナルを観た時ほど驚きも感動もしないのは、もう今の時代映像の世界では不可能が可能になるのは当然のことで、もはや映像の世界に不可能はなくなってしまっているから。なんならこの映画よりすごい映像づくりをしている映画が多発している時代である。オリジナルは”不可能を可能に変えた映画”であり、この「リターンズ」は”不可能のない世界で作られた映画”だ。そこが大きな違いかも知れない。
そのせいか、近代のCGI技術を駆使したのが良く分かるバスタブの海のシーンなどにはかえってそれほど高揚はしなかった。寧ろ私がこの作品で最も高揚したのは点灯夫たちの肉体を駆使したダイナミックなダンスシークエンスの方。CGIなど使わないダンサーたちの肉体の表現の美しさとダンススキルにこそ一番感動を覚えた。
あとは衣装!私が映画を見て「素敵な衣装だ!」と思いコスチューム・デザイナーの名前を見ると大抵サンディ・パウェルかアン・ロスだ。そしてこの映画はパウェルによるデザインだった!特にアニメと融合するシーンでキャストが着用していた衣装は、アニメーションになじむように縫製や染色を工夫してまるで描画のようなデザイン!色彩も美しくてまさしく感動。
そして音楽!オリジナルで耳にしたシャーマン兄弟の耳に軽やかで心地よい楽しいサウンドをマーク・シャイマンがこれまた完全再現!!これにも大感動。
ダンスも衣装も音楽も不可能が存在する世界。もちろんエミリー・ブラントやリン=マニュエル・ミランダらによる歌唱パフォーマンスもそしてディック・ヴァン・ダイク御大の年齢を感じさせない華麗なステップも然り。その中での最高のパフォーマンスを目にする感動。なんでも不可能を可能にし過ぎてしまうと、人は感動を忘れてしまうのかもしれないと、妙なことを思わされた。
メリー・ポピンズはナニーとして教育や躾はするが、子どもたちに変化を求めない。寧ろ大人たちの変化を見る人だ。それは「リターンズ」でもそのまま。前半部分はメリー・ポピンズが先導して子供たちを動かすが、次第に子供たちが自分で物を考え動くようになるとメリー・ポピンズはすっと身を引き数歩後ろへ下がり、子供たちの動く様子を見守りながら、大人たちの変化を見る。メリー・ポピンズは子どもたちに変化を求めない。大人たちの変化と成長を合図に飛び立っていく。私の愛するメリー・ポピンズの真髄はしかと捉えてくれていたので安心した。
一方で、ジュリー・アンドリュースが演じたメリー・ポピンズの「気位の高さ」が、エミリー・ブラントによるものになると「気の強さ」に変わったという印象を受けた。今回のメリー・ポピンズは妙に勝気だなぁと。実は原作の児童書は読んだことがなく、原作者P.L.トラヴァースが描いた真のメリー・ポピンズの人物像を知らないので何とも言い難いが、ブラントは原作のメリー・ポピンズ像を役作りの下敷きにしたと語られていたので、もしかしたらブラントの解釈はより原作に近いのかもしれない。ここは改めて、原作の児童書を一度読まなくては!と強く思った。