イカリエ-XB1のレビュー・感想・評価
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艱難辛苦乗り越えてヤッテキましたシャングリラ。『禁断の惑星』が元祖だ
ガガーリンがライカ(犬)の代わりに地球上空へ行ったのが、1961年だから、社会主義国だけでなく、世界がこう言ったストーリーに夢を追っていた。欧米のSF映画より前に作られた映画だから、凄いと言うことだろうが、ロボットを真空管で制御するなんて発想がなさ過ぎ。少なくとも、トランジスタの時代になっていた。その点がさすが発展途上の社会主義国って言うところ。
それは兎も角、2001年宇宙の旅や惑星ソラリスと比較するようだが、ソラリスは同じ原作者と言うだけ。2001年宇宙の旅は全く違う映像になっている。この映画では、物理、化学、生物学をほぼ無視しているが、2001年宇宙の旅は出来るだけ科学を考慮している。例えば、人工の重力を描く為に幾つもの仕掛けが施されているのは周知の事実。しかし、この映画では、運動靴履いて広い円舞台で走り回っている。宇宙船の中と言った演出は殆ど無い。あっても『2001年の旅』の比ではない。
そもそも、初めて行く未知の場所に、40人で押し寄せるなんて、矛盾そのものだ。また、妊娠した女性が恒星間旅行に行く等は、人道上大問題。さすが社会主義国の発想。ストーリー展開は稚拙だし、起承転結が全く成立していない。結末も社会主義国にありがちな話。艱難辛苦乗り越えてやって来ましたシャングリラ。と言うことだ。(当時、共産主義国家はシャングリラ若しくはパラダイスと言われた)
欧米のSF映画は1956年の『禁断の惑星』が元祖だと思うが。スプートニクが上がる前の年に作られたカラー映画だ。ストーリーもしっかりした作品だと思う。また、惑星ソラリスは基本的にSF映画じゃないし(リメイク版は全くの別物)。スタニスワフ・レムの原作も読んたが、原作からしてテーマは少し違うと僕は感じた。この映画の原作は読んでいないが。
キューブリックやタルコフスキーは見ていても影響は受けていない。多分、半分くらい見て『なんだコレ!』って言うと思う。
つられて眠くなりました
興味を持ったのは「2001年宇宙の旅」より5年も前にチェコで製作されたという点であった。先ず驚いたのが生命探査に向かう先がアルファー・ケンタウルスの惑星と言う設定だ、太陽系にに最も近い恒星として16世紀には知られていたがプロキシマ・ケンタウリbがハビタブルゾーンにある生命の可能性のある惑星として発見されたのは映画の50年後の2013年以降、原作者スタニスワフ・レムの先見性恐るべしである。
人類未経験の長旅だから所詮は推測、コンピュータや自動機器のサポートは不可欠、退屈しない程度に趣味や娯楽も完備、ホールもあり着飾ってダンスも踊れるのは豪華客船の船旅のような気もする。
航海士や調査隊、老若男女40人、犬やペットロボットまで同行の大所帯、途中で犬も人も出産するというシュールな出来事。ナチス残党が作ったと思われるミサイル搭載宇宙ステーションや中性子星の放射線に侵され疲弊、錯乱する乗組員などのエピソードを挟み船は只管進んでゆく。
目的の星は雲間から見えたところは地球の市街地風、猿の惑星かパラレルワールドか期待を持たせて幕引きである。どうでもよいエピソード、気持たせした割にはただの精神錯乱とは、とにかく長ーい船旅でこちらも眠たくなりました。
世代というテーマについて思う
先日、地元のレンタルショップでちょっとした奇跡を体験した。何かないかなと物色していたところ、ふと視線を投げた先に、不思議惑星キンザザが見つかったのだ。
素敵な偶然に思わず声を上げ、その日はそれを鑑賞。その勢いで翌日に返却に行ったついででこちらのイカリエをレンタルしてきた。
どちらも初鑑賞である。
印象としては、題名にあげたフレーズがしっくりくるかなと思った。ストーリーは移住先として地球に条件が近そうな惑星を調査しに向かうというもの。ファーストコンタクトをにおわせる内容でもあり、今日のSFに通ずるテーマである。
途中、20世紀の難破船を発見したり、そこに旧世代の兵器が積んであったり、クルーが旧世代の残虐さを唾棄したり、現在に対する過去というスタンスが映画の中で明確になっていく。
この映画では過去、現在、未来という3つが象徴を伴って現れてくる
過去:難破船、旧兵器、旧世代の残虐性の説明
現在:クルーの人間たち、船外作業による被ばく患者
未来:目的の惑星、船内で誕生した赤ちゃん
ストーリーはシンプルだが、それを構成するものや全体としての構造に目を向けて見ると、壮大な設定の中に一筋の希望を見出すような心持がする。未来へ希望を繋いでいくということが人間としてとても大切なものじゃないか、という声を聴いたような気がする。
21世紀に思う
数年前、星新一さんの短編集を引っ張り出して手当たり次第に読み返した。21世紀を20年近く過ぎた今、巷に溢れる空想科学小説の、ファンタジー小説の、原器とも言える「ネタ」が満載である事に、改めて驚かされた。
「2001年宇宙の旅」が1968年。「宇宙大作戦No.1(Star Trek1)」の出版は1967年。1963年に当時社会主義国家だったチェコスロバキアで、こんな映画が撮られていたなんて卒倒もんだ。
オイラにも作れそう!な模型。舞台劇かよ!って突っ込みたくなるスタジオセット。でも、無に等しい状態からこれらを創り出した想像力には、素直に敬意を表します。じいちゃん、カッケー!
