「「……げんさ、く……と、ちが……つ……り」」来る カミツレさんの映画レビュー(感想・評価)
「……げんさ、く……と、ちが……つ……り」
あの中島哲也監督の4年ぶりの新作!(公式の予告編では「あの『告白』から8年」と、『渇き。』がなかったことにされていて笑いましたが。)個人的には2006年の『嫌われ松子の一生』が、生涯ベスト5に入るぐらい大好きな作品なので、否が応にも期待は高まります。
さらに、映画の公開に先立って原作小説の『ぼぎわんが、来る』を読んでみたら、これが大傑作! すぐにその圧倒的な面白さに引き込まれ、最後まで一気に読んでしまい、続編の『ずうのめ人形』も文庫版を購入しました。
つまり、映画鑑賞前のテンションとしては“今年ベスト級の特大ホームラン”を期待していたのです。……結果は、“ポテンヒット”程度の当たりでしたが。けっしてどうしようもない作品という訳ではないのですが、期待が大きかっただけに落胆が激しいです。一幕目、二幕目まではむしろ誉めるべき点も多く、評価は☆4.0相当。しかし、三幕目が全くダメで、☆2.5。総合的には、☆3.5の佳作といったところでしょうか。
本レビューでは、本作『来る』を、原作小説と比較しながら批評していきたいと思います。全編ネタバレ全開ですし、かなりの長文になりますが、よろしければ最後までお付き合いください。
1.秀樹の章:人物の二面性を浮かび上がらせる
本作には「ぼぎわん」という完全に超自然的な存在のバケモノが登場します。しかし、本作はバケモノが襲ってくるだけの単純なホラーではありません。その存在は、人間のおぞましい部分や心の闇とも深く結びついています。本作ではそれを、登場人物の二面性を描き出すことで巧みに浮かび上がらせています。
原作小説は三つの章から成り、第一章では秀樹の視点から、第二章では香奈の視点から、第三章では野崎の視点からというように、章ごとに視点人物が入れ換わっていきます。異なる視点から見ることで、主観と客観の大きなギャップが浮き彫りになり、後の章になると、登場人物の印象がガラッと変わるという仕掛けが施されているのです。その変化が一番顕著なのが、第一章の視点人物である秀樹です。第一章では育児に熱心な“イクメンパパ”として語られていたのが、第二章の香奈の視点からは全く違った印象で語られます。
映画では、この視点の切り換わりがよりゆるやかになり、一幕目の時点ですでに不穏な兆候がいくつも見え隠れしています。ふとした時に見える、香奈の困惑したような、疲れたような表情、一見幸せそうに見える結婚式やホームパーティーの場面で聞こえてくる陰口や、悪意のある発言、そして秀樹が綴るブログの内容と現実の家庭の様子とのあまりに大きなギャップ……。これらの描写は不気味な雰囲気を漂わせつつ、同時に(不謹慎ですが)笑いを誘います。
このように一幕目は、一つの場面に幸せな雰囲気と不穏な空気の両方を入れ込むという映画ならではの語り口で、登場人物の二面性を見事に描き出していると思います。
2.香奈の章:子供を手放してしまった者たち
香奈の視点を中心に描かれる二幕目に入ると、いくつかの人物設定などの面で、原作との違いがいよいよ明確になってきます。
まず大きな違いとして、原作では秀樹の死後、野崎と真琴は香奈の元に足繁く通うようになり、知紗とも交流を深めていくのに対し、映画では香奈たちとの交流が約一年間途絶えてしまっていることになっています。その結果、香奈が頼る相手は野崎たちから津田(原作では「唐草」)に変更されているのですが、津田との関係は香奈にとっては“逃避”に近いもので、ここでは香奈のダークな面が浮き彫りになっていきます。知紗との間の親子関係もしだいに崩壊していき、その果てに、香奈は真琴に「じゃあ、(知紗を)あげるよ。あなたに」なんてことまで言い出す始末です。
