ゲッベルスと私のレビュー・感想・評価
全5件を表示
全体主義のパーツは「普通の市民」
ナチスの宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルは、「割のいい仕事」を求めて就いただけの、普通の市民だ。彼女が語る通り、ゲッベルスは洗練された穏やかな紳士だったのだろうし、ホロコーストについては何も知らなかったのかもしれないし、現代のドイツ人があの時代に生きても、やはり体制から逃れることはできなかったかもしれない。
彼女は語る。「現代のひとは、『自分なら抵抗できた』と言う。でも無理よ。抵抗なんてできない。もしやるなら、命がけだもの」。そう、ヒトラーの言葉に酔ってナチス政権を支えた多くのドイツ国民は、抗えなかった。「凡庸な悪」はまさしく当たり前のように、私たちの周囲を這いずっている。
もし、私だったら
時折差し挟まれるナチス関連のアーカイブ映像以外は、ずーっと102歳のブルンヒルデさんが独白する上半身が、画面いっぱいに映し出されるのみのフィルムだ。
ドイツ語がわからない私には、日本語字幕を読む作業に徹するような鑑賞形態となり、まるで読書をしているような気分になった。
彼女は、たまに感情を表すことはあるが、年齢からはとても考えられないほどの明晰さを発揮しながら、始終淡々と記憶を語る。
私は(ホロコーストを)知らなかった。私は悪くない。という、彼女の発言に見る者の心はわずかにざわつく。
だが、しかし、あなたならどうするか?私ならどうするか?
と考えてみると、ブルンヒルデさんをジャッジできる資格はないだろうな、と思い直す。
途中、何度か眠くなったので、大切なメッセージを見逃したかと思い、めずらしくパンフレットを購入した。
とくに見逃した重要なメッセージはなさそうだったが、パンフレットの最後のページに、小さめの字で、〜映画で伝えられていないこと〜という囲みを見つけた。
映画で語っていたブルンヒルデさんには、1936年当時、半ユダヤ人の恋人がいた、というのだ。
その恋人は、迫害から逃れるためにひとりオランダに亡命し、その頃、彼女は彼の子を身ごもっていたが、肺を悪くしていたため医者に勧められ、中絶をしたという。
そして、何回かオランダで密会していたが、当局から怪しまれることを恐れて密会をやめ、戦争勃発を機に音信不通となった。
と書いてあった。
そういう彼女の個人的背景を知ると、彼女の口から語られた内容からくる印象が、また違ったものに感じられてきた。
ただ、映画の中で、あえて監督が上記の事実を一切伝えなかったのは、「ゲッベルスと私」の私とは、ブルンヒルデさんだけのことではなく、もしも、私がナチスと関わることがあればどうするか、ゲッベルスの部下だったらどうするか、彼女と同じ立場にあるとしたら私はどうするか?、というところに焦点を当てて考えてほしいから、という監督の意図があったから、ということらしい。
最近の映画パンフレットは、値段の価値も無いようなのが多いけど、今回は、パンフレット買って良かった、と素直に思った。
そして、映画が眠かろが、反発を感じようが、兎にも角にも、私たちは映画のテーマについて自分の頭で考えなければならないのだ、と思える映画でした。他人事ではないと思う。
印象に、怖い、をつけましたが、ホラーの怖さではなく、人間が無意識であっても戦争犯罪に加担する可能性がある、という点で、怖い、にしました。
アーレントとの差
ポムゼルは「未熟」だったと振り返る。
アーレントは「思考をやめないこと」と語った。
ポムゼルは「悪魔は存在する。正義などは存在しない」と言った。
アーレントは「悪は本質ではない、本質的なのは善だけだ」と言った。
ポムゼルは生き延びた。
アーレントは同胞から見限られた。
よかった
元ナチ党員の女性により戦前、戦中、戦後が語られる。ゲッベルズは期待していると思ったほど語られなかった。当時の雰囲気が非常によく伝わった。後からならいくらでも言えることが当時は分からなかったのは本当だと思う。
101歳なのに記憶や意識がはっきりしていて、うちの祖母とは大違いで驚いた。顔のしわがすごい迫力だった。
全5件を表示