万引き家族のレビュー・感想・評価
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この映画を観て感動しなかった自分にホッとした(長文)
題名から嫌な予感がしつつ色々と話題になっていたので鑑賞・・・でもやはり見なけりゃよかったかな
(注)以下、鑑賞後に感じたモヤモヤをありのまま書かせてもらいます。長文で辛辣な内容も含むので
この映画が大好きで「最高!泣けた!」って方はどうぞスルーして下さい(意見には個人差があるので)
まず、万引き家族(リリーさん達、以下カゾク)が文字通り人の物を平気で盗む人達でドン引きしました。
映画とはいえ普通の人が平気で盗みをするシーンは見て余り気持ちよいものでないけど、この映画は更に、
親代わりの大人達が子供にノリノリで盗みをやらせてます。本作は「家族とは何か」がテーマだそうですが
反社会的なことを家族(特に子供達)に絶対やらせない、それが問答無用の家族の基本じゃないですかね。
それがデタラメな時点でこのカゾクの大人達に対する共感、感情移入の余地がほぼ完全に失せました。
そもそも子供への犯罪教唆って相当悪質な虐待行為でしょう、それをさも、この人達がなにか特別で、
問題を抱えながらも実親の虐待から子供を救った、愛ある優しい人達のように描かれていることに
最後までものすごい違和感を感じました。ぶっちゃけ、虐待から別の虐待に子供たちが流されていく話が
そんなに感動するような話なんですかね(みんなよく平気で、しかも感動して観ていられるなぁ笑)
普通、あの少年ぐらいの歳なら周囲の大人に隠れてやる行為(見つかれば厳しく罰せられること)が
反社会的行為であることぐらい肌感覚で「すぐに」わかるはずなんですよ。小さい子供にだって良心は
あります。ゆえに万引きをすること、させられることに対しての心の痛みはあるはずで、だけどそれを
最初から描いてしまうとドラマにならないし、犯罪をさせてる、黙認しているカゾクの面々がまさに
虐待者そのものであることが観客にバレてしまう、なので原作、脚本、演出をされているカントクさんは
その様な「現実味のある話」にはしないで、盗みを教え「犯罪行為を暖かく見守り黙認しているカゾク」に
少年達がなついている風な、ご自分のカゾクファンタジーに都合の良い話に仕立てているだけでしょう。
本作の評価の分岐点は多分、この倒錯した「カゾクファンタジー」に乗れるかどうか
つまり、よそんちの小さい子に犯罪をやらせてる大人達が、あろうことか自分達を父ちゃん母ちゃんと
呼んで欲しいとその子に求める、実際そんな大人がいたら世間が許さない様な全くふざけた話なんですが、
これで泣けますか?って事です。自分は全然ダメでした。なので後半のサクラさん達の熱演も
こいつら何自分勝手なこといって自分に酔ってやがるんだって冷ややかにみてましたね。
又、この映画の売りは現実問題を直視させるという事らしいですが、それならば実際にこのカゾクが自分の
近隣に住んでいたらと想像してみたらいいと思います。人の物をノリノリで笑いながら盗るような人達が
いろんなところから集まってきて一軒家で共同生活をしている、田舎などによくある無人販売の売り物など
余裕で盗まれるでしょう。いざとなれば老女(希林さん)の顛末も含め、法を破る行為も仕方がないな、
これも自分達の生きる権利だとばかりに開き直って平気でやる、そんな人達が自分の近隣に住んでいて、
本当にこの映画のレビューのように親近感を込め、泣けるとか、切ないとか感情移入して言えるんですか?