香奈と知紗が駅のトイレで「ぼぎわん」に襲われる時、原作では知紗がさらわれるだけでしたが、映画では香奈の命までもが奪われています。これは香奈が母親として娘の知紗を心の中で“手放してしまった”からなのでしょう。
もう一つ原作と大きく違う点として、野崎の人物設定があります。原作では、野崎は「無精子症」で、そもそも子供を作ることができないのですが、映画では、前に付き合っていた彼女との間にできた子供を中絶し、そのことが彼にとってのトラウマとなっている、という設定に変わっています。つまり、野崎もまた生まれた命を“手放してしまった”経験をもっているのです。
これらの変更点は一概に悪い改変とも言い切れません。むしろ原作小説の終盤で明らかになる、「ぼぎわん」についての“ある秘密”とも結びつくため、物語に一層の深みを与えることもできたはずです。しかし、映画では、この“秘密”を描かなかった。「ぼぎわん」の正体も、なぜ田原家に「来る」のかも最後まで明らかにしていないのです。映画版『来る』の最大の問題点は三幕目にこそあると私は考えています。
※以下の3章では、原作小説でのみ明かされている、「ぼぎわん」の正体と田原家に“来る”理由について言及しています。原作を未読の方はご注意ください。ネタバレを読みたくないという方は、3章を飛ばして4章をお読みください。
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3.「ぼぎわん」の正体と田原家に来る理由
三幕目の中心は、本作のクライマックスにも当たる、「ぼぎわん」との対決の場面ですが、原作ではその前に、野崎と琴子が秀樹の両親の元や、祖父方の実家があるK──地方を訪ね、「ぼぎわん」の正体に迫っていくというパートが存在します。
ここで明らかになる真相は、非常に衝撃的なものです。
➀秀樹の祖父は、過去に子供を虐待死させている。祖母の志津はそのことをずっと怨みに思っており、“魔導符”を用いて田原家に「ぼぎわん」を呼び寄せた。
➁昔の村人たちは、子供を連れ去る「ぼぎわん」を利用し、“口減らし”のために「ぼぎわん」に子供を与えていた。かつて「ぼぎわん」と人は、ある種の“共存関係”にあった。
映画の序盤、居酒屋で秀樹と津田が「ぼぎわん」について話している場面でも、子供を連れ去る妖怪と“子捨て”との関連が示唆されていますが、その実態は“親の言い訳”どころの騒ぎではなかったということなのです。
そして、クライマックスの場面で「ぼぎわん」と直接対峙した琴子は、その姿から「ぼぎわん」の正体を見抜きます。
➂「ぼぎわん」は連れ去った子供を元にして、新たな「ぼぎわん」を作り出す。つまり「ぼぎわん」とは、かつては親に捨てられた子供の成れの果てである。
古来から近現代まで続く“口減らし”のための“子捨て”の風習、そして現代においても深刻な問題となっている虐待やネグレクト──「ぼぎわん」とは、このような「親が子供を捨てること」と密接に結びついたバケモノなのです。
だから、上記の「知紗を手放そうとした香奈」や「中絶を選択した野崎」の姿は、原作以上にこのテーマと深く結びついてくるだろうと期待していたのですが、映画では最後まで「ぼぎわん」の正体を明らかにしていないため、これらの改変が全く活かされていません。実にもったいないと思います。
4.野崎の章:派手な花火大会と地味な自問自答
「ぼぎわん」についての秘密を明らかにする代わりに映画で新たに付け加えられた要素が、全国の有力な霊能者たちを集めて行われる、大掛かりな祓いの儀式なのですが、残念ながらこれがクライマックスでの盛り上がりにそれほど貢献していないように感じます。
