荒野の誓いのレビュー・感想・評価
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人はいかに絶望を乗り越えることができるのか。ベイルの凄み溢れる演技にまたも圧倒される。
元来、クリスチャン・ベイルの主演作を観るにあたっては、かなり精神的な体力を要するのが常だ。それは内容そのものがハードであるというよりも、むしろ彼演じる主人公の歩む道のりがあまりに長くて険しいもので、彼と共に我々もまた大きな心の距離移動を余儀なくされるからだろう。
本作でベイルの演じる役柄もまさにそのような類いのものだった。かつてネイティブ・アメリカンと壮絶な戦いを繰り広げ、多くを殺め、また多くの仲間を殺された兵士がいる。彼が辿るべきなのは懺悔か、復讐か、それともまた別の道なのか。静かな存在感ながら、その体内には言いようのない葛藤と苦しみ、そして凄みが潜み。これが危険な任務を遂行する中で、少しずつ少しずつ、昇華されていき、その果てに到達する境地、表情にはとても胸迫るものを感じずにいられない。また、脇を固める俳優陣もそれぞれが素晴らしく、極めて味わい深いヒューマン・ドラマに仕上がっている。
テーマにストレートすぎて
30分で映画が終わってしまってる感じがした。30分ぐらいのところが一番感動した。あとは長~い蛇足みたいな感じがしたがラストシーンが良かったので良かった。フイルムで撮られているので写真がとても綺麗だった。 同じテーマのダンスウィズウルブス(1990)の方が良かった。
以下、映画が退屈だったのでうんちくを垂れてみることにした。
こういうタイプの映画は長い間作られなかったわけだが実はジョン・フォードが一本作っている。それは捜索者(1956)という映画だ。捜索者は一見すると一種の牧歌的な映画に見えるが実は違う。猟奇的にインディアンを殺す男の話だ。当時はそういう映画を作ることはタブーだったのだろう・・上手にミステリーチックに隠されていて分かる人にだけ分かるようにできていた。私がそこのところを解説しているのでよろしかったらどうぞ。
ちなみにこの映画の背景は1892年。歴史に詳しいわけではないが多分、南北戦争の20年後だ。1881年には OK 牧場でワイアットアープが悪党どもと戦った。それは「いとしのクレメンタイン(1946)」という素晴らしい映画になっている。その映画が撮られた頃はまだワイアットアープが生きていてジョン・フォードは直接取材したことがあるそうだ。ワイアットアープが決闘した頃、大草原の小さな家のローラインガルスは中学を卒業する年だった。彼女は3年ぐらい飛び級で学校の先生の資格を得た。あの一家がインディアンの襲撃を受けたかったのはただ運が良かっただけかもしれない・・多分そうなんだろう・・・
ほとんどのインディアンが死んだのは白人に鉄砲で撃たれたからではなくインフルエンザに感染したからだという情報がある。コロナで騒いでいる今の状況を見ると多分本当だったんじゃないかと思われる。
それにしてもコロンブスのアメリカ大陸発見は1500年頃のことだ。この映画の背景となった時代まで400年間も白人はインディアンを殺し続けてきたということになる・・・なんてこった・・・馬くらいくれてやらんかい。
永い言い訳
背景は侵略と抵抗と風化というアメリカ開拓史であるが、いわば人類史の縮図に過ぎず古今東西、人間の営みには血の臭いが付きまとっている。
冒頭から牧場一家の襲撃が描かれる、子供ばかりか赤ん坊まで殺される非道の描写、何の因果でこんな残虐な事件の目撃者にさせられるのか、本作を選んだ自身を悔やまずにはいられない。
クリント・イーストウッドの「アウトロー (1976)」も似たようなティストだったが本作よりは単純、目の前で家族を惨殺されれば復讐の鬼と化しても不思議はない、宿敵は北軍ゲリラの犯罪者だし銃が掟だったからまだ観ていられた。確かに復讐も戦闘も遂げてみれば訪れるのは虚無の闇、本作は先住民と侵略者の軋轢、勝者の視点、理屈で懺悔交じりに描いているが永い言い訳を聞かされているようで興醒めする。
邪鬼が人間に戻れるとしたら為すべきは償いの善行なのか、犠牲者の寛容や慈悲でもなく、ただ風化しかないのだろう。
確かに演者は熱演だし、タブー視されるテーマに挑んだことは評価を受けて当然だが生理的に合わない映画でした。
静かな物語