ということです(周りの迷惑、苦しみに無頓着な人への感情移入は自分には無理です)
実社会では平気で嘘をつく人、平気で人のものを盗る人は疎まれます。これは避けられない現実でしょう。
ゆえに、そうならないよう大人は子供達に「嘘はつかない」「人のものは盗まない」という最低限の
社会ルールを教えねばなりません。家族というのは単に一緒に遊んでワイガヤする面だけでなく、きちんと
社会で共存し、疎まれずに生きていくための最低限のルールを教える場という役割もあるはずなんです。
実社会にでたらすぐにわかりますが、わざわざ他人に社会的ルールを教えてくれる人などめったにいません。
だからこそ家族(あるいは学校)で教わる事が大事なんですよ。なのに、少年を学校に行かせさせないわ、
盗みを教えるわの虐待だらけ、そのくせ映画はタイトル含め「家族」「家族」って連呼する、この異様さ。
そもそもこのカゾクの面々、盗まれる側の事を全然何も考えてないですね。そんな、他人が悲しみ怒る事を
平気でやり、子供にやらせる自分勝手で最低な大人達のどこに愛情ややさしさがあるのでしょうか。
その盗んできた品々を使って子供達と海に川に遊びにいってワイガヤの楽しい思い出作り?これって良い話?
子役をはさんでみんなで笑顔で遊んでるシーンをみせとけば家族に見えるってか(笑)、みえねえよ(笑)
家族って多分、お金にせよ時間にせよ限られたものを互いに分かち合い、譲り合う事で愛情が芽生えて絆が
高まるものでしょう。例えば「これ父ちゃんの好物だけどおまえにやるから食べろよ」とか、子供が限られた
小遣いをためて親にプレゼントするとか、そんなところにドラマがあって泣けるんじゃないですかね。でも
本作の場合、欲しいもの?そんなの盗めばいいじゃん、誕生日プレゼント? 言えば盗ってくるよ、って
そんなゲスなノリでしょう。つまり限りあるものをわかちあう家族としての「器の底」がぬけているんです。
その、いざとなれば盗めばいいじゃん、子供だって見捨てればいいし法律?何それってノリからくる無責任な
明るさ、そしてその余裕からくる別に一人増えても二人増えても同じじゃん、助けてやろうや的軽薄なノリを
「優しさ」とか「思いやり」とかの別の何か良いものにカントクさんのファンタジー演出で見せているだけ。
そして多くの「心やさしき」観客がその「是枝マジック」に酔っ払っているだけの映画、っていうのが自分の
正直な感想です。自分には全然この映画は響きませんでしたし、万引きカゾクは家族には全然見えなかった。
(カンヌという権威、是枝マジックという映像力、多数の好意的レビューに負けなかった自分の感性に感謝)
まとめ
既述の理由で子供達にはまず見せたくないし、これから家庭を作ろうという人達(特に若い人)にもあまり
みせたくない映画です。家族はタイトルだけでどこにも家族なんか描かれてません。カントクさんの個人的
カゾクファンタジー映画って感じ。役者さんの演技力とカントクさんの映像力(洗脳力)は満点に近い
ですが、その内容はといえば陰鬱かつアナーキーで、虐待から救った様に演出されているカゾクもまた
虐待者というシュールな話ゆえに大幅減点。差し引き1点台の自分にとっては二度と見たくない映画です。
追記
万引きには嫌な思い出があります。子どもの頃、近所に優しいおばちゃんがやってる小さな小間物屋があって、
自分は買うものが特になくても立ち寄って可愛がってもらっていた。ある日、同級の奴が何も言わずに一緒に
ついてきて店に入ったと思うや否や万引きを始めた。子供の自分にも丸わかりだったのでおばちゃんもすぐに
気づいたと思う、だけどおばちゃんは何もいわなかった。自分も頭が真っ白になって何もできなかった、ただ、
こいつに万引きの手引きをしたと思われてないかとか、自分も普段から万引きをしていると思われないかとか、
