クワイエット・プレイスのレビュー・感想・評価
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緊張感を楽しむ映画
やり方かな・・・
音を立てたら何かに襲われる。
ある一家を中心に描かれたスリラー。
何かの正体は、開始10分以内に判明する。
以外と登場が早かったのにはビックリ。(笑)
それと、最後はどうなったのかは知りません的な終わらせ方も、この手の内容にはよかったのかも。
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これたけかな・・・
個人的な見所だったのは。
音を立てたら何かに襲われるのは理解出来ているにも関わらず、自ら窮地に追い込む行動が多すぎる(こうでもしないと、話の流れが変わらないんのは理解するが。)為、登場人物誰一人と共感出来ない。
また、音がキーワードになっているのに、滝やら川の音は平気とか、基準が曖昧。
「こんな場所こそ、敵だらけだろ。」
なぁ~んて、普通に鑑賞してて思えてしまうんだから、見せ方だったりやり方にもう一工夫必要だったかな。
と、思えた。
ホラーではないです
音にびっくりする
スリラーなのに泣ける
隕石が降ってきたことにより出現した謎のクリーチャー。クリーチャーは盲目で音に反応し、人間や動物を襲う。人類滅亡に追い込まれた世界で生き延びる一家の物語。
静寂が緊張感を出していて、当然だけどセリフも少ない。観てるこっちまで音を出しちゃいけない雰囲気になる!この作品は絶対映画館で見るべき!
粗探しをした酷評が多いけれど、重要なのはそこじゃないと思う。
たしかに、
・音に反応するルールが曖昧
・滝の側で生活すればいいのに
・この状況で子供作るか?
・銃で倒せるなら軍隊全滅しない
・なんでクリーチャー防音の部屋に入ってきたの?
・地下で生活すればいいのに
・敷き詰めるほどの砂をどうやって?
・いや釘の位置おかしい
・壁に額縁飾りすぎでしょ落ちたらどうするの!
などなどいろいろな疑問はあるけど、それよりこの映画で何を伝えたいかが大事。
クリーチャーがやってきて人類の生活が一変した1日目を描いていなかったり、クリーチャーの正体について謎が多かったり、終わりも完結せず打ち切ったり、あえて多くを語らないのがまた良かった!
これはスリラーというよりヒューマンドラマ。家族愛がテーマ。子供たちを守るために父親が自己犠牲となる直前、お父さんが最期に手話で「愛している」と言ったシーンはポロっと泣けた。ホラー映画で感動して泣くなんて想定外すぎる。
家の周辺にハザードランプや監視カメラを設置したり、出産の対策として花火や酸素マスクを用意しているなど、家族を守るための父親の用意周到さがすごかった。
すごくよく考えられてる。
父役ジョン・クラシンスキーと母役エミリー・ブラントが実際に結婚してて、ジョン・クラシンスキーが監督も務めているというのが、より深い家族愛を演出できているんじゃないかと思う。
長女に知覚障がいがあって、手話を日常的に使ってきた家族だからこそ生き残れたんだろうなぁ。娘には「もうやめて」と反抗されていた、父の研究も報われて良かった。クリーチャーの弱点が補聴器から出る高周波だったなんて。
最後終わり方かっこよかった!!母娘が見つめ合い、娘が増幅器のダイアルを回し、母がドヤ顔で銃装填ガシャン!エミリー・ブラントは戦う女、カッコいい役が多いですね(*^^*)
人を繋ぐ為の「沈黙」
ラストシーンのエミリー・ブラントのドヤ顔にはしてやられた。それだけでも痛快なのだが、ここでは本作のコンセプトである「クワイエット」について述べることにする。
「音をたててはいけない-クワイエット」という設定は『ドント・ブリーズ』が記憶に新しいが、本作が素晴らしいのは、その明快なコンセプトが更なる強度と厚みを持ったことによる。
「クワイエット」は、単に怪物に見つからない為の約束に留まらない。「クワイエット」が本作にもたらしている役割は次が考えられる。
・緊張感の煽動
→本来安心して観ていられる夕飯のシーンでさえ、我々も息を殺し、思わず固唾を呑んでしまう。
・設定の沈黙
→クリーチャーは何者なのか?何処からやって来たのか?他の人類は何処にいるのか?なぜこの家族は生きている?リーガンが抱えているであろう聴覚障害とは?etc...これらの設定に関する疑問は一切本作では沈黙を貫いている。沈黙が我々に想像力を掻き立てる。
・家族の愛の表現
