「米国の本質を内省・巡行する秀作」荒野の誓い りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
米国の本質を内省・巡行する秀作
1892年、米国ニューメキシコ州。
インディアン戦争の英雄ジョー・ブロッカー大尉(クリスチャン・ベイル)は、隊長から収監されているネイティブアメリカンのシャイアン族首長イエロー・ホーク(ウェス・ステューディ)とその家族を居留地まで護送するように命じられる。
ブロッカー大尉と首長は、かつて戦場で戦い、多くの仲間が殺し殺された関係である・・・
といったところから始まる物語で、監督は『クレイジー・ハート』『ブラック・スキャンダル』のスコット・クーパー。
この本筋に入る前に、入植者の一家がコマンチ族に皆殺しにされ、命からがらひとり妻のロザリー(ロザムンド・パイク)だけが生き延びるという描写がある。
このシーンは、往年の(といっても60年代ぐらいまでか)西部劇でよく描かれていたもので、ブロッカー大尉一行がロザリーを発見し、彼女を安全な土地まで送るといのも、かなりオーソドックスな西部劇の枠組みといえる。
ということで、かなりオーソドックスな西部劇の風貌をしているが、目指すところは娯楽映画としての西部劇ではない。
冒頭、引用されるD.H.ロレンスの、アメリカを評する言葉、それを探るのがこの映画の主題。
「アメリカの本質は、孤独で人殺しだ。それは和らぐことはない」
つまり、アメリカの本質をアメリカ人が探り、内省するロードムービーである。
映画は大きくふたつに分かれている。
一行が途中、町へ到着するまでと、その後である。
ここへたどり着くまでに一行の兵士は半減し、ロザリー一家を襲ったコマンチ族も征伐されているので、ほとんどハナシは終わったようなものだが、町を管轄する隊長(ピーター・ミュラン)から、ネイティブアメリカンの一家を惨殺した男の護送を依頼される。
そして、その男は、ブロッカー大尉の元部下である
一行が送り届ける対象(つまり、敵)が、ネイティブアメリカンという外部から、元部下という内部へと変化するわけである。
アメリカの本質についての内省がより深く進んで行く・・・
この「内省の巡行」、観ているうちに別の映画を想起しました。
ダブって見えたのは『地獄の黙示録』。
『地獄の黙示録』は、最終的に「闇の奥」の闇しか見つけられなかったが、ブロッカー大尉は自分自身の本質を、和らぐことのない孤独な人殺しということに辿り着き、それを直視する。
和らぐことがないのは、相手を知らない、理解しようとしないからだったということに・・・
オーソドックスな西部劇の枠組みを借りながらも、骨太で現代にも(未来にも)通じる秀作でした。
ただし、道中の描写が同じような繰り返しで(物語上、仕方がないのかもしれないが)、まだるっこいところもあるので、そのあたりは減点かしらん。
なお、日本人撮影監督マサノブ・タカヤナギの映像は秀逸。