それよりもおわびに何か買わなきゃとか、そんな事が頭をぐるぐる回っておばちゃんとその後なにを話したか、
どうやって帰ってきたか、その後のことはよく覚えていない。でもあの時のおばちゃんのものすごく何かを
いいたそうな寂しげで悲しい顔は今でも思い出すことがある(その後つらくて二度と店には行けなかった)
万引きってイジメに似ている。やってる本人はノリノリで楽しげだけどやられた方はきつい。そして小さな
イジメがきっかけで暴力がエスカレートするように、万引きがシビアな犯罪の入り口になる事もある。更には
むかし小売の店員のバイトをして感じたことだけど、お客さんを「盗むかもしれない人」の様に疑うのって
とてもつらい。万引きってそんな具合にお金や物を盗む以上の何か大切なものを壊しているような気がする。
その万引きを、家族と結びつけて得意になっているこのカントクさんの感性に自分はそもそも共感できない。
以上、普段はマイナスレビューを書かない主義ですが、このカントクさんが「同調圧力の強い国(日本)の
中で、多様性の大事さを訴えていくのはすごく難しい」と仰せなので、絶賛意見が大多数の本作のレビューに
こんなマイナスの感想をもつ観客もいるという多様性を訴える意味を込め、あえて批評を書いてみました。
そして何よりも、このレビューをあの小間物屋のおばちゃんへの懺悔の気持ちと共に、目の前で起こった
万引きを止められなかった子供の頃の自分に捧げます(ここまでの長文をお読みくださった方に感謝です)
注)
意見には個人差があります。このレビューは一意見にすぎません。それぞれがそれぞれの感想をもって当然
ですので、本レビューに関する議論は差し控えさせていただきます。異論、反論のある方は、ご自身の映画
の感想として個々にレビューされることをお勧めします。
置き忘れてきたもの
ヒトが人たる所以は、社会をつくること。その最小単位が、家族。その家庭に問題があると、社会性に問題がある人になる確率が高まるとか。負の連鎖の始まりです。
常識という単語が機能しない時代。家庭とか、親子関係の土台になる何かを、私たちはどこかに置き忘れてきたようです。
映画は、男の子の成長が、家族(本作を観てると、家族の定義が分からなくなります)を、次のステージに連れてゆくことになりましたけど、やはり、気がかりなのが、ラスト。どうしても、映画より暗い、現実の事件と結びつけてしまいます。
断罪と断絶では、何も解決しない…。監督さん、テレビで、現実の事件について、コメントしてました。本作にその答えがあるかどうかは、ともかく、制度としての家族より、ヒトがヒトを、大切に想う共同体が、あって欲しいものです。合法的にね。
海外でも、受けたそうですね。やはり、地球規模で砂漠化しているんですかね。ヒトの心。
追記 よその方の感想文を、少し拝読。本作は、ご見物の、これまでに見てきたもの、体験したことで、大きく印象が変わるようです。リトマス試験紙みたい。そして、実体験として、負の連鎖を乗り越えた方のコメント。己の無知を恥じるばかりです。
語れる映画
ヒェ〜、こんな家よく探して来たよね、と思ったが、こういう家はある。ただし大抵は一人暮らしで社会とあんまり接点がない人が住んでいる。
あぁ、このばあちゃんは始め、一人暮らしだった、そこに得体の知れない人たちが家族のように集まって来てたんだ。
だから子供を育てている筈なのに、家の中の乱雑さは気にならないのか、ばあちゃんに遠慮してそのままの状態で生活している。
ある意味、ばあちゃんは、もちろんのこと、母役、父親役の人たちも多分
まともな生育歴を得られなかったんだろう。
生きて行くために、ちょっとだけ何かをくすねるなんて事は、罪だとは思っていない。在るものを、在るところからもらうだけという意識。
同じように、ちょっとだけ気の毒な子どもを居心地の悪い場所から移動させてあげただけの家族ごっこ。