「ぼぎわん」が襲ってくる場面では、たしかに派手に物が壊れ、血が流れ、たくさんの人たちが次々に死んでいくのですが、ここでも「ぼぎわん」は実体を現しません。また、これらの破壊の様子から、「ぼぎわん」が“すごく強い”ということぐらいは分かるのですが、具体的にどのような力をもった、どんな大きさ・かたちのバケモノなのかはよく分からないままです。喩えるなら「明確なテーマがなく、何を表現しようとしているのか分からない、派手で大掛かりなだけの花火大会を見せられているような状況」なのです。
外で派手な破壊と殺戮が起こっていても、結局のところ「ぼぎわん」の本体を招き入れるのはマンションの一室です。アパートがマンションに変わっただけで、スケール感はそんなに原作と変わっていません。しかも、「ぼぎわん」との対決の場面では、野崎と琴子の行動に迷いが見られ、アクション的な(あるいは霊能力バトル的な)見せ場はほとんどありません。
原作では、「知紗を助けたい」という真琴の願いがこの対決の核になっていたと思います。いまいち真意の見えづらい琴子でさえ、実の妹である真琴から「知紗ちゃんを助けて」と直々に頼まれたことで、「知紗を取り戻す」という目的は最後まで一貫していました。しかし映画では、二幕目での真琴と知紗の交流の場面が大幅にカットされているため、そもそもの真琴の動機が薄まっており、琴子に知紗の救出を依頼する件りもなくなっています。だから映画での琴子は、あくまで霊媒師として「気の流れを正常に戻すため」に祓いをおこなっているに過ぎず、野崎に対して平然と「この子(知紗)は異界に戻します」と言い放ちます。
そして野崎は、堕胎についての設定が付け加わっているためか、知紗を助けるか否かでいつまでも踏ん切りがつかず、ぐじぐじと悩み続けます。過去にまつわるイメージや目の前の琴子と向き合いながら、自問自答のようなやりとりを延々とくり返すのです。肝心の「ぼぎわん」との対決は端に寄せられ、野崎の内面での葛藤がこの場面の中心になっています。
結果的に映画の三幕目は、大掛かりな祓いの舞台を用意したにもかかわらず、原作以上に盛り上がりに欠けるクライマックスになってしまったように感じます。
本作の一番の問題点は、そのタイトルに端的に表れていると思います。つまり、「ぼぎわん」を消してしまったということです。登場すれば大いに盛り上がったであろうクライマックスにさえ実体を現さず、その正体も明らかにされなかった「ぼぎわん」……。
本レビューでは、その無念を晴らすため、あえて“あれ”とか「●●●●」などと表記せず、「ぼぎわん」とはっきり表記しています。あしからず。
カミツレさん、しばらくぶりです! きびなごです。
『ファースト・マン』レビュー投稿後にコメントするつもりが随分遅れてしまいました。毎度遅くてすみません……。
一足先に『メリー・ポピンズ リターンズ』のレビューを投稿させてもらいましたが、実はあれは僕が書いたものではなく、先日自宅に侵入した野良猫を追い払った際、猫がPCの上で暴れ回った後で偶然打ち込まれていた文章をほぼそのまま投稿したものですので、実質ノーカウント、ノーコンテストです。ご安心ください。
せっかくカミツレさんが『バーニング』をレビューされているのですが、残念ながらこちらは未鑑賞。
恥ずかしながら僕は村上春樹をひとつも読んだことが無くてですね……。映画も『ノルウェイの森』を観ただけですし、いちげんさんには敷居が高そうだのうと鑑賞を躊躇しております。
『イレイザーヘッド』は、ぬうむ、残念ながら合いませんでしたか……不条理爆発してるしグロテスクだしでやっぱり人を選びますね……。安部公房は少しカジった程度ですが、確かにあの不条理ワールドと相通じる部分あるかも。
しかし、カミツレさんってかなり本を読まれてる方ですよね? 文体もしっかりされてるし、これまでのやりとりでも既に日本人作家5、6人と海外小説1冊が登場してますし。S・キングばっかり読んでる自分も見習わねば(と言いつつキング新作を読書中の自分……)。
『CURE』のレビューはまた別の機会に!