淡々と進み、とにかく静かにクリスチャン・ベールの物悲しい表情が印象的。かつては先住民との戦いで沢山の殺し合いをしてきたベールだが、その間も仲間を多く失う。敵であった酋長の死期が近く、故郷に護送することになり、当初は反対していたが、様々な敵からの襲撃を受けるうちに助け合うようになるが、その間も部下を亡くしていく。次第に戦うことの無情さ、過去への反省、先住民への思いが芽生え、変わっていく。全てベールの表情が物語り、ラストは、3人で暮らすのだろうか?ハッピーエンド。
クリスチャン・ベールに尽きる
某ラジオのインディアン特集で薦められていた一本。かつて散々にインディアンを殺したブロッカー大尉が、大統領令によりシャイアン族の酋長イエロー・ホークとその家族を彼らの故郷モンタナまで送り届ける物語。途中でコマンチ族に家族を虐殺された女性、脱走兵を拾いつつ、様々な困難に遭遇し、部隊は一人、また一人と欠けていく。
昔のアメリカ映画にあった、邪悪で未開なインディアンを、ヒーローのアメリカ人が成敗するという描写はそこにはない。ブロッカーの戦友トミーは、同じ人間を殺しているという悩みからうつ病に苦しむ。
主人公のブロッカーは矛盾を抱えた人間だ。インディアンには冷酷に接し、殺害は任務と割り切る。その一方で黒人の部下に対しては友情の涙を流す。インディアンへの対応の変化も唐突過ぎてよくわからない。おそらく、差別主義者ではないということを示したかったのだろうが、最後までよくわからない人物だった。
色々なことが起き続け、アップダウンの激しい映画だった。戦闘シーンの凄惨さは目を見張る。その中でクリスチャン・ベールの抑えた演技は常に碇の役割を果たしていた。彼の演技を観るだけでも一見の価値はある。
ご婦人に撃つ度胸があるかな
映画「荒野の誓い」(スコット・クーパー監督)から。
産業革命後の開拓地を舞台にしたアメリカの西部劇。
先住民のインディアンと開拓者との戦いが壮絶だったことは、
メモを見ないまでも、明らかで目を覆いたくなるけれど、
これもまた現実だと理解して観始めた。
同じインディアンでも、シャイアン族とコマンチ族は、
本当に違う戦い方をするのかもしれないな、と思いながらも、
あまり、メモする台詞は見つからなかった。
逆に、先住民インディアンの土地を、我が物顔で闊歩し、
「大統領令です」と指し示したにもかかわらず、
「ただの紙切れだ。たとえ大統領でも俺の土地には口を出させん。
ここは俺の土地だ」と言い張りインディアンを攻撃する白人。
それに怒りを覚えた主人公の女性が、彼に銃口を向けても、
なお「ご婦人に撃つ度胸があるかな」という態度で接した。
その傲慢な態度に終止符を打ったのは、
迷わず引き金を引いた白人女性、カッコ良かったなぁ。
「自業自得」って言葉が浮かんだ瞬間だった。
荒野で一緒に苦労を重ねてきて好きになるのはわかるけれど、
「どんな未来であれ、幸せを祈ってるわ」と別れたのに、
ラストのハッピーエンドは、ちょっとなぁ。
西部劇かと思ったら
明らかに悪い奴が出て来てバンバン打ち合う西部劇かと
思ったら、
クリスチャンベイルがそんな単純な映画に出るわけもなく、
序盤から「え?」の連続。
しかし勧善懲悪のないリアルなのかな。
正義もないし、悪もない。
みんな生きて行くのに必死与えられた仕事をしてるだけなのに続く負の連鎖は止まる事はなくラストを迎える。
ティモシーシャラメがこの物語の過酷さの象徴のように
なってて、いきなり度肝を抜かれた。
今もアメリカでは白人の警察官が黒人を射殺し問題に
なっている。その前は先住民。
同じ事を繰り返してるように思うし、
その動機は恐れのように感じました。
ラストに残ったのは戦争で先住民を殺しまくった大尉、
そして子供を殺された母親、家族を亡くした先住民が
一つになる。
負の連鎖の後の一つの小さなアメリカを示す、
監督からのメッセージかなと思いました。
戦争は何も解決しないし、何も生み出さない。
銃と病原菌と鉄で欧州人はアメリカの先住民を放逐した。
そして先住民の反撃は途方もなく残虐で過酷だったのだろう。そんな戦争の最前線で戦いを続けてきた騎兵隊大尉の退官間際の話。兵隊の仕事は敵を殺すこと。当たり前の話だ。しかし、殺し方にトラウマを抱えて苦しみながら生きていく方法が見つけられず死に時を探している。おまけに、時代の変遷期。個人の思考も変換せざるを得なくなる。果たして、彼は生き方を変えることができるか?