この映画の中でうまいなぁと思ったのは、安藤サクラとリリーフランキー、そして、ちょっとだけ出る池松。
安藤のスリップ姿は艶めかしくて、2人の絡みシーンは、全般にドヨドヨ している映画の中で"生"を感じた。なんでこの二人が夫婦⁈って感じなのに、何かありそうと思わせた場面だった。
でもそれ以上なのが、リリーフランキーだ。道徳心の無い有様を漂わせる佇まいや、小狡そうな目つき、スケベな感じ。あー居るよねー、こんな感じの人!それを演じているリリーフランキーは凄いし、ピッタシの配役。池松は何か哀しみを秘めた目が印象的だった。
この映画は後からあとから色々な場面が蘇り、自分の中で熟成され色々語りたくなる映画である。
よくぞ作った、監督。
賞をくれた人たちは、見る目があるなと思う。
「賞を穫る!」という意欲に溢れた作品
俳優さんが豪華だよね。「このチョイ役に池松壮亮!」「物語終盤のこの段階から池脇千鶴と高良健吾!」「この一瞬のために山田裕貴!」「その一言に蒔田彩珠、その父親に緒形直人!」って。みんな主役で映画が撮れるもんね。
もちろん主演陣は超豪華になるんだけど、リリー・フランキー、安藤サクラ、樹木希林が作ってく芝居に松岡茉優がちょっと合わない気がしたの。「ここだ!」ってシーンの表情とかは良いんだけど。ここ本当は夏帆つかいたかったんじゃないかな。
映像も綺麗だよね。見えない花火を見上げるところとか。リリー・フランキーと祥太が雪だるまつくるところなんて、モノトーンで決めてるしね。でも「あざといなあ」とも同時に思うの。「どう、このシーン、綺麗でしょ?」って言われてる気がする。
映像の綺麗さにも関わるけど、雨のシーンも多いんだよね。加えて雪のシーンもあるし。予算潤沢に使えたのかな。
端役に至るまで豪華俳優の起用、限定された気象条件での綺麗なシーンと「やったんでー」という意欲に溢れた作品だなあと思った。「見ろ、俺が是枝裕和だ!」って感じ。カンヌで賞獲れて良かったね。
そうした気合を活かす脚本はものすごくうまいと思った。細かなシーンを重ねて、少しずつ少しずつ「家族って?」っていうのを自然に訴えてくる。
「映像の力も活かした映画らしい良い作品」という気持ちと「作為が隠せてなくて嫌味になってる」という気持ちが半々になる映画だったよ。
しっかりと家族だった
万引き
「捨てたんじゃないよ。拾ったんだよ。誰かが捨てたものを」って言葉が心に残っています。
人の家族を盗んで、その人がまた人の家族を盗んで、そうやって一緒に住んでたから万引き家族なのかな。万引きってほんとに悪いのかな。とか。
家族に必要なものとは
警察の尋問を受ける信代の言葉、
「棄てたんじゃない、拾ったんだよ」
これが本作のすべてを表しているように感じました。
万引き家族は、みんな棄てられた人たちなのでしょう。
治は祥太に自分の真の名前をつけました。自分を祥太に重ねて、経験できなかった父親の愛を体験したかったのだと思います。信代も治も棄てられた自分を救うために、祥太やリンを拾ったのではないでしょうか。
社会的に見れば、彼らは間違った家族です。実際、祥太のケガ以後に夜逃げをする姿を見れば、精神的なつながりもどうなのだ、と疑問も湧きます。
しかし、万引き家族には、家族として絶対に必要なものがありました。
それは団欒です。
みんなでカップ麺とコロッケを食べたり、リンの好物を理解しておふを食べさせたり、見えない花火を見たり、海に行ってジャンプしたり…
この団欒が存在していた意味では、万引き家族は真の家族でした。
このような日々があったからこそ、祥太は成長できたし、リンは海の絵を描くことができました。つまり、万引き家族には愛があったのです。
(責任はなかったけどね…)