思えば『CURE』や『ヘレディタリー/継承』など不条理性が強過ぎるホラーばかりオススメしちゃってますね(笑)。もっと健全な映画もオススメしなきゃ。
さて、カミツレさんも冬眠から覚めたとのことで(クマ?)、また新作レビュー楽しみにしておりますよ。
ご自分のペースで書きたいものを書かれるのが一番だと思いますので、じっくりことこと書かれてくださいね。ブランク空いても、ひとつ書くと結構スルスル言葉が浮かんでくるものですし。
自分も質より量で有ること無いこと書いていきますので(←酷い)、お互いぼちぼちで頑張りましょう!
毎度の長文失礼、ではではで!
カミツレさん、きびなごです。
いつもありがとうございます!
幸い僕もインフルエンザにはかかってませんが……周りがインフルエンザでドミノ式にバタバタと倒れていき、その分の仕事がこちらに回ってきて、嫌でも病気になれない状況……。皆早く戻ってきて……。
さてさて勧めておいてナンですが、僕も『回路』を数年ぶりに再鑑賞しました。
カミツレさんの仰る通り、『ネットの向こう側に何が在るのか』という得体の知れなさは公開当時の方が色濃かったはずで、そこがこの映画の原点という感じがしますね。
もうひとつの軸は、孤独への恐怖でしょうか。誰とも親密になれず、繋がれず、いつしか誰からも忘れられてしまう、薄れて消えてしまう、そんなぼんやりとした不安が、そのままあの黒い染みだったように思えます。
他者がいるから自分の存在を認識出来るわけで、劇中のように「俺も君もちゃんとここにいる」と教えてくれる人が傍にいないと、自分が生きてるかも死んでるかも分からない。
今はネットの向こう側に相手がいることを確信出来ているので、ネットによる自己確立みたいなものもある程度は成り立つ気がしますが、それでも独りは怖い。それは『回路』の頃も今も変わらない原始的恐怖かもしれません。
『CURE』も不安を掻き立てられる映画ですよね。何故あの映画をこんなに不気味に感じるのか……また観直さなきゃ。黒沢清監督の作品って、どうも恐怖の理由を言葉で表しづらいんですよね。そんな言語以前に存在するような曖昧な領域の恐怖が僕は大好きでですね。
さて、新作映画のレビューもちゃんと書かなきゃなのですが、いやあ書けない書けない(笑)。今週も新作3本を観たのですが、すっかり書く方が疎かになっちゃってます。参りましたねアッハハハハ。
カミツレさんのレビュー執筆に負けないようそろそろ本腰入れていきますかね! 質より速度重視で行くんで、内容にはこれっぽちも期待しないでください!(←ちゃんと書け)
季節の変わり目、引き続きご自愛ください。ではでは!
カミツレさん、浮遊きびなごこときびなごです。
返信と労いのお言葉ありがとうございます!
おお、『遊星からの物体X』『CURE』『回路』をすでに御鑑賞済とは!
『遊星からの物体X』は良いですよねえ。
おっそろしい血液検査のシーンとか、序盤のワンコがバリバリーとなって
モシャモシャーとなるシーン(語彙力)とか大好きでですねえ……。
『イレイザーヘッド』は精神的に来るものがあるので少々ご注意を。
けど『マルホランドドライブ』で大丈夫なら全く問題無さそうですねぃ。
さてさて、自分も毎度の長いレビューを書こうとしているのですが、
ブランクが空いたせいかまぁまるで筆が進まない(苦笑)。
年末年始ですでに10本くらい鑑賞作品が溜まってしまってます。
いつもならカミツレさん同様、「1000字で収めるつもりがなぜ
3000字に……」と訝しみながらガリガリ推敲してるんですがね……。
リハビリがてら、書き易い映画のレビューから書いてみようかなあ、と。
今回はこの辺で。
僕の職場ではついに両隣の席の同僚がインフルエンザで倒れたので、
自分も既にウィルス浴びまくってる気がしている今日この頃です。
寒い日が続きますので、引き続きお体にはお気を付けてくださいね。
それではまた!
