劇場公開日 2018年11月9日

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「躁鬱病を患う女の子の恋愛物語ということに惹かれて鑑賞。まだ、取っ掛かり(入口)の話で本当はこれからが正念場。しんどいと思うが津奈木がそれを受け止められるだけの包容力のある男であることを祈ろう。」生きてるだけで、愛。 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5躁鬱病を患う女の子の恋愛物語ということに惹かれて鑑賞。まだ、取っ掛かり(入口)の話で本当はこれからが正念場。しんどいと思うが津奈木がそれを受け止められるだけの包容力のある男であることを祈ろう。

2022年5月21日
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鑑賞方法:VOD

①私も双極性障害(躁と鬱を繰り返す所謂躁鬱病)罹患者です。もういい歳なので色恋沙汰とは関係ないですが。私の場合は仕事もあるし保険にも入っているので医者にもかかれるし服薬していて普通に仕事も日常生活も送れています(精神障害に関しては薬浸けという批判が時々見受けられますがここでは割愛。)②寧子の場合は躁鬱病のお陰で定職に着けず(単極性障害である鬱病・躁病を含め躁鬱病は気分障害なので自分で気分をコントロール出来ないのです。だから薬が要るわけですが。)保険にも入っていないので薬ももらえず、なかなか自分の気分をコントロール出来ないのです。それで仕事を始めても辞めざるを得ない羽目に陥ってしまうという悪循環に陥っているんですね。③理解していない人が多い(というか理解出来ないでしょうね)ですが、躁病・鬱病・躁鬱病はれっきとした脳という臓器の機能不全による疾患・障害です。カフェバーの女主人(西田尚実だったのですね、全く気がつかなかった)が「鬱病なんて寂しいからなるのよ。楽しくしてたら大丈夫。」という様なことを仰ってましたが(勿論悪気ではなく一般の人の最大公約数的な理解でしょう)、そんな簡単なものではありません。④私も発病してから2~3年は回りの人に理解してもらおうとあがきましたが結局諦めました。土台理解してもらおうと思うのが甘かったと。どんな病気もそうですが自分がなってみないとそのしんどさや苦しさはわからない。それで、一生付き合っていくと覚悟を決めて社会や世間の中で普通に仕事をし生活できるように薬を服用しながら生きております。⑤私の場合、「希死念慮(死にたいとう思い)」が起きなかっただけラッキーだと思っています。寧子も「希死念慮」は無いようだからそれは救いかなと。まだ25歳なのでいま暫くは辛いかもしれませんが、もう少し我慢していれば障害と向き合う・付き合う覚悟が出来てくると思うのでそれまで頑張ったほしいな(自分を捨てられないという自覚は既にあるようだから)。⑥尚、脱線しますが、最近続いたら渡辺裕之さんと上島竜介さの自殺について、お二人は残念ながら「希死念慮」を発症しておられたのだと思います。人はよく“死ぬ気になれは何でも出来る”とか“死んで花実が咲くものか”といいますが、「希死念慮」に取りつかれてしまうと“こな苦しみから逃れるには死ぬしかない”と思ってしまいます。重症の気分障害の一番怖いところは“通常の判断力が無くなる”ことなのです。ひとが一旦死のうと思うと24時間張り付かない限り自殺を止めることは殆んど無理でしょう。特によく理解されていないのは、自殺は気力・体力が最も落ち込んだときにするのではなく、気力・体力が戻って少し元気になったかな、という時が一番怖いのです(自殺という行動を起こす気力が出てきたのですから)。⑦と、まあ映画レビューというよりも精神医学入門書みたいになってしまいましたが、当事者としてはこういう映画が出来て素直に嬉しい。映画もあっさりしていますが(何せ入口の話ですから)演出も大きな破綻なく纏めています。趣里は『流浪の月』の子供を置いて男とトンズラしたゃうヒロインのスーパーの同僚や『空白』の交通事故死した古田信太の娘の担任の先生をやった女の子だったんですね。難しい役をなかなかの好演。彼女の演技に説得力がなければこの映画は成立しないし。“あなたは私を捨てられるけれども、私は私を捨てられない”というのは正に言い当てて妙(障害があるなしに限らないけれど)。強くなくても何とか生きていくためには、やはり「私と一生付き合っていくという覚悟・達観を持てるかどうか」。若い人には気の遠くなるような助言かも知れないけれども、人生の先輩の話にも少しは耳を傾けてね。

もーさん