信代はひとりで罪を被り収監されました。そこで吐いた「お釣りがくるよ」の言葉は真実でしょう。お母さん、とは呼ばれませんでしたが、お母さんとしての仕事は果たしたように感じました。信代は治と祥太、リンを救い、自分自身をも救ったのだと思います。愛されない、愛せない、自分の存在に価値を見出せない苦しみを生きることに比べれば、ブタ箱生活など「お釣りがくる」程度のものでしょう。
印象的なシーンもたくさんありました。団欒の場面はもちろんすべて良かったのですが、海遊びシーンは本当に安らかで喜びに満ちていました。俯瞰シーンがすべからく感動的で、夜に治と祥太が広場でジャレ合ったり、花火を眺めたりする場面は、なぜか胸に迫りました。
中でも白眉は、亜紀と4番の交流シーン。言葉にできないほど美しかったです。孤独な魂同士が惹かれ合い、一瞬繋がる姿には、えもいわれぬ切なさと煌めきがありました。
悪役的な存在の尋問役ですが、なかなかの名言も吐いています。
祥太に学校に行く意味を尋ねられた警官が、少し考えてから、「仲間ができるから、かなぁ」と答えました。家族も大事ですが、家族の外の仲間たちも大切なんですよね。特に祥太くらいの年頃の子どもにとっては。これは名言だったと思います。
しかし、是枝監督は乗ってますね。三度目の殺人から1年経たずにこのレベルの作品をドロップするくらいですから。いやはや感服いたしました。
大人の更生は難しいだろうと思った。
色々考えることが広がって全然感想まとまらないので脈略なく吐き出しておきたい。とても素晴らしい映画だと思いました。
池松壮亮が出てきて、きゃっとときめいた。不意打ち。
サクラちゃんと松岡茉優ちゃんが姉妹でない察しはついたけど、おばあちゃんとサクラちゃんも赤の他人だったなんて…というしょぼめの衝撃を受けた。
松岡茉優は樹木希林の元夫が不倫して別の人と設けた息子の娘で、妹の名前を源氏名にしてJK見学店で働いている。4番さん(池松くん)となんだかつながりを見出している様子。
樹木希林演じるおばあちゃんは、元夫に逃げられていて(離婚はしなかったのかな?だから年金があるのかな?)、元夫がほかの女性と設けた子供(茉優の父)んちに月命日のお参りと称して訪問、せびるつもりかどうか知らんけど、茉優の父から金を受け取っている。茉優はどうやら両親と不仲。両親は世間体大好きっ子なので、家出した長女を留学中と称している。
サクラちゃんと子供ショウタはずっと親子なんだと思っていた。
母子の暮らしに変なおっさんが入ってきたからお父さんって呼べやんのやと思っていた。
こういうことかなと想像しながら見ていたけれど、実際は更に上を行く感じで、
客観的にみるとどえらい犯罪者夫婦(内縁)だった。
貧しくとも学校は通わせられるんちゃうんかなと思ってたけど、
誘拐した子ならばそら通わせられへん。
一人一人の収入は低くとも、リリーさん、サクラちゃん、おばあちゃんの年金があれば、もうちょっとましな生活、せめて食糧を万引きする必要はないんちゃうんかなって思った。
まあ、リリーさんほとんど働いてなかったし、サクラちゃんもクビになった腹いせ?に化粧品やら下着やら高そうなのを衝動買いしてたし、
そういう感じだから食糧に回すお金もないんかもって思った。
言葉にされていない部分でも、いろいろ想像が巡る部分があって、
サクラちゃんはきっと虐待されてたんだろうし、
子どもが産めない、産まない事情があったんだろうし、
切なくなった。
ショウタが万引きに疑問を覚えてくれたのは、ほっとした。
彼は与えられた環境の中で、出来る事の最良のことをした、と思う。
おじさんおばさんになってからだと、ずっと続けてきてしまった悪癖を断つのは難しい。
それ以外で生きていく術がないもの。
まともな収入も住居も手に入れられないし、類は友を呼ぶ以外の人間関係を築けないから、生活を向上させる術がない。
まともを自負する人たちは、リリーさんやサクラちゃんにチャンスを与えようという気にはならない。
周囲が見下し、嫌悪する立場を崩さないから、本人たちも助けてくれって言えない。
