「見方によっては突き放され感が半端ない。」プーと大人になった僕 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
見方によっては突き放され感が半端ない。
映画の中の『寄宿舎』という言葉を有名進学校とか私立御三家とかに置き換えてみると、ユアン・マクレガーの言動は日本の中学受験の状況下における親の心理状態にピタリと当てはまります。
いい学校、いい会社に入るためだ、と自分に言い聞かせながら(或いは本当にそういうものだと信じ込んで)子どもを受験勉強に駆り立てている親の何と多いことか。お隣の韓国の競争状況などは日本以上に苛烈だとも聞きますし、もしかしたら多くの先進国で、中学受験とか大学受験とかの違いはあるにせよ、似たような状況にあるのかもしれません。
『何もしない』って良いね、と感じたとしても、受験競争(社会に出てからの出世競争でも同じこと)においては、自分の子以外がみんな〝何もしない〟でいてくれたら、勝ち残って受かるのは(出世するのは)自分の子だけ、という理屈が成り立つわけで、自分の家庭が周囲のどの家庭よりも率先して、何もしない、という選択肢を取ることは考えられないし、反対になるべく自分の子以外の多くの家庭が『何もしない』側になってくれると助かる、と思うのが一般的な親の心理傾向だと思います。激しい競争環境におかれていながら、何もしない側に回ることは、現代の競争社会では誰かが勝手に決め付けた“負け組”となる道を自ら選択することになりかねません。
この映画で感動した、気付かされた、という類の感想を持ったほとんどの方は、そういう考え方はもう止めてもいいんじゃないか。会社で雇用よりも効率を優先するのは何か違うんじゃないか。もっと大事なことがあるんじゃないか。というようなことを、漠然とかもしれませんが、感じているのではないでしょうか。
この映画は現代社会の過酷な競争状況のあり方とそこに巻き込まれている子どもたちの解放を分かりやすく示しておきながら、現実社会での現実的な対応について、何も語ってくれません。
『何もしない』で何かを得たり、充実した人生を送ることについての具体的なイメージは、すべて観る者自身に委ねられたように思えます。自分のことは自分で決めなさい。もう〝大人〟なんだから。と諭されている気分です。