この映画のラストシーンは見事だ。
どんな人間もいかに多くの経験をし、その経験を積みあげても、それで自分を肯定したり、満足することなどできやしない。現在ある状態のなかで、自分の望ましい生き方をし、そのなかに意義をみいだしてゆく、そういうほかに生き方はない。
そんなことを教えてくれる映画だった。
現代社会が抱える問題を内包した西部劇
前の『ファーナス/訣別の朝』がもうすでに西部劇テイストだったスコット・クーパー監督が、本腰入れて西部劇を撮ったな、という印象。
結構容赦ない展開になっていく中で、異人種同士のヘイトクライムやPTSDといった、現代社会の問題をサラリと入れているのがポイント。
とにかく、こういうシブい西部劇は大好物。
クリスチャン・ベール主演の西部劇といえば、大傑作『3時10分、決断のとき』があるが、プロットが本作と似ているのは偶然ではないだろう。
なにしろ、『3時10分』の監督ジェームズ・マンゴールドも西部劇ファンだから。
なお、ベン・フォスターも両作品に出ているが、『3時10分』では冷血漢なガンマン、こちらでは狂気を宿した服役囚と、地味なのに目立つ役どころをこなすのに長けている。
それにしても『3時10分』でもそうだったが、ベールはホントにヒゲ面が似合う。
ついでに言えば、ヒロイン役のロザムンド・パイクは11月まで日本公開作が目白押し。
偏見を乗り越えて
最初に先住民に対し差別意識を持った陸軍大佐が先住民を護送するストーリー。旅の途中での経験、それぞれの人物の変化を名優らが醸し出す。かつてのアメリカの先住民に対する歴史の闇と反省がこの映画で伝わってくる。共に戦う中で人種を超えて芽生える友情と絆、それをこの映画は体現している。
今や大人気のティモシー・シャラメが真っ先に退場。
インディアンを総じて野蛮人として扱っていたかつての西部劇とはかなり違ってきている。いつの頃からか、NHKで放送される西部劇では「インディアン」という言葉は使われなくなって「先住民族」という言葉ばかりだ。差別用語を使わないようにしてるのはわかるけど、どうしても違和感が残る。金沢にはインディアンカレーという有名なカレー屋さんもあるのだけど、これも放送禁止か?と考えていたら、さすがにインディアンズの大リーグ中継はやっていた・・・
退役目前のジョー・ブロッカー大尉が上司からシャイアン族の酋長をモンタナ州居留地まで護送するよう命ぜられる。断ったら年金も与えないと脅されて、渋々大嫌いなインディアン一家を送ることになった。途中、コマンチ族によって家族を皆殺しにされた寡婦(未亡人という言葉も最近は使えない)ロザリー・クウェイドを保護し、旅の一行に加えることとなる。ここで家族の仇でもあるインディアン一家を出会ったロザリーの反応も鬼のような形相がまずは見どころのひとつ。インディアンは全て敵だという固定観念が抜けないでいるのだ。
そしてガラガラヘビのごとく、彼ら一行を襲撃してくるコマンチ族。ここでフランス人のシャラメくんが殺されてしまうのだ。英語とフランス語のチャンポンが和ませてくれたのに、もう笑えるキャラがいなくなった感じで、ここからは相当シビアなロードムービーとなる。映画館では10人未満の観客だったけど、シーンと静まり返る館内。『クワイエット・プレイス』や『ドント・ブリーズ』の比ではないくらいに音を立てづらい雰囲気なのだ。何しろ人間と馬を発見したら、こっそり忍び寄って襲ってくる敵。もう敵だらけ、原題そのままなのです。
コロラド州の中継地点ではちょっとのんびり。しかし、インディアン一家を惨殺した男、しかもジョーの元部下でもある男の護送も頼まれるのだ。そこからは居留地問題やインディアンが皆残忍であるという偏見の問題も含め、ジョー自身の過去の闇も暴かれてゆく。兵士となった以上、敵を殺すのが仕事。冒頭のD・H・ロレンスの言葉にもあるように、アメリカ人は人殺しなのだというテーマにも繋がってくる。本来、自分たちが侵略者であるにもかかわらず、先住民を殺したことによって復讐の連鎖が続いていた頃の話だ。しかし、とりあえず、シャイアンも加わって話し合いによって解決しようと説得され・・・
終盤クライマックスでは、モンタナに到着した御一行がそこで病死した酋長の葬儀、埋葬。白人たち、キリスト教信者たちの儀式とは全く違う光景がとても新鮮だった。文化の違いも興味深いものがあったし、コロラド州の美しい大自然を背景に癒しの映像も満載。こんなに美しい場所なのに、人々の心は殺伐としているというコントラストが絶妙に描かれているのです。そして、皮肉なことにインディアンたちとの和解の後にやってきたのは・・・という虚しさ。あの威張り腐ったオヤジがトランプに見えてしょうがなかった。
ラストでは汽車に乗って去ろうとするロザリーとシャイアンの子。このまま別れていいのか?ジョー。と、列車に飛び乗るジョーが何とも言えず男らしいというか、これぞ照れ屋の男。まさしくシャイやん!というオチでした。
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