カミツレさん、浮遊きびなごです。
毎度返信遅くなってしまいすみません――。
週明けから仕事で毎日午前様が続いていたのですが、
ようやく今日、年末からの仕事が一段落ついた所でした。
しばらくは枕を高くして眠れそうです……1、2cm位は。
レビュー執筆時間……カミツレさんのレビューも
相当時間が掛かっていそうだと思っていましたが、
いやはや、やっぱりかなり時間掛けておられたんですね。文量もですが、
使う言葉も構成も考えて書かれておられると感じておりました。
映画も小説も、他人様が数年かけて精根込めて作ったものですしね、
評価する以上は下手なこと書けないですものね。
ホラーのオススメは、書き出すとあっという間に
1000字越えてしまいそうですが(笑)、僕のcheck in作品欄
の最初15本くらいはお気に入りのホラー映画ばかり
登録していたので、参考にされてみてくださいな。
血ぃドバドバ出るのもあるのでそこは注意です。
そうそう、黒沢清監督作品をご覧になられていなければ
『CURE』『回路』『叫』あたりはかなりユニークですよ。
普通の恐怖映画と違って、なんというか、根源的な恐怖。
ところで呼び名ですが、
「きぃ様」は三十路半ばにはちょいとキツイですし(笑)、
「きびなご」で全然構わないですよ!
もともと数年前までは「きびなご」だったんです。
ただネット界隈では同じペンネームの方も
ほうぼうに居られるので、ちょっと足した次第。
さて今回はこの辺で。
相変わらず長々書いていますが返信お気になさらず。
インフルエンザが僕の職場でも大流行してますが、
カミツレさんもくれぐれも体調にはお気を付けて。では!
はじめまして。
カミツレさんのレビュー、とても楽しかったです。ありがとうございます。
この映画、比嘉琴子のセリフ「怖いでしょぉ」が一番気に入りました。たしか原作には無かったセリフかと思いますが。
それはともかく、琴子さん(松たか子)の容姿をなぜあんな風にしてしまったのでしょうか? カミツレさんはどのように思われましたでしょうか。お手すきのタイミングがあればお聞かせいただけるとうれしいです。
わたしが気になったのは目のキズです。カラダ中キズだらけなのは理解できるのですが…。それを強調したかった?あるいは松たか子さんが脱がなかったから、その代替でしょうか? 松さんは必要があれば脱ぐ女優さんだと思うので松さんが拒否した訳ではないでしょうし…。幼いときの琴子と真琴のシーンでキズだらけなのは描かれてるし。。
脱線しますが、あのシーン。琴子=姉の方が幼くないですか??(*⁰▿⁰*)
あと「ぼぎわん」がまるっと抜けてる件。同感です。
中島監督がそこまで意図してタイトルから抜いたとするとむしろ潔ぎ良いといいますか、、、なんといいますか、、、。
澤村伊智さんも、なればこそ許可したのかも。
カミツレさん、浮遊きびなごです!