リリーさん、サクラちゃんが実際に居たとして、私も多分目もくれない。
触れ合うことがあったとしても、記憶にとどめる必要がないと判断すると思う。
ある程度の年齢がきたら自業自得でしょって断罪してしまうと思う。
それが正しいとは思わないけれど。
社会の底辺に追いやられた人を見下し目をそらす私が映画の隅っこにいた気がして、
情けないなとおもったり、でもどうにもならへんし、自業自得でしょって思ったり、気持ちの置き所が定まらなかった。
リリーさんとサクラちゃんは、機会や人やなんやかんやに恵まれていれば、
人を殺す必要がなかった人じゃないかと思う。
彼らは理由・手段はどうあれ、ショウタとゆりを慈しんで育てた。
健やかさのかけらは確かに持っている。
だけど。
ショウタとゆりが、将来リリーさんやサクラちゃんにならなくて済む方法は、なんだろうか、とも考えた。
パルムドール効果で普段のお客さん意外も観ているなーと感じました。
おめでとうございます。
是枝監督、本当におめでとうございます‼
やるせない
血は繋がってなくとも家族
ハッピーエンドかバットエンドかはわからないけど
過ごしてきた時間は家族で過ごした時間
駄菓子屋さんの配役は良かった
4番さんと警察官は有名な人でなく名も無き役者の方が良かったと思う
ちょっと豪華で、お?となった
しみったれた話
ひたすら重い
子育てごっこ
同じフジテレビ制作の「コード・ブルー」なんか見ると、こんな美男美女ばかりいる職場はないだろうと突っ込みたくなるが、そこへ行くとこの映画は安藤サクラと言いリリー・フランキーと言い、ほど良いリアル感のある顔ぶれで安心する。
もちろん“万引き”も出てくるけど、どちらかと言うと疑似家族による子育ての部分に比重があり、この監督はそのあたりの題材にずっとこだわりがあるようだ。映画はこの家族の閉じた輪の中でずっと話が進むので、最後にすべてが露見して外部と接触することで、かえって開放感すら覚えた。
そう言えば、昔「ひき逃げファミリー」という映画もあったが、あちらはひき逃げした車を家の中に隠して解体する話だったような。
ヒトは弱い
パルムドールを受賞したこの万引き家族。
中々見た足を運べなかったが、昨日やっと鑑賞できた。
映画の感想どうこうよりも、この作品は
パルムドールを獲るべくして獲ったといえる
そんな作品であったと思う。
パルムドールを受賞した「パリ、テキサス」と同じような撮り方をこの映画ではされている。
是枝監督の「そして、父になる」でもあったように今回では風俗店のシーンをオマージュしていた。
また無駄に豪華すぎるキャスティングといった点から、かなりの資金が注ぎ込まれたことがわかるし、これには文部科学省の後押しもある。
是枝監督はパルムドールを喉から手が出るほど欲しかったんだと推測できるし、国としてもも同じく狙っていたと思える。
感想としては、とても難しい内容の映画であったし、やはり家族再生というものがテーマであったが、その結論というものは私たちに投げかけて映画は終了した。
オープンエンディングたったということは、この映画は問題を鑑賞者に投げかけただけで、これから先どうするかは私たち次第ということだ。
この作品から私は、人間の弱さを感じた。
どんだけ人を大切にしようとしても、誰もが自分を優先してしまう。これは人の性だ。
決して悪いことではない。
誰もが心の中に見えない闇、悲しみを抱えている。
それを共有できるヒト(家族である必要はない)がいるだけで、人生は変わっていく。
是枝監督はこれらを社会問題とミックスさせながらセンセーショナルに上手くまとめ上げた。
しかし、作品は高評価とはならなかったが、作品の価値はこれからの私たちに委ねられている。
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