→以心伝心とはよく言ったものだが、彼らは手話でのコミュニケーションを余儀無くされる。彼らが手話ができるのは、娘の障害がバックグラウンドとしてあるのだろうが、重要なのは、誤解を恐れずに言うと「愛の表現に言葉はいらない」ということだ。言葉は便利だが、便利すぎるが故にすれ違いが生じることがある。彼らは言葉を話せないから、なるべく近くで、手話が見える距離で、表情が見える距離でコミュニケーションする。だから、愛が深まる。両親がイヤホンを共有してダンスするシーン、言葉なしの愛の表現は、なんと美しいものだろうか。
『シェイプ・オブ・ウォーター』でも似たような描写がある。手話でコミュニケーションする主人公(サリー・ホーキンス)にとって、「手」は最も大切な自己表現の道具であった。それをより暗示させるのが敵(マイケル・シャノン)の腕がクリーチャーによって切られるシーンである。彼らを繋ぐのも言葉ではなかった。沈黙の中に共有するものは、ベニー・グッドマン(グレン・ミラーだったか?)であり、抱擁である。
これに完全に反対の関係にあるのが、電話だ。電話は表情を隠し、どんなに遠くの距離にいる人とも会話できる。電話の発展が行き着いた先がスマートフォンだとすると、SNSへの批判とも読み取れそうだが、深読みだろうか?そう考えるとIT社会が発展した先に人類が滅んだ後の世界という、ディストピア映画にも見えなくもない(笑)
SNSが発達した現代、我々はいつも繋がっているように思えるが、実はそれぞれ孤立を深めているのではないだろうか?
本作に一貫する「クワイエット」というコンセプト、それは、敵から身を守る手段であると同時に、不便な中で人間同士が愛情を見つめ直す手段でもあるのだ。それは、繋がっているように見えて切り離されつつある現代人同士をもう一度繋ぐ為のメッセージである。
期待してただけに
すごく怖い
音でビックリさせるだけの映画
音を立てるとナニカに殺されるって設定は面白いと思ったけど期待ハズレ。
映画の性質上静かにしている場面が多いのですがそこから急にでかい音でビビらせる演出がくどいです、
単にビックリ演出に頼るのでなくホラーならもっとしっかり恐怖心を煽って欲しいですね。
あと敵がスパ○ダーマンに出てくる悪役みたいで怖くない。
叫べない‼️新しいホラー
わからないことばかりの怖くないホラー
百聞は一見に如かずというのは誰もが納得できる諺だが、それは見ることも聞くこともできる健常者にとっての話で、盲目の人には意味を成さない。健常者は盲目の人の感覚がなかなか想像できないだろう。
視力がなければ補完する感覚としての聴力が発達するのは、なんとなく予想できる。しかしエビデンスがあるわけではない。座頭市のドラマを見てもよくわからなかった。
さて本作品は目が見えない強力な外敵に襲われる話である。視覚のない生物が宇宙空間を渡って地球に来られるのかという疑問はあるが、そもそも宇宙の他の生物が地球に来られる可能性自体、相対性理論からすればほぼゼロである。だから固いことは言わないで、そういう設定であることを受け入れるのが筋だ。
とはいえ、敵がどの音をもって人間と判断するのかよくわからないままなので、なんとなくモヤモヤしたまま鑑賞することになる。敵の強さもよくわからない。ゲームをしているのか捕食しているのかも不明だ。人間が関わらないところでも風や雷など自然はしばしば大きな音を発するが、そういう自然の音と人間が発する音をどうやって区別しているのかもわからない。わからないことばかりである。正体不明の敵は確かに怖いが、何もかも不明だと逆に怖がりようがないのだ。もう少し敵の残虐性を示すひどい殺され方などのシーンがあったほうがホラーとして恐怖心を産んだと思う。怖かったのはいきなり来る大音量の効果音だけである。
どちらかというと家族間の関係性が変化し、成長していくドラマに重点が置かれている気もするが、それにしては描写が少なすぎる。ホラーにしたかったのか、家族の物語にしたかったのか、制作者の意図が最後まで理解できないまま、中途半端に終わってしまった感がある。
最初に書いたとおり、盲目の感覚は健常者には理解できにくい。だから本作品の敵についても理解できない。音を立ててはいけない登場人物に感情移入して、観客も音を立ててはいけない気持ちにはなるが、そこまでの作品で、高評価は不要である。
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