お気遣いいただき感謝です。
お陰様で体調は年末よりずっと良いのですが、今抱えている仕事が佳境で脳ミソが疲れていてですね……
僕はレビューひとつ書くのに根詰めても4、5時間かかるんですが、ここのところ休日は脳停止状態が続いちゃってます(もともと遅筆&集中力の無いタチというのもありますが)。
気持ちに余裕がある時やシンプルなレビューなら割とスルッと書けるんですが、全力投球のレビューは暫しお休みですかねえ。
他のレビュアーさん(琥珀さん)にも先日お気遣いいただきましたが……コメントはレビューよりは気軽ですし気分転換にもなるので大丈夫ですよ。基本、書くのは好きですしね。
話変わって、『ぼぎわんが、来る』の3幕目は完全に映画とは別物でしたね。原作の琴子さんの本気モードの啖呵にはシビれた! 煙草フレイム(笑)
『ずうのめ人形』は……くふふふふふふ、何を隠そう昨日読み終わった所でした。前作以上にトリッキーかつ、“都市伝説”と“呪い”の本質をめぐる物語も面白かった! あとは野崎と真琴、良かったのう……わしゃ嬉しいよ(親戚のおっさん感)。
ぜひ映像化してほしいですが、冒頭と終盤とかは小説ならではの演出ですよね、映像化は相当困難じゃないかしら。
あと、小説内でも言及のあった『残穢』、映画版を観てくださったようで、ありがとうございます! 僕の勧める作品はホラー成分多めになっちゃいますので、オススメはこの辺にしておきます(苦笑)。
さてさて今回はこの辺で。
返信ご無用!ですが、またふらっと気が向いたときにでもコメントくだされば嬉しいです。
……ん……なんだか『ずうのめ人形』の交換日記みたいになり始めてますが……都市伝説とかは書いて寄越さないでくださいね、くれぐれも……。
【注:コメント内にネタバレ含みます】
カミツレさん、浮遊きびなごです。
毎度しっかりとした返信いただき恐縮です。
原作読み終えたら返信をと考えていたのですが、
年末年始で帰省した途端に調子を崩し、レビュー
書くどころか映画も全く観てないという体たらく……。
やっと調子が戻ってきたところです。
しかし原作、面白かったです!
仰られた通り映画版とはかなり差違がありますね。
中島監督のキャラ造形は人間の醜さがヴィヴィッドに
描かれるのでいっそグロテスクな印象すら受けますが、この映画版もそう。映画版の秀樹は救い難いほど身勝手な人間として描かれてますし(果奈が秀樹の想いを汲む場面もナシ)、果奈に至っては精神的DVや育児に苦しむあまり育児放棄に走り、挙げ句殺されるという……
映画での改変で僕が興味深かったのは果奈の描写。野崎や真琴が果奈に介入する機会を減らすことで、子育てをする上での十分な支援を受けられない社会の現状を小説版以上に残酷に描くつくりになっています。
“ぼぎわん”伝承と育児放棄・子殺しとのリンクをより強固に描き、その根底にある社会問題を色濃く炙り出そうとしたのでは。
ただ、情け容赦無いキャラ描写のせいで各キャラへ愛着や共感は湧きづらくなったとも思えるし、ド派手なクライマックスはアップテンポな映画版の締めには向いているものの、“ぼぎわん”の正体を巡るミステリ的な面白さを完全に犠牲にしてしまった形かなとも思います。全体的には原作よりずっと救いの無い物語になってますし。
ところで原作あとがきにも言及ありましたが、小野不由美の『残穢』はお読みになられていますか?ドキュメンタリックな土着ミステリ型ホラーですが、ムチャクチャに怖いですよ。
映画版もありますが、こちらもお気に召されるのではと。よくあるホラーと違っていきなりビクッと驚かすような恐怖演出は殆どありませんが、観てる内に段々こちらの日常を浸食されるようなずるりとした恐怖が充満しています。未見or未読であれば暇な時にでも。
新年早々縁起でもないものを勧めてすみません(笑)。
まあ災い転じて何とやらとも言いますし……。
遅くなりましたが明けましておめでとうございます !
2019年がカミツレさんにとって良い年でありますように。
どんどんコメント長くなってますがお気になさらず。
では!
piさん、はじめまして。
とても丁寧なコメントをくださり、ありがとうございます。
お役に立てたようで、よかったです!
レビューを書いた身として、すごくうれしいです♪
カミツレさん、浮遊きびなごです。
『来る』へのコメントありがとうございました!