翻って、50年以上経った今、オイラ達の世代が作っているものは何なのだろう、って考え込んでしまう。
70年代に予言された21世紀の風景は、科学の進歩、現実的な費用の問題から実現にはほど遠い。まぁ、そっちは現実世界を生きるオイラ達の仕事としてやね。
創造的な空想科学を生業とする人達には、次の50年、100年、200年先のことを思い描き可視化して欲しい、って思う。
知能の発達した猿が支配する社会で……イヤ、そうじゃなくって、、、
核戦争後の世界を舞台に人類の存亡を賭け……だからさー
最終兵器はヒト型アンドロイド……あのね、、、
生き残った人類は巨大宇宙コロニーの……もう、、、良いよ、何だって。。。
映像化技術の飛躍的進歩(電算機演算速度の跳躍によってもたらされた)は、想像力を豊かにする一方で着想の貧困も招いた。ってのが今晩の結論。DVDも買っとこうと思う。
向かっていたのはイスカンダルでした的なオチ、カビ臭さのカケラも無くて、これまた卒倒もの。さすがに絵面はクラシックだけど。
That’s “Retro-futurism”
概視感を『がいしかん』と何となく読んでいた自分を恥じる、と反省して感想へ。
まぁ、その『きしかん』はハンパないのだが、しかし当然、スタートレックが影響を受けたとか、東洋の果ての島国では“特撮”なんてもので色々と同じようなことやってるぞとか、確かに1960年代にいろいろなSF映画の先祖みたいな作品が産み出された、その一つがこのチェコ作品。映画そのものも盛んであったこの国ならではの面白い、風刺の効いた作品である。
当然、原作未読なので粗筋もあまり掴めないままの鑑賞なのだが、ほんとにこれが既視感のオンパレード。先述の作品を初め、宇宙戦艦ヤマトや、ウルトラセブン、そして2001年宇宙の旅といった大作迄、キャラ、ストーリー、ロボットや宇宙船のギミック、電子音での効果、劇伴等々世界観と、何だかごちゃ混ぜになってしまう頭を、尚且つチェコ人の顔の見分けが薄ボンヤリしたままスクリーンに吸い込まれてしまうので、ほんとにケンタウルス座アルファ星へ連れて行かれるような感覚を覚えてしまった。ストーリーもタルコフスキー監督の『惑星ソラリス』の原作と同じ作家スタニスワフ・レムだからなのか、確かにその不気味な何かに対峙し、苦悩する人間達のヒリヒリとした焦燥感を、モノクローム映像を相俟って前面に表現されている。途中のコミカル且つレトロ調なダンスシーンや運動室での体操シーン等、共産主義圏の影響も色濃くあって、興味深く鑑賞できる。ただ、ネット等で調べるとどうも原作とはかけ離れている部分もあるようだが・・・ 展開的には、1987年に飛び立ったとされる宇宙船の中から、謎の病原菌が運び込まれて云々からの・・・となると、丸で『エイリアン』になってしまうかw でも、あの核ミサイルの不良爆発(発射口に挟まってしまってというのがシュールだがw)での搭乗員の巻き込まれの事と、直ぐの謎のダークスターからの倦怠感と催眠を伴う放射線を浴びる事件との何かしらの関係性があるともっと深みが増すのだけど。まぁ、でもラスト、結局助けてくれた異星人の星へ着陸する手前でエンドなのは、その後の出来事がどういう形に展開するかを想像できる余韻の残る終わり方で大変面白かった。今作品をもう少し脚本を書き加えて、尚且つ、シッカリとした主人公を物語の軸にして(本作は、主人公はこの人!というストーリーではなく、複数の人間関係が同時進行で進んでいる)、カラーでのレトロフィーチャー感を全面的に押し出したリメイクを鑑賞したいものである。
55年目の初公開
55年目にして本邦初公開のチェコのSF映画だ。1963年に発表されていたようだが、当時は社会主義国だったため、余り多くの人の目には触れていない。SF宇宙映画のお手本かつオリジナルにあたる作品で、昨今のSF映画はこの作品のヴァリエーションに過ぎないと感じた。出来は素晴らしい。無機質な電子音によるサントラも素晴らしい。内容に関しては言うことはないのだが、エンディングが余りにも唐突過ぎて、面喰らってしまった。アーカイブ的な素晴らしい作品を見れて、喜びも一入である。
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