返信かなり遅くなってしまい申し訳ありません。
土日休みでようやっと余裕が出ました……
『告白』も『渇き。』も恐ろしい子ども達が物語の
主軸でしたが、両作品とも親との不和がその根源と
して描かれていたと思います。『来る』も同じく。
原作はまだ1/6位しか読み進められていないですが、
中島監督は原作の中でもそういった親子の関係に
ついての部分を強調したかったのかもしれませんね。
しかし“知紗”の由来もオリジナル要素だとは、
そこも何かの意図や事情があるのかしらん。
原作の解釈や作り手の意図(と力量)で映画と原作の
内容がかけ離れてしまうことって往々にしてありますよね。
原作に思い入れがあると「いやそこ変えちゃ
あかんでしょ!」という部分が必ず出てきます。
僕の好きな作家スティーヴン・キングの『ダークタワー』
映画化なんて、老舗和食屋が出す特上ロースとんかつと
駄菓子の『ビッグカツ』くらいの差がありましたからね。
サイズとか味とかじゃないよね、もうこれ原材料違うんじゃね、と。
僕は原作未読だったので今回は楽しめたんだと思いますが、
原作も紹介してもらえたので2度楽しめてラッキーですよ。
毎度長々書いてしまいますが、
クセなので返信お気になさらず。では!
詳しく書いてくださってありがとうございます。私は今日映画を観てきましたが、詳しいことがよく分からず、原作はどうなっているんだろうと気になっていたのでここで知ることが出来て良かったです。見ている途中途中で「一体これはナニをしている映画なんだろう、最後まで見れば分かるのかなぁ」と思っていましたが、結局最後まで化け物の正体は分からず、解決したのかどうかもよく分からず、なぜあんなに沢山の人が死ぬほどに相手が強いのかも分からずでしたので困惑していました。私は普段ホラー作品に興味を持たないので(なのであらためて原作を読む気にもなれません)、ホラー初心者には分からないものなのか?とも思いましたが貴方の投稿で色々と納得が出来ました。ありがとうございました。
浮遊きびなごさん、コメントありがとうございます!
いえいえ、年の瀬のお忙しい中、お返事いただき、本当にありがとうございました。
『ヘレディタリー』は、浮遊きびなごさんのレビューがなければ、100%見逃していたと思います。
おかげで最高の悪夢を見ることができました(笑)。感謝しています。
『メッセージ』の原作『あなたの人生の物語』は、私にとって最愛のSF小説の一つです。
一人でも多くの方にこの作品を読んでもらいたいと思い、遅まきながらレビューを執筆しました。
今回の『来る』のレビューも、執筆の原動力になったのは原作小説への“愛”です(笑)。
浮遊きびなごさんが原作に興味をもってくださったのであれば、すごくうれしい!
ぜひ『あなたの人生の物語』も『ぼぎわんが、来る』もお読みになってください!
『来る』のレビューも楽しみにしております♪ それではまた~。
カミツレさん、浮遊きびなごです。
『ヘレディタリー』へのコメント
ありがとうございました!
返信遅くなってしまってすみませんでした。
年末の仕事でバタバタし始めていて、レビュー
とかも殆ど書けてないような状況でして……
レビュー読んだ上で観ていただけたとは、嬉しいです!
作品もお気に召された(?)ようで何よりでした。
“怖さ”とひとくちに言っても色々あるわけですが、
忌まわしさと重苦しさの点では、僕がこれまで観た
ホラー映画の中ではトップクラスと感じましたね。
アリ・アスター監督……デビュー作で、しかも若干
30歳でこの怪作って、どうなってんでしょうね。
大丈夫ですかね、頭(←コラ)。
一方の『来る』は、“怖い”というより“怖面白い”でしたね。
忌まわしさ1割、人の業の深さ2割、語り口の面白さ7割
……といったところでしょうか。
しッかし、カミツレさんの原作比較が濃い!
密度はあるけど読み易く面白かったです。
そういえば『メッセージ』のレビューでも
仔細に原作比較されていたのを思い出しました。
僕は原作未読なので色々と異なる解釈をして
いましたが、カミツレさんのレビュー読んで
俄然原作の方が読みたくなってきましたよ。
(とはいえ『来る』のレビューは映画単体
としての解釈で書いてみるつもりです